グレーの空を背景にしても、まだ鮮やかに映える葉桜の黄緑色が
風に揺れるのを眺めながら…30分ほどかけて、歩いて帰ってきました。
そろそろ、雨粒がポツポツと落ち始めてきましたね。
(穴の開いた障子をそのままほったらかして、人様のお手伝い…というのも何ですが)
頼まれると…ついつい引き受けてしまって
先ほどまで、ご高齢の方の病院の付き添いに行って参りました。
傾聴ボランティアの勉強をして良かったなぁと想うことのひとつに
「家族」それもとりわけ老いた親の話を、
なるべく時間をかけて「意識して」聞くことができるようになったことがあります。
マダマダ、上手に聞けているとはいえませんが
近くにいる夫の母や遠くにいる両親との電話の際も
何度も繰り返して聞くような内容だったとしても
以前に比べると「ふ~ん、なるほど~。」と言いながら、気長に聞くことができるようになりました。
「お話をすること」は、それだけでも脳の働きを活性化するらしいので
(根拠は、私には聞かないでください…)
時間の余裕の許す範囲で、構いませんので
おじいちゃんおばあちゃんのお話を聞いてみてはいかがでしょうか。
案外、長年培ってきた「生活の知恵」や「長生きの秘訣」を
教えていただけるかもしれません。
ということで、待ち時間にその方のお話を伺いながら
診察の間に、先ほどの「思考の整理学」を数ページ読み進めました。
まずは、あとがきを引用すると
『 日ごろ考えるということばを何気なく使っている。
これはよく考えなくてはいけないと思うことがときどきおこる。うまく考えがまとまらない、といっては、あせったり、悲観したりすることもある。そして、お互いに、自分は相当、考える力をもっていると思って生きている。
ところが、その考えるというのは、どういうことか。思うのとどう違うのか。知るのとの関係はどうなのか。いかなる手順をふんで考えているのであろうか。そういうことを改まって反省することは、まず、例外的であろう。』(引用ここまで)
だいぶ以前に、大江健三郎著『「話して考える」と「書いて考える」(シンク・トーク、シンク・ライトのルビあり)』を
読んだ時にも感じた、その「考える」ことを
根本から問う姿勢が伺える簡潔な文章に、私には思えました。
そして、開口一番の「グライダー」と「飛行機」のお話は、
子どもを身近で観ている者として、思わず大きく頷いてしまう…面白さです。
ちょうど、外山先生と書店員さん
(ロングセラーとして読み継がれていた本が、再び脚光を浴びるきっかけを作った方とのこと。)
との対談を見つけましたので、是非、チェックしてみてください!!
筑摩書房のサイト:http://www.chikumashobo.co.jp/special/shikounoseirigaku
出版されて20数年、
おそらく、お話の内容はさらにもっと時間をかけた「発酵作用」を経て
このような言葉となって、まるで何年もの…といわれるお酒のような味わいを
私の元に届けてくれたのでしょうね。
試験問題にもよく取り上げられているとのことですが…
そんな目的よりも、この本の美味しさを伝える術が何よりも欲しいです。
さて、探し物のついでに
(もう一冊だいぶ以前に購入して、マジメに読まずに放ってあった)
新書に目を通したところ…
ビリビリッと電気が走るかのような…シビレル文章に遭遇してしまいました。
その本はというと、三木成夫著「胎児の世界」デス。
私がその方の名前を知ったのは、茂木先生の関連だったと思いますが
「まえがき」の初っ端を、以下に引用しますと
『 過去に向かう「遠いまなざし」というのがある。人間だけに見られる表情であろう。
何十年ぶりかで母校の校庭に立つ。目に映る一本一草に無数の想いがこもる。「いまのここ」に「かつてのかなた」が二重に映し出されたのであろう。いちいちの記憶が、そこで回想されたのである。』(引用ここまで)
このあとも、作者の語る心地よい流れのままに
その言葉を書き写していたい誘惑に駆られます。
本文の「Ⅰ 故郷への回帰―生命記憶と回想」の
最初の『ふつう「記憶」と申しますと…」の後に続く文章も
声に出して読んでみると、その味わいが何倍にも増して感じられます。
ふと気がつくと「脳のお話」や南の島の「ポリネシア」にたどり着き
もうここまで来ると、作者の思いのままに
コチラは小船に乗って大海原をどこへ行くとも知れぬ旅に出ている心地です。
この行方にご興味のある方は、是非ご一読いただくとして
この本のあとがきに『やはり「機が熟す」というものか…』という言葉がありました。
外山先生の言葉に言い換えれば「発酵作用」であり
「時間の整理作用に委ねる」ことにつながるのでしょう。
さてさて…
こんなふうに、気になる本との出会いを楽しみ…
その言葉を書き写し、そして声に出して読んでみると…
言葉って、時には手に負えない難物にも思えますが
ほんとうに奥深くって、様々な味わいをもたらしてくれる
滋味にあふれるものなのかも知れませんね…
そして、どんなに便利で優れた道具ができたとしても
人だからこそできること、それもいろんな人がいるからこそできることが
