Little Tree

日々のいとなみのなかで感じた子どものこと、季節の移ろいやこころに映る風景

梅雨の中休み・・・

2006-06-14 16:49:10 | Weblog
梅雨入りしてすぐの時は雨が降りましたが、この2~3日は梅雨の中休みのようです。

晴れ間が広がると、うれしい気のする一方
たまったお洗濯ものを外に干そうか、やっぱりスッキリとは乾かないかしらと
また、あれやこれやと気にかかりますね。

「気にかかる」といえば、皆さまにとって
どんなことやものが、思い浮かばれるでしょうか?


もちろん、おひとりおひとりの方の
暮らしていらっしゃる場所も、環境も、いわゆるライフスタイルもまったく違い
それぞれの方にとっての大切なもの・こと・ひとのどれをとっても
当然同じではないと思います。

さて、私はといえば

どういうわけか、最近気になることがたくさん出てきてしまい
実は、大変困っております。

本来は、子どものこと、夫のこと、身近な両親のことなどが
一番であるべき(あえて、べきとします)でしょう。

そこに、“はは”と“主婦”としての自分とは
少し違う・・・いえ、重なりながら、時に相反するような
何ものかが、見えてきてしまったような気がします。

いま思い返しても、大学を出て就職した時も
その後、結婚してからのパートのお仕事も
そのときにできるだけのことはしてきたつもりでしたが

ほんとうの「働くことの意味」をきちんと突き詰めて考えないままに
ここまできてしまったという反省と自分自身の未熟さが思い起こされて
心苦しいような情けないような気持ちがしています。

「プロフェッショナル」という言葉に、あこがれているようでは
「プロフェッショナル」にはなれないのかもしれないと、ふと思いました。


思うところがあって、「モラトリアム」という言葉を検索してみたところ
心理学総合案内「こころの散歩道」というサイトにあたりました。

『こころの発達・・・青年期の中で、中高生(または大学生)のころ
自我同一性(アイデンティティ)』という項目がありました。

もしかしたら、いや、やっぱり・・・いえ、そうなのかしら・・・

私は、「まだ自分というものが、しっかり確立していない」ということなのでしょうか?

「自分探し」という言葉は、なんとも胡散臭いような気もしますし
もうそんなことは、普通とっくに卒業して、しかるべきなのかも知れず

いまどき、この歳になって、何を迷っているのか
迷っているのかどうかも、時に良く分からなくなりそうな・・・


なぜ、急にこんなことを考え出したのか?思い当たることといえば
先日受けたスクーリングが、実は「カウンセリングⅠ」だったのです。

講師は、星槎学園の中等部で教えていらっしゃる現役の先生で
大学院で心理学を専攻されて、お子さんもおふたりいらっしゃるとのこと
まさに、パワフルでチャーミングなワーキングマザーという感じでした。

はじめに、カウンセリング=心の「支援」という定義からお話があり

人の背後から寄り添うように援助する立場としてのカウンセリングと

人を指導するという教師の立場で、前から手を引くときのカウンセリング・マインド
についてご説明がありました。

カウンセラーの養成を目的とするというよりは、
まずそのカウンセリングマインドについて、学ぶことで

最終的に、学校などの教育現場で
生徒自身が、自分の足で歩き出すための第一歩を踏み出せるような
関わりを身につけていこうという姿勢を、目標としているようでした。

「自己理解」「他者理解」「人間性の向上」を柱として
実際に、いくつかの心理療法などを実習していくことになりました。

もちろん、これだけのことで
カウンセリングのほんの入り口にも届かないことは、当然明白ですが

そのわずかな、実習を通してでも

自分自身の姿に、向き合ったり
いま、自分が拠りどころとしているものを、見直したり
自分が、どんな立ち位置に立とうとしているのか
これから自分が、どんな方向を目指していけばいいのか
自分が、どんな特性をもって、他者と関係を持っているのか・・・

などを、客観視することを求められていて
すべてではないにしろ、その自分の像を、直視しなければならないのでしょう。

ということで、今度の土日に後半のスクーリングが、予定されています。


この際に、これまで以上に真正面から自分に向き合って

自分の甘さや、情けなさや、いい加減さにも目を向けて

その先に、何かが見えてくるのか、もっと見えないところに行ってしまうのか?

私に、何らかの専門的なことに携わることを目標とすることが可能なのか?

いくつかの気がかりを抱えたままで、どこまでできるのか?


