スピリチュアルの考え発信ブログ

主に「奇跡のコース」からの学びや
僕の思っている事や日常を記事にします。

自我を選択してしまうあなたへ

2022-07-10 04:43:00 | 日記
「愛」と「恐れ」
「心」と「身体」
「正気」と「狂気」
「内側」と「外側」

どちらを大事にしたら良いか?
スピリチュアルを少し学んだ人なら
簡単な問題だと思います。

しかし、学んでいる人でさえ
狂った事を言ったり
何かに怯えていたり
普通にします。

あなたがそんな状況だとして
何故、そんな事が起こるのでしょうか?

意識的に
あなたは知識で
「愛の方が良い」
と、思ってそれを選んでいるつもりでも
「無意識のあなた」が「恐れていたい」と
思っているからです。

「辛いと分かっているのにそれに浸りたい」

「楽になれると信じているのに『アイツが悪い』を棄てられない」

これ、狂ってますよね?

そんな「無意識のあなた」を変えるには
どうしたら良いのでしょうか?

一つは
「真に決断する主体は自分」
だと気が付き
「愛を選択したい」ではなく
「愛を必ず選択する」と決断する事です。

思い切っても、本当は失うものは無く
得るモノしかありません
安心してやって良いのです。

もう一つは
純粋非二元の存在である神の子(あなた)の
「永遠性」を理解する事です。

実在するものは永遠であり
非実在は幻想です。

そして変わるものは全て非実在です
この世界も、この身体も
あなたの自我も恐れも
非、実在です。

恐れの創り出した幻想を
信じる度に僕等は苦しくなります。

言い方を変えれば、僕等は
「幻想を信じなければ苦しくありません」。

真にそれを理解すれば
理解する前より、選択は容易な筈です。

そして苦しみを感じなくなる選択が
出来る様になると
この世が幻想なんだと信じるとが出来ます。

つまり、知識ではなく
『実感』として必要だと言うことです。

そして、それがわかってくると
この世で不快に感じていた出来事も
「正気の自分に戻る為のレッスン
だという事がわかってくるでしょう。

あなたは、根底で何を変えるために
学んでいるのでしょうか?

明るい未来でしょうか?
この世の成功の為でしょうか?
愛される為でしょうか?
楽になる為でしょうか?

本当は、それで得られるものよりも
大切なモノが内側にあるのでは
無いでしょうか?

僕は、その利益を実感する為にも

「自我の罠を見抜き
愛を選択する主は自分」

という事を忘れずに居られる様に
恐れは本当は無力だと言う事を
ちゃんと見抜いて行きます。

あなたは
どうこの世界を見るのでしょうか?

ここまで読んでくれて
ありがとうございました。


最低に見えるあの人でも神の子

2022-07-08 07:20:00 | 日記
この世には、最低にしか見えない人がいます。

自己利益しか考えられなそうな人
自分の自尊心を満たす事しか興味無さそうな人
平気で詐欺が出来る人
人を傷付ける事を快楽にすら思う人
自分の欲の為なら人をも殺せる出来る人。

この人は天国行けないだろうな
そんな風に思わせる人は世の中に
沢山居ます。

それでもその人達も神の子だというのが
僕の学んでいる教えです。

生善説や生悪説どころか
生愛説が真実だという事です。

でも僕等はそれを信じられません。

なぜでしょうか?
そう信じたいからです。

「綺麗事を言ってるんじゃねぇよ!」
勿論お気持ちはわかります。

僕もパワハラに何度かあったり
人間性の欠如した人間に何度も会いました。

「この人に、人の血が流れているんだろうか?」

そう思う事も何度もありました。

「僕ならそんな事はしない」

そう、あなたはしません
でも考えてみて下さい。

あなたに酷い事をする人が
あなたと同じ魂に産まれた事が真実と仮定して
それでも、その酷いことを
あなたがするとしたら?
…どれ程その人の心は恐れに侵食されてると思いますか?。

