Little Tree

日々のいとなみのなかで感じた子どものこと、季節の移ろいやこころに映る風景

「漢字には意味がある」・・・?

2008-09-10 09:25:50 | 表現すること
今朝もスッキリと、大好きな水色の空が広がっています。

おかげさまで、昨日は熱も出ずに、体調もマズマズ落ち着いてまいりました。


昨日は、ブログを書いてから慌てて家を出ましたが…

一電車乗り遅れてしまって、駅に着いたのが10時ちょうど。

「はじめのい~っぽ!」の開場は、10時にしておりますが
まだ、どなたもいらしていなくってホッとしました。

低学年二人と高学年二人と幼稚園のお子さんのお母様の5人の参加で
こじんまりとゆっくりと、いろいろなお話ができたと想います。

(ちょうど、養護教育総合センター主催の保護者教室の品川裕香先生の講演会と
重なっていましたので、いつもいらっしゃる方々もそちらに参加されていたようです。

保護者教室と言うのは、年3回ほど開かれていますが
すばらしい先生方のお話を伺えるので、とても勉強になります。)


ひとりひとりの方が、情報を得たり詳しく知り得る範囲は、ある程度限られてしまうと想いますけれど
それぞれの持っているモノを持ち寄って、お互いに交換するという場所があって
ある意味では、そのような「単純なつながり」や「信頼できる関係」があることで

その情報や人とのつながりの持っている価値(と言っていいのか?)のようなものが
その人にとって有効な形で生かされる…ということになるのでしょうか?


むかしむかし、物々交換を始めた人々の様子やら、
それらが発展していく推進力のようなものとは、いかなるものだったのでしょうか?

そんな基本的なことなどについて、小学校から高校までに
社会科の授業をを聞いていながらも
「ちゃんと理解できていなかった」のでしょうか?
それとも「実際の生活に結びつくような形で、捉えることができていなかった」のでしょうか?

恥ずかしいことに、今頃になってウロウロしながら気になって仕方のない私です。


ところで…お話は飛びますけれど

気がかりのある子どもを育てる母親が集まって、
気になる学習として出てくる話題が「漢字の書字」ではないでしょうか?

中には、「漢字がお得意」というお子さんもいらっしゃるかもしれませんけれど…

彼らの持っている良いところを見つけて、伸ばしていくこと
できないことを無理してやることが、得策ではないと言われていますし

その辺りの見極めや折り合いをどの辺りでつけていくのかと言うことが
親として一番悩むところかもしれませんね。

特に気にもならない方には、なかなか理解しにくいかもしれませんけれど

「たかが漢字」と言ってしまえばそれだけのことなのに…
たいていのことに、ついて回ることなので
そうそう簡単には割り切れないところがあるんです。


昨日もkirikouに聞くと、(なかなか言わないながらも)

「漢字ドリル○○ページまで」と「漢字についての調べ学習」が出ているとのこと。

ドリルは、このところ「やや遅れ気味」になりつつも、何とか投げ出さないで取り組んでおります。

(読むことは、何とかできるものの…定着率は、残念ながら申し上げるまでもなく)

昨日の授業で、パソコンで「漢字についての調べ学習」をしていたらしいのですけれど
どうも、検索してもお目当てのことにヒットしないらしくって
あきらめかけていたようです。

家に帰って、夕飯もすんで8時を過ぎてから、そんなことをポロッと口にするので

聞いてみても、いまひとつ『何を調べたいのか?』がハッキリと伝わってきません。

「検索に入れるキーワードを、もう少しよく考えていろいろと入れてみたら…」と言って
9時までパソコンを使う許可を出しました。

一緒に横で見ながらアレコレするうちに…

「コレコレ!同じ読み(音のこと?)なのに、
違う意味の言葉があることを知りたかったんだぁ!」ということで

本人にとって知りたいことの書いてあるサイトが見つかったようでした。

プリントアウトして、ノートに書き写すのは面倒だったのでしょうか
ランドセルの中に、突っ込んでおりました。


漢字は、それぞれ意味があるからオモシロいし覚えやすい…ということも聞きますけれど

イザ『書くとなる』と、私自身も(昔から得意ではありませんでしたが)

今となっては、kirikouに漢字を聞かれるのもドキドキするくらい
スッカリ怪しくなってしまいました。

これからの子どもたちが、できれば本を読むことが億劫ではないくらいになるといいのに…

このままでは、漢字が嫌なものになるばかりで、
漢字のもつ豊かな世界が遠くなってしまわないかしら~?

なんてことが、どうにも気にかかってなりませんでした。

それぞれに持っている漢字との付き合い方の苦手さは、仕方がないとしても
何かしらの工夫によって、それらを補っていきながら

(その形や付き合い方が少しずつ変化していくのも、致し方ないと想いつつ
ただ単に、切り捨ててしまうのではなくて)

せっかく、長い間培ってきた素晴らしいものを、
何とか伝え残していく事ができたら良いのになぁ…

なんて想うのは…私が、年をとってきたせいなのでしょうか?


さて…

そろそろ、朝の小さなおしゃべりを終えましょうね…

皆様も、お気持も晴れ晴れと、お健やかな佳き一日をお迎えくださいネ!!


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