スピリチュアルの考え発信ブログ

主に「奇跡のコース」からの学びや
僕の思っている事や日常を記事にします。

ワンネスはこうすれば分かります

2022-07-14 22:45:00 | 日記
スピリチュアルでは良く
ワンネスがどうとか
一体性がどうとか
「私達はひとつなんです」とか
言います。

しかし、そこを深く掘り下げて
「何の為にワンネスを知る必要があるのか?」
「どうやったらワンネスだと言う事がわかるのか?」を語っている人を
僕はあまり見ませんでした。
(少なくとも僕は)

本当はよく知らないで語っているのだろうか?
人から聞いた話を発信しているだけなのだろうか?

そんな疑念すら抱く事がありましたし
今でも、そんな人も居るのかも?と
性格が悪いのか思ってしまいます。

なので、僕なりのワンネスの認識を語らせて
頂きます。

まず、どうやって
「全ては一つ」
だと、僕が認識したのか?。

感覚的に、産まれながらに
分かる方もいるかも知れませんが
僕は霊感とかそう言うのが多分ない人です
そんな人でも分かるであろう認識する方法を
自分なりに語ります。

まず、何処までが
「自分なのか?」について
考える必要があると思います。

まず、身体が自分だと
仮に思って見ましょう。

身体が自分だとするなら
抜けた後の髪の毛はあなたですか?
切った後の爪はあなたですか?

なんか違う気がします
なら手は自分なのでしょうか?
手も、仮に切断されたとしたら
自分ではない気がしますよね?

では、脳みそがあなたなのでしょうか?
そこであなたに試して欲しいのです。

まず左手を右手で触れて
胸の方へ持っていき
首に触れ、自分の顔、頭に
触れていって下さい。

あなたの触っている頭
切断されたら自分ではないと
思っているのと一つのモノですよ?

何が言いたいのかというと
「身体ではありませんよね?」
という事です。

僕等は、誰しも鏡を見なければ
自分の顔もわからない身体を
操って他者の顔を見て生きています。

本題に話を戻します
身体ではないなら
あなたは魂だと仮定します。

では魂の大きさはどれ程の大きさでしょうか?
身体よりも小さい気がしますか?。

もしかしたら
僕等は「無」の存在かも知れない
ただの視点の様な存在で
見て、何かを選ぶ事しか
出来ないのかも知れない
そんな気もしてしまいます。

少し視点を変えましょう
僕等の魂は、無の様に小さい
身体の檻に収まっているもモノと
あなたは思っているかも知れません。

でも逆に考えて見てください
僕等の魂的なモノは
目に見えないだけで
凄く巨大かも知れません
この宇宙を覆い尽くす程に。

身体が自分と思うなら
制御出来ない心臓等も自分と思えますよね?

髪の毛も自分なら、空間を漂う
空気ですら自分なのかも知れません
土も、砂利も、水も、嫌いなあの人も
大好きなあの人も、地球でさえも
自分かも知れません。

これがワンネスの考え方だと
僕は認識しています
勝手に思っているだけなので
僕が間違えてる可能性はありますが
参考にして頂けると
嬉しく思います。

取り敢えず今回は
この辺にします
ここまで読んでくださり
ありがとうございました。

もし終わった夢を生きているなら

2022-07-13 21:56:00 | 日記
もし終わった夢を生きているとしたなら
未来を重要視する必要はありません。

僕等は社会的な成功を
望んで生きてきていると思います。

仮に叶って楽に生きられても
それを失う恐れを抱えて生きている
人も多いかも知れません。

叶わなかったらどうでしょうか?
それでも希望を持ち続けて
「自分は特別な人間」という
幻想を抱えながら
それに執着しながら
諦め切れるまで努力をし続けなければ
ならないかも知れません。

そうで無くても、終わり行く人生
何も出来なかったと
自分を責めて、自分を終わらせます。

どれを歩んだとしても
「深刻」になり
人生を終わらせるのです。

「この人生が現実で、終わりがある」
と信じるなら。

しかし、あなたの魂は永遠で
本当は何度も
もう終わった夢を体験していただけだとしたら
どうでしょうか?


決まっていた結果なら無理して
足掻く必要もありません。

決まっていた結果なら
何しても仕方ありません。

決まっていた結果なら
受け入れやすい筈です。

終わりのない永遠の存在なら
死を怖がる必要はありません。

そう思えないなら
気が済むまで足掻くのも良いかも知れません。

どちらを選ぶかは
あなたの意志です。

学ぼうと思えば
幾らでも学べます
良い時代ですね。



真に自分の価値を感じるには?

