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Little Tree

日々のいとなみのなかで感じた子どものこと、季節の移ろいやこころに映る風景

授業参観「ちいちゃんのかげおくり」の周辺で・・・

2006-10-23 22:10:17 | Weblog
先日、授業参観「ちいちゃんのかげおくり」についてお話した後で
私の中でなんとなく消化不良のような、中途半端な感じが残っていて
そのつづきを、書きかけたままになっておりました。

なにやら「道の途中で…思うこと」という気持ちで
どこからか掘りおこしてきて、もう少しお話を続けてみようと思います。

とはいえ、また「ちいちゃんのかげおくり」のお話そのものについてではありませんし
教育についてというような大それたことでは、まったくなくて
素人の母親の思ったこと感じたこと…くらいの気持ちです。


いま、思い浮かぶこと…

それは、以前にもお話した「大村はま先生の授業」のことでしょうか?

私のチカラでは、その「ほんとうの素晴らしさ」をお伝えするのは、荷が重いのですけれど
私が感じたいくつかのもの・ことを、少しでもつないでみることから
何ものかを浮かび上がらせることができたら…幸いです。

そんなことを思いながら、私が出会って一番最初に読んだ、はま先生の「教室を生き生きと」
それから「教えるということ」や「教えながら教えられながら」を取り出してきました。

また読み直していると…いつの間にか、先生の文章の中に引き込まれるように…

はま先生が、時には耳元で、時には教室の中で、お話になっているはなし言葉のように
私には、聞こえてくるような錯覚にも似た感覚がしてまいりました。


この感じが何なのか、とても表現はできませんけれど

映像で観た、はま先生の語る口調やCDから聴こえてくる先生の息遣いが
読んでいる文字のつながりのどこからか、浮き上がってくるのでしょうか…?


ページのどこを開いてみても、
はま先生が教室で、生徒たちと生き生きとやりとりをなさった中から生まれでた
「学ぶこと」「教えること」に真剣に取り組まれたあしあとが
鮮やかに、やさしく、くもりのない眼を通して
先生の語る言葉そのままに、のこされています。

とても、マネのできないくらいに練り上げられた授業をなさっていらした

どなたからか伺ったように記憶していますけれど

それでもなお、教えることをなさりながら
常に、ご自分を高めようという学びを、生涯を通じて続けていらしたおすがたは
ほんとうにたとえようもなく、素晴らしいものでいらしたと想像されます。

実際の教育の実践についてなど、私がご紹介することは到底できませんけれど
素人の私が読んでも、その授業の準備や内容の中に
子どもに向き合う態度や心構えや、さらにはとても具体的な方法など
ほんとうに、たくさんのヒントが残されているように思います。

はじめ、私自身は国語というほど大げさではないにしろ
kirikouの学習の中で、言葉や漢字や作文の勉強の仕方について

何か、役に立つことがあるかもしれない、というような気持ちで
はま先生のご本を読み始めました。

けれど、そこに書かれていたのは、そんな目先のことをはるかに越えた
おそらく「教えること・学ぶこと」の本質に迫るような
常に、子どもたち一人ひとりに眼を向けていらした
きびしく、けれどあたたかい「はま先生の生きるお姿」そのものだったと思います。

そのお姿に触れたことで、親としてだけでなく、子どもたちを見守る大人として
何が大切なのかということとその厳しさや素晴らしさを、少しずつでも見つめることのできる
スタートラインに、私もやっと立てそうな…気がしています。


さて、もうお一人思い浮かんだ素晴らしい校長先生のお話をいたします。

残念ながら2004年にお亡くなりになった、茅ヶ崎市立浜之郷小学校の
大瀬敏昭さんのことを、ご存知の方も多いかもしれません。

私が、大瀬先生を知ったのは「いのちの授業」について取り上げていた
NHKスペシャル『よみがえる教室』を観たことからです。

その後、神奈川新聞の「かながわ人間劇場 いのち奏でる」の連載で、

校長先生として、新しい学校づくりに、ご尽力されたこと
がんを患いながらも、最後の最後まで、ご自分の生き方を見つめつづけて
子どもたち一人ひとりとの、心の交流をなさっていたお姿を知りました。

