25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

調子がでてきた

2018年03月07日 | 日記
ようやく体の不調から脱しつつある。とにかく朝から眠くて、昼も眠くて、夜も眠く、この三日間はよく眠った。風邪薬をようやく飲んだからなのだろう。
 歯肉炎もおさまってきた。まだ本来の歯とまではいかないが、なんとか噛めるようになってきた。歯だけは死守したく、まだ頑張るつもりである。
 木蓮と花と木瓜の花が咲き始めた。庭の隅っこのほうに去年植えた白と黄色の水仙もひっそりと咲いている。

昨日の話の続きになるが、日本列島人は未来にどんな風にしているのだろうか、という問いにいつも思うことがある。それは大学生の就職活動での右も左も,だれもかれも同じような服を着ていることだ。つまり飛び出したくない。同じ格好で横一列に並んでいた方がよい。目立ちたくない、というように見える。おそらく彼らは企側も同じような思いで見ているに違いないと感じ取っている。
 企業側は優秀な人材を欲しいだろうが、はみ出るほどの人材を欲しくないのかもしれない。卒業生を一括採用するよりも、即戦力になる者をと、考える方が自然だと思えるがそうではないのだろう。

 保育園のある子がタコの絵を描いたら、みな同じようなタコの絵を描いていることに驚いたことがある。真似をしていれば楽なのだ。
 高度経済成長の日本人は真似については抜群の優秀さで、勤勉さと模倣力が高度度経済成長の原動力となった。次のステージではアメリカの若者が世界を牽引する力となった。発想の大転換ができず、ベンチャービジネスを育てる環境も作れなかった。ちょっとした便利な物を作る。そんな物作りの国となった。サービス産業が70%台になってもサービス産業の意味を理解した経団連や政治家は少なかった。サービス産業を製造業の下に見ていた。公共投資も一番人口の多いサービス産業に向けられてしかるべきだのに、サービス産業の割合が高くなってきても堤防のような無駄な物にお金を注ぎ込んできた。今もである。サービス産業従事者の賃金が低いことからもわかる。
 給料公共事業でできた物はお金を生みだし、今後消費を増やすのであればいいと思うが、1000年に一度の大地震と津波があったからと言って、堤防はあらたな物や人を生み出すものではない。
 就活をする学生たちは何を思いながら会社訪問をし、自分をアピールしているのかわからないが、人間の間で浮き出て嫌われることを恐れていては物事は成せないと思う。安心に染まっていては社内革命も起こせないだろう。安心は必要であるが、挑戦も必要である。就職活動で着ている服を見る度に男も女もだめだなあ、と思う。それが日本列島人なのかなあと思う。

 おとなしい集団を日本列島人は好むのか。イライラしながら就活生やそれに応じる企業を見ている。


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