2022-07-12 21:25:00 | 日記
人より美しければ価値がある
人よりモテれば価値がある
人より賢ければ価値がある
人よりお金を持っていれば価値がある
誰かに勝っていれば価値がある
特別なあの人に認められれば価値がある
性格が良ければ価値がある

…本当にそうでしょうか?

本当に価値がある存在ならば
差異等は気にしないのでは無いでしょうか?

いくつかあげあもの
全て期間限定の終わりあるモノです。

いつかは老いて美しくなくなります
モテる人でも常にはモテませんし
…おじいちゃんおばあちゃんになっても
恋愛したいんですか?

頭が良い人より
頭悪い人の方が好かれるのに
賢い方が価値あるんですか?

お金がその人の価値なら
持ってても気軽に使えませんよね?
お金を使ったらその人の価値は無くなります
お金に寄ってくる人は
その人を見ているとは限りません。

勝っていれば価値があるのならば
その人は常に勝ち続けなければなりません
常に敗者という誰かの犠牲を払わなければなりません。
得意な事でも、いつかは勝てなくなる日が来ます、それでも勝つ事を選びますか?

特別なあの人に愛されれば良いですが
…そんな都合良く行きますか?
特別と思う様な人ですよ?
もし付き合えて結婚しても
老いても尚上手く行っている人は少ないと思います。
恋愛でなくても、人の機嫌で左右される様な価値なんて危ういと僕は思います。

性格が良ければ価値があるとして
あなたにとって性格が良くても
他の人にとっては性格が悪いと言う事もあります。
完全な善も完全な悪も存在しない世界で
そんな不確かなモノにあなたは価値を置くのでしょうか?

なので、あなたは
「完全な愛」、つまり「神の子」
だと言う事を思い出さないと
常に不安を抱えてしまいます。

もう代替品で満足した気になるのはやめましょう、見ようと思えばきっとそれが見えますよ。



何故ジャッジしてはいけないのか?

2022-07-12 14:51:00 | 日記
あの人はまとも
自分はまとも
あの人は悪い
あの人は異常

何も意識しなければ、僕等は
そんな判断してしまいます。

しかし多くのスピリチュアルでは
「ジャッジするな」と言います。

何故ジャッジしてはいけないのでしょうか?
勿論理由がある筈です。

本当の正しさがあるのならば
みんなそれに従い
それに外れたモノに対して
「間違えてますよ」と言えば
みんな納得です、本当に正しいんですから
それで良い筈です。

でも、この世界は
上手く回っていない気がしませんか?

立場や状況が変わっても
何も揺らが無い完璧な正しさなんて
あんまり無い気がしてしまいます。

それなのに
「自分は正しい」と
思い込んでいる人
若しくはそう言う事にしている人が
多い気がします。

少なくとも僕は完璧な正しさを
ずっと語れている人なんて
見た事がありません。

「自分の理論は完璧だから何も言われない」
なんて人が居ますが
正されないから正しいのではありませんよね?
そういう人は、相手するのが面倒臭いので
何も言われないだけなのです。

誰かを裁くと言う事は
自分も裁かれる存在だと認める事だと言う事です。

誰かを裁く目的で語る正論は
ただの過ちを、その人が罪にしてしまいます。

何故、そこまで正しさに拘るのでしょうか?
それで自分の価値の穴を
埋めた気になるのかも知れません。

しかし、「心に埋める穴がある」
という自覚は、「自分は欠乏した存在である」
という証拠を
自ら提示している様なモノです。

自分が裁かなければ
自分の周りには罪人は消えます。

自分が裁けば
その人は罪人になります
同時に、自分も裁かれる者である事を
認める事になります。

安全地帯からなら
石を投げても自分は罪にならないと
あなたが考えるのなら
別の安全地帯から
誰かが石を投げてくる事を許可しているのと同じだと言っているのです。

そんなの嫌ではありませんか?

満たされていれば攻撃する必要はありません
満たされていれば奪う必要もありません
満たされていれば悲しくありません。

あなたが欠乏者や被害者で居る事は
あなたの事が嫌いな人以外を幸せにはしません、更に言うと
あなたが嫌いな人の自我は悦びますが
あなたの嫌いな人の愛の部分は悦びません。

ジャッジをしてしまう人に
考えて欲しい事があります。

「◯◯さんが100%悪い」
本当に「100%悪い」なんて事
あるのでしょうか?

