25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

ニュートリノのこと

2015年10月09日 | 日記

  「科学者は地球上に初めて人類が出現した時期は700万年前と考える。それはチンパンジーと共通だったさいごの祖先から僕らが分離してきたことを示すことによる。」(チップウォルター) 

  70万年前から最後の人類である僕らホモサピエンスまで26種類の人類がいて、最後に残ったのが僕らというわけである。  それまでの人類は滅びたのか、混じっていったのか、興味があって、「人類進化 700万年の物語」(青土社)を読んでいる。

  偶然といえ、幸運といえ、原核細胞から始まった初源の生命はいたるところで誕生したと思うが、僕の祖先はその間よくも死なずに次に引き継ぐものを残してくれたものだと思うと、これほど幸運なことはないと思ってしまい、藻類や植物にも感謝したくなってくる。

   今、美味しい秋刀魚は黒潮に乗って北海道の沖までプランクトンを求めて北上し、卵ができるまでまるまると脂肪を貯めて、そこで人間に捕獲される。それを免れたものは紀州沖まで餌も食べず、自分の脂肪をエンルギー源として、海に浮かぶ藻に産卵して短い生涯を終える。わずか1年の命である。

  僕らだって魚だった時期は何億年もあった。他の魚や鳥に食べられることもなく、僕の祖先は生き抜いた。だから僕は今存在する。

 このような偶然に、思慮深い人間たちはひたすら考えたにちがいない。宗教的に考えた人もいた。科学的に考える人もいた。

  宇宙の誕生から、生命体の誕生を考えようとする人たちもいる。

   ニュートリノは質量をもつという。僕らの体を通っているという。生命の誕生は、いわばタンパク質の誕生はニュートリノとも関係しているのか知りたいところだ。ニュートリノの役割を知りたいと思うが、TVではわからない。

 



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