25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

2018年04月07日 | 日記
 大気が少し冷たくなるととたんに咳が出る。医者に「レントゲンとりますか」と言われ、「
それは何のためですか」と訊くと、「肺癌をみるためです」と言った。笑いながら「いやいや結構です」と拒否した。普通問診といものがあるだろう。手掛かりのようなものだ。どんな時に咳が出るとか、呼吸は苦しいか、とかなんだかだである。それを訊くこともなく、いきなりレントゲンと言ったので、いきなり笑って誤魔化した。
 コメリに出かけた。藤の木を、3日前に見たので、もう二本買おうと思ったのだった。庭の一本だけのツルの伸び方を見ていると藤棚ができるまでに死んでしまうのではないか。単純にもう二本ほどあれば早いのではないかと他の藤棚を見物することもなく実行しようと思ったのだった。残念にもこの前売りに出されていた藤は全部売り切ってしまったという。「二週間ほどかかりますが、お取り寄せしまでょうか」と言ってくれたので、「頼みます」と連絡先を記入した。「50センチぐらいのでいいでうか。」「はい」「いくらぐらいまでならいいですか」と最後の質問に「い本一万円もしないででょ」「そうですね」「とにかくお金のことはかまわずに注文してください」わかりました。
 この前店にあったのは昨年ぼくが買ったのと同じくらいのサイズで30センチほどだった。それが長い日本のツルを一年の間に伸ばした。
 山茶花が終わったあと、木蓮が儚過ぎるほど咲いては散り、春一番に水仙が咲き、トサミズキが豪華に咲いた。続いて桃とレンギョウの花が咲いた。そぢて木瓜の花へと続いた。
 金魚やメダカは水温が上がったのだろう、冬の冬眠のような状態から一斉に元気に泳ぐようになり、餌を求めるようになった。稀の里も高安も元気に泳ぎ、稀の里が一番よく食べる。
 コメリではすでに夏のレジャー用品が並んでいた。金魚も今日がデビューのようで、季節が変わるのをホームセンターで感じる。
 風邪、歯肉炎、気管支炎と続いた冬もすっかり春爛漫と変わるとともにぼくの症状も治まった。自然はそのものが生きている、と感じるのだ。