Little Tree

日々のいとなみのなかで感じた子どものこと、季節の移ろいやこころに映る風景

「母の日」に想うこと

2006-05-15 06:50:20 | Weblog
皆さまは、どんな「母の日」をお過ごしになりましたか?


今年の我が家の「母の日」は、いつにも増して何の特別なことは
ありませんでした。


去年は、kirikou が、カーネーションのお花の絵と
「ありがとう」のメッセージを書いてくれて
今でも、それをリビングに貼ってあります。

昨日は、いつもどおりの食事の後に
「今日は、母の日だよね~」と言ったら、kirikou と夫から

「おかあさん、ありがとう!」とひとこと言われて

「お母さんが、いつもやりたいことをできるように協力してくれて
ありがとう!!」と言って、オシマイでした・・・

チョッとさみしいような気がしないわけでは、ありませんでしたが

別に何か品物をもらいたいわけでもなくて
自分の好きなことをできること、それなりに家族も協力してくれていること
それだけでも、私にとってはありがたくてうれしくて

それが『本当に大きな大きなプレゼントだなぁ!!』と

よ~く分かっておりますので・・・大丈夫です!!


ところで、昨日のNHK教育TVの「こころの時代」~宗教・人生「身体表現に魂をこめる」で

金 満里さんが、障害者としての思いをきちんと発信して
また自らの根源を見つめて問い続けながら、すさまじい生き方をなさって
劇団で活動していらしたお話を伺いました。


その生き方の中で、私が強く惹かれたお話がありました。


障害があるゆえに、手厚く庇護していらしたお母さんや家族の反対を押し切って
自立した生活を始めて、その後、結婚出産をされたそうです。

その、出産したばかりの病院に、場所も詳しく知らせておらず
在日一世のお母さんには、とてもそこまで来ることはできないはずなのに
産後の娘を気遣って、駆けつけてくれたそうです。

それ以前の確執などは、『生命の誕生』『命のつながり』の前では

意味もなく、消し去ることができるということに、驚きとともに、大きな感動を覚えました。


ふと、自分と母とのこれまでを思い返してみると

いろいろな出来事やお互いに相容れない思いも、ありましたが
両親もずいぶんと歳をとって、これからの身体のことなど気がかりも感じました。

私は、まだまだ母に世話になることも多くて
自立できているとはいえないのかもしれない・・・と想いつつ

今年は、葉祥明先生の「母親というものは」という本をプレゼントしました。


この本の中の詩を読むと、

母親としての自分と子どもの「今」とそしてこれからの「未来」が

そして、自分が子どもだった時の母との「過去」と「今」とさらには「未来」までが

不思議な想いとともに、よみがえってきます。

私には、涙を流さずに笑って読むことは、当分の間できそうにはありません・・・

この気持ちは、もしかしたら一生持ち続けていくものなのかもしれません・・・ 


子どものことを想いながら、子どもの気持ちにはなりきれず

母の気持ちを想いながら、母の気持ちをもてあまし

自分のこころのなかを見ても、こんなにあれやこれやとわからなくて
とらえどころがなく思えます。


さらに、いろいろな人とのかかわりの中で、生まれてくるいろいろな気持ちは
すべてが美しいものでは、ないのかもしれません…


けれど、そんな本当に様々な「こころのありさま」を

その都度、こころが揺れ動きながらも、巻き込まれそうになりながらも

どこかで、しっかりと見つめていることが出来るものなのでしょうか?



ただただ、ありふれたささやかな「母の日」なのに

どこか、こころがざわつくような

何かが、まだささやくような

どうしてよいのか、答えられないような

ことばには、言い表せないものを感じてしまったような気がしています・・・



今朝は、久しぶりに明るい青空が広がっています。


こうして、また新しい一日が、何事もなかったかのように始まるのですね・・・

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10 コメント

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Unknown (ぴーまん)
2006-05-15 15:00:32
朝一番に実家に電話を入れました。

珍しく父が出て、父とも話をし、母と変わり、母に感謝を伝えました。



あなたの父と母とを敬いなさい。



聖書には両親に従うように、と、多くの場で出てきます。敬ってもらえるような親になるには、まだまだ時間が掛かるようです^^;なんせ、旦那や子供等には、忘れられていましたから。。。ハハハハハッ^^;



こちらから、言うなんて・・・ (風待人)
2006-05-15 15:18:10
ぴーまん さま



そうですか・・・ご両親はお元気でいらっしゃるんですね。



ウチの二人は、忘れていたわけでもなく

何かしようとも、思いつかなかったらしいです。



(案外男たちも暢気というか鈍いところが、良く似ているらしい・・・)



なんだか、がっくりです・・・



それにしてもウチの夫も、今とても忙しくて余裕がないみたいです。



企業や社会としての、日本のお父さんの働き方を考え直さないと

なかなか、難しいこともありますね。



若い方も、生活していくにはタイヘンなようですし・・・



かといって、国際競争力がなんだかんだ言われると

方向性が、ぜんぜん違うような気もするし・・・



個人の幸せって、一体何なんでしょうね・・・

日々、母の日であるように (雪月花)
2006-05-15 15:50:56
風待人さん、こんにちは。

わたしはオーストリアへ旅立つ前に、飼っているメダカの世話を母に頼み、親族会の集まりの裏方で忙しい義母を手伝っておりました。長男の嫁ということもあり、義母を優先してしまいました。一年に一度だけの母の日というのは、なんだか照れくさいしおかしいなぁと思えて、特に花を贈ることもしていないのですけれど、離れていれば、何かの機会あるごとに母に電話したり、会って食事をしたりという、ふだんの関わりを大切にしたいものですね。同居していたころは空気のようで、思いやりを忘れがちでした。

