goo blog サービス終了のお知らせ 

青葉城恋唄

仙台生まれ、仙台育ちの40代女性。
日々の生活で考えたことを記す雑記帳。

被害報告。

2012年08月30日 | じしん
今朝、地震がありました。


我が家の被害。

こけしちゃん達が・・・。


カタカタと小さな揺れがグラッと大きくなる。
「大きいね」「ね」と話している内に収まってきたので
そのまま寝ました。

昼近くに起きたらメールが何件か。ありがとう。
我が家の体感震度は4くらいかな。

嬉しい出来事。

2012年06月17日 | じしん
小さな声にも耳を傾けること。


北九州市で震災がれき受入れ賛成集会があったそうです。
「市民全体が反対していると思われては心外」だという理由で。

そうだろうとは思いながら、
そういう声を聞くのがなかなか難しかったので、
この出来事は嬉しかった。


ありがとう。

悲しい連鎖

2012年05月25日 | じしん
偏見は偏見を呼び。何が真実なのかわからなくなってしまう。

北九州市で石巻の震災がれきの受け入れに対し、
市民が抗議行動を起こしていたというニュースを見た。
逮捕されたのは北九州の人ではないみたいだけど。

そして今度はその北九州市への修学旅行を延期した松山市の学校のニュース。
保護者全員が不安の声を学校側へ訴えた結果という。




こういうニュース、怒りを通り越して悲しくなってしまう。



こんなニュースが流れたら、
ますますがれき受入れをしてくれる自治体がなくなってしまう。

本当は九州へがれきを運ぶ事はコストがかかって大変なのかも。
それでも、そうでもしないと被災地のがれきがなくならない現状があるのでは。
受け入れてくれた自治体には感謝の念しかない。
それによって新たな誤解と差別が生まれてしまったのなら、
申し訳ない気持ちになる。


持ち込まれたがれきが本当に安全かどうかは、私は言えない。
自治体が発表した数値を信じるしかない。

でも、もともと原発から100km以上離れている石巻のがれき、
それを一部受け入れた北九州市の空間線量がどれだけなのか、
松山市の人たちもちょっと考えたらわかってくれるんじゃないのかな?

変わっていくもの

2012年01月10日 | じしん
実家に行く途中。


荒巻セントラルプラザ(通称:センプラ)。の入っているマンション。

取り壊されることになっているそうです。
センプラも今は閉店しています。

私が子どもの頃からあった建物でした。
この交差点も様変わりしたな~。

感謝。

2011年09月20日 | じしん


みんなからの支援物資を入れて台所に置いていた紙袋。
今日、空にしました。

飴とホッカイロはまだ残っているけど、
最後の食事となったのはおでん。
食べる前に暑くなって来たのよね~。

乾燥した、寒い季節がまたくる。
のど飴もホッカイロもまた使うよ。

ありがとう。

節目。

2011年09月11日 | じしん
半年が経った。

今でも、あの日の夜に感じた気持ちは忘れられない。
神経が張り詰めて、心臓がドキドキと脈打って、興奮と不安で眠れない。
そのくせ、翌日の朝のことが思い出せない。
いつの間にか眠って、眠った実感もないまま目覚めたのか。


大きな揺れでも生き残ったという安心感。
続く余震の不安。物資がない中での生活。
窮屈で不便な思い。「もし・・・だったら」という恐怖。迷い。
いろんな感情がないまぜになって、しばらくは涙も出なかった。



空腹を満たすためだけの、鍋から直接食べたインスタントラーメン。
そのおいしさは覚えている。


電気が戻る前の、星空がきれいだった夜。
車も明かりも少ない街は、キリリとした冷たい空気も相まって、
いつもよりも空気が澄んでいるような気がした。

静かで寒い街。
いつもよりもむしろ人出が増えた商店街。
何かを求めて、でもその「何か」がわからないまま歩く。
いつもは挨拶をするだけの人たちが、立ち止まり、情報を得ようと話し込む。

両手にいっぱいの荷物を抱え、一様に疲れた表情は、
経験したことがないはずの戦後の風景を思い起こさせる。

店の前に炭火のコンロを出して牛タンを焼いていた店。
手書きのメニューを出して、その日に出せるものを売っていた店。
被災した人たちのため。
そして、
従業員のため。自分のため。

ずっと前のことのようにも思えるし、つい先週のことのようにも思える。
街並みはすっかり元に戻ったけれども、爪痕は確実に存在する。
日常が戻ってくるにつれ、ついつい忘れそうになるけれども、
ふと垣間見えるその痕跡にハッとして、記憶がよみがえってくる。



家のテレビがカタカタと揺れると、この揺れがすぐに大きくなるのでは、と思う。
今のところ、その心配は杞憂に終わっているけれど。



311から半年・911から10年。
ここ数日でよく耳にするフレーズ。
片やアメリカを襲ったテロ。
片や日本で起こった自然災害。

共通しているのは、
まだ終わっていないということ。
そして、
また必ず起こるだろうということ。


その時、今いる私達は誰も生きていないかもしれないけど。

だからいいってわけではないのだ。