きっときっと数限りなくあるような…そんな気がしてきます。
風に揺れるのを眺めながら…30分ほどかけて、歩いて帰ってきました。
そろそろ、雨粒がポツポツと落ち始めてきましたね。
(穴の開いた障子をそのままほったらかして、人様のお手伝い…というのも何ですが)
頼まれると…ついつい引き受けてしまって
先ほどまで、ご高齢の方の病院の付き添いに行って参りました。
傾聴ボランティアの勉強をして良かったなぁと想うことのひとつに
「家族」それもとりわけ老いた親の話を、
なるべく時間をかけて「意識して」聞くことができるようになったことがあります。
マダマダ、上手に聞けているとはいえませんが
近くにいる夫の母や遠くにいる両親との電話の際も
何度も繰り返して聞くような内容だったとしても
以前に比べると「ふ~ん、なるほど~。」と言いながら、気長に聞くことができるようになりました。
「お話をすること」は、それだけでも脳の働きを活性化するらしいので
(根拠は、私には聞かないでください…)
時間の余裕の許す範囲で、構いませんので
おじいちゃんおばあちゃんのお話を聞いてみてはいかがでしょうか。
案外、長年培ってきた「生活の知恵」や「長生きの秘訣」を
教えていただけるかもしれません。
ということで、待ち時間にその方のお話を伺いながら
診察の間に、先ほどの「思考の整理学」を数ページ読み進めました。
まずは、あとがきを引用すると
『 日ごろ考えるということばを何気なく使っている。
これはよく考えなくてはいけないと思うことがときどきおこる。うまく考えがまとまらない、といっては、あせったり、悲観したりすることもある。そして、お互いに、自分は相当、考える力をもっていると思って生きている。
ところが、その考えるというのは、どういうことか。思うのとどう違うのか。知るのとの関係はどうなのか。いかなる手順をふんで考えているのであろうか。そういうことを改まって反省することは、まず、例外的であろう。』(引用ここまで)
だいぶ以前に、大江健三郎著『「話して考える」と「書いて考える」(シンク・トーク、シンク・ライトのルビあり)』を
読んだ時にも感じた、その「考える」ことを
根本から問う姿勢が伺える簡潔な文章に、私には思えました。
そして、開口一番の「グライダー」と「飛行機」のお話は、
子どもを身近で観ている者として、思わず大きく頷いてしまう…面白さです。
ちょうど、外山先生と書店員さん
(ロングセラーとして読み継がれていた本が、再び脚光を浴びるきっかけを作った方とのこと。)
との対談を見つけましたので、是非、チェックしてみてください!!
筑摩書房のサイト:http://www.chikumashobo.co.jp/special/shikounoseirigaku
出版されて20数年、
おそらく、お話の内容はさらにもっと時間をかけた「発酵作用」を経て
このような言葉となって、まるで何年もの…といわれるお酒のような味わいを
私の元に届けてくれたのでしょうね。
試験問題にもよく取り上げられているとのことですが…
そんな目的よりも、この本の美味しさを伝える術が何よりも欲しいです。
さて、探し物のついでに
(もう一冊だいぶ以前に購入して、マジメに読まずに放ってあった)
新書に目を通したところ…
ビリビリッと電気が走るかのような…シビレル文章に遭遇してしまいました。
その本はというと、三木成夫著「胎児の世界」デス。
私がその方の名前を知ったのは、茂木先生の関連だったと思いますが
「まえがき」の初っ端を、以下に引用しますと
『 過去に向かう「遠いまなざし」というのがある。人間だけに見られる表情であろう。
何十年ぶりかで母校の校庭に立つ。目に映る一本一草に無数の想いがこもる。「いまのここ」に「かつてのかなた」が二重に映し出されたのであろう。いちいちの記憶が、そこで回想されたのである。』(引用ここまで)
このあとも、作者の語る心地よい流れのままに
その言葉を書き写していたい誘惑に駆られます。
本文の「Ⅰ 故郷への回帰―生命記憶と回想」の
最初の『ふつう「記憶」と申しますと…」の後に続く文章も
声に出して読んでみると、その味わいが何倍にも増して感じられます。
ふと気がつくと「脳のお話」や南の島の「ポリネシア」にたどり着き
もうここまで来ると、作者の思いのままに
コチラは小船に乗って大海原をどこへ行くとも知れぬ旅に出ている心地です。
この行方にご興味のある方は、是非ご一読いただくとして
この本のあとがきに『やはり「機が熟す」というものか…』という言葉がありました。
外山先生の言葉に言い換えれば「発酵作用」であり
「時間の整理作用に委ねる」ことにつながるのでしょう。
さてさて…
こんなふうに、気になる本との出会いを楽しみ…
その言葉を書き写し、そして声に出して読んでみると…
言葉って、時には手に負えない難物にも思えますが
ほんとうに奥深くって、様々な味わいをもたらしてくれる
滋味にあふれるものなのかも知れませんね…
そして、どんなに便利で優れた道具ができたとしても
人だからこそできること、それもいろんな人がいるからこそできることが
きっときっと数限りなくあるような…そんな気がしてきます。