先日、授業参観のお話をしてから、目の前のことをひとつずつこなすだけで
日々の時間が、いつの間にか過ぎていくような気がしておりました。
気になっている本を読んだり、出かけたりもしておりましたので
皆さまに、お話したいことがないわけでもありませんでしたが
なぜなのでしょうか、何かを書こうという気のおこらないことがあるようです。
振り返ってみると、少し動きすぎていたり、無理を重ねていたりして
自然と、どこかから「お休みしたほうがいいよ~」と
ささやく声が聴こえてきたのかもしれません。
(おそらく幻聴のようなものではないと思いますので、ご心配なく…)
ということで、またあれこれ振りかえって、お話しながら
いくつか、気になることをご紹介できたらいいかしら…と想っています。
日曜日は、曇り空と急な雨降りの中で
子どもたちの「地区スポーツ大会」がありました。
実は、2カ月ほど前に、近所のDちゃんが子ども会のソフトボールをはじめるというので誘われて
kirikouも、夫と一緒に練習に体験参加したところ
本人から「ボクもやってみる」という意思表示がありました。
その後、夫と一緒にグローブを買いに行って(もちろん二人分)
何度か、キャッチボールをしたりして、練習にも前向きに参加していました。
とはいえ、もともとボールを投げるのも、それほどうまくはできませんし
TVで野球を見ることも、まったくといっていいほどありませんから
ルールもよくわからないままでしたが
なぜか、走ることは(速くはないまでも)意外に得意のようで
できないながらも、初めてのスポーツにやる気を見せていました。
このチームは、4年生とまだ初めて間のない3年生が中心なので
試合をするには、まだまだ不安が大きい様子で
第1試合は、緊張もあって大量失点で負けてしまい
第2試合も負けてしまいましたが、みんなでほんとうにできることをがんばっていて
その一生懸命さが伝わってきて、とてもうれしく感じました。
私は、両親が野球を見るのがとても好きだった影響で
実際にやることはありませんが、野球のプレーの一通りのことは理解できます。
始めたばかりの子どもたちが、投げたり、取ったりすることだけでなく
そのボールを、どこに投げればいいのかを、判断するのがどんなに大変か
また、チームで行うスポーツの難しさも、ある程度はわかるつもりなので
この先、kirikouが、どんな風に練習して、それなりに成長していくのか…
どこまで、続けていけるのか…、楽しみなような、少し心配な気がしています。
どちらにしても、体力をつけたり、人との関わりを通して
いろいろなことを学ぶ良い機会になるといいですね。
(難しい課題ということを承知した上で、無理をしないことも忘れずに…)
さて、月曜日は先日もご紹介した茂木先生の東京芸大の美術解剖学の講義がありました。
今回は、NOISM ー身体表現の方法論と可能性ーというタイトルで
新潟本拠の日本で初めての画期的なダンス・カンパニーNOISMを率い
今世界的に注目されるコンテンポラリー・ダンサー&コレオグラファー演出家の
金森穣さんをお迎えし、
身体表現の方法論とその可能性について語っていただきます。
(以上クオリア日記より引用) という講義で、音声ファイルもあります。
この一年ほど、呼吸と声のトレーニングや演劇のワークショップに参加したり
朗読や、宮沢賢治の物語を中心にした演劇などに関心が向いて
表現というものに、とても興味がわいておりました。
回数は限られていますが、できるだけ実際にお話を伺ったり
その人から発せられるものを、ライブで感じることのできる機会を
もちたいと思うようになりました。
金森さんのHPでお書きになっていることが、とてもオモシロく感じて
『身体表現』というものと、
型や振り付けというものの中からも、どこか、その人の持っている
「人としてのナニモノカ」が、たち現れてくることの不思議さとの
ふたつのことについて、とても知りたくなって
また、抑えがたい衝動に誘われて、上野まで出かけてしまいました。
その若いみずみずしい感性と、すっきりと自らの足で立っている姿の美しさと
ものごとを、突き詰めて見通す意思の強さと
劇場を、そしてダンスを通して「表現する」ということを、背負って立つという責任感と志向するものが
私のような、フツウの人の目から見ても、輝き出していることが感じられました。
実は、上野公園駅までの帰り道で、ほんの少しだけ直接お話をすることができました。
集団を率いて、何かを追い求めることを苦にすることなく、
さわやかにお話しするご様子と、『自然体で…』という言葉を伺って
ほんとうに、素敵な未来を予感させる方であることを確信いたしました。
ぜひ、ダンサーとしての金森穣さんの表現を、実際に体感してみたいと想いました。
おそらくダンスだけではなく、いろいろなスポーツにしても
身体を使いながらも、そこには、精神性がもとにあって
そのいろいろなことが、どこかでつながっているということを
強く感じるひと時でした。
私たちの何気ない日々の流れの中でも、
