gooブログはじめました!

健康的食生活のための情報を発信です。
1980年以前の中学に家庭科、未必修の男性諸氏に医療従事者を含め必要かも。

[五節句]食生活について語ろう

2023年01月06日 | 美容ダイエット

◎五節句Five festivals ごせっく
  年中行事の中に五節句がありますが節句の行事は、中国より奈良時代に伝えられ季節の節目に、季節を感じ心豊かに暮らせること、体調を崩しやすい季節の変わり目に「無病息災」を願い豊作、健康、子孫繁栄を人々がお互いに無事に過ごせることを神に祈り食物を供(そな)え祝う行事です。日本では、稲作を中心として五穀豊穣の願いが込められています。
五節句(1/7人日〈にんじつ・じんじつ〉3/3上巳〈じょうみ・じょうし〉 5/5端午 7/7七夕〈しちせき〉 9/9重陽〈ちょうよう〉が設けられてきました。節句は江戸時代以前は節供(せっく)と書かれ神や人に食物を供することを意味し古代中国で陰陽五行説より奇数は、陽数で奇数の重なる日を縁起のよい日としてきました。1月だけは、別格で1月7日(七草)となっています。

◆1/7人日〈にんじつ・じんじつ〉
   もともとは中国から伝わった風習で、正月1日(鶏)、2日(狗・犬)、3日(猪)、4日(羊)、5日(牛)、6日(馬)、7日(人)として遊牧民の家畜を大切にする思いからその日は、殺すことを避け、占いの日ともされ7日は人の刑の執行はされない日としていました。七草粥を食べる風習は室町時代より始まっているとされ、江戸時代に一般的に広まったといいます。7日の朝に七草粥を食べ、家族の無病息災を願います。万病を払うという七草粥を食べて厄払いをしましょう。春の訪れを感じさせ、お正月のご馳走を食べ過ぎたお腹を軽くし明日の元気を取り戻すことができますね。
江戸時代には疫病の流行で多くの人が命を落としました。七草ばやしが、いつしか作られ、そこに出てくる唐土の鳥というのは、その病原菌は大陸から渡ってくる鳥が持ってくるとされその害鳥を追い払いその年の豊作を願うという考えがありこの歌が生まれ、七草粥の行事と結びついていったとされています。
七草ばやしを唱えながら、作る慣わしが残っています。
本来七草粥の準備は6日の晩、まな板の上で包丁、すりこぎ等で7草を刻みながら七草ばやしを歌うという作法です。
「七草なずな、唐土(とんど)の鳥が、日本の国(土地)に渡らぬ先に、七草(手につみいれて)揃えてスットントントンのトン・・・・・ホイホイ」などと唱え包丁で調子を取って刻む風習とされます。
【春の七草】
 春の七草といえば、せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろをいいますが何か特別な野菜のように思えますがこれは至ってシンプルなのです。春の七草として健康のためのもの、秋の七草は、目で楽しむものといわれています。

1.せり セリ[競り勝つ]
セリ科、香りの成分で、ピラジンが血栓を作りにくくし血液凝固を防ぎ血行をよくし、肝機能を強化する。民間療法で、食欲増進、健胃、便通をよくする、発汗を促し解熱、保湿作用があり冷え性、神経痛、リウマチによいとし用いられる。

2.なずな ナズナ[撫でて汚れを除く]
 アブラナ科、一見タンホポの葉と間違えやすいですが大きくなると三味線のばちをした実をつけるどこにでもみられる雑草です。ぺんぺん草と呼ばれる。まだ実をつけない早春に摘み取ったものはお浸し、和え物にくせもなく食べられる。消化機能を助け精神を安定させる。

3.ごぎょう ゴギョウ(御形)[仏体]
 キク科、ハハコグサが一般的名称でままごと遊びによく使われたりしたようで私はあまり記憶にないですが葉っぱが使われていたので葉っこ草といわれていたのがハハコグサに変わったようだ。よもぎをもち草とするまでもち草ととして使われていたといわれる。健胃、咳止め、冷え性に利用されてきた。

