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Little Tree

日々のいとなみのなかで感じた子どものこと、季節の移ろいやこころに映る風景

櫻灯路さまのこと・・・

2006-08-05 07:02:14 | Weblog
ここに記すことが、よいのかどうかもわかりません…

さくらを愛で、さくらとともにあることを
何よりもお望みでいらした櫻灯路さまが、あちらに旅立たれました。


私の書いたブログの「さくらの想い出」という記事に
櫻灯路さまがコメントくださったのは、6月のことでしたから
それからまだひと月と少ししか経っておりませんので

ほんのわずかなひと時に、いくつかの言葉を交わしたきりです。

けれど、その思慮深くて、真摯で、おやさしくて
ほんとうに美しいお心を、お持ちでいらしたことは

お目にかかったことのない私にも、ほんとうにつよく伝わってくる方でいらっしゃいました。

そのお書きになったものを、折にふれて読ませていただいておりましたが
言葉も絵もお気持ちのまっすぐなお人柄そのままの
ほんとうに、素敵なものばかりです。

お身体に、ご心配がおありでしたのに
やりたいこと、かなえたいことがたくさんあって

きっとご無理を重ねてしまわれたのでしょう
今、何を申し上げても、悔やんでも悔やんでも、悔やみきれません。

ご家族の方やご友人、お仕事やその他で関わりのあった方々のご心痛がいかばかりか
図りようもありません。


なんとお声をおかけすればよいのやら、それすら思い浮かびません。


けれど、櫻灯路さまが、生きて語られた言葉や絵の中には

やはりそのお人柄そのままの櫻灯路さまが、今も生きていらっしゃるように
私には思えてなりません。

お身体は、今ここになくとも

その気配や、その想いやお志とともに、いまこの身近にいらっしゃるような気がしてなりません。

とても、すぐには心の整理はつきませんが

きっと、いつか、時を経て、語り合うことができるような

あわくも、はかないねがいとともに、ここに言葉を残しておきたいと想います。



その出会いと櫻灯路さまからいただいたお言葉を、胸に刻みつつ…




一樹の櫻 (櫻灯路)    2006-06-21 16:03:06

 雪月花さんのところから 飛んで参りました 
櫻と聞くだけで 血が騒いでしまいます 
と言うのも櫻山を造る計画で 頑張っています 
資金に問題はなさそうですから 地べたの選定でしょうか 
今8人のチームで躍起になっているところです
 櫻を通して 日本人としての誇りを取り戻し 
季節感を最も大切にする国民であって欲しい願いですね 
何だか角ばってしまいましたが 僕のブログの主に三月の欄を御覧戴きたく
 過去全国の櫻を観て来た思いの丈を綴っているつもりです 
ちなみに仁和寺は 当家の菩提寺です
 何だか意気がって書かせて戴いたようで とっても嫌ですが 
最初のご挨拶と お許し下さりたく 有難う御座いました





仁和寺が菩提寺とは!! (風待人)     2006-06-21 18:06:55

櫻灯路 さま

はじめまして、ようこそお越しくださいました。

もう何年も、仁和寺も京都も訪れておりませんが
“そのときの記憶”は、いまも深く心の奥に存在しています。

私も、桜は大好きですが
櫻灯路 さまは『全国の櫻を観にいらしていらっしゃるとのこと』

いにしえ人のこころを想像しても

さくらの花の持つ「人を魅了してやまない不思議さ」を
改めて強く感じました。

櫻灯路 さまや雪月花さまのような
趣のある美しい雰囲気を、お伝えするには

まだまだ未熟な私ですが、自分のこころに映るもの・ことを
真っ直ぐに見つめていくことは、心がけていきたいと想っています。

こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします!!




ほんとうに、もっともっとたくさんのお話を、ご一緒に、させていただきたかったです…


櫻灯路さまの御魂の安らかならんことを 心より お祈り申し上げます。






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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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寂しいです (花ひとひら)
2006-08-08 18:56:01
櫻灯路さまとは、言葉を交わしたことは有りません。しかし訪問はさせていただいて、その花への熱い気持は本物だと感じておりました。

本当に残念ですね。



夏の花には人それぞれに感じる鎮魂歌が有るでしょうが、私はタマスダレの白い花にオショライトンボ(おはぐろとんぼ)が止まっていると、とても寂しく悲しくなります。そんな気持です。

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花に、空に、風の気配に・・・ (風待人)
2006-08-09 07:08:34
花ひとひら さま



此方にいる私には、ふとした瞬間



道に咲く花や見上げた青い空や白い雲や流れる風の中に



櫻灯路さまがお遺しになったことばが気配となって



ほんとうに身近に感じられるような気がしています。



彼岸とやらがあるのかどうかは、別として



ふと櫻さまを想い出し、咲く花を想うとき



きっと、目には見ることはできずとも

そこに櫻さまがいらっしゃることを、信じている私がいると思います。



(最近、瀬戸内寂聴さんの「釈迦」を読んで、私はとても感じ入りました。)

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