耳鳴りがする、テレビやラジオ、音楽を聴くのがつらい、文字を読んでも入ってこない、
体はだるく、休日は何もする気が起きない、ベッドで寝てるだけ。
部屋は片づける気がおきない、風呂入るのも自分にとっては大仕事、
そんな状態が数か月続いた。
夢にまで仕事が出てくる。
仕事でミスする夢。
休日にも職場から仕事がらみの電話がかかってくる。
もういっぱいいっぱいだった。
そしてまた夜明けがやってきた・・。
寝た気がしない。疲れが取れていない。
朝を迎えると毎回死刑宣告を受けてるような気分。
ああ・・また朝が来てしまった・・・
僕は車に乗り込むと出勤中のルーティーンであるいつもの呪文をずっと唱えていた。
「今日も何事もなく過ごせますように、ミスしませんように」
これを職場に着くまでの30分間、何度も、何度も、唱えていた。
不安からタバコが止まらない。ここ最近一日に2箱吸う勢い。
その日は職場に近づくにつれ、手足のしびれ、めまい、耳鳴りがどんどん酷くなっていった。
こんなのは初めてだ。
職場駐車場に到着し、車を降りると足が地に着いた気がしなくて、
なんだかふわふわして、めまいがして、
それでも無意識に足は職場に向かおうとしていた。
トラック搬入口に到着すると、
同僚達は普段と変わらず、慌ただしく出庫の準備をしていたが、
その時、自分の症状が一番ひどい状態になった。
足取りもおぼつかないまま仕事を始めようとしたが、
めまいがあまりにも酷く、このままでは運転に支障が出るとまずい、
この先10時間以上もハンドルを握り、仕事に耐えられる気がしない・・
そう思った。
僕は喫煙所で談笑する支店長の所にやっとの思いでたどり着いた。
支店長のそばには本部からのスーツ組のデブのお偉いさんもいた。
「あのう、すいません・・めまいが酷いんです・・僕を下ろしてください。」
そんな私を彼らはめんどくさそうに扱い、
支店長は困った顔をして手に持った吸いかけの煙草をやけくそ気味に灰皿に擦り付け、
僕の具合を確認するとおもむろにポケットから携帯を取り出した。
公休中の代替要員に電話しているようだった。
彼には私の体調なんかどうでもよく、
一日の業務に穴をあけず遂行する事しか頭にないようだ。
大丈夫か?と聞く支店長の言葉は事務的で、
支店長以外の同僚達も誰も僕の体調を気にかけてくれる人はいない。
僕はその場で支店長の指示で、受診と帰宅、結果の報告を命じられた。
僕はふらふらになりながらもその足ですぐに行きつけの精神科に飛び込んだ。
精神科に着くと、先ほどのめまいは幾分弱まっていた。
こんな症状は初めてだった。
医者にこの変わった症状を告げると、休職を勧められ、薬を処方、家で休養をとるように勧められた。
医者は病名を告げてくれなかった。
帰り際、偶然支払い時に見てしまった自分のカルテにははっきりと、
「適応障害、鬱状態」
と書かれてあった。
そこでようやく自分の状態を把握した。
これまでの全てのことがつながった気がした。
後日医者に一か月の休養を要する内容の診断書を書いてもらい、
それと同時に休職願いも家族と一緒に会社へ提出しに行ったと記憶している。
妻に連れられて職場を去る僕。
負け犬・・。
みんなは普通に働けているのにどうして自分だけ・・・
自分がダメ人間のように思えた。
今日からどうやって生活していけばいいんだろう・・?
そんなことを考える思考能力さえなかった。
妻には生活の不安を与えたに違いない。
僕はその日からベッドから起きることも、
風呂に入ることも極端に難しくなった。
身の回りのことが自分でできず、いわゆるセルフネグレクト状態だった。
食に興味もわかず、味もわからず、
花が綺麗とも感じず、
季節が、そして今が何月何日なのかさえどうでもよくなった。
テレビやラジオ、音楽さえすべて騒音になった。
文字も読めなくなった。
好きだったギターもインターネットもゲームも興味がなくなった。
当然子供の遊びのお誘いも応えて上げられない状態。
僕はこの日から文字通り「生きる屍」になってしまった。
一年経って後悔も無ければ、嬉しさもない~ ただ何一つ感じない・・ヤマトは配達作業であって「仕事」じゃない~誰でも出来るただの作業者がSD ・・こんな作業に言えるのは絶対に感情を持ってはダメ、受け人や支店長に「泣け!」と言われれば感情持たずに怖がったり泣くフリしときゃいいだけ、繁忙期回数なんて他の企業でアピールにすらならんから~ コロナ直前で転職決めて、人手が不足した途端に主管やセンターに泣きつかれたけど、つっ跳ねて辞めてやった