暑さのせいで、食欲が一段と低下気味のkirikouのお昼ご飯は…
カレーうどんでした。
せっかく青ネギを入れても、キレイによけてしまうし
かろうじて、あり合わせの果物やトマトや野菜ジュースなどで
ビタミン類を補っているようですね。
午後になって聴こえてくる「セミの声」は、
やはり暑さを増幅するような…賑やかさです。
せめて、お気に入りの歌を聴きながら…一時、PC空間で遊んだり
読みかけの本を、いくつか並べて
サテサテ、どれから読もうかしら?なんて、迷いつつ選んでいるところです。
明日からのスクーリング「地球生命の進化」のテキストの
リチャード・サウスウッド著「生命進化の物語」は、拾い読みする程度になってしまいましたが
このところのお出かけには、必ず持ち歩いて読み進めて
後もう少しで最後まで、たどり着そうなのが、
スティブン・ジェイ・グールド著の「ダーウィン以来」です。
これまでにも部分的に聞いたことのあったエピソードについて
エッセイというスタイルながら、詳しくわかりやすく
率直な意見を交えながら、科学者として語っていると思います。
私自身が、まだ「進化の考え方」「進化論」について
きちんと理解できているとは言えませんが
グールドと言う人が、いかに「ダーウィンの唱えた進化の考え方」に従いながら
その人独特の鋭い観察眼と思考する力を駆使して
長い生物の進化の道筋を解明しようとしている姿が浮かび上がってくる本になっています。
今から30年以上前に、まだ30歳代であった作者が書いたということも
新鮮な驚きと興味深さをもたらしてくれました。
もう一冊の「神と科学は共存できるか?」も気になるところですが…
その前にずっと読めないで持ち越していたリチャード・ドーキンス著「遺伝子の川」を
そろそろ、読んでしまわなくっちゃと想っております。
(書き方や語り口に対する「好き嫌い=嗜好」のようなものがあるのでしょうか?)
さて…
もうひとつ、興味を持っている福祉の分野の
尾崎新編著『「ゆらぐ」ことのできる力』
そして、その続編といえる『「現場」のちから 社会福祉実践における現場とは何か』の2冊も
前書の2/3に過ぎまで読み進めてきました。
一旦、返却しないといけませんので、
最後までじっくりと読みきることはムズカシイかも知れませんが
これから、福祉の分野へも、つながっていく可能性もありますし
(この分では、『実践』場面にはマダマダ遠いような気もしつつも)
少しずつでも私なりの「理解や納得のいく解釈」が見つかるように
ポチポチと、勉強をしていきたいと想っております。
さて…
昨日は、友人と待ち合わせておしゃべりをしてから
路線検索に従って、一筆書きを書くように
中央林間駅⇒⇒白金台駅⇒明治学院大学⇒品川経由で帰宅しました。
乗り換えも順調に行って、時間に余裕がありましたので
以前から、気になっていた「東京都庭園美術館」まで足を伸ばしました。
ちょうど「船越桂 夏の邸宅 アール・デコ空間と彫刻、ドローイング、版画 」展を開催していました。
様々な室内装飾もすばらしい邸内に、
木彫でありながら独特の質感と表情を持った作品が展示されていて
偶然に訪れた美術展でしたが、
とても良いものに触れるひと時を過ごすことができました。
作家が作品に込めた様々な思いを想像しつつ
見る側の心の動きや揺れまでも映し出すような作品との出会い…
芸術作品というもののもつ「ちから」や「奥深い作用」のようなものを
思わずにはいられませんでした。
(因みに、帰りがけ受付にいる方に
素晴らしいガラスや大理石その他の装飾について伺うと
「旧朝香宮邸のアール・デコ」という冊子を、見せてくださいました。
大客室のエッチングガラスの扉の柄も、(ラリックの作品か?)
