子どもの通う小学校の桜の木に、お花が咲いているのを見つけました。
“日本人だから”といえるかどうかはわかりませんが
桜の花には、特別の想いが感じられる気がいたします。
先日、源氏物語絵巻の平成復元模写の展示を
世田谷の五島美術館まで見に行きました。
源氏物語に、詳しいわけではありませんが
日曜美術館の紹介で、科学的分析がなされて絵巻の描かれた当時に近い形で
復元模写が行われたと聞いて、ぜひ観てみたいと思いました。
多くの方が観覧に訪れて、展示された剥落模写や昭和および平成の
復元模写を見比べたりしながら、熱心に作品に見入っていました。
全部で19図ありますが、どれも日本の四季を思わせる花や植物や
お月様などが、美しい色で趣も深く描かれていました。
「御法」という、病に臥す紫の上と源氏が別れの歌を交わす場面では
庭に咲く秋の花の萩や桔梗の枝がしなっている様子から
季節の風が、強く悲しく吹いていることが、感じられました。
「柏木二」では、柏木のやはり死を待つ姿に
桜のモチーフが重ねられていました。
日本人の心の奥深くに、季節や自然との関わりが根付いていて
その時の心の様やその動きを、細やかな感性によって敏感に感じとって
源氏物語を絵とともに楽しみ、親しんだことがよくわかります・・・
(ちなみに、紫式部邸の跡といわれる廬山寺は、桔梗が美しいそうです。)
美術館の広いお庭には、大きな枝垂桜の木があり
ちょうど見ごろに咲いていました。
つぼみは濃い目のピンクで、開くと花は少し小ぶりですが
薄ピンクの花びらの周りが、その濃いピンクで縁取られていて
それはそれはきれいで、やさしく微笑んでいるようでした。
この花を見つめていると、どこか時空を旅する心持になりますね・・・
桜は、こんな風に、日本人の心に強い想いの宿る花なのかもしれません・・・
私も桜の花は大好きで、その想い出は、いくつもあります。
小中学校のころは、有名な桜の道を通って通学していました。
桜の花のあとの、さわやかな葉のそよぎが懐かしく想い出されます。
次に強く印象にあるのは、大学のころ京都までは
しようと思えば日帰りできるところに下宿しておりましたので
春休みの帰省の前や早めに下宿に戻って出かけた、京都の桜でしょうか。
お寺の宿坊に泊まって、桜の名所をいくつかめぐることもありましたが
何故かはわかりませんが、いつも必ず訪れていたのは
「御室の桜」として知られる仁和寺の桜です。
広い境内のそこここに色もさまざまな桜が、咲き乱れていました。
その花越しに、長い時の流れのなかで五重の塔が重々しく立っていて
繰り返される桜と人の生きる様を、静かに見つめているように
私には、思えたのかもしれません・・・
その後、いくつかの桜の名所を訪れてお花見をしましたが
子どもが生まれてからは、比較的近くにある桜のたくさん植えてある公園に
子ども連れのサークルやお友だち同士で、お弁当を持って
遊びに出かけたりしています。
定点観測のように、家族で必ずお花見に出かけるのは
歩いてもいける距離にある、夫の卒業した高校のグラウンドです。
県内のナンバースクールとやらで、歴史もあるらしく
グラウンドの周りに植えられた桜の木も、とても古くて大きくて
それは見事な桜が一面に広がります。
近所の方はもちろん、卒業した方たちも桜の時期に集まって
同窓会を開いたり、夜桜も楽しめるそうです。
思えば去年は、車椅子を車に積んで
おじいちゃんおばあちゃんも一緒にお花見しました。
横では、野球の練習風景も見られるなか
子どもが広いグラウンドの土の上を
おじいちゃんの乗った車椅子を一生懸命押してくれていましたっけ・・・
今年も、桜の季節を無事に迎えることができました。
またみんなで、いつものきれいな桜を見に行きましょうね・・・
“日本人だから”といえるかどうかはわかりませんが
桜の花には、特別の想いが感じられる気がいたします。
先日、源氏物語絵巻の平成復元模写の展示を
世田谷の五島美術館まで見に行きました。
