Little Tree

日々のいとなみのなかで感じた子どものこと、季節の移ろいやこころに映る風景

上野の杜は、緑がいっぱい!その3

2006-06-07 19:55:51 | Weblog
十数年ぶりに訪れた上野公園は、思いのほか樹々の緑があふれていました。

もういつごろかも思い出せないくらい以前、おそらく結婚して間もない頃に
夫と二人で、上野の美術館に「ターナー展」を見に行ったことを
上野公園の中をひとり歩きながら、ふいに思い出しました。

その季節もあやふやで、その時の印象と比較してなのかも定かではありませんが

とにかく、上野の杜は、ほんとうにほんとうに緑の木立が青々と深く
桜の木の下を歩いていると、ほの暗いトンネルの中を抜けて
どこか違う時間や空間へワープしてしまいそうな感覚にとらわれそうでした。

時間に余裕があったので、案内図を頼りに歩きながら階段を降りていくと
神社の鳥居があって、その先に不忍池が広々と開けていました。

また、ゆっくりと歩いていくと階段の上がったところに仏塔(パゴダ)があって
気の向くままにアレコレ寄り道をしながら噴水のあるところまでたどりつきました。

そこまで来ても、芸大の方向がつかめなかったので、少し不安になって
近くを歩いていた、美術系の学生さん風のお嬢さんにお声をかけました。

伺ったところ、芸大に受験に来たことのある学生さんで
東京都美術館(?)にいらしたところとのことで
途中まで一緒に歩きながら、道順を教えていただきました。

可愛らしいお嬢さんに会えて、何だかとてもうれしい気持ちになりました。

途中に古い音楽堂の建物があって、道路の右側に音楽系、左側に美術系の校舎がありました。

少しどきどきしながら校舎に向かって行き
講義室の横のカフェテラスで打ち合わせ中の重松さんと茂木先生を目撃して

「よくもまぁ、こんなところまで、来てしまったのかしら?!」
われながら「最近、何でこんなに自分の興味に対して、つっ走ってしまうのか?」

と、自問自答しながら、講義室の開くのを待ちました。

この日に先だって、私が読んだ重松さんの「きよしこ」は
重松さんご自身の少年時代のこころの内面や人との関わりを下敷きにした
少年の成長をていねいに描いたお話で、そこに母親としての私の想いと

子どものkirikouが、これから生きていく中で、出会ったり向き合っていくことを
思い起こさせるような内容とがオーヴァーラップしてしまい

涙があふれ続けて、止めることもできずに
かといって読むのをやめることもできないくらい、小説の中に引き込まれしまいました。

今回私が、直接お話を伺いたかった理由のひとつは、重松さんのお書きになったものと
ご自身の発している人間としてのありようを、この目で観てみたいという興味と

芸大生という、若い方たちが茂木先生や重松さんのお話を聞いて
どんな反応や感想をもたれるのかという点に、とても興味があったからです。

さて、「涙の理由」というタイトルで始まった
お二人のお話は、音声ファイルでもお聞きいただけますので

内容については、ここではお話いたしません。

講義の最後にご質問したのは実は私で、そのときの私のライブでの感想そのものですし
その後で、茂木先生の“クオリア日記”に書き込んだコメントが
そのときの、私の正直な気持ちだと思います・・・

(前後の脈絡や経緯がないと、わかりにくい内容かもしれませんが
ここに、引用しておきます。)

芸術になんの区別もないと思っている、一般大衆としての素人的感想です。

私などが、あらためて書くのもとても恥ずかしい行為かもしれませんが
せっかく、ライブで芸大の講義をうかがってとっても楽しかったので、あえて申し上げます。


いろいろ思うことがあっても、なかなか発信できないでいらした若い学生さんに
エールを送るつもりで

「思ったことや疑問は、ぶつけてみたほうが絶対にオモシロイですよ!!」


さて、小説にしても、絵画にしても、おそらく音楽にしても

受け手に生じたfirst impression (?)そのもの
心の動きのようなものは、言葉ではない・・・と、私は思っています。

ことばは、あくまでそれを伝えるために「媒介するもの」でしょうか?

