今朝は、空の色も空気も、ことのほかスッキリと澄みわたっています。
富士山の雪の白さが、横浜からでもくっきりと浮かび上がって見えています。
今年一番の冷え込みとのこと。「初霜」のお知らせも聴こえてきましたね。
昨日は、雨が上がった後で、急に「空気が入れ替わったかのように…」
気温がグッと下がったように感じました。
お昼を過ぎて、ちょうど具合良く雨も上がった頃
お寺にお願いする事があったので、お花とお供え物を買って
おばあちゃんと一緒にみんなでお寺に伺って、お墓参りもしてきました。
元々鹿児島にあったお墓を、コチラにお引越ししたのが…
たぶんkirikouが幼稚園に入る直前の春の早い頃だったように記憶しております。
(kirikouにとっては、初めての飛行機でしたし
何かにつけて、アレコレとチョロチョロしていて
可愛い盛りとはいえ、何やら大変だったような思い出がありますので。)
もう8年ほど前になるので、おじいちゃんも叔母もとても元気でしたっけ・・・
ということで、書き始めた時には全く思いもよらぬ話題になってしまいましたけれど…
そうそう、今朝の川上弘美さんの「私の一冊…」は、
石井桃子著「ノンちゃん雲に乗るでしたネ!!
(今年の夏「石井桃子展」に行った際に読み直してみようと想いつつ
いまだ果たせずにおりましたが)
私も同じ年頃の小学校生の時に読んでいるはずですのに…
「エ~ッ、そんなお話だったの~???」というくらい
やっぱり、ほとんどの内容をすっかり忘れておりました!
少女が「自分と世界との関わりに目覚めていく物語」という川上さんの捉え方を伺って
なるほどなぁ…と、ある意味で合点がいく気がしたしました。
きっと私にとっても、見えないところで大きな影響を与えていた作品だったのでしょうね。
そういえば、先日高校のクラスメートと話していて
当時の自分自身の様子について
「○○○(私のあだ名)は…休み時間とかいつもマジメそうに(?)
厚ぼったい本を読んでいたよね~?」と言われました。
へ~ッ?本人としては、全然マジメではなくって…
ドクトルマンボウとか、山本周五郎さんや星新一さんの文庫本だったように想うんですけれど。
今になって思い返して観ると…
ひょっとして~?いろいろな面倒なことからの逃避の意味もあったり
無意識の内に「周囲との間にゆるやかなバリアを張っていた」のかもしれませんね。
見た目は穏やかでおとなしいタイプ(?)だったと想いますけれど
内面は「自分でも良くわからない混沌とした混乱の中に落ち込んでいた」のかもしれません。
けれど、その時々に読んでいた本から
きっと、いろいろな言葉の贈り物や気持の安らぎのようなものを
たくさん貰っていたように思えてなりません。
いやはや…30年以上も前の記憶を掘り起こすのって、ほんとうに不思議な感覚がするものデス。
ということで、このこところ気にかかっていたことに関連して
もう一つ、昨晩その一部を観たテレビ番組のことをお話しましょう。
それは、「ETV特集「加藤周一 1968年を語る~“言葉と戦車”ふたたび~」です。
(録画予約をし忘れて、11時頃からしか観られませんでしたが)
今読んでいる「ゲランドの塩物語」にも、1968年のパリ5月革命のことに触れられていましたが)
遡ること1968年には、私は10歳でしたから…
小学校4年生くらいで、世の中のことはほとんどよく観えないまま
ノホホ~ンと生きていたと想います。
ところが、自分の中学や高校の頃のことを思い返すたびに
不思議なことに、そこだけ鮮明な記憶になって浮かんでくるのが
どういう訳か、音楽は「札幌の冬季オリンピック」のテーマソング(?)の
トワ・エ・モアの「虹と雪のバラード」で
映像と雰囲気は、なぜか怖ろしいことに「浅間山荘事件」なんです。
実生活では、とても環境の良い小中学校時代を過ごしておりましたから
世の中に吹いてる風の厳しさや閉塞感に気づき始めたのが…
ひょっとすると、ちょうど1972年、13歳の頃だったのかもしれません。
日付を調べると、オリンピックは1972年2月3日から13日まで
事件の起きた日は、1972年2月19日。(Wikipediaより引用)
記憶違いでなければ、期末テストか
(当時の神奈川県で行われていた)ア・テストの試験勉強をしなくてはいけないのに
何だかズ~ッとテレビの前に、かじりついていたような気がします。
モチロン、日本で開かれたオリンピックは、子ども心にも
とても素晴らしく誇らしいものに感じていたと想いますけれど
「浅間山荘事件」とその後に続く一連のニュースは
ただただ恐ろしくって、到底理解の出来ない
「人間の持っている訳の判らなさ」に気づくきっかけだったように記憶しています。
両親や誰か他の人に、取り立てて事件の経緯や背景やあらましを訪ねた記憶もないので
13歳の世間知らずの女の子にとって、ひたすら「思想」とか「学生運動」というものが
得体の知れない怖ろしいもののように感じられたのかもしれませんね。
それから、そういう怖ろしげなモノには「極力近づかない…」という
行動様式が身についたような気がします。
そのことが、何らかの影響を及ぼしているのでしょうか?