源氏物語に、詳しいわけではありませんが
日曜美術館の紹介で、科学的分析がなされて絵巻の描かれた当時に近い形で
復元模写が行われたと聞いて、ぜひ観てみたいと思いました。
多くの方が観覧に訪れて、展示された剥落模写や昭和および平成の
復元模写を見比べたりしながら、熱心に作品に見入っていました。
全部で19図ありますが、どれも日本の四季を思わせる花や植物や
お月様などが、美しい色で趣も深く描かれていました。
「御法」という、病に臥す紫の上と源氏が別れの歌を交わす場面では
庭に咲く秋の花の萩や桔梗の枝がしなっている様子から
季節の風が、強く悲しく吹いていることが、感じられました。
「柏木二」では、柏木のやはり死を待つ姿に
桜のモチーフが重ねられていました。
日本人の心の奥深くに、季節や自然との関わりが根付いていて
その時の心の様やその動きを、細やかな感性によって敏感に感じとって
源氏物語を絵とともに楽しみ、親しんだことがよくわかります・・・
(ちなみに、紫式部邸の跡といわれる廬山寺は、桔梗が美しいそうです。)
美術館の広いお庭には、大きな枝垂桜の木があり
ちょうど見ごろに咲いていました。
つぼみは濃い目のピンクで、開くと花は少し小ぶりですが
薄ピンクの花びらの周りが、その濃いピンクで縁取られていて
それはそれはきれいで、やさしく微笑んでいるようでした。
この花を見つめていると、どこか時空を旅する心持になりますね・・・
桜は、こんな風に、日本人の心に強い想いの宿る花なのかもしれません・・・
私も桜の花は大好きで、その想い出は、いくつもあります。
小中学校のころは、有名な桜の道を通って通学していました。
桜の花のあとの、さわやかな葉のそよぎが懐かしく想い出されます。
次に強く印象にあるのは、大学のころ京都までは
しようと思えば日帰りできるところに下宿しておりましたので
春休みの帰省の前や早めに下宿に戻って出かけた、京都の桜でしょうか。
お寺の宿坊に泊まって、桜の名所をいくつかめぐることもありましたが
何故かはわかりませんが、いつも必ず訪れていたのは
「御室の桜」として知られる仁和寺の桜です。
広い境内のそこここに色もさまざまな桜が、咲き乱れていました。
その花越しに、長い時の流れのなかで五重の塔が重々しく立っていて
繰り返される桜と人の生きる様を、静かに見つめているように
私には、思えたのかもしれません・・・
その後、いくつかの桜の名所を訪れてお花見をしましたが
子どもが生まれてからは、比較的近くにある桜のたくさん植えてある公園に
子ども連れのサークルやお友だち同士で、お弁当を持って
遊びに出かけたりしています。
定点観測のように、家族で必ずお花見に出かけるのは
歩いてもいける距離にある、夫の卒業した高校のグラウンドです。
県内のナンバースクールとやらで、歴史もあるらしく
グラウンドの周りに植えられた桜の木も、とても古くて大きくて
それは見事な桜が一面に広がります。
近所の方はもちろん、卒業した方たちも桜の時期に集まって
同窓会を開いたり、夜桜も楽しめるそうです。
思えば去年は、車椅子を車に積んで
おじいちゃんおばあちゃんも一緒にお花見しました。
横では、野球の練習風景も見られるなか
子どもが広いグラウンドの土の上を
おじいちゃんの乗った車椅子を一生懸命押してくれていましたっけ・・・
今年も、桜の季節を無事に迎えることができました。
またみんなで、いつものきれいな桜を見に行きましょうね・・・
京都の桜といえば、哲学の道、清水の夜の拝観、琵琶湖疎水沿いの桜、清滝の桜と、あぁ、一杯思い出します。でも、北野天満宮の梅も最高で~す^^!あぁ、1人旅したいですね^^!
一人旅が、お好きでしたか?
私も、思い返すとかつては一人が楽なタイプでしたので(今も、ある意味では・・・)
よく、アチコチひとりで行きましたね・・・
近頃は、子どもを夫やおばあちゃんに頼んで
行ける時は、ひとりで講演会や展覧会に行ってしまいます!
