家族それぞれに、時には一緒に過ごした三連休明けの火曜日…
8時を過ぎてから、何とか着替えをして…
ご飯も食べて「寒い、寒いよ~」と言いながら
「チョッと遅刻モード」でkirikouが、登校して行きました。
窓の外は、グレーの雲のところどころに光が反射して不思議な色合いを見せて
きりりとした寒さが、身にしみてきます。
この数日のことを、なぞりながらお話をしていこうか…
テーマを立てて、一つ一つお話していこうか…
お気に入りの森山直太朗クンの「風待ち交差点」を聴きながら…
しばし、目を閉じて…アタマの中で想いとコトバを転がしてみます…
(合間に片づけ物をしたり…少し身体がおもいので、肩を回したり背伸びをしたり…
疲れ気味の脳みそも、リラックスさせながら…ついでに、実家の母から電話があったりして…)
お昼間近になって…ようやく、お日さまの光がベランダ越しに差し込んできました。
まずは…先週の短歌の講座のお話あたりから、少しゆっくり目にスタートします…
思い返すと、一昨年の10月から思い切って始めたオープンカレッジの「短歌の表現と実作」で
今井恵子先生から、まず講座の主旨として
・言葉への関心と理解を深めながら、短歌実作をする。
・近代現代の短歌がどのように作られてきたかを概観する。
・講座は、近代現代の短歌の鑑賞と実作の相互評をする。
ことを伺いました。
最初に取り上げられたのが「樋口一葉」そして与謝野晶子、
お名前だけは知っている方から、知らない方、さらに現代の歌人の作品まで
いろんな歌に触れる機会が得られました。
一方、実作のほうは…週に一首の提出に四苦八苦の有様でした。
秋季と春季の作品を二十首提出して、その中から先生が十首を選んでくださって
その作品を集めた冊子が、秋に出来上がりました。
始めたばかりの私にとっても、それはなんとも恥ずかしいような晴れがましいような
けれど、とても心弾むものでした。
先日の最後の講義では、その冊子に収められた皆さんの作品を読んで
それぞれに「良いなぁ」と想うものを、一首選んでいくことになっていました。
今期を含めて、一年半程ご一緒に講座に参加して
皆様の作品を鑑賞させていただいていると
それぞれの方のモノを見る目線や捉え方のユニークなところや
目の付けどころのオモシロさ、言葉の使い方などなど
「その人らしさ」のようなものが、にじみ出ていることがよくわかるようになりました。
「うれしはずかし…」なんとやら…なんて歌もあったように想いますが
冊子に載った歌と載らなかった歌も含めて、十九首を大公開いたしますので…
まずは、お読みいただければ幸いです。
花びらおどる
ちちははの想いの外に育つ子よ秘めたる花を咲かせるように
とび色のスカート揺れる女子大生息弾ませて坂道のぼる
さむい朝くもるガラスを指でなぞり寝坊の子の名幾たびも呼ぶ
図書室の書架のあいだをくぐりぬけ時空を超えて異界を旅する
「サンタさん、ほんとにいるの」真っ直ぐにわれの眼覗きたずねる息子
紅梅の蕾ほころぶのぼり坂ほほ染めし子を風が追い越す
おさいふを首からさげてメモ握り食パン一斤 子の一人旅
盆踊り赤い金魚の浴衣の子コンカラシャンと下駄の音ひびく
からまった毛糸のごとき脳みそをひっくり返して記憶をたどる
朝起きて天井見上げ浮かびくる言葉をすくい歌に織りこむ
「はじめのいっぽ」(以下は、冊子に載せた私のコメントの原文です。)
いつのことでしたか「短歌は、歳をとっても楽しめるので良いですよ。」と聞いたことがあります。
昨年、想うところがあって始めたブログを通じて、偶然に短歌をなさっている方と知り合って
「私も、五七五七七という短いコトバの連なりの中で
自分の観たもの・ことやささやかな自分の想いを表現してみたいなぁ」と想いたちました。
とはいえ、本を読むのが好きなくらいで
「和歌と短歌のちがい」すら知らないという、文学や言葉とは縁遠い生活をコレまでしておりました。
フェリスのオープンカレッジを知って、思い切って申し込んでみましたが
毎回の先生の講義も新鮮な驚きばかりで、すっかり大学生に戻ったような気分で興味深く楽しく拝聴しています。
また、私のような「卵から、くちばしをつき出したかどうか・・・」も分からないヒヨッコが
皆さまの作品に触れて「こんな言葉があったんだ」「こんなに素敵な表現ができるんだなぁ」と感嘆することばかりです。
自分の歌を眺めてみると・・・至らないところ恥ずかしいところばかりに目がいきますが
皆様とご一緒の時間が、なにより楽しくて、「細々とでも、ポチポチと長く続けられますように」と願っております。
まだ、身近なことしか短歌にできませんが・・・そんな私にとってのささやかな「はじめのいっぽ」になりました。