創り手には、表現したいと思う衝動のようなものがあって

表現方法として、言葉を介するのか
絵画や彫刻や音楽という表現方法をとるのか?でしょうか・・・


活字媒体は、出版という経済活動が確立しているので
お金の価値を生むことは、比較的可能なのでしょうか?

絵画などは、やはり狭き門という印象がありますね。
音楽は、どうなんでしょう?


20代の若い方は、今このときに

いまの自分の想いや心のありようや目指すものを
いっぱい考えたり、悩んだり、もがいたりしたらいいと思います。

きっと、茂木先生や重松さんも、そんなもやもやとした
言葉にもできないような青春を経て、今のお二人があると思いますので・・・


(かくいう私は、いい歳をして
まだ迷ったり、アチコチの門や壁をたたきまくっていますよ!)

                  投稿 TOMOはは | 2006/05/30 0:27:14


なぜかお話を伺いながら、講義のあった第三講義室から見える
強く吹く風の中で激しく揺れている緑の葉の美しさが、とても印象的でした。


教室を後にして、上野公園の帰り道を歩いているとき

お二人の先生のお話を若い学生さんたちと一緒に聞くことができたワクワクする感覚と
質問をする勇気を奮い起こして、自分の思いを言葉として発する時のドキドキした感覚とが
頭や身体の中を、ぐるぐると渦巻いている感じがしましたが

ちょうど、不忍池が見えるあたりに差し掛かった時、不意に涙があふれてきました。

その涙は、ほっとするような、快いような、スッキリするような
やはり言葉には表しがたいもののように感じられました。



何だか、最後は「涙の理由」も分からないようなところにたどり着いてしまいましたが

こころが強く動いたり、言葉では表せないような何ものかが生じた時

何とかして、カタチにして表したいという衝動が

どこか人の心のありようには、つきまとうものなのかもしれません・・・




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4 コメント

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キャンパス (RAM)
2006-06-08 22:03:09
文系の香りが漂うキャンパスに憧れます^^

東京は大学が多いので、羨ましいです。
返信する
モラトリアム・・・ (風待人)
2006-06-09 08:46:44
RAM さま



大学という空気を、日々身近で感じていらっしゃるのは

本当にうらやましいです!!



田んぼの真ん中にある単科大学に通っていたので

「キャンパス」という言葉の響きには

私もとても強い憧れを感じますね・・・



この前、いまの自分に近い言葉として「モラトリアム」を

検索して、エリクソンが出てきて、アラッ!て思いました。



プロフェッショナルになりきれないところを

自分の中に色濃く感じてしまうのは、いかがなものでしょう?
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やっぱり! (平太)
2006-06-11 11:26:26
そうだったんですね。やっぱり!



うーんやっぱり素敵な人だ!TOMOははさまは。

ご自身がご質問されることについて、エールも含まれていたんですね。

なんとなくそんな印象あったのですよ。どきどき感が今でも伝わってきます。

あこがれのマスターを前に私は多分足がすくんで質問などできません。



涙の理由はやはりはっきりとそれ自体、表現できませんが、だからこそ芸術や音楽の世界があるのでしょうね。

答えが簡単に見つからないのも、決まってないものをあれこれ考えたりするのは、苦しくも悩んでも楽しいです。



お聞かせいただきありがとうございました。



ちょっと旅に出ていた

                平太でした。





返信する
頭も心臓もドキドキします! (風待人)
2006-06-11 20:36:59
平太 さま



朝カルもですが、一生懸命先生のお話を伺って

何か、できればひとつは発言できるようになりたいと思うと



脳の中で、何かがぐるぐる動き出しそうな感覚になります。



まだ、慣れないので刺激がきつすぎるような気もしますが

脳にとっては、ひょっとして心地よいと感じているのかもしれません・・・



ところで、どちらにご旅行にいらしてたんですか?



家と子どもを夫に預けて、私はスクーリングに行っていましたが

そちらも、とても有意義でした!



母として、どこまで許されるのか?迷いつつですが・・・
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