番組を観ながら「教育というものは、何なのか?」「子どもたちと、いかに向き合うのか?」
「いのちとは、何なのか?」ということを

大瀬先生の子どもたちとの関わり方や先生たちとのやりとりや
さらには、がんと向き合う姿勢を通じて
私自身も深く考え、感じていたように思います。


人として、がんに向き合う大瀬先生のおすがたには、ときに壮絶なものを感じました。

けれど、校長先生として、「いきること」「いのち」について

「子どもたちに伝えていきたいこと」を考えながら

最後まで、子どもたちに向き合い、言葉をかけていらっしゃるお姿は

不思議なくらい、その状況とは程遠く見えるほど

明るく希望に満ちた、やさしいあたたかな表情でいらっしゃいました。


「生きること」について、深く考えること

「いのち」を見つめること、そして「死について」想うこと

そして、そのことを子どもと話し合っていくことのむずかしさは

目の前に、変わらずに横たわっています。

けれど、私自身も、そのことから眼をそらさずに、思い考えながら

生きることに向き合うことを、続けていこうと思っています。


(もしかすると、このことはkirikouと一緒に、おじいちゃんが亡くなるという経験をして
いまも、そのことをなんらかのカタチで、受けとめて
整理しようとしていることにつながっているのかもしれません。)


そんな「道の途中」にあっても

明るい希望をもって、子どもたちの未来を見つめていけたら…

そのためにできることを、少しずつでもやっていくことができたら…

そんなことを、はま先生と大瀬先生のお姿やお言葉から、つよく感じました。



最後に、私が大切な方とお別れしたときに、思い出す絵本をご紹介します。

それは、スーザン・バーレイさんの「わすれられないおくりもの」です。


その人には、いまはもう会えないけれど…

ふと目を閉じると…

いまも、そばにいるように感じられるあたたかい、その人のまなざし、その人の声…

その人の教えてくれた、さまざまなもの・ことたちが

生き生きとした想い出として、あざやかに浮かんでくる…


そんなことを、やさしく気づかせてくれる絵本です。



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3 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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死・いのち、そして、生きる (ぴーまん)
2006-10-24 16:03:42




これらが、生き方を変えますよね^^!



なかなか、難しいですが、幼少のころから、このことに触れていると、時の使い方が変化するような気がします。



スーザン・バーレイさんの「わすれられないおくりもの」



我が家の、『のびた図書室』?、にも、置いてあります。
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Unknown (ぴーまん)
2006-10-24 16:06:41
何度もすみません。ちいちゃんの・・・で、息子は、「ひろしまのピカ」も読みたい!と言ってきて。



実家の本棚から、私の子供のころの本「=ひろしまのピカ」を引っ張り出してきて、一人で、じーっと読んでいました。子供も何かを感じるのでしょうね♪



新しい教科書には、ちいちゃん・・・がないですが、以前の学校の教科書で学びました(一緒のようですね^^!)
返信する
子どもの感じるもの・・・ (風待人)
2006-10-24 16:57:50
ぴーまん さま



内容が、内容だけに、想っていることが

皆さんに、どんな風に伝わっているのか・・・

なんだか、自信がないのですけれど。



当分、この周辺のことが頭からはなれないかもしれないです。



少しずつ、何かが見えてきたような気もしますけれど。



ところで、お引越しのお片付けは落ち着きましたか?



時々、あろえよーぐるとにもうかがうのですけれど

思うように、コメントを書けずにおりました。



その場所ごとの、雰囲気があるような気がして・・・

自分のところのほうが、なんとなく心もち気兼ねなくお話できそうです・・・





それにしても

のびたくんは、素晴らしい感性と問題に真正面から向き合う勇気を

持っていらっしゃるんですね~



子どもたちの方が、きっと課題にしっかりと向き合っていくことのできる

力を、キッチリと備えているような気がします。



さすが、ぴーまんさまとうっでぃさまのお子さまです~

これからが、とっても楽しみですね!!



ウチのは、親が意外と心配性なもので・・・

もしかすると、不安を感じるセンサーの感度が高くて・・・

その辺のバランスが取れて、

感じたものをカタチにして表現していけるようになると・・・

オモシロイモノができるかもしれません。



ブッキラボ~だけど、根は優しいほうかなぁ~
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