4.はこべら ハコベラ[繁栄が蔓延(はびこ)る]
 ナデシコ科、ハコベで小鳥の餌にされているもの、胃炎、胃弱によく整腸作用があるという。

5.ほとけのざ ホトケノザ[仏の安座]
 キク科、なずなに似た形をしており切り口から白い汁が出てくるので区別している。ほとけのざは、どの草をあてるか疑問視されていたがコオニタビラコといわれる。痛みに効く。

6.すずな スズナ[神を呼ぶ鈴]
  アブラナ科、かぶ、我が国古来のアブラナ科の野菜で7、8月の生産は少なく春(3月)と秋・冬(11~2月)に多く市場に出まわる。成分は、大根に似てジアスターゼ(消化酵素)、イソチアシアネート(辛味成分:老化防止)を含む。

7.すずしろ スズシロ[汚れのない清白]
 アブラナ科、大根をさしている。辛味成分(生育初期、根の部分に多い)は、イソチオシアネートの脂肪分解・ピロリ菌撃退作用を有する。アミラーゼの消化酵素がおおい。ビタミンCは、内部より外皮に近いほど多く含む。その他にオキシターゼ(ポリフェノール酸化酵素:蛋白質、脂質分解、発ガン物質〈こげ:ベンツピレン〉抑制、解毒作用)、カタラーゼ(酸化還元酵素:成分損失、変色に関与)、グリコシターゼ(配糖体加水分解酵素:栄養の吸収をよくする)の酵素を含んでいる。

 これらの新芽を摘んでよく水洗いして軽く茹でたほうが食べやすいと思いますので軽く茹でてみじんに刻んだものをお粥に入れ塩を振り入れ戴きます。七草粥を食べて一家の厄払いをして今年一年健康に過ごす願いが込められているのです。


◆3/3上巳〈じょうみ・じょうし〉桃の節句・雛の節句
 上巳の節供(せっく)、元巳(げんし)ともいわれていました。上巳は、旧暦3月の上旬の巳の日というで古くは、3日とは限らなかったようです。 
  雛人形、桃の花を飾って女の子の成長を祝います。雛あられに、菱餅、白酒をお備えして、散らし寿司、蛤の潮汁を戴きます。いつ頃からこのような風習、習慣が出来あがっていったのでしょうか。平安時代に、流し雛の風習が生まれ雛は、「ひいな」ともいい、ヒナどりからもわかるようにかわいいという意味があります。人形のことをひいなといっていました。子供達に災いがかからないように、紙で作られた立ち姿の人形「ひいな」に託して海、川に流す、ならわしが宮中から始められていったと伝えられます。
 それが江戸時代に入り華やかになり段飾りの座り雛(すわりびな)に変化していったものと思われます。雛あられは、残ったご飯を保存する為に乾し飯(ほしいい)として保存し、食事時に水で戻し炒ったものでそれに四季を表す白、緑、赤、黄の色をつけ、お祝いの日に今年1年の子供の無病息災、健康を願っていたのです。菱餅にもその願いが込められ色々説がありますが、ひし形については、心臓をも意味し形づくって大切なものであり、それに3色の白、緑、赤で着色して季節をも表したり、薬用植物のよもぎ(緑)、菱の実(白)、くちなしまたは、紅花(赤)を使いひし形にして菱の実の四角い突起のある形にして魔よけにした言い伝えなどがあります。旧暦で3月3日は、現在の新暦の暦で4月初旬、季節の桃の花を飾ってピンクと白酒の白で縁起がよいですね。春を待って華やいだチラシ寿司と季節の旬の食材の蛤を使って女の子の健康を分かち合うひな祭りの行事となっていったのです。


