25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

高倉健 追悼

2014年11月18日 | 映画
 高倉健が悪性リンパ腫で亡くなったという訃報を午前11時45分からのNHKニュースで知った。
「幸せの黄色いハンカチ」「遥かなる山の呼び声」、特に「遥かなる山の呼び声」が印象に残っている。山田洋次監督の作品の中でも、傑出しているのではないかと思う。倍賞千恵子が黙々と働いている農場を男は手伝うことになる。男には事情がある。北海道の草原で馬で駆けるシーンもある。草競馬のシーンもある。ハナ肇のジンとくる列車内の演技がある。
 もうひとつ好きな作品がある。「君よ憤怒の河を渡れ」である。この映画でも新宿の街を中野良子を助けだすシーンが圧巻であった。なんと寡黙で格好がいい男なのか。その印象がずっと続いた。この映画は初めて中国で公開された日本映画だった。そのときチヤン・イーモーは中学生だった。
 おそらく僕が「笛吹童子」を港の広場で白い幕を張ってできたようなところでチヤン・イーモーも中学生の頃見たのだろう。彼は「君よ憤怒の河を渡れ」に感動した。やがて彼は成長し、映画監督となった。「初恋のきた道」「赤いコーリャン」、「上海ルージュ」などを作った。数々の賞をとった。そしてついにチヤン・イーモー監督と高倉健は「単騎千里を走る」という映画を撮った。

 この頃から高倉健の映画は高倉健のポートレートのような映画が続いた。降旗康男という監督はよほど高倉健とウマが合ったのだろう。高倉健の晩年の映画はすべて降旗康男監督である。それはストリーや何よりもいかに高倉健を撮るか、ということだけにこだわっていたように思う。倍賞千恵子との居酒屋でのシーン。田中祐子と傘をさしてやりとりするシーン。

 チヤン・イーモーは北京オリンピックの開会式や閉会式を演出し、今度のOPECの開幕式も担当している。いわば高倉健はチヤン・イーモーを通した中国と日本の友好の架け橋でもあった。

 ロバートデ・ニーロの「ディアハンター」でエネルギーに満ち溢れる結婚式の宴がある。この宴は延々と続く。観る側はごく普通の人々の溢れるエネルギーに圧倒される。一人の人のエネルギーが100人になると、千人や一万人のエネルギーにまで増幅されるような気がした。「単騎千里を走る」では村の通りでの大宴会がある。並ぶ料理。人々の溢れる匂い。食べる欲。食べる喜び。大画面一杯に大宴会が繰り広げられた。そして奇岩の並ぶ迷路のような場所で男の子を探すシーンがあった。チャン・イーモーはよほど高倉健を尊敬していたのであろう。そして高倉健はチヤン・イーモーの予想通りに演じたのだと思う。

 遠いところにいて、死んでほしくないと願う人が僕には4人いた。司馬遼太郎。池波正太郎。吉本隆明。そして高倉健。大事な人が亡くなっていくと僕も何かを失うような気になる。

 最後の映画となった「あなたへ」のPRではよくテレビにも出た。ドキュメントもあった。その時は高倉健はよく喋った。ほとんど映画以外では顔を見せない俳優だった。俳優はそれがいいと思う。素顔の俳優はトンマなことを言っていると話にならない。俳優は演技が勝負である。高倉健は演技などをはるかに超えた存在そのものが俳優であった。祈り。
  


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