(以下は、載らなかった作品です。)
クィールの黒い瞳に映るのは目には見えない私のこころ (盲導犬クィール写真展)
木喰の祈りを込めた仏さま修羅をなだめてわれも微笑む(仏像展にて)
うきうきと色紙えらぶ幼子のまんまる顔は向日葵のよう
孫の押す車椅子に乗るおじいちゃん ビデオの中ではなびらが舞う
ホッとするコーヒーの香に笑みこぼれ集う面々話もおどる
新学期花びらおどる校庭にコロコロカラリ声がこだまする
ハイカラなレンガ造りやガラス張り銀杏並木を風が吹きゆく(日本大通りにて)
「受胎告知」光を放ちてマリア笑む ダ・ヴィンチの眼に科学のちから
夫の遺志理路整然と語りかけ背筋もピンと見事な八十路
(遠藤順子氏「夫・遠藤周作を語る」講演会)
自分の作ったものは、相変わらず「まだまだなところ」や「コレってどうなんだろう?」
というような心もとないことばかりが目に付きますが
そんな手探りの中でも、ご一緒に作品について評してくださる方々の優しいまなざしに恵まれて
ささやかな楽しさを感じることができたように思います。
実は、昨年の最後に提出した作品を、(私はkirikouの具合が悪くなって欠席してしまいましたが)
講座の中で先生が「良かった」とほめてくださったというお話を
お電話やお手紙で、三人の方がわざわざ知らせてくださいました。
そのやさしい気遣いを頂いたことも、とてもうれしかったんです。
その作品は、(宿題に窮して、苦しまぎれに…)
ちょうど1年ほど前、初めてNHKラジオのケイタイ短歌に出した作品に手を加えたもので
私としては「こんなの短歌っていえるのかしら~???」と想いつつ
なんだか、半信半疑の作品でした。
今回の講座で、その作品についても先生からお話をして戴きました。
始めたばかりの時は「短歌ってこんなもの」という
自分の持っているイメージに、言葉をあてはめてしまっていたけれど
気持の機微を捉えた、
言葉の向こう側に心情が見えてくるような、気持に寄り添うような歌になっていくと良いですね…とのこと。
思うに、自分の心情を言葉にすることが、意外に苦手な私の
その中途半端な感じが…よく出ているのかもしれません…
良いとか悪いとか…ではなく、「私らしさ」が、案外よく出ている…のかもしれませんね。
最後に、その作品をご紹介します…
「オ・ト・ナ」ってつぶやきながら何処となく後ろめたさを誤魔化している
風待人
8時を過ぎてから、何とか着替えをして…
ご飯も食べて「寒い、寒いよ~」と言いながら
「チョッと遅刻モード」でkirikouが、登校して行きました。
窓の外は、グレーの雲のところどころに光が反射して不思議な色合いを見せて
きりりとした寒さが、身にしみてきます。
この数日のことを、なぞりながらお話をしていこうか…
テーマを立てて、一つ一つお話していこうか…
お気に入りの森山直太朗クンの「風待ち交差点」を聴きながら…
しばし、目を閉じて…アタマの中で想いとコトバを転がしてみます…
(合間に片づけ物をしたり…少し身体がおもいので、肩を回したり背伸びをしたり…
疲れ気味の脳みそも、リラックスさせながら…ついでに、実家の母から電話があったりして…)
お昼間近になって…ようやく、お日さまの光がベランダ越しに差し込んできました。
まずは…先週の短歌の講座のお話あたりから、少しゆっくり目にスタートします…
思い返すと、一昨年の10月から思い切って始めたオープンカレッジの「短歌の表現と実作」で
今井恵子先生から、まず講座の主旨として
・言葉への関心と理解を深めながら、短歌実作をする。
・近代現代の短歌がどのように作られてきたかを概観する。
・講座は、近代現代の短歌の鑑賞と実作の相互評をする。
ことを伺いました。
最初に取り上げられたのが「樋口一葉」そして与謝野晶子、
お名前だけは知っている方から、知らない方、さらに現代の歌人の作品まで
いろんな歌に触れる機会が得られました。
一方、実作のほうは…週に一首の提出に四苦八苦の有様でした。
秋季と春季の作品を二十首提出して、その中から先生が十首を選んでくださって
その作品を集めた冊子が、秋に出来上がりました。
始めたばかりの私にとっても、それはなんとも恥ずかしいような晴れがましいような
けれど、とても心弾むものでした。
先日の最後の講義では、その冊子に収められた皆さんの作品を読んで
それぞれに「良いなぁ」と想うものを、一首選んでいくことになっていました。
今期を含めて、一年半程ご一緒に講座に参加して
皆様の作品を鑑賞させていただいていると
それぞれの方のモノを見る目線や捉え方のユニークなところや
目の付けどころのオモシロさ、言葉の使い方などなど
「その人らしさ」のようなものが、にじみ出ていることがよくわかるようになりました。