            *蓬 よもぎ
  キク科、日本、中国を主産地とする。春3~5月に新芽が出た頃の軟らかい葉を摘み取り軟らかめに茹で水にさらし苦味を抜き多くは草もちの材料とし塩漬け、冷凍し保存される。茹で晒したものをそのままお浸し、汁の実、炊きこみご飯、佃煮に、またすり鉢でよく擦って上新粉、白玉粉とよく混ぜ弥生3月の草もち(よもぎ餅)に利用される。主に草もちに利用されることからモチグサともいう。根をよく洗いよもぎ酒、新芽の若葉を青汁、粉末としたり、綿毛を乾燥させもぐさの原料としている。葉緑素が毛細血管の拡張、抗アレルギー、免疫力を高める。グリーンのすがすがしい香りがあり精油(シネオール)しアロマセラピー(芳香療法)に用いられる。


◆端午の節句 5/5端午
  端午の節句の端ははじめ、はじまるということを意味し、午(ご、月のはじめのうま)は五に通じ、5月のごと午のごが重なり端午で五月初めの五日になったと伝えられます。当初は必ずしも5月とは限らなかったといいます。
5月は、病気、災(わざわ)いの多い月で中国ではものを弔(とむら)う邪気払いの月となっています。そして、その風習は、病気や災厄(さいやく)を除ける大切な宮中行事、端午の節句となったと言われています。五が重なることから重五、重午(ちょうご、ちゅうご)、端五の節句ともいいます。
  一説では、楚(そ)の詩人、屈原(くつげんBC340~278)祖国の、いく末を案じ川に身投げしてしまい、楚の国民が屈原が川魚の餌食(えじき)にならないようにと供養に竹筒にもち米を入れ投げ入れた日が5月5日でその命日とされ、また粽(ちまき)の由来とされます。時が流れて後、中国の三国の時代、端午の節句は、魏(ぎAD220~265)の国により旧暦五月五日に定められ、やがて日本にも伝わって行きました。

日本の端午(たんご)の節句は、奈良時代(8C)より中国から伝わり、よもぎや菖蒲を使って厄除けを行ったことが始まったとされます。古くから続く行事です。武士のあいだでは尚武(武をたっとぶ)の気風が強く、「菖蒲」と「尚武」をかけて、端午の節句を尚武の節日として盛んに祝うようになりました。
江戸時代になって菖蒲は、尚武に通じ武者人形が飾られ、鯉の川登りからどんな環境でも苦難を乗り越えで立派な人になるように天への祈りも込められ鯉のぼりを飾るようになったといわれます。柏餅は柏 の葉が、縁起が良いことなどにより使われています。
端午の節句に、菖蒲(尚武に通じる)と蓬(毒、邪気を払う)を軒先に吊るし悪疫を払うという行事があり利用されてきたのです。

          *柏(槲)の葉 かしわのは
  ブナ科、落葉高木で樹高15mほどに成長、雌雄同株(しゆうどうしゅ)の花を4月に咲かせる。葉の縁が波型をしている。葉が大きく若葉が、食物を包むのに食器代わりにしていて柏の由来は、炊事に使われる葉を以前は柏としてたが現在では柏(ブナ科)だけになっている。柏の葉が使われ炊ぐ葉(かしぐは)として利用、食物を盛り付けていたことから柏といわれる。柏の葉は、薬効があるとも言われるが新芽が出てくるまで古い葉が落ちないで子孫繁栄と長命祈願から使われる。縁起が良いこと神殿に祈りをして手を打ち武運を祈願している形と柏餅を包んでいる形と似ている事から柏(かしわ)手を打つに通じている。縁起ものとして5月の節句に柏餅の葉に使われ柏の葉で餅を包んでいたと思われる。秋にどんぐり(ブナ科の木の実)の堅果をつける。