とってもモダンで素敵でしたし
大食堂のブランショの壁面レリーフは、まるで鎌倉彫のお盆のデザインのようで
洋風でありながら、どこかしら和風の雰囲気も漂っていて
建物についても、改めてもっとゆっくりと鑑賞したいと思いました。
庭園の方に出て、芝生でくつろぐ方々を眺めながら池の周りを巡ってから
明治学院の方に向かいました。
(いつもは品川から、行っていましたが)
ふるびた神社の前を通って、別ルートを辿って
ゆっくりと歩いていくのもいいものデスね。
ちょうど5時ちょっと前に3号館前に着いて、
お約束をしていたHber様と無事にお会いすることができました。
(偶然に、知り合いの臨床心理士さんともお目にかかってご挨拶をしました。)
地下鉄の駅に向かって歩きながら、いろいろなお話をうかがって
駅のベンチで、ひとしきりお話をさせていただいてお別れしました。
それぞれの地域での活動が、少しずつでも実を結びますように!!
私も、できることから少しずつでも精進していきたいと想いました。
それにしても…何が、きっかけになって
いろいろなことへの興味や関心の扉が開くことになるのでしょうか?
これといった答など、私には到底見つけられそうにもありません…
細胞膜に譬えるならば…イオンなどの電荷の差異でチャンネルが開くんでしたっけ?
それとも酵素の働きで、それぞれのサイクルが回り始めるんでしたっけ?
そのトリガー(?)みたいなものが、どうにも気になって仕方がないのですけれど。
そんなことを、ツラツラと考えつつ…
そろそろ、取り留めのないお話を終えましょう。
遠くで雷の音が響いています。
西日に照らされたカーテンの陰が、物憂げにゆらゆらと揺れています…
カレーうどんでした。
せっかく青ネギを入れても、キレイによけてしまうし
かろうじて、あり合わせの果物やトマトや野菜ジュースなどで
ビタミン類を補っているようですね。
午後になって聴こえてくる「セミの声」は、
やはり暑さを増幅するような…賑やかさです。
せめて、お気に入りの歌を聴きながら…一時、PC空間で遊んだり
読みかけの本を、いくつか並べて
サテサテ、どれから読もうかしら?なんて、迷いつつ選んでいるところです。
明日からのスクーリング「地球生命の進化」のテキストの
リチャード・サウスウッド著「生命進化の物語」は、拾い読みする程度になってしまいましたが
このところのお出かけには、必ず持ち歩いて読み進めて
後もう少しで最後まで、たどり着そうなのが、
スティブン・ジェイ・グールド著の「ダーウィン以来」です。
これまでにも部分的に聞いたことのあったエピソードについて
エッセイというスタイルながら、詳しくわかりやすく
率直な意見を交えながら、科学者として語っていると思います。
私自身が、まだ「進化の考え方」「進化論」について
きちんと理解できているとは言えませんが
グールドと言う人が、いかに「ダーウィンの唱えた進化の考え方」に従いながら
その人独特の鋭い観察眼と思考する力を駆使して
長い生物の進化の道筋を解明しようとしている姿が浮かび上がってくる本になっています。
今から30年以上前に、まだ30歳代であった作者が書いたということも
新鮮な驚きと興味深さをもたらしてくれました。
もう一冊の「神と科学は共存できるか?」も気になるところですが…
その前にずっと読めないで持ち越していたリチャード・ドーキンス著「遺伝子の川」を
そろそろ、読んでしまわなくっちゃと想っております。
(書き方や語り口に対する「好き嫌い=嗜好」のようなものがあるのでしょうか?)
