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アラコー(around後期高齢者)の春秋

みっちゃん(昭和をともに生きた女たち)へのこひぶみ

看板にいつわりあり

2012年12月12日 | 四季のうつろい
みっちゃん
看板は「大学生おばあちゃん奮闘記」なのに一向に奮闘しない、大学生でもない日々が続いているせいか、ブログの訪問者数はうなぎ下がり(?)yes,今日も看板に偽りありの話題です。たぶん、、、私は書きながら考える人なので、タイトルとカテゴリーな最後でないとつけられないのです。

今、日本で一番もてている男性といえばノーベル賞の山中教授でしょうか。山中教授を嫌いだという人にまだ出会っていません。運命の女神が彼にウインクしたと思ったという講演も素敵でしたね。私たちに運命の女神がウインクする瞬間など絶対訪れるはずはないと思う半面、今の幸せな状況、少なくとも物質的に不幸でない状況を思えば、どこかで私にも運命の女神がほほ笑んでおられるのかもしれません。そう、子供のころに思い切り物質的な不幸に合った私たちは、滅多なことで、不幸とは思えないのです。もっとも家族や知り合いが夭折したり、病を得たりけっして四海波静かとは言えませんが、幸せも不幸も、当の本人が気がついていなければ幸せでも不幸でもないですよね。

4~5年前(かな?)に買った“幸福の木”正式名は“ドラセナ”だそうですが、最近徐々に元気がなくなりました。植木鉢が小さくなったので、夫が植え替えてくれたのだけど、多分植え替えたことが原因ではなく、今年の寒さが関係あるように思います。思うに、幸福の木というような縁起の良い名前の木は逆に枯れるとがっかりするので、縁起が悪いような気がします。幸か不幸か私の予感は大抵外れるので、たとえ枯れたとしてもあまり気にはかけないとは思いますが、、、やはり幸福の木という名前の木は買わない方がベターかも。

花の名前を付ける人もずいぶんいい加減なもので、山歩きをしていると「ままこのしりぬぐい」という山野草に出会ったことがあります。ウスピンクのかわいい花を咲かせますが、茎にとげとげがあり継子はこの草でお尻を拭かれるという発想です。継子も可愛そうだけど、意地悪をしなければおさまらない継母の心理もなんだかあわれ、おそらく食べるものも満足になかった時代の話です。

読み人はわすれましたがむかし歳時記でこんな句に出会いました。

蝶の黄を あわしと思う つわの花

我が家の狭い庭はいま“つわぶき”が咲いています。花の無い時期の唯一の彩りだけど、日本の花はどうしてこうさびしいのでしょうね。蝶よりも目立つ黄色に咲きながら、風景の中に溶け込んで「あれ!咲いてたの?」ほとんど見向きもされない花だなあと思います。水仙もそろそろ花芽をもつころだけど、西洋水仙との違いはどうでしょう。日本ではワーズ ワスもあの名作“The Daffodils”をかくことはできなかったと思いませんか?ギリシャ神話の少年、ナルキッソスも自分の姿に恋をして花になることはなかったかも。

かにかくに、、、大学生おばあちゃんは2013年の声を聞かなければ、一向に奮闘する気配もなく炬燵で丸くなっています。


預かり金?

2012年12月11日 | 雑記帳
みつちやん、少し旧聞に属しますが、塩糀を使っていますか?

私は今日、近くのDocomoショップでスマホの講習会というものに初めて参加しました。各社同じだと思いますが、i-phone、スマホともにサービスにしのぎを削っているようで、当然講習は無料、帰りにお土産(ハンドタオルと塩糀)を貰いました。塩糀は本当に重宝な調味料ですね。

ところが、帰ってテレビを見るといまやブームは“エノキ氷”が主流になりつつあるようですね。内臓脂肪を減らす効果が期待できるそうですが、食糧難を知っている私には、いい加減にしたら?という思いがないではありません(まわりくどいけどあるという意味です)だいたい、塩そのものが「おかず」の一つだった時代、つまり、塩むすびとかたくあんだけでご飯が食べればそれでも感謝だった時代を通りこしてきたものには、グルメ番組や食品ブームをどこかさめた気持ちで見たりします。料理番組は一番製作費が安上がりという話も聞きますが、だいたい世界中で料理番組がこれほど放送される国は珍しい(無い)と聞きます。