          *菖蒲 しょうぶ
  サトイモ科、全国的に分布する多年草で高さ50cm、剣状の葉を伸ばしさわやかな特有の香りを持つ。強い香りが邪気を払うと信じられ菖蒲湯、菖蒲(しょうぶ)酒として万病の薬、福を招き、魔よけになり長生きができると言われる。菖蒲酒は菖蒲の茎、根を細かく刻んで入れた酒で、特有の香りで邪気を払う。5月という月が「忌み月」(梅雨の時期で田植えを間近に控え身体を清める月)であったことから、邪気を払う意味が込められた。菖蒲は、尚武に通じ、葉が剣(つるぎ)5月の節句の武者人形として飾られている。香り成分が血行をよくし冷え性、神経痛、肩こりによいとされる。


◆7/7七夕〈しちせき〉笹の節句
七夕 たなばた
中国からの伝説により牽牛星(けんぎゅうせい)は、農耕、織女星(しょくじょせい)は、養蚕の機織(はたおり)としての豊作祈願の神としてあがめられています。
星に技芸の上達を祈る行事として乞巧奠(きこうでん)といわれ、伝わり又、織りあがった布を祖先の御霊にささげることもあったようです。それが日本に伝来し奈良時代に宮中行事として行われるようになったのです。
お盆の行事が七夕より始まり、お盆前の先祖を迎える為のみそぎ(けがれを払う)であり、七夕も祖先を祭る行事のひとつに数えられています。胡瓜、茄子の収穫された時期に御霊(みたま)がその馬に乗ってやってくるのです。

新暦では7月初旬は梅雨の時期、田舎では、収穫の時期である8月にお盆を迎えるのは理にかなっています。都心、都会の東京、横浜、函館、静岡と金沢の旧市街地などは、新暦の7月にお盆を行っています。8月の盆は帰省と重なって風習に沿って、月遅れの七夕祭りが行われていますがこれは旧暦に習って、8月の七夕も納得されます。

江戸時代になると民衆への広がりを見せ、願い事を短冊に書いて竹さおに飾るようになりそれが定着し現代まで続いています。牽牛と織り姫が年に一度会うことができるのは恋愛の成就を願ったものです。中国の行事とそれらから発展した日本の風習があわさって今日の七夕の行事となっているのです。素麺は天の川、機織の糸を表しているといいます。
最近では七夕餅といっていろとりどりの餅が笹の葉に包んであったり趣向が凝らされています。

 平安時代(10世紀ごろ)の延喜式(えんぎしき)に7月7日の七夕に索餅(むぎなわ)を供えそうめん類の麺類を食べるという風習の記述があることから乾麺普及協議会などが1982年(昭和57年)に乾麺の日を制定しています。

索餅は、小麦粉、米粉、塩で作られた今のうどん状のようなもので、主に儀式や信仰行事の際に用いられていました。平安時代後半(12世紀後半)の今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)に索餅(むぎなわ)が平安京の市で売られ蛇に化けた話まで登場し一般化していったようです。のちのひもかわ、うどんの元になっているとされています。


           *饂飩 うどん
  うどんの歴史は、古く紀元前6世紀にもさかのぼってアジアで作られていたという。日本には奈良時代に中国の唐より伝来し当時は煮て食べることから温飩(うんどん)と呼ばれそれが変化したのが語源とされる。
乾麺が製造されるようになったのは、明治に入ってからで比較的新しい。製法は、板状にしたものを細く切る、ひも状に引き伸ばす、圧力をかけて細い管から押し出す方式の3種にわけられる。
製品としては、インスタントカップ麺、茹で麺、生麺、乾麺が、その種類は、太麺、細麺(角・丸)、冷麦、素麺、ひもかわ、きしめんがある。中力粉に食塩水を加えこねて伸ばして製麺機にかけて作られるのが一般的に行われている。食感をよくするのに強力粉を混ぜることもある。
うどんは、粘ちょう性、弾力性のあるものが好まれている。腰の強いうどんのなかには、日本では栽培の難しい輸入物の強力粉が使われのどごしのよいつるつるとした食感を出している。