◯◯さんが悪い様に見えても
そういう教育を受けたからかも知れません
誰かに感情を乱したからかも知れません
友人に誘われたギャンブルで負けたからかも知れません
自我に騙されただけかも知れません。

100%悪いのでなければ
それは罪ではなく過ちでは無いでしょうか?

結局、あなたが誰かを悪と選択すれば
あなたも誰かにとって、悪と裁かれる者です。

全ての人が無罪と信じれば
あなたは誰からも裁かれる罪のある者だと
信じなくて良くなるのです。

「特別な愛」と言われているモノは苦しみを産みます

2022-07-10 07:37:00 | 日記
誰しも
「自分だけを深く愛してくれる特別な人」
を求めているのではないでしょうか?

僕もその1人でした
恋愛至上主義ではない人でも
心の欠乏を埋めてくれるのは
「特別な誰か」だとどこかで
信じているのでは無いでしょうか?

その証拠に、この世界で
良く歌われている愛は

「君しか見えない」
とか
「あなた以外何も要らない」
とか
「2人で永遠に歩んでいこう」
とか

自分にとっては
『あなただけが価値がある』
そんな価値観で歌われて
居るのでは無いでしょうか?

しかし、真に愛と言えるモノは
永遠のモノです。

「何が言いたいんですか?
その愛が素晴らしいから
みんな歌って居るんでしょ?

と、あなたは言うかも知れません
僕はそんなあなたに問います。

「本当にそんなに素晴らしいのでしょうか?」

仮に、美男美女のカップルが
上手く行って結婚して
仕事も上手く行って
お金も結構稼げたとします。

この2人の夫婦は
特別な愛を持っていて
ずっと幸せでしょうか?

「当たり前じゃないですかっ!」

あなたは言うかも知れません
しかし、僕はそうとも言えないと思います。

基本、特別な愛には条件があります

「君だけが特別だよ」

なぜ「だけ」なのでしょうか?
その「だけ」の根拠がどこにあるのか?

結局、特別な愛は
「自分の◯◯を満たす君だけが特別だよ」
なのです。

男性目線から例えるなら
それは女性の容姿かも知れません。

もしそうなら
女性は老化と共に特別な愛を維持出来なくなります。

もし、女性の「優しさ」なら
常に女性は「優しさ」を要求されている事になります。

「自分の愛はそんなのじゃない、◯◯だけ特別で愛しているんだ」

あなたは言うかも知れません
それでは、極端な事を言います。

あなたのお相手が、事故にあって
顔が醜く潰れたとします
植物状態になり、普段の様に
話す事が出来なくなりました。

変わらずあなたは愛し続ける事が出来ますか?

その相手が事故で死んで
骨だけになっても、あなたはその骨になった
状態のその人を
変わらず愛し続ける事が出来ますか?

「肉体」を条件として愛しているのであれば
無理でしょう。

相手が50歳歳を経っただけで
関わりたく無くなるかも知れません。

それが永遠の愛でしょうか?


別にパートナーを持つなと
言っている訳ではありません。

何が言いたいか?と言うと…。

恋愛のときめきや
変な期待は、その人の視力を曇らせ
「本来のその人」ではなく
「信じたいその人」を信じて見てしまいます。

そして無駄にドキドキして
正常な判断が出来なくなり
周りから見たら不幸にしかならない様な相手を
喜んで選んでしまったりします。

そして特別な愛は
恋愛だけでなく
勿論、家族関係や
普通の人間関係にもあります。

価値観の合う人と合わない人等
善人と悪人
味方と敵

特別な愛は
自分の認める人は素晴らしく
それ以外の人は価値の無い人
そんな風にあなたを説得します。

本当にそうでしょうか?。

「条件を満たしてくれるあなたを愛している」

果たしてそんなものが本当の愛でしょうか?

特別な愛は麻薬」という事を伝えました

そこに苦しみを感じる時
一体性や赦す事を
幻想によって忘れていたからだと
気付けたならば
改めてその人を真に愛せます。

最後に
特別な愛で選んだ人との関係に
本当の愛が起こり得ないと
言っている訳ではありません。

ちゃんと冷静にその人を見ましょう
と言っているんです
そうすれば
「こんな人と思ってなかった」を
出来ると思います。

ここまで読んで下さって
ありがとうございました。