これからモーツァルトの曲をもうすこし聴きこんで、行ってまいります ^^
モーツァルト三昧とはうらやましい!! (風待人)
2006-05-15 16:04:56
雪月花 さま



まじめにパーフェクトな「長男のお嫁さん」をなさっているご様子が

伺われます・・・



私も、「長男の嫁」ではありますが

これでもずいぶんウマク出来るようになったかしら?



スープの冷めない距離なので、夫の母にも子どもをよく見てもらってます。



このあたりのちょうどいい距離というのも

うまくいく極意かもしれませんね・・・



気をつけて行ってらしてくださいね!!
ココロミガキ (スカーレット)
2006-05-16 08:49:34
ご無沙汰でした。

ココロミガキのやり方はあるのですよ。

それが私の衝撃的な出会い。



ただこういう場では言えませんし、私自身そんないい人間か、、というとそうでは在りませんから、なんかの教祖さまのようなことは言えません。



でもそういうものが仏教などの修業なのでしょう。



意識には表面の意識と自分で自覚してない深層意識とがありますからね。

ざわざわしてるものはそういうものかもしれませんね。



私自身もなかなか進歩しない人間ですが、いい出会いに恵まれました。



縁でいろんなものに出会っていくのでしょう。

いい出会いに恵まれますように。



そうはいえ、、本物、偽者があると思います。

また格の違いもあると思われます。

お間違えないように。

良い出会い・・・ (風待人)
2006-05-16 10:13:07
スカーレット さま



お久しぶりです!  お変わりありませんでしたか?



本当に出会いとは不思議なものですね・・・



その瞬間には、良いかわるいかは、意外に分からないものでしょうか?



けれど、そのときの印象はどうあれ

良き事も悪しきことも、いかに対処したかが問われていて

結果には、自ずとそのときの自らが映し出されますね・・・



一期一会 とは知りつつも



失敗したらまたトライできると想いたいです。



そんな人生のふか~いお話も、またお聞きしたいです!!



個人の幸せは (ぴーまん)
2006-05-16 16:12:37
愛するものが、笑顔で存在していること。

それかな。
自然な笑顔は、大切!! (風待人)
2006-05-17 07:25:15
ぴーまん さま



ホント!そうですね~



それも、自然に笑顔になれたら、わたしとしては、『最高~!!』 デス。

母は強くあり。 (道草)
2006-05-17 07:54:25
五月十五日「母の日」は済みましたね。なぜ、わざわざ「母の日」があるのでしょう。一年じゅう「母の日」。一年じゅう「子どもの日」。そしてときどき「父の日」・・・。風待人さんは、母であり子どもでもある日々でしよう。私の母は96歳で2年前に亡くなりました。親不孝でした。二つの詩を贈ります。



「子守唄」  服部嘉香



はじめあり をはりある人の命を

産み 育て 母は死ぬ

かすかに残るわたくしの母の声は

いつも子守唄のかなしさだつた



妻もわたくしの子に子守唄をうたつてゐた

風のやうにたのしく

雨のやうにさびしく

それが母へのわたくしの切なさをゆすつてゐた



今はわたくしの娘が子守唄をうたつてゐる

風のやうにたのしく

雨のやうにさびしく

それが妻と娘へのいとしさをゆすつて来る



はじめもなく をはりもない母の道

子守唄はそのためいきか

空に満ち 宙に溢れ

永遠に人の世に母性の心を刻んで行く



「日ぐれ」  吉村徹三



十薬の 花

にほふから、

日ぐれは、とほい

こえが する。



蜂の巣 燻して

出る なみだ、

入陽は、あかあか

掌(て)に 顔に。



うすむらさきの

旱(ひやけ)ぐも、

玉虫の、翅

ふと、おもふ。



十薬の 花

にほふから、

母さんの、呼ぶ

こえが する。





ひとは想うことで、そこに在るものことを感じられるもの・・・? (風待人)
2006-05-17 16:02:58
道草 さま



服部嘉香さんも吉村徹三さんも存じ上げませんでした。



道草 さまのお母様は、96歳でお亡くなりになられたんですか?



ご長寿でいらしたんですね・・・



とはいえ、生きているときは、それが当たり前のように思えて

ことさら、何をすることもしないのでしょうが



いらっしゃらなくなって

初めてその存在の大きさに気づくものなのかもしれませんね・・・



目を閉じると、そこにそのままのお母様をお感じになれるとしたら・・・



どこか、あたたかなお気持ちになれますでしょうか・・・



母とは、子の様々な想いをも

包み込める大らかな、限りなく深いものであると



信じられるようなこころでありたいと、ふと想いました・・・



素敵な詩を、ご紹介いただき

ほんとうに、ありがとうございました。

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