今日も、朝から日差しのまぶしい好天に恵まれました。
kirikouは、まだ調子が出ません…けれど、
今日の2・3時間目に、社会科の「まちたんけん」がありますので
大慌てで登校して行きました。
(出掛けるまで、いろいろア~ダ・コ~ダと言っておりましたが
それはそれとして、置いておいて…)
私も、仕事を休んで「まちたんけん」の見守りのボランティアをいたしました。
一学期の内に、クラス全員で先生と一緒に地域をぐるっと一回りしていたので
今回は、数人のグループに分かれて、それぞれのテーマを決めて
調べたり、いろいろな人にインタビューをすることになっていました。
学校を中心に、東西南北の方面に、数人ずつのお母さん方が配置されて
子どもの見守りや、声かけをしました。
私も一箇所に留まっているよりは、歩ているほうが性にあっているので
女の子2人と一緒に、お話しながらアチコチを見て回りました。
「あなたの好きな景色は、どこですか?」という質問を
道行く人にするのは、最初はなかなか勇気がいるらしく
ちょっとためらいながら、私の方をチラッと振り向いていましたが
少しはなれたところから「大丈夫!」というサインを送っているうちに
きちんとご挨拶をして、しっかりとお話をうかがっていました。
3年生にもなると、お嬢さんは、皆さんとてもしっかりしていらして
見ていても、何だかほんとうに安心ですね。
それに比べて…言うまいと思いつつも…
「男の子」という生き物は、一体どうなっているんでしょうか…?
モチロン、個人差はありますし…
よく言えば、幼さがあって可愛いのでしょうけれど…
男女の差は、どこにあるのかしら?と突きとめること自体には
意味があるような無いような気もいたしますが
子どものころの、男の子・女の子の違いは、とてもオモシロクて
なんとも、不思議なことに思えます。
先日、教育TVで見たタイの「カブトムシの大会」では
ほんとうに、子どもから大人までが、カブトムシ相撲に熱狂していました。
スポーツにしても、本能とも呼ぶべき何かが
そうさせているとしか思えないような、気がしますし。
kirikouもそうでしたが、幼稚園前くらいの男の子は
たいてい電車かクルマのどちらかが大好きで(モチロン例外もあるけれど)
一時期、踏み切りの近くや電車のよく見える線路伝いの道や駅のホームなどで
何台も何台も、電車の通り過ぎるのを眺めるのにつき合わされました。
子どもの行動ひとつとっても
ほんとうに、オモシロくて不思議なことがたくさんあるものですね~
そんなことも、子どもの成長とともに、親は忘れてしまいがちですが
私は、小さいお子さん連れのお母さんの姿を見るにつけ
ふと、あんな時があったんだなぁ、あの頃はどんなだったかしら?と
思い出すことが、よくあります。
そうやって、これまでに経験した何かを、何らかの形で、伝えていくこと
それって、意外に大切なことかもしれないと、思いました。
何かの番組で見ましたが、サルの群れの中で
若いメスのサルが、子ザルを抱いたり世話をしたりして
子育ての練習をするというような場面があったように記憶しています。
そうですよね~!!
子どもが生まれて、親も「はじめて、親になる」わけで
とりわけ、ひとり目の子どもの子育ては、
最初っから何がなにやらわからないところからのスタートですもの。
開き直るわけでもありませんが、
kirikouが、もうすぐ9歳になったら、私の親年齢は同じ9歳ってことですよね~
(まぁ、お腹の中にいる約一年は別として…)
子育てや教育に関連した話題が、世の中にほんとうにたくさんあふれていますが
いろいろな、価値観が交錯する中で、一体どうしたらいいのかが
よく見えなくなっているような気がしてなりません。
なんだか、もっとシンプルで、わかりやすくて
それでいて、いろいろな考え方や生き方が、認められているような
そんな魔法のようなお話は、なかなか無いものでしょうか?