異論はあるでしょうが、日本ほど富の分配が上手くいっている国はないという話もあります。なにしろ塩を舐めて大きくなり、下級公務員の妻であった私でも格安とはいえビジネスクラスで海外旅行ができるのですから。賢い人がいうには日本の富の分配がうまく行ったとすれば、それは第二次世界大戦後の、財閥の解体と農地解放という平常時ではとてもなしえない有無を言わせぬ二つの改革に負うのだということです。つまり、国民なべて貧乏の中で高度成長期を迎えたことから、国民総中流(そこそこ)を迎えることができたというのです。

なるほど、ナットク。でも。最近私は良く思うのです。国が貧乏で国民はお金をもっていると良くいいますが、私たちが持っているわずかなお金は実は国からお預かりしているのではないだろうかと。私には子供がないので余計そう思うのかもしれません。でも、われわれのわずかな遺産(もしあったとして)を国にお返ししたとしても、どこかのずるい人が喜ぶだけかなという疑い(確信)もあり、残る命と必要経費をしっかり辻褄を合せて死にたいというすこぶる利己的な結論になってしまうのです、、、みっちゃん、この歳になっても、知っている人にはそこそこ優しくできても(恩を売れるから?)知らない人(例えば東北の被災者)に優しくするという概念がなかなかわかずに迷っています。

相性

2012年12月10日 | 雑記帳
みっちゃん
だれにも相性というのがあるでしょう?
パソコンがあればなにもいらないコンピューターおばあちゃんもいれば、機械と聞いただけで虫唾が走る友達もいますもの。私の知っているみっちゃんは大抵後者です。そして年賀状はきれいな毛筆の手書きで送ってくれたりします。ともすれば私のやっていることが一番楽しいと錯覚して、友達におしつけたりしますが、今時、お酒の飲めない人に「俺の杯が受けられないのか!」的な押しつけは少なくなりましたし、遠慮しなくてはいけないでしょうね。

忘年会は遊びの数だけあり、私の場合、すでに二つ終わりました。今年もカラオケ強要に少し閉口しました。だから一緒に勉強をしようとさそうことも、スマホの時代に出会えてよかった的な私の好きな話題は、なるべく慎むことを肝に銘じておかなければなりません。といいつつ、新興宗教の信者が無報酬でこの寒空に一軒一軒布教して回らずにはいられない気持ちも少しわかるのです。「私がこんなに幸せだから、あなたにも幸せを分けてあげたい!」のでしょうね。もしかしたら、このブログで私も同じことをやっているような、、、少なくとも、自身の心覚えに書くのだと言いながら、同じ思いのみっちゃんを探しているかもしれません。

電話でお誘いという横着な勧誘もありました。笑ったのは選挙のお願いの電話が初めコンピューターの音声だったことです(すぐこちらが切ったので詳しい内容は分かりませんが)。玄関に来て頭をさげられてもなかなか一票の確約はないのに、コンピューターではねえ、、、みっちゃん、どう思います?

N大学の通信教育部のスクーリングでは同年代(70歳代)の女性に二人出会いました。一人は哲学専攻、もう一人は若いころ勉強したかったのに出来なかったという「怨み節」がお好きな方でしたので、どうも私とは相性が悪そうなので、行きずりの人で終わりましたが、今となっては少しばかり残念な気がしています。少なくともお二人とは勉強がしたいという共通点はありました。良い歳をしてパソコンが好きで、大学院へ行きたがっている女性(私のみっちゃん)はそうたやすくみつかりそうもありませんもの。

でもでも、もともと私の話かけているみっちゃんは私と同じことをする人ではなく、無駄な努力にうつつを抜かす私を馬鹿にしないで、違いを認めてくれる心の広い人たちです。いつか、私のみっちゃんが話しかけてくれますように。

