25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

海の上のピアニスト エンリオ・モリコーネ

2015年05月04日 | 映画
ジュゼッペ・トルナトーレ監督作品で、エンリオ・モリコーネが音楽の「海の上のピアニスト」。原題は the Legend of 1900 である。生涯を豪華客船の中で暮らし、大地のある岸に上陸したことがなく、したいとも思わず、友人がなんとか上陸させようとするが、それも拒否して船の解体時に一緒に命も爆発させるという物語である。とてもシンプルなストリーである。一種のサヴァン症候群なのだろ船の中に捨てられていて、荒くれだが心優しい船のボイラーマンに育てられるのだが、突然にピアノが弾けるようになる。超人技のピアニストになっていく。ジャズの即興でも、クラシックでもなんでも弾ける。
 この客船だけが彼にとっての地球であり、そこで十分に楽しく生きられる。この感覚はわかる。中国の内モンゴルに行ったとき、どうしてこんな生きるに難しそうなところで暮らすのだろう。移動していけばいいのに、どうして人は出ていかないのだろう、と思ったことがある。人間は、長いあいだ暮らした場所からは容易に引越しできない、あるいは人がどう思おうとここが心地よい、という定着感があり、脳さえ生きていたら、四畳半の部屋に一生いてもそこが心地よい場所になり得るのだ。

 学生時代に4畳半の住処はたしかにコンパクトで心地がよかった。
 この主人公の名前は 1900( Danny・ Buddman・T・D・Lemon ・Ninty Hundreds)という。彼は毎晩船内の円舞ルームでバンドのピアノを担当する。映画はほとんど監督の巧みな構成で、このピアニストの存在を知った黒人のジャズピアニストが挑戦を仕掛けるというハプニングもあり、とにかく1900の超絶な技と繊細な感覚があますところなく発揮されて最後に幕を下ろす。「ニューシネマパラダイス」の監督だ。驚くべきことはこの監督もすごいが、モーツアルトやベートーベンがその場にいたら、いかに音楽は様相の違ったものになっているか驚くことだろう。モーツアルトだったら、ケラケラと喜んで対抗するように思える。ベートーベンは感動で打ちひしがれるかもしれない。エンニオ・モリコーネという作曲家は簡単にクラシックやジャズを超えてしまっている。

 僕はよくは知らないが、映画音楽だけでなく、ピアノ協奏曲や交響曲も作ればいいのにと思う。(もう作っているのかもしれないが僕は知らないので)
 いわば漱石と村上春樹を考えればいいのかもしれない。村上春樹の時代はどこにも自由に行けて、様々な音楽が聞けて、様々なファッションや食べ物があって、相当に裾野が広い。漱石も裾野の広い作家だったが、時代はなにせ明治時代である。イタリアやギリシャに住んで見たり、アメリカに行ってみたり、ウィスキーの旅などとできない時代であった。音楽も、絵画も、ファッションも、食べ物もごく限られたものであった。しかし漱石の小説には人間のこころを深く描きとることができている。それはモーツアルトやベートーベンでも同じだ。村上春樹は世界共通の意識や無意識をとりだそうとしている。

 エンニオ・モリコーネも村上春樹らしき現代の人である。ジャズもクラシックも、ロックやポップスなどどんなジャンルの音楽も聴いていることだろう。
 もうちょっとこの作曲家のことを調べてみようと思う。この「海の上のピアニスト」のサウンドトラックもタワーレコ-ドやブックオフで探したのだった。見つからなかった。そしたら今日妻とTSUTAYAに行ったら、レンタルであったのを妻が発見した。灯台元暗しとはこういうことを言うのだ。びっくりした。尾鷲にはハナからないと思っていた。 


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