この歳になっても、
「何らかの目的を持って、何か行動を起こす際にどんな手段をとるのか?」ということを考えたときに、
例えば、「武器を手にするとかデモをするという選択肢」は、どうしても考え付かないんです。
(けれど…そうぜずにいられない程に困窮していたり追い詰められていたとしたら…
人というものは、どんな行動に出るのか…?
今の世の中を見わたせば、自ずと想像することはできます。
もし今、私の目の前に刃物をもった人が迫ってきたとしたら
お金やモノだったら「どうぞお持ちください!」って、即座に言えるかもしれませんけれど
「いのちに関わるようなこと」になってしまったら…
私も『まだもう少しの間、いのちは惜しい』ので、
手当たり次第にモノを投げつけたり、逃げ回ったり
もしかしたら、反撃に出るという暴力を行使してしまうかもしれませんもの。)
その人の行動や言動を、すぐには理解することは難しいとしても
出来れば、理解しようという努力は放棄しないようにしよう…と
歩きながら、アレコレと考えたり想いつくことがありましたので
印刷を終えてから、慌てて帰って書き加えました。)
さて…
ホントウは、kirikouの小学校4年生の時の教科書に載っていた
「アップとルーズで伝えよう」のお話しをするつもりでおりましたが
お話がすっかり、とんでもないほうにジャンプしてしまいました。
今日は、これから(市民活動支援センターで印刷をして⇒先ほど終了しました。)
kirikouのランドセルを取りに行ったついでに
クラスのみんなに、「通級についてのお話」を
(きちんとした原稿は作っていませんが、
今朝、kirikouと少しだけ話し合った内容を元にして)チョコッとだけしてから
午後は、久しぶりの通級のグループ指導にkirikouと一緒に向かいます。
空気は、ことのほか気持良くピ~ンと冴え渡っています!
横浜の空は、快晴。陽射しは、たっぷり降り注いでいて暖かです。
皆様も、お気持も晴れやかな、お健やかな佳き一日をお過しくださいネ!!
富士山の雪の白さが、横浜からでもくっきりと浮かび上がって見えています。
今年一番の冷え込みとのこと。「初霜」のお知らせも聴こえてきましたね。
昨日は、雨が上がった後で、急に「空気が入れ替わったかのように…」
気温がグッと下がったように感じました。
お昼を過ぎて、ちょうど具合良く雨も上がった頃
お寺にお願いする事があったので、お花とお供え物を買って
おばあちゃんと一緒にみんなでお寺に伺って、お墓参りもしてきました。
元々鹿児島にあったお墓を、コチラにお引越ししたのが…
たぶんkirikouが幼稚園に入る直前の春の早い頃だったように記憶しております。
(kirikouにとっては、初めての飛行機でしたし
何かにつけて、アレコレとチョロチョロしていて
可愛い盛りとはいえ、何やら大変だったような思い出がありますので。)
もう8年ほど前になるので、おじいちゃんも叔母もとても元気でしたっけ・・・
ということで、書き始めた時には全く思いもよらぬ話題になってしまいましたけれど…
そうそう、今朝の川上弘美さんの「私の一冊…」は、
石井桃子著「ノンちゃん雲に乗るでしたネ!!
(今年の夏「石井桃子展」に行った際に読み直してみようと想いつつ
いまだ果たせずにおりましたが)
私も同じ年頃の小学校生の時に読んでいるはずですのに…
「エ~ッ、そんなお話だったの~???」というくらい
やっぱり、ほとんどの内容をすっかり忘れておりました!
少女が「自分と世界との関わりに目覚めていく物語」という川上さんの捉え方を伺って
なるほどなぁ…と、ある意味で合点がいく気がしたしました。
きっと私にとっても、見えないところで大きな影響を与えていた作品だったのでしょうね。
そういえば、先日高校のクラスメートと話していて
当時の自分自身の様子について
「○○○(私のあだ名)は…休み時間とかいつもマジメそうに(?)