もずが枯れ木で~♪

2012年12月09日 | 雑記帳
みっちゃん、
新しいブログのテンプレートは季節がら「百舌と枯れ木」にしました。で、先ず思いだすのはこの歌

モズが枯木で啼いている 
オイラは藁(わーら)を叩いてる
わたびき車はおばあさん
コットン水車も回ってる

みんな去年と同じだよ 
けんども足んねぇものがある
アンサの薪割る音がねえ
バッサリ薪割る音がねえ

アンサは満州へ行っただよ 
鉄砲が涙で光っただ
モズよ寒いと鳴くがええ
アンサはもっと寒いだろ

この悲しい反戦歌を、高校生のころみっちゃん、あなたが教えてくれました。そして鮮明に思いだすのはもう一つ

ふるさとの街焼かれ
身よりの骨埋めしやけつちに
今は白い花咲く
ああ許すまじ原爆を
みたび許すまじ原爆を
われらの街に

はらからの絶え間なき
労働に築きあぐ富と幸
今はすべてついえ去らん
ああ許すまじ原爆を
みたび許すまじ原爆を
世界の上に

ふるさとの海荒れて・・・という歌詞もあったと思いますが、原子力発電という形で三度もよたびも許してしまいましたね、世界の上に。小学生のころ「ひろしま」という映画を学校から見に連れて行かれました。行かれたというのは、あの怖い映像を見に行かされたという思いが強いからです。以来私は「四谷怪談」とか「トイレの花子さん」はまず平気だけど、映画「アウシュビッツ」とか「キリングフィールド」は、とても怖くて見る気になりません。

つまり、身に直接危険が及ばない作り話の「恐怖」は楽しめるけど、現実に危害が及びかねないものには得体の知れない怖さを覚えて耐えられないのです。正直に打ち明け話をすれば、大学院の研究計画書には「ゴシックロマンス東洋と西洋、~“The Mysteries of Udolpho”と『雨月物語』をベースに文学における幻想の役割~ で提出しました。ひらたく言えば怪談をテーマにしようということだけど、比較文学にすると、英語で論文を書く必要はないかもというずるい発想(シタゴコロ)の結果です。

本当は、大学院を遊ぶからには私の好きな「スタインベック」にすべきなんだけど、みっちゃんあなたならどうする?


いじめ?!

2012年12月08日 | 雑記帳
みっちゃん
みっともないけど愚痴を聞いてください。

この前のアメリカ旅行の際私はアンドロイドの小型PC(NEC life touch note)をもって行きました。スマホはデータ通信を切ったはずなのに、自動的に電波を拾って繋がってしまい帰国後法外な請求(友達は5万円強)がくると聞いていたので、使わないことにしていました。

話は今日のことです。とても親しくしているご夫婦がヨーロッパクルーズから帰ってきたので話を聞きに行きました。クルージングといっても飛鳥のような超豪華船ではなく、数か月前にイタリア沖で座礁した類の庶民的なものだそうですが、、、、とても素晴らしい旅をしてこられたようです。

それはともかく、話は私がアメリカへPCを持って行ったことに関して、夫と友人(奥さんの方、ご主人は聞いているのか居眠りしているのか)はアナログ系の人なので、旅にその種の気が散る機器を持ち込むことは許せないということになりました。もちろん、とても信頼している仲なので、その手の議論はいつものことで、私も笑って応じておりました。

とはいえ、私は夫に悪かったかもしれないという反省と、ホテルで休憩のひとときを日本の友達にfacebookをかくくらいいいじゃないの?私にしてみれば、外国の様々な条件の元でインターネット接続をすること自体わくわくすることでしたから、それほど悪いことではないと思っていました。

「違いを認め合って欲しい」というのが私の願いですが、二人の攻撃(?)に多少とも気持ちがへこんでしまいました。ふと思ったのは、これは中学生のいじめに通じるものがありそうだということです。2:1でしたが、これが多数:1になると、からかいとか冗談も深刻ないじめとして受けるようになるのでは、、、?

もっとも私は大人(分別も経験もある高齢者)ですから、きれることもありませんが、これからは知の旅(まなび)ひとすじ、もうクロアチアもタスマニアも、素晴らしいというクルージングも、絶対行ってあげない!ときめました。(マイッタカ!ご両人)