答には、ならないかもしれませんが…そこで、ちょうど思いついたのが
ドロシー・ロー・ノルトさんの「子どもが育つ魔法の言葉」という本のことでした。
昨年、お亡くなりになったそうですが
皇太子様が、この方の詩をご紹介なさったことでも、大きな話題になりました。
何冊かの、ご本が出ていますので、お読みになった方も多いことと思います。
わかりやすくて、やさしい語り口で書かれていて
子どもを見つめるあたたかいまなざしに、あふれています。
私も、とても素晴らしいと感じて、お友だちにプレゼントしたりしました。
「ペアレントトレーニング」の教科書よりも、ず~っとわかりやすく
子どもに対する大切な姿勢や態度について、お書きになっていると思っています。
「そのとおりだなぁ。」「こんなふうに、できたらなぁ。」と
読み直すたびに、深くうなづいて、こころを新たにするのです…けれど
きっと、このご本のとおりにできていたら
こんなふうに、本を読んだりする必要もないし
きっと、この本を読もうとさえ思わないのかもしれません。
「できていないこと」と
「そうありたい」「そんなふうにできたら」とのあいだのギャップって
一体全体、何なんでしょうか?
水は、高いところから低いところへ向かって流れるものですが…
その流れを、わざわざ、さかのぼっていくという動きもあって…
結局、またもとの木阿弥の…振り出しに戻ってきてしまったのでしょうか?
…ということでいつの間にやら
「まちたんけん」とは全くちがうところへ、歩き出してしまいました。
そういえば、最近、子どもの教科書を、よく見てみることも無かったので
あらためて、「小学社会3・4上」を、読んでみました。
「なるほど~」
『見つめてみよう わたしたちのまち』
『見直そう わたしたちのくらし』
もしかしたら、そういうことかもしれません…
きっと、そうしていくこと…そうしつづけていくこと…
なのかもしれませんね…
kirikouは、まだ調子が出ません…けれど、
今日の2・3時間目に、社会科の「まちたんけん」がありますので
大慌てで登校して行きました。
(出掛けるまで、いろいろア~ダ・コ~ダと言っておりましたが
それはそれとして、置いておいて…)
私も、仕事を休んで「まちたんけん」の見守りのボランティアをいたしました。
一学期の内に、クラス全員で先生と一緒に地域をぐるっと一回りしていたので
今回は、数人のグループに分かれて、それぞれのテーマを決めて
調べたり、いろいろな人にインタビューをすることになっていました。
学校を中心に、東西南北の方面に、数人ずつのお母さん方が配置されて
子どもの見守りや、声かけをしました。
私も一箇所に留まっているよりは、歩ているほうが性にあっているので
女の子2人と一緒に、お話しながらアチコチを見て回りました。
「あなたの好きな景色は、どこですか?」という質問を
道行く人にするのは、最初はなかなか勇気がいるらしく
ちょっとためらいながら、私の方をチラッと振り向いていましたが
少しはなれたところから「大丈夫!」というサインを送っているうちに
きちんとご挨拶をして、しっかりとお話をうかがっていました。
3年生にもなると、お嬢さんは、皆さんとてもしっかりしていらして
見ていても、何だかほんとうに安心ですね。
それに比べて…言うまいと思いつつも…
「男の子」という生き物は、一体どうなっているんでしょうか…?
モチロン、個人差はありますし…
よく言えば、幼さがあって可愛いのでしょうけれど…
男女の差は、どこにあるのかしら?と突きとめること自体には
意味があるような無いような気もいたしますが
子どものころの、男の子・女の子の違いは、とてもオモシロクて
なんとも、不思議なことに思えます。
先日、教育TVで見たタイの「カブトムシの大会」では
ほんとうに、子どもから大人までが、カブトムシ相撲に熱狂していました。
スポーツにしても、本能とも呼ぶべき何かが
そうさせているとしか思えないような、気がしますし。
kirikouもそうでしたが、幼稚園前くらいの男の子は
たいてい電車かクルマのどちらかが大好きで(モチロン例外もあるけれど)
一時期、踏み切りの近くや電車のよく見える線路伝いの道や駅のホームなどで
何台も何台も、電車の通り過ぎるのを眺めるのにつき合わされました。
子どもの行動ひとつとっても
ほんとうに、オモシロくて不思議なことがたくさんあるものですね~
そんなことも、子どもの成長とともに、親は忘れてしまいがちですが
私は、小さいお子さん連れのお母さんの姿を見るにつけ
ふと、あんな時があったんだなぁ、あの頃はどんなだったかしら?と
思い出すことが、よくあります。
そうやって、これまでに経験した何かを、何らかの形で、伝えていくこと
それって、意外に大切なことかもしれないと、思いました。
何かの番組で見ましたが、サルの群れの中で
若いメスのサルが、子ザルを抱いたり世話をしたりして
子育ての練習をするというような場面があったように記憶しています。
そうですよね~!!
