25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

両方を同時にやる人

2015年06月11日 | 日記
「今を楽しみたい」という気持ちと「将来のために今は楽しみを横に置いてでも勉学するとか苦しんでも努力したい」という気持ちは二つ同時に存在する。おそらく、後者の方が生きる意欲なのではないかと思う。ところがこれを同時にやりとげる人というのもいる。先輩のHさんはそれではないかとこの前も思った。話を聴いていると、会社には閑職においやられても給料はもらうぞと開き直って、退職まで会社には通い続け、自分で趣味に没頭した。
 退職前には結婚もした。社交ダンスに今没頭してりうが、居合術もやり、エレキバンドまでやっている。カラオケで彼は「ザ・ランチャーズ」の「冬の帰り道」を歌ったが、間奏のギターがあり、「今、これを練習してるだんけど、これがなかなか難しくて」と笑っている。これを弾けるようにするのだろう。バンドには音に厳しいドラマーがいて、なんだかんだと言ってくれるので、それが刺戟となっていいらしい。社交ダンスを踊るとサラサラとした塩になってしまうような汗をかくらしい。社交ダンスもうなく踊れるように苦労するのだろう。それも「楽しい苦労」である。

 僕なんかは唯一の楽しみと言えば、小魚を釣ったり、磯遊びを一人でするくらいのもので、努力を要するものはしていない。Hさんは僕より3歳上だが、肌艶もあって、健康な若者のように見える。それにハンサムであり、背も高い。どんどん話を聞いていくと、この人は、頑固に、自分をあんまり譲らずに生きてきたんだなあ、と思う。はまってしまうと努力してやっていく人なのだ。
中学生の頃、Hさんの家の裏小屋で「レビンズ」というバンド練習を何度か見に行ったことがある。ベンチャーズの曲のリードギターをいとも簡単そうに弾いていたのにはびっくりしたものだった。たぶん仲間をつくるのもうまいのだろう。もうひとり腕のよい1級か2級上の先輩がいたが、彼はとてもうまくリードギターが弾けるのだが、一人であった。仲間で弾いているのを見たことがなかった。
 Hさんも退職して、懐かしのベンチャズナンバーを公民館でやっているのを聞きにいったことがある。
 演奏者というのは聴衆にはわからないくらいにミスはするものだろうが、大ミスというものはない。彼らのバンドも大ミスはなかった。「オレは楽譜は読めんので、おぼえて指で探って弾いていく。あくまで我流だから、ポジションが違うかもしれん」と言っていた。それで、ビデオなども見るのだそうだ。

 ときどき夜の町にいくとこういう人と出会う。すると酒は何杯でも入っていって、翌日は二日酔いもないのである。
 


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