想像を絶する不幸だと思います。

無意識や故意が無くてした行いなら別ですが
故意的にその人が誰かを傷付けるならば
その人には必ず何かしらの恐れや
愛の欠如があります。

あなたが愛で満たされている時に
人を傷付けようと思いますか?
思わない筈です。

きっと誰しもそうなのです
そして「誰かを傷付けよう」とする人は
「恐れ」という教師に騙されているだけなのです。

そして、相手を
本当は神の子だと信じて見たいと真に思う事で
その人の神の子の部分が見えます。

そうすれば
「自分が本当の神の子だった」と
心から信じる事が出来るでしょう。

僕がそうだったので
あなたもきっと出来ると思います
綺麗事と一蹴する方が
逃げという事もこの世にはあります。

仮に今は分からなかったとしても
きっといつか分かる日が来ると思います。

あなたにもキリストのビジョンが
齎されますように。



内側の永遠性は恐れをも超える

2022-07-07 11:03:00 | 日記
僕等は外側に多くを求めます。

美しい容姿
美しく優しいパートナー
素敵な車
有り余る富
楽で楽しくて苦痛の無い環境
自分を脅かさない良い人々
賞賛や尊敬、特別な愛
社会的地位

人の欲望は無限にあります
あなたも
どれかは欲しくなった事がある筈です。

しかし、これらを求めると
どこかのタイミングで
必ず苦痛を味わいます。

例え手に入れたとしても…。

「いや、そうじゃない」
「望んでいたモノと違う」
「こんな筈じゃなかった」

そうじゃなくても
得たモノとの、意図せぬ別れに
絶望を憶えたりもします。

あなたも体験したと思います
外側に「何かを求める」と
ある程度の期待値が心の中に出来てしまいます。

しかし、世界はその期待値を
上回る事をたまにはしてくれますが
そうそう上回る事をてくれませんし
期待値を上回ってから
谷底へ突き落とす様な事をしてきます。

それが、自我の罠です
欠乏を植え付け、限りあるモノを
満たされるまで求めさせます。

例えそれを手に入れても
「また失うんじゃ無いか?」
と、不安を煽り
実際にそれを奪って行きます。

美しい容姿を手に入れても
それに執着してしまえば
必ず来る老化に
恐怖し絶望してしまいます。

この人だっ!と思える
素敵な人と付き合えても
突然の別れが来てしまったり
だんだん嫌なところが見えてきてしまう
そんな感じです。

そんな僕等の外側の幸せは
いづれ死んでしまう自身の肉体を
自分だと信じる事生じてしまいます。

本当の幸せは違います
それは内側にあります。

永遠に続くあなたに気がつく毎に
外側への執着が薄れ
外に映し出す恐怖が薄れていきます。

そう、あなたの永遠性を
理解すれば安らぎと
外側とは質の違う幸せが得られます。

その永遠性は、僕等が何気なく
外側に求めていた「確かさ」の様なモノを
あなたに与えてくれるでしょう。

永遠は実在で、そうで無いモノは幻想です
いつかは消えます。

そして、あなたの身体はいつかは消えますが
あなたの魂は永遠です。

永遠の時を生きる人は
焦る必要はありません、焦らず
落ち着いた方が物事は上手く行きます。

永遠という確かさ
あなたも手に入れて欲しいなと思います。

そうすれば
有限のモノも、執着せずに
楽しめると思います。


どうすれば永遠性が
理解出来るのか?

それは、この世の人
そしてあなたが「神の子」だと
実感としてわかる事、
そして赦しを重ねる事です。

僕でも出来た事です
あなたにもきっと出来ると思います。

この記事を読んでくれたあなたも
これからの僕も
外側の自我の誘惑に騙されず
より深く自身の永遠性に
気が付けます様に。






その神、信じるに値しますか?