そのことはどこか同じことなのかもしれません…
日々の時間が、いつの間にか過ぎていくような気がしておりました。
気になっている本を読んだり、出かけたりもしておりましたので
皆さまに、お話したいことがないわけでもありませんでしたが
なぜなのでしょうか、何かを書こうという気のおこらないことがあるようです。
振り返ってみると、少し動きすぎていたり、無理を重ねていたりして
自然と、どこかから「お休みしたほうがいいよ~」と
ささやく声が聴こえてきたのかもしれません。
(おそらく幻聴のようなものではないと思いますので、ご心配なく…)
ということで、またあれこれ振りかえって、お話しながら
いくつか、気になることをご紹介できたらいいかしら…と想っています。
日曜日は、曇り空と急な雨降りの中で
子どもたちの「地区スポーツ大会」がありました。
実は、2カ月ほど前に、近所のDちゃんが子ども会のソフトボールをはじめるというので誘われて
kirikouも、夫と一緒に練習に体験参加したところ
本人から「ボクもやってみる」という意思表示がありました。
その後、夫と一緒にグローブを買いに行って(もちろん二人分)
何度か、キャッチボールをしたりして、練習にも前向きに参加していました。
とはいえ、もともとボールを投げるのも、それほどうまくはできませんし
TVで野球を見ることも、まったくといっていいほどありませんから
ルールもよくわからないままでしたが
なぜか、走ることは(速くはないまでも)意外に得意のようで
できないながらも、初めてのスポーツにやる気を見せていました。
このチームは、4年生とまだ初めて間のない3年生が中心なので
試合をするには、まだまだ不安が大きい様子で
第1試合は、緊張もあって大量失点で負けてしまい
第2試合も負けてしまいましたが、みんなでほんとうにできることをがんばっていて
その一生懸命さが伝わってきて、とてもうれしく感じました。
私は、両親が野球を見るのがとても好きだった影響で
実際にやることはありませんが、野球のプレーの一通りのことは理解できます。
始めたばかりの子どもたちが、投げたり、取ったりすることだけでなく
そのボールを、どこに投げればいいのかを、判断するのがどんなに大変か
また、チームで行うスポーツの難しさも、ある程度はわかるつもりなので
この先、kirikouが、どんな風に練習して、それなりに成長していくのか…
どこまで、続けていけるのか…、楽しみなような、少し心配な気がしています。
どちらにしても、体力をつけたり、人との関わりを通して
いろいろなことを学ぶ良い機会になるといいですね。
(難しい課題ということを承知した上で、無理をしないことも忘れずに…)
さて、月曜日は先日もご紹介した茂木先生の東京芸大の美術解剖学の講義がありました。
今回は、NOISM ー身体表現の方法論と可能性ーというタイトルで
新潟本拠の日本で初めての画期的なダンス・カンパニーNOISMを率い
今世界的に注目されるコンテンポラリー・ダンサー&コレオグラファー演出家の
金森穣さんをお迎えし、
身体表現の方法論とその可能性について語っていただきます。
(以上クオリア日記より引用) という講義で、音声ファイルもあります。
この一年ほど、呼吸と声のトレーニングや演劇のワークショップに参加したり
朗読や、宮沢賢治の物語を中心にした演劇などに関心が向いて
表現というものに、とても興味がわいておりました。
回数は限られていますが、できるだけ実際にお話を伺ったり
その人から発せられるものを、ライブで感じることのできる機会を
もちたいと思うようになりました。
金森さんのHPでお書きになっていることが、とてもオモシロく感じて
『身体表現』というものと、
型や振り付けというものの中からも、どこか、その人の持っている
「人としてのナニモノカ」が、たち現れてくることの不思議さとの
ふたつのことについて、とても知りたくなって
また、抑えがたい衝動に誘われて、上野まで出かけてしまいました。
その若いみずみずしい感性と、すっきりと自らの足で立っている姿の美しさと
ものごとを、突き詰めて見通す意思の強さと
劇場を、そしてダンスを通して「表現する」ということを、背負って立つという責任感と志向するものが
私のような、フツウの人の目から見ても、輝き出していることが感じられました。
実は、上野公園駅までの帰り道で、ほんの少しだけ直接お話をすることができました。
集団を率いて、何かを追い求めることを苦にすることなく、
さわやかにお話しするご様子と、『自然体で…』という言葉を伺って
ほんとうに、素敵な未来を予感させる方であることを確信いたしました。
ぜひ、ダンサーとしての金森穣さんの表現を、実際に体感してみたいと想いました。
おそらくダンスだけではなく、いろいろなスポーツにしても
身体を使いながらも、そこには、精神性がもとにあって
そのいろいろなことが、どこかでつながっているということを
強く感じるひと時でした。
私たちの何気ない日々の流れの中でも、
そのことはどこか同じことなのかもしれません…