さて…
もうひとつ、興味を持っている福祉の分野の
尾崎新編著『「ゆらぐ」ことのできる力』
そして、その続編といえる『「現場」のちから 社会福祉実践における現場とは何か』の2冊も
前書の2/3に過ぎまで読み進めてきました。
一旦、返却しないといけませんので、
最後までじっくりと読みきることはムズカシイかも知れませんが
これから、福祉の分野へも、つながっていく可能性もありますし
(この分では、『実践』場面にはマダマダ遠いような気もしつつも)
少しずつでも私なりの「理解や納得のいく解釈」が見つかるように
ポチポチと、勉強をしていきたいと想っております。
さて…
昨日は、友人と待ち合わせておしゃべりをしてから
路線検索に従って、一筆書きを書くように
中央林間駅⇒⇒白金台駅⇒明治学院大学⇒品川経由で帰宅しました。
乗り換えも順調に行って、時間に余裕がありましたので
以前から、気になっていた「東京都庭園美術館」まで足を伸ばしました。
ちょうど「船越桂 夏の邸宅 アール・デコ空間と彫刻、ドローイング、版画 」展を開催していました。
様々な室内装飾もすばらしい邸内に、
木彫でありながら独特の質感と表情を持った作品が展示されていて
偶然に訪れた美術展でしたが、
とても良いものに触れるひと時を過ごすことができました。
作家が作品に込めた様々な思いを想像しつつ
見る側の心の動きや揺れまでも映し出すような作品との出会い…
芸術作品というもののもつ「ちから」や「奥深い作用」のようなものを
思わずにはいられませんでした。
(因みに、帰りがけ受付にいる方に
素晴らしいガラスや大理石その他の装飾について伺うと
「旧朝香宮邸のアール・デコ」という冊子を、見せてくださいました。
大客室のエッチングガラスの扉の柄も、(ラリックの作品か?)
とってもモダンで素敵でしたし
大食堂のブランショの壁面レリーフは、まるで鎌倉彫のお盆のデザインのようで
洋風でありながら、どこかしら和風の雰囲気も漂っていて
建物についても、改めてもっとゆっくりと鑑賞したいと思いました。
庭園の方に出て、芝生でくつろぐ方々を眺めながら池の周りを巡ってから
明治学院の方に向かいました。
(いつもは品川から、行っていましたが)
ふるびた神社の前を通って、別ルートを辿って
ゆっくりと歩いていくのもいいものデスね。
ちょうど5時ちょっと前に3号館前に着いて、
お約束をしていたHber様と無事にお会いすることができました。
(偶然に、知り合いの臨床心理士さんともお目にかかってご挨拶をしました。)
地下鉄の駅に向かって歩きながら、いろいろなお話をうかがって
駅のベンチで、ひとしきりお話をさせていただいてお別れしました。
それぞれの地域での活動が、少しずつでも実を結びますように!!
私も、できることから少しずつでも精進していきたいと想いました。
それにしても…何が、きっかけになって
いろいろなことへの興味や関心の扉が開くことになるのでしょうか?
これといった答など、私には到底見つけられそうにもありません…
細胞膜に譬えるならば…イオンなどの電荷の差異でチャンネルが開くんでしたっけ?
それとも酵素の働きで、それぞれのサイクルが回り始めるんでしたっけ?
そのトリガー(?)みたいなものが、どうにも気になって仕方がないのですけれど。
そんなことを、ツラツラと考えつつ…
そろそろ、取り留めのないお話を終えましょう。
遠くで雷の音が響いています。
西日に照らされたカーテンの陰が、物憂げにゆらゆらと揺れています…
ようこそ!お越しくださってありがとうございます。
先日、オニオン様とお目にかかることができて・・・
いつかRAM様にもお目にかかってお話をしたいなぁと想っております!
今でも「トリガー」という言い方をするのかどうかも良くワカリマセンけれど。
そういえば内山先生のお話の中で「ドライブがかかる」という表現がありました。
目に入ると反応せずにいられない・・・という意味に捉えましたが
その辺りのことが「どうにも気にかかって仕方のない」私デス。
夏休みとはいえ、(だからこそ?)
いろいろとお忙しいこととは存じますが
お身体にはお気をつけて、
できるだけ「おひとりの時間」を見つけて、お元気でお過ごしくださいネ!
トリガーに反応してしまいました
今年は、本当に様々な人たちとお会いする機会に恵まれました。その人達から、また別の世界に目を開かせていただいています。何がトリガーになるのか、予想できないのが面白いですね。