2022-07-06 21:20:00 | 日記
この世は普通に過ごしてしまったら
地獄だと思います。

頑張っても報われない事がある
やりたい事と才能は違う。

それどころか
欲望と自我で溢れた世界
誰かにとって美しい愛等と言われる
排他的な特別性、単なる性欲。

純愛なんてモノを持っても報われない
くだらない様に見える人の方が
あの人は好きらしい
何度も体験した。

裁かれるべき者と思う者が裁かれず
善き人が泥水を啜る
常にそうでは無いが
そう言う時も少なくない。

大人になりきれない大人が大人を語る世界
お手本になる人間をもっと作ってくれても
良いのではないだろうか?

頑張ればある程度の物は買える
けれど本当に欲しいモノは
誰しも手に入らない、だからみんな
欠乏感に溢れているのではないか?。

被害者と加害者の多い世界
いっそ悪者になった方が楽なのでは?
でも悪にも善人にもなりきれない。

そんな世界に生きている気がしていた
あなたに問います。

「神は居るのでしょうか?」

僕はずっと思ってました。

「例え神が居たとしても
自分に都合の良い存在では無いだろうな」

バチが当たったから?
当たるのはアイツでは無いだろうか?

誰しも思った事はあると思います。

神はあんなのが好きなのか?
なら善とはなんなんだろうか?

バチが当たる事が本当だとしたら
何故当たる様に僕を作ったのだろうか?
好みじゃ無い性格に
初めから作らなければ良いのでは?

学ぶ為の人生?
学ばなくても元から完璧に作れば良いのでは?

学ばないといけないなら
楽しく学ばせられないのか?

それが出来ないのに何が神なのだろうか?
姿位表したらどうだろうか?

仮に、姿が無いのは良いとしても
人様に苦痛を与える程偉いのなら
その理由を教えたり
それくらいの責任果たしてくれても
良いのではないだろか?

ある日思った
「こんなのは神では無い、神だとしても信じる価値がない」

神が僕等の悲しみを望むだろうか?
人を愛さない神なら信じる意味はありません。

ある日ある本を読みました
「神は完全な愛です、故に神の子であるあなたも、その兄弟も完全な愛なのです」

はじめは信じられなかった
意味がわからない、完全な愛なら
こんな世界は作らない。

そう思いました。

そしてその本を読み進めていると
色んな事が書いてありました。

・僕達は完全な愛の神の子だけれど
恐れによって狂ってしまっている事

・神は完全な愛なので、僕達の苦悩を理解出来ない程の純粋な愛だと言う事

・僕等の見ている世界は
「神から離れてみたらどうなるのか?」と言う神の子の好奇心から産まれた幻想で
神から離れたと言う罪悪感や恐れによって
神の子が産み出したモノだと言う事

・この恐れの世界が幻想で、愛の世界が実在の世界だと言う事

常識ではとても信じられない
頭のおかしいスピリチュアルでした。

でも一つ思う事はありました
「この神様なら是非とも信じてみたい」。

そう思ったので
「奇跡のコース」というこの本を
現在も学び続けて居ます。
(勿論効果もあるので)

あなたがどの神様を信じようが
あなたが幸せなら何の問題も無いと思います。

でも、少なくとも僕はこう思っています
「愛の無い神は偽物」

完全な愛を持つ神が多額のお布施をあなたから欲しがるでしょうか?

完全な愛を持つ神が特定の人を選ぶでしょうか?

完全な愛を持つ神が信者の数を気にするでしょうか?

完全な愛を持つ神があなたの不安を煽るでしょうか?

完全な愛を持つ神があなたを裁くでしょうか?

ここまで読んでくれたあなたは
悪い宗教には騙されない様にして下さいね
ではまたお会いしましょう♪



穢れた遺伝子から抜け出せた視点

2022-07-05 22:17:00 | 日記
あなたは自分の親を
素直に自慢出来ますか?