厚ぼったい本を読んでいたよね~?」と言われました。
へ~ッ?本人としては、全然マジメではなくって…
ドクトルマンボウとか、山本周五郎さんや星新一さんの文庫本だったように想うんですけれど。
今になって思い返して観ると…
ひょっとして~?いろいろな面倒なことからの逃避の意味もあったり
無意識の内に「周囲との間にゆるやかなバリアを張っていた」のかもしれませんね。
見た目は穏やかでおとなしいタイプ(?)だったと想いますけれど
内面は「自分でも良くわからない混沌とした混乱の中に落ち込んでいた」のかもしれません。
けれど、その時々に読んでいた本から
きっと、いろいろな言葉の贈り物や気持の安らぎのようなものを
たくさん貰っていたように思えてなりません。
いやはや…30年以上も前の記憶を掘り起こすのって、ほんとうに不思議な感覚がするものデス。
ということで、このこところ気にかかっていたことに関連して
もう一つ、昨晩その一部を観たテレビ番組のことをお話しましょう。
それは、「ETV特集「加藤周一 1968年を語る~“言葉と戦車”ふたたび~」です。
(録画予約をし忘れて、11時頃からしか観られませんでしたが)
今読んでいる「ゲランドの塩物語」にも、1968年のパリ5月革命のことに触れられていましたが)
遡ること1968年には、私は10歳でしたから…
小学校4年生くらいで、世の中のことはほとんどよく観えないまま
ノホホ~ンと生きていたと想います。
ところが、自分の中学や高校の頃のことを思い返すたびに
不思議なことに、そこだけ鮮明な記憶になって浮かんでくるのが
どういう訳か、音楽は「札幌の冬季オリンピック」のテーマソング(?)の
トワ・エ・モアの「虹と雪のバラード」で
映像と雰囲気は、なぜか怖ろしいことに「浅間山荘事件」なんです。
実生活では、とても環境の良い小中学校時代を過ごしておりましたから
世の中に吹いてる風の厳しさや閉塞感に気づき始めたのが…
ひょっとすると、ちょうど1972年、13歳の頃だったのかもしれません。
日付を調べると、オリンピックは1972年2月3日から13日まで
事件の起きた日は、1972年2月19日。(Wikipediaより引用)
記憶違いでなければ、期末テストか
(当時の神奈川県で行われていた)ア・テストの試験勉強をしなくてはいけないのに
何だかズ~ッとテレビの前に、かじりついていたような気がします。
モチロン、日本で開かれたオリンピックは、子ども心にも
とても素晴らしく誇らしいものに感じていたと想いますけれど
「浅間山荘事件」とその後に続く一連のニュースは
ただただ恐ろしくって、到底理解の出来ない
「人間の持っている訳の判らなさ」に気づくきっかけだったように記憶しています。
両親や誰か他の人に、取り立てて事件の経緯や背景やあらましを訪ねた記憶もないので
13歳の世間知らずの女の子にとって、ひたすら「思想」とか「学生運動」というものが
得体の知れない怖ろしいもののように感じられたのかもしれませんね。
それから、そういう怖ろしげなモノには「極力近づかない…」という
行動様式が身についたような気がします。
そのことが、何らかの影響を及ぼしているのでしょうか?
この歳になっても、
「何らかの目的を持って、何か行動を起こす際にどんな手段をとるのか?」ということを考えたときに、
例えば、「武器を手にするとかデモをするという選択肢」は、どうしても考え付かないんです。
(けれど…そうぜずにいられない程に困窮していたり追い詰められていたとしたら…
人というものは、どんな行動に出るのか…?
今の世の中を見わたせば、自ずと想像することはできます。
もし今、私の目の前に刃物をもった人が迫ってきたとしたら
お金やモノだったら「どうぞお持ちください!」って、即座に言えるかもしれませんけれど
「いのちに関わるようなこと」になってしまったら…
私も『まだもう少しの間、いのちは惜しい』ので、
手当たり次第にモノを投げつけたり、逃げ回ったり
もしかしたら、反撃に出るという暴力を行使してしまうかもしれませんもの。)
その人の行動や言動を、すぐには理解することは難しいとしても
出来れば、理解しようという努力は放棄しないようにしよう…と
歩きながら、アレコレと考えたり想いつくことがありましたので
印刷を終えてから、慌てて帰って書き加えました。)
さて…
ホントウは、kirikouの小学校4年生の時の教科書に載っていた
「アップとルーズで伝えよう」のお話しをするつもりでおりましたが
お話がすっかり、とんでもないほうにジャンプしてしまいました。
今日は、これから(市民活動支援センターで印刷をして⇒先ほど終了しました。)
kirikouのランドセルを取りに行ったついでに
クラスのみんなに、「通級についてのお話」を
(きちんとした原稿は作っていませんが、
今朝、kirikouと少しだけ話し合った内容を元にして)チョコッとだけしてから
午後は、久しぶりの通級のグループ指導にkirikouと一緒に向かいます。
空気は、ことのほか気持良くピ~ンと冴え渡っています!
横浜の空は、快晴。陽射しは、たっぷり降り注いでいて暖かです。
皆様も、お気持も晴れやかな、お健やかな佳き一日をお過しくださいネ!!