もうすでに、一歩を踏み出してしまいましたが

歩きながら、振り返りつつ、あれこれ模索していくしかないような気がしています。


梅雨の中休みに覗いた青空を仰ぎ見ながら

いま自分がどこに向かっているのか

できればゆっくり、想いをめぐらせてみたいものです・・・


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5 コメント

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Unknown (twns mama)
2006-06-14 22:39:24
社会に出て約20年。思いがけなく結婚し子供も3人。予定外のことばかりの私。20年仕事を形をかえながらも続けてきましたが、プロとしての目指す形があったわけではありません。



資格を得たくても到達できなかった人のこと、学生時代の苦労、学資を提供してくれた祖母など、この職は自分ひとりのものではないということ。苦学生だったので、周囲に負けたくない気持ち。そんなことを繰り返しながら目の前の課題をクリアしてきただけの気がします。



結果、ここにたどりついてはいるけれども、挫折・あきらめ、道草いろいろあります。目標まっしぐらは女性の場合レアケースではないでしょうか。



俗世的な考えですが、自分の納得した仕上がりの仕事で得られる報酬も大きな部分を占めます。



そして、節目節目で航路の指標になるような恩師に出会えたこと。これも現在につながっています。



どうあれ、毎日をしっかり生きていくこと。それが、自分の自信につながっていくようです。子供にもそう言い聞かせています。
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節目節目で航路の指標・・・ (風待人)
2006-06-14 23:12:36
twns mama さま



節目節目で、指標となる方との出会いが訪れるということを

私も実感しています。



「毎日をしっかり生きていくこと」・・・すべて、このことに尽きるし



それが、いざとなると、たやすくはないのかもしれませんね・・・



自信というのは、目に見えないし

ましてや、こころという捉えどころのない変わりやすいものとの

付き合いは、まだまだ修行が必要でしょうか?



来週のIDOBATAには、ぜひ行きたいなぁと思っています!!



また、お話したいですね!!
返信する
今、自分に向き合うこと。 (道草)
2006-06-15 07:29:37
結婚して子供が生まれたのなら、母であり妻であることを最優先すべきでしょう。そして、余力があれば他人をカウンセリングしたり、興味のある事のプロフェッショナルになるのも、素晴らしいと思います。今、自分に向き合うことは、「母としての自分」に向き合う。そして、「妻としての自分」に向き合う。そうあるべきではないのでしょうか。「その他の自分」に向き合うのは、その次でよいと思います。



「おかあさん」   新川和江



おかあさんは 女優じゃない

花束をもらったことも いちどもない

だからわたしがあげた

たった一りんのカーネーションでも

よろこんで すぐになみだぐんでしまう

おかあさんは 学者じゃない

大ぜいの人の前で こうえんなどしたこともない

でもお母さんの話しことばは

焼きたてのパンにバターがしみこむように

あたたかく わたしの心にしみこんでくる

そんなおかあさんが わたしは好き

おかあさんは気にするけれど

笑うと 目じりに寄るあの小じわが好き

どんな香水にもかなわない

〈うちのおかあさん〉のにおいが好き



>歌声でなくとも優しい言葉遣いを子どもにもできるように心がけようと、大いに反省いたしました。



風待人さんはなぜ、kirikou君にお母さんの歌を聴かせてあげないのですか。言葉だけでなく歌声を。

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お元気ですか? (平太)
2006-06-15 09:34:41
その時、その時で感じ方、考え方や、自分への自信って変わりますよね。

大きくふくらんだり、しぼんでしまったり。希望をもったり、ためらったり。



でもその積み重ねが人生の味かなぁ、なんて、最近生意気なこと感じています。



茂木びわ、1パック¥683-で先日阪神百貨店でみつけました。

高くて手がでませんでした。



私の祖母は長崎五島の出身で、やはりびわは『よそのをとって食べるもの』だったそうです。



屋根にあがって食べ、種をぷっと飛ばすので、そのおてんばぶりに関してよくしかられたそうです。



私は最近よく心のたびに出かけます。



なかなか自由にならない生活、からひょいっと心だけ

飛ばしてみようとしています。



今日は雨。洗濯には困るけど、そんなに嫌いじゃないんです。



しっとり静かでけっこう好きです。
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長崎五島のおばあさま!! (風待人)
2006-06-15 10:21:45
道草さま



お返事のつもりで、今日の記事をを書きました。



「母なるのものは・・・?」ということは



永遠のテーマのひとつで、おそらく私には死ぬまで

答が出せないかもしれませんけれど・・・



平太 さま



おばあさん大好きな私としては、お目にかかってみたいです!!



イメージ的に、「九州の母」はあっけらかんと明るくたくましいような気がします。



そちらは、雨降りですか・・・?



気持ちだけでも、ピーターパンになって

ロンドンの空へ飛び出しましょう!!



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