僕の両親は正直
自慢出来る様な人ではありません。

※注1
この記事は、親が精神的に幼い
狂っている、価値観がおかしい等
基本的に親が嫌いな人向けに書いております。

自分に流れる血
つまり「自身の遺伝子が許せない方」向けに
書いています。
親が優れている方、親に恵まれている方
親を尊敬していて大切に思える人は
不快な表現もありますので
今回は読まない方が良いかも知れません。

※注2
親や家族を非難している
表現があります。

僕はそういう面を乗り越えて
今は家族を許して居ます。

本当は、今更悪口みたいな事は
書きたくはありませんが、
同じ思いをしている人の救いになれば
と思い記事を書いています
ご了承下さい。

では、はじめて行きます。

僕はある貧乏家庭の三男として産まれました。

「なんでこんな情けない親なんだろう?」
僕は小学生低学年の時点で
父親に対して、そして母親に対しても
そして2人の兄に対しても
「頭おかしい」と本気で思っていました。

こんな人達と同じ血を引いている
僕も頭おかしいのではないだろうか?
そう思う度に泣きそうになります。

「…と、言う事は産まれながらにして
僕は価値が無いと言う事だろうか?」

そんな事を幼少期から思っていました。

僕の父親は借金をしていた
幾らかは知らないが直ぐには返せなそうでした。

自分が借りた立場なのに腕組みしながら
借りた人と話しているのを憶えています
ハッキリ言って引く程ダサかったです

酒乱で家族に暴力を振るう様な人です
僕には手を上げなかった気がしますが…。

白ブリーフ一丁で部屋で過ごし
パチンコ等しているのに
金がなくなると母に喚き散らす。

「怒鳴り喚けば解決する訳でも無いのに」
子供でも分かる簡単な事がわからない親
まるで赤ん坊だ
僕にはそうにしか見えなかった。

お酒はこんなにも
人を狂わせるのだろうか?
それとも元々なのか?

馬鹿で卑しい人間というのは
こういう人なのかも知れない。

幼い僕にそう思わせる父
ここまで酷い人は
中々居ないのでは無いだろうか?。

「自分が悪いのになんでこの人は人に当たるのだろうか?」

浮気もしていたが、それは
自分に実害は無かったので許していた
それくらい許せる精神でないと
多分僕も狂っていたと思います
寧ろどっか行ってくれて嬉しいくらいでした。

何より食べる音が汚い
同じ環境で
ずっと育っているのにそう思わせるなら
相当だと思います。

そして母親に対しても
なんでこんな父と結婚したのだろう?

なんで他の家のお母さんみたいに
若くて綺麗では無いのだろう?
…いや、これは仕方ないにしても。

なんであの容姿で昔はモテたなんて
嘘を付くんだろう?

納豆なんて食わなくても生きていけるのに
なんで無理矢理食べさせるのだろう?
一つ位嫌いなものがあって何が困るんだろうか?

丸刈り以外の髪型にどうしてさせてくれないのだろうか?
何でこの親は毎回不要に劣等感を感じさせるのだろうか?

お金がないからそうなら
お金掛けないで自分で切った方が
マシなのに、お金掛けてまでそれを強制する。

僕にとって母の親と言える部分は
強制力と飯のレパートリーが
多い位だった。



いつも不要に心配して
信頼という言葉は
この人の心にはないのだろうか?

そして
この人は何が面白くて生きているのだろうか?