煮込みうどん、鍋焼きうどんは、加熱時間が長いので太めのこしの強いうどんを使うことで弾力性を損なうことなく食べられる。つけ汁によってもうどんの美味しさに影響するのでだし、具にも工夫がこらされる。

秋田の稲庭(いなにわ)うどん、名古屋のきしめん(ひもかわ)、香川の讃岐(さぬき)うどんが全国的に有名。

 

◆9/9重陽〈ちょうよう〉
  9月 9日菊の節句 重陽の節句、中国では、奇数は縁起のよい陽の数であり一番数の大きい陽の数の9が重なることから「重陽」として節句のひとつに数えられています。めでたい日とされ邪気を払い、長寿を願って祝う日で菊の花を飾り、栗の時期でもあって栗の節句とも呼ばれ酒を飲み交わし祝います。
 中国では、この日に赤い山茱萸(さんしゅゆ:ぐみの実{厄払いとして用いていた})を袋に入れ身につけて丘や山に登り、菊の香りを移した菊酒を飲んだりして邪気を払い長寿を願うという風習がありました。これが日本に平安時代に伝わり、「重陽の節会(ちょうようのせちえ)」として宮中の行事として行なわれてきたのです。江戸時代には武家の祝日にもなっていました。しかし現在では、旧暦の9月9日は、10月ですが現在新暦で9月9日は、菊の咲く時期には早く、日にちがずれてしまい現在ではあまり盛んではありません。
菊の節句でもあり宮中行事として祝いごとが行なわれてきました。中国で高貴な花とされていたことから後鳥羽(ごとば)天皇(平安時代末期)より皇室の紋章としています。菊の花は、また中国では古くから漢方として用いられ栽培されていました。日本で食材として栽培されるようになったのは、室町時代とされ菊の産地として青森県、山形県、秋田県で主に栽培されています。

    *食用菊 しょくようぎく
  キク科、中国原産。中国では、古くから薬用とし利用されており、日本には、すでに奈良時代以前に薬用、観賞用として伝来していた。最近では、抑制栽培(電照栽培)、促成栽培が行われるようになり食用、観賞用ともに年中見られる。自然栽培では、9~11月を旬とし主産地は、紫色(延命楽:えんめいらく、もってもほか)の山形、黄色(阿房宮:あぼうきゅう)の青森県南部の特産とし知られる。苦味が少なく、独特の風味があり八重咲きの香りのよい大きいものがよい。
お浸し、汁の実、漬物、酢の物、サラダ、てんぷらに秋の香りが楽しめる。生で70gは、茹でて水を切って絞ると100g程度になる。保存食として茹でたものを板海苔にしたものがあり、生同様に扱ってよく年中楽しめる。

 漢方で肝臓、腎臓の機能を高め眼精疲労、視力の低下の症状改善に役立ち、その他抗菌(杭菊花:こうきくか、白い花)、解熱、降圧作用も認められ、経験的に菊花茶、菊花酒としても利用される。香り成分で芳香性があるセスキテルペンが血流改善によく神経細胞を修復し脳の活性化に役立っている。

 農業を中心として五節句は、古くから私達の生活の中に溶け込んできていました。七草粥、ひな祭り、端午の節句、七夕の行事だけは盛んに行なわれていますが、元を正せば五穀豊穣を願ってのお祭りだったのです。今は、海外からの食物の大半を輸入に頼っています。いつ何時輸入がストップするかもしれないことを考えると、昔の人が祈願したように、食べ物を粗末にすることは慎まなければならないことを教えてくれているようです。

 

ご愛読戴きましてありがとうございます。よりよい情報をお届けしてまいります。

 


この記事についてブログを書く
« [道明寺種]食生活について語ろう | トップ | [子鬼田平子]食生活について... »

美容ダイエット」カテゴリの最新記事