「うれしはずかし…」なんとやら…なんて歌もあったように想いますが
冊子に載った歌と載らなかった歌も含めて、十九首を大公開いたしますので…
まずは、お読みいただければ幸いです。
花びらおどる
ちちははの想いの外に育つ子よ秘めたる花を咲かせるように
とび色のスカート揺れる女子大生息弾ませて坂道のぼる
さむい朝くもるガラスを指でなぞり寝坊の子の名幾たびも呼ぶ
図書室の書架のあいだをくぐりぬけ時空を超えて異界を旅する
「サンタさん、ほんとにいるの」真っ直ぐにわれの眼覗きたずねる息子
紅梅の蕾ほころぶのぼり坂ほほ染めし子を風が追い越す
おさいふを首からさげてメモ握り食パン一斤 子の一人旅
盆踊り赤い金魚の浴衣の子コンカラシャンと下駄の音ひびく
からまった毛糸のごとき脳みそをひっくり返して記憶をたどる
朝起きて天井見上げ浮かびくる言葉をすくい歌に織りこむ
「はじめのいっぽ」(以下は、冊子に載せた私のコメントの原文です。)
いつのことでしたか「短歌は、歳をとっても楽しめるので良いですよ。」と聞いたことがあります。
昨年、想うところがあって始めたブログを通じて、偶然に短歌をなさっている方と知り合って
「私も、五七五七七という短いコトバの連なりの中で
自分の観たもの・ことやささやかな自分の想いを表現してみたいなぁ」と想いたちました。
とはいえ、本を読むのが好きなくらいで
「和歌と短歌のちがい」すら知らないという、文学や言葉とは縁遠い生活をコレまでしておりました。
フェリスのオープンカレッジを知って、思い切って申し込んでみましたが
毎回の先生の講義も新鮮な驚きばかりで、すっかり大学生に戻ったような気分で興味深く楽しく拝聴しています。
また、私のような「卵から、くちばしをつき出したかどうか・・・」も分からないヒヨッコが
皆さまの作品に触れて「こんな言葉があったんだ」「こんなに素敵な表現ができるんだなぁ」と感嘆することばかりです。
自分の歌を眺めてみると・・・至らないところ恥ずかしいところばかりに目がいきますが
皆様とご一緒の時間が、なにより楽しくて、「細々とでも、ポチポチと長く続けられますように」と願っております。
まだ、身近なことしか短歌にできませんが・・・そんな私にとってのささやかな「はじめのいっぽ」になりました。
(以下は、載らなかった作品です。)
クィールの黒い瞳に映るのは目には見えない私のこころ (盲導犬クィール写真展)
木喰の祈りを込めた仏さま修羅をなだめてわれも微笑む(仏像展にて)
うきうきと色紙えらぶ幼子のまんまる顔は向日葵のよう
孫の押す車椅子に乗るおじいちゃん ビデオの中ではなびらが舞う
ホッとするコーヒーの香に笑みこぼれ集う面々話もおどる
新学期花びらおどる校庭にコロコロカラリ声がこだまする
ハイカラなレンガ造りやガラス張り銀杏並木を風が吹きゆく(日本大通りにて)
「受胎告知」光を放ちてマリア笑む ダ・ヴィンチの眼に科学のちから
夫の遺志理路整然と語りかけ背筋もピンと見事な八十路
(遠藤順子氏「夫・遠藤周作を語る」講演会)
自分の作ったものは、相変わらず「まだまだなところ」や「コレってどうなんだろう?」
というような心もとないことばかりが目に付きますが
そんな手探りの中でも、ご一緒に作品について評してくださる方々の優しいまなざしに恵まれて
ささやかな楽しさを感じることができたように思います。
実は、昨年の最後に提出した作品を、(私はkirikouの具合が悪くなって欠席してしまいましたが)
講座の中で先生が「良かった」とほめてくださったというお話を
お電話やお手紙で、三人の方がわざわざ知らせてくださいました。
そのやさしい気遣いを頂いたことも、とてもうれしかったんです。
その作品は、(宿題に窮して、苦しまぎれに…)
ちょうど1年ほど前、初めてNHKラジオのケイタイ短歌に出した作品に手を加えたもので
私としては「こんなの短歌っていえるのかしら~???」と想いつつ
なんだか、半信半疑の作品でした。
今回の講座で、その作品についても先生からお話をして戴きました。
始めたばかりの時は「短歌ってこんなもの」という
自分の持っているイメージに、言葉をあてはめてしまっていたけれど
気持の機微を捉えた、
言葉の向こう側に心情が見えてくるような、気持に寄り添うような歌になっていくと良いですね…とのこと。
思うに、自分の心情を言葉にすることが、意外に苦手な私の
その中途半端な感じが…よく出ているのかもしれません…
良いとか悪いとか…ではなく、「私らしさ」が、案外よく出ている…のかもしれませんね。
最後に、その作品をご紹介します…
「オ・ト・ナ」ってつぶやきながら何処となく後ろめたさを誤魔化している
風待人