それ以上に思っていた事があった

『なんでこの人達は親なのに
僕の本当に知りたい事を何一つ教えてくれないんだろう?』

いつもそうでした
生意気とは自覚していましたが…。

遠慮がちに考えても
子供の僕の方がまともな考えをしている様に思えてしまいます。

この人達から
「人間としての品性」
「お金の稼ぎ方、使い方」
「大人としての振る舞い」
「聡明な知識、優れた道徳観」
「人生を豊かにする様なより良い生き方」

そして何より
『この世で何よりも確かなモノ』
は学べないんだなと
何となく気が付いてしまいました。


何が言いたいかと言うと
僕が親に求めている部分に対して
親は明らかに幼かったという事です。

次男はオタク気質で根暗な性格でした
傷付き易い性格でちょっとした事で機嫌を損なう感じでした。

オタクなゲームをやらせてくれて
性格はどうかと思ったけれど
そういう面では感謝はしていました。

長男はカッコ良いと思っていました
良くあんな父親からあんな人が産まれたものだ
僕なんかよりもずっと漢らしい
そんな憧れもありました
でもある事で、そんな憧れも崩れてしまいました。

原因はよく分からないのですが
同じ家の中で長男が
漫画を読みたがって先に読ませろと言っていただけの次男の腕の骨折ったのです。

幼い僕はトラウマになり
「こいつヤベェよ…」
と、長男に対して思っていました。

詳しい事情は分からないにしても
そこまでの暴力を振るうならば
やはりあの親の子なのだな
とも思いました。

そして自分の無力さを痛感し
家系や遺伝子を呪いましたました。

それからは何故か感じ悪かった
次男が、少し僕に対して優しくなった気がします。

自分自身はどうか?と言うと
絵が多少上手かったり位で
努力しても大した能力もなく
近所の年上の子供にいじめられて
楽しい事もありましたが
屈辱的な幼少期でした。

あんまり話すと長いので
この辺にしますが
つまり僕にとってこの家族は
「呪われた遺伝子」の証明でした。

お前何様だよと思われそうですが
これは当時の僕の心境であり
今の僕の心境ではありませんのでご了承下さい。

そんな状況で
僕は大人になり
劣等感をどうにかしたくて
成功者を目指している時期に
自己啓発を学んでいました
すると、ある動画で…

「成功出来るかどうかは親との関係で決まります」

得意げにそんな事を語る男を見ました
そして僕は思いました。

「それ、成功するより難しくね?
それ本当なら成功とか無理じゃん…」

そんな事を思っていた僕も
数十年経って
やっと家族を許せる様になりました。

では、家族を劣等種
呪われた遺伝子とさえ思っていた僕が
どうやって
家族を許せたのでしょうか?

それは家族の事を
「本当の家族」だと思わない事でした。

つまりは
「家族の役割を演じてくれていた他人」
だと思う様にしたと言う事です。

自分の本当の血縁だと思うと
「これくらいは出来ていて欲しい」
みたいに思ってしまいますが

「偶然居合わせた他人が家族を演じている」
と考えれば、能力や精神が違うのも納得が出来るし、自分にしてくれた優しさも
「家族だから」という変な眼鏡が外れるので
ただの他人がしてくれた事のように
素直に感謝出来る様になります。

父親に対しては
精神的に未熟な人間が、お金を出して
世話をしてくれたな等感心します。

母に対しては
趣味も持たず、世話をしてくれて
毎日ご飯を作ってくれて居たんだなと
気付かされます。

長男も次男も、幼いながらに
気は使ってくれてたんだなと思えます。

何が言いたいかと言えば
そこに過ちや未熟さはあれど
それなりの愛はあったんだなと
気付かされます。

許したからと言って
無理に仲良くしなくても良いと僕は思っています、家族だからと言って
合わないモノは合いません
一緒に暮らしたり
ご飯も食べなくていいのです。

ただ、その人達の罪と思っていたモノを
ただの過ちと知る事によって
その人達と自分は
「罰する必要は無い者」に変えられたのです


それと、僕の本当の親は
この未熟な親ではなく
神そのものだと信じられたので
この呪われた遺伝子を気にせずに済んだのですが…。

それをここに収めるのは難しいので
違う記事で書きます
今日はこの辺りにしますね。

では、こんなネガティブな文章を
ここまで読んで下さって
ありがとうございました!