まぁ、そのくらいは許していただけると、ありがたいのですが・・・
以前、実妹に「TOMOのためかもしれないけど
一緒にいたほうがいい時期ってあるんじゃないの?」
とくぎを刺されました。
たしかに、コレって子どものためと言いつつも自分のためにしているのかもしれないと気づきましたが
と思いながら、母親が、やりたいことを見つけて
楽しくしている姿を見せるのも、ひとつのやり方じゃないかしら・・・
と勝手に言い訳しながら、最近は出かけてしまいます。
ウチは、一人っ子ということもあって
親子ベッタリは(特に母親との)大きな問題なので
ちょうどいい距離感(スウィ-トディスタンスというらしい・・・)
の とり方が、重要になるようですね・・・
コレは、カナリ難しい課題かもしれません・・・
のびたクンも、5歳半まで一人っ子&母子家庭(2歳から)でしたので、距離のとり方が大変でした。親子で、「ツー・カー」状態。話さなくても、雰囲気で思いが通じる部分が強かったです。また、気をつけないと、何でものびたクンの思い通りでしたので、その点は大変でした。そして、妹が生まれ、思い通りが崩れていく時、こんなに好き勝手させていたんだ^^;と、こっちが驚くほどでした。
ですが、一人っ子は一人っ子で良い部分が沢山あると思います。親子で、お互いを尊重することを早くから教えていけば、同じ空間に一緒にいようがいまいが、丁度いい距離感を保つことが出来ると思います。
春休みに入り、のびたクンと二人っきりの時間が増え、逆に(お互いが望んで)同じ空間にいないことが増えていま~す(笑)
最近、こちらが意識して、言葉かけをして
言葉で要求したり気持ちを表現できるようにできるようにしたり
自分の思っていることは、相手に伝わるように言わないと
わからないんだと言っています。
母親には、何でも通じると思っているところから抜け出すのは
時間がかかりそうですね・・・
もう少し大きくなると、また少しずつ違う関係になれるのでしょうか・・・?
うちでは、「ママはこう思う。あなたは?」という会話を、するようになって来ましたね。そして、一緒なら「そうだね!」違うなら、「どうして、なにが。そしてどうしたらいいか?」を、話すようになりましたね。
そんな会話を通じて、「別の人間である」ことを、少しずつわかっていったらいいな~と思っています。
また、環境因子はデカイ!と思います。なので、風待人さんが「良し」と思う時には、別行動をどんどん取り入れていいのではないでしょうか?うちの場合、バイトで来てくれた「中学生のお兄ちゃん」jから、少しは人間関係を学んだようです。
同学年の子にそれを求めることは出来ないし、親戚は甘い。他人、なおかつ、年上はいいですよ!自分の思い通りにならないことを経験するには。。。年の離れたおにいちゃんは、冷静ですから!
私も「お母さんはこう思う。」というようになりました。
「本人の納得」というのがひとつのポイントのようなので
こちらの押し付けは、絶対に効きませんね。
ある意味、こちらの良しとする価値観をきちんと伝えつつ
本人に、ルールや社会での決まりごとなどを説明していくようになりました。
思うに、これからの子どもたちは、きっと多様な価値観を認めながら
よりよい方向性を、見出していくということが求められているような気がしています。
ある意味、とてもまじめなところを持っているこの子たちの存在も
これからの世界を考える、きっかけになるのかもしれませんね。
桜は不思議と印象に残る花ですよね。
この時期は近所の公園にも人が溢れるくらいたくさんいます。
ホント、“特別の想いが感じられる気”がボクもします。
こちらこそ、ありがとうございます。
私よりず~っと、お若いと想像しておりますが
さくらに「“特別の想いが感じられる気”がボクもします」とうかがって
大げさではなく、ほんとうに日本の未来も楽しみになります!
日本のうつくしいもの・ことを
私も知らずにおりますので、お若い方ともご一緒に
そんな日本を、見つけていけたら
素敵な世の中になるような気がしています。
ぜひ、またいろいろお話しましょうね!
櫻を通して 日本人としての誇りを取り戻し 季節感を最も大切にする国民であって欲しい願いですね 何だか角ばってしまいましたが 僕のブログの主に三月の欄を御覧戴きたく 過去全国の櫻を観て来た思いの丈を綴っているつもりです ちなみに仁和寺は 当家の菩提寺です
何だか意気がって書かせて戴いたようで とっても嫌ですが 最初のご挨拶と お許し下さりたく 有難う御座いました
はじめまして、ようこそお越しくださいました。
もう何年も、仁和寺も京都も訪れておりませんが
“そのときの記憶”は、いまも深く心の奥に存在しています。
私も、桜は大好きですが
櫻灯路 さまは『全国の櫻を観にいらしていらっしゃるとのこと』
いにしえ人のこころを想像しても
さくらの花の持つ「人を魅了してやまない不思議さ」を
改めて強く感じました。
櫻灯路 さまや雪月花さまのような
趣のある美しい雰囲気を、お伝えするには
まだまだ未熟な私ですが、自分のこころに映るもの・ことを
真っ直ぐに見つめていくことは、心がけていきたいと想っています。
こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします!!