子どもが生まれて、親も「はじめて、親になる」わけで
とりわけ、ひとり目の子どもの子育ては、
最初っから何がなにやらわからないところからのスタートですもの。
開き直るわけでもありませんが、
kirikouが、もうすぐ9歳になったら、私の親年齢は同じ9歳ってことですよね~
(まぁ、お腹の中にいる約一年は別として…)
子育てや教育に関連した話題が、世の中にほんとうにたくさんあふれていますが
いろいろな、価値観が交錯する中で、一体どうしたらいいのかが
よく見えなくなっているような気がしてなりません。
なんだか、もっとシンプルで、わかりやすくて
それでいて、いろいろな考え方や生き方が、認められているような
そんな魔法のようなお話は、なかなか無いものでしょうか?
答には、ならないかもしれませんが…そこで、ちょうど思いついたのが
ドロシー・ロー・ノルトさんの「子どもが育つ魔法の言葉」という本のことでした。
昨年、お亡くなりになったそうですが
皇太子様が、この方の詩をご紹介なさったことでも、大きな話題になりました。
何冊かの、ご本が出ていますので、お読みになった方も多いことと思います。
わかりやすくて、やさしい語り口で書かれていて
子どもを見つめるあたたかいまなざしに、あふれています。
私も、とても素晴らしいと感じて、お友だちにプレゼントしたりしました。
「ペアレントトレーニング」の教科書よりも、ず~っとわかりやすく
子どもに対する大切な姿勢や態度について、お書きになっていると思っています。
「そのとおりだなぁ。」「こんなふうに、できたらなぁ。」と
読み直すたびに、深くうなづいて、こころを新たにするのです…けれど
きっと、このご本のとおりにできていたら
こんなふうに、本を読んだりする必要もないし
きっと、この本を読もうとさえ思わないのかもしれません。
「できていないこと」と
「そうありたい」「そんなふうにできたら」とのあいだのギャップって
一体全体、何なんでしょうか?
水は、高いところから低いところへ向かって流れるものですが…
その流れを、わざわざ、さかのぼっていくという動きもあって…
結局、またもとの木阿弥の…振り出しに戻ってきてしまったのでしょうか?
…ということでいつの間にやら
「まちたんけん」とは全くちがうところへ、歩き出してしまいました。
そういえば、最近、子どもの教科書を、よく見てみることも無かったので
あらためて、「小学社会3・4上」を、読んでみました。
「なるほど~」
『見つめてみよう わたしたちのまち』
『見直そう わたしたちのくらし』
もしかしたら、そういうことかもしれません…
きっと、そうしていくこと…そうしつづけていくこと…
なのかもしれませんね…
コメント頂いて ありがとうございます。
主婦 兼 大学生さん って きっと げんきな すてきな かたなんだろうなぁ、、、
と 思って おじゃまさせて頂きました。
こちらこそ よろしくお願いいたします。
コメントありがとうございます!!
こちらこそ、よろしくお願いいたします!
環境についても、子どもたちにわかりやすく
そして、地球全体のことまで、想像することができるように伝えるには
きっと、あのような可愛くて素敵な絵が、ピッタリだと思います。
抽象的だったり、わかりにくい事柄も
イメージしやすいカタチにすることは、とても、素晴らしいことだと思いますよ~
また、お話をお聞かせくださいね!!
私もいろんな子どもと接する中でよく感じる実感です。
「生まれながらに」なのか、「そのように接するから」なのか、よく分かりませんけれども、男女の性差の深さを感じてなりません。
親が子どもを育て、子どもが親を育て…。
人間の関係というのは、まことに相互作用的ですね。
子どもと接する中での「実感」というところに、納得デス!!
確かに「~らしさ」「~らしく」というあたりには
後付の意味が大きいかもしれませんけれど
私なんて、全然「~らしく」ありませんし
小さい頃から、どちらかというと「ムシ好きな女の子」でしたから・・・
持って生まれたものがやはり、あるような気がします。
そういえば、ウチの子が「岡本敏子さん」の本の表紙のお写真を見て
「この人、おじいさん?」と聞いてきたことがあり
「おばあさんだよ~」と言っても、なかなか納得しませんでした。
・・・と言うことで、最後は性別をも越えていく可能性も
ある意味では、あるのかもしれません・・・
(ひょっとして、私の場合は、すでにそちらにシフトしている・・・のかも?)