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冷やこ水

毎日が心穏やかに、平和でありますように・・・

・・・4年、過ぎて

2015-03-11 14:46:19 | Weblog




「わが美しき故郷よ」






昨年、たまたま陸前高田で醤油屋を営んでいる

八木澤商店の会長さんのお話を聞く機会があった。

震災当日、本人は東京にいたのだが、

帰るまで4日かかり、自分の店の看板が10キロも先でみつかったことなど、

何でもかんでも店を再建する理由にしながら頑張っている震災後のくらしを語ってくれた。


その中で特に印象的だったのが

その時4年生だったお孫さんの話。

(幸いここの家族の方は全員無事だったとのことだが。)




震災から1年半たったとき、この孫が

「本当は、僕が一番危なかったんだよ。」と話し出したそうだ。


学校の校庭から、子供たちを山に逃がそうとしたとき、

津波がまだ来てなかったので、学校のトイレが使えた。


孫は山でトイレに行きたくなったら大変だから

先生に黙ってトイレに行った。

で、出てきたら、みんな山に登っていた。


お年寄りがまだ残っていて

「なんだ、八木澤の孫、まだこんなとこにいたのか。登れ登れ。」

と、お尻を押してくれた。




その途中で、お尻を押してくれていたおばあちゃんの力がなくなって

あれ、と後ろを振り返ったら




おばあちゃんが、あおむけになって

流されていった・・・。」




怖くてずっと言えなかったらしい。

「この頃そのおばあちゃんが夢に出てくる。」




「そうか、じゃ、これからそのおばあちゃんのことを毎日拝め。

おばあちゃんの分まで生きます、って拝め。」




何と恐ろしくて、

悲しい話だろう。


ほんのタッチの差での生死の別れ。



自分の中で消化して、話すことができるまで、そのくらいの時間が必要だったんだなあ・・・。




きっと語られない思いを胸に

たくさんの人ががんばっておられる。



けっして忘れない。



合掌。





面白いことをしながら生きていくのにも時間が足りない①

2010-09-20 22:40:34 | Weblog
歌手として、俳優として、ミュージカル俳優として、
彫刻家として、マネージメント社代表取り締まり役として
忙しい日々を送っているシン・ソンウは、
過去の人気にこだわらず、面白いこと、新しいことに
自分の力をさまざまな方向に発揮している。
やりたいことには迷わず取り掛かり、
自分の人生に後悔しない彼は、
「昔のすべてが今の私を作りあげたし、
自分の考える芸術にかかれるようにしたい」と言う。
彼の5作目のミュージカル<ロックオブエイジ>で彼は、
最高のロックスター、ステイシーを演技する。
俳優である前に、孤独な反抗児の眼差しでロングヘアーをなびかせながら、
少女ファンたちの胸をときめかせたロッカー、シン・ソンウには、
決してなれない人物ではないはず。
彼の表現のままシン・ソンウは
「どんな俳優でも心の壁を越える事はできなかった」
90年代に、「今のアイドルスターとは比べ物にならないくらいの人気」を誇り、
最高の全盛期を味わったではないか。
しかし「悪い奴です。キザでもあるし、
絶対自分のスタイルではありません。
周りにいたらすでに二発くらいは殴ってそうな」ステイシーは、
舞台の上で結構壊れなければならないキャラクターだ。
このような変身を前にして、
「舞台に上がれば、その時から自分では無いので大丈夫です。
コメディ演技で意外な姿を見せられるのならいいです。」と言う
彼の答えに、まだ慣れない。
狂気の眼差しと笑いで舞台を駆け回りながら、
無差別殺人を犯すジャックを演じる彼を見ながらもそう思った。
たぶんそれは、永遠の愛を夢見て、長い間待ち続けていたことに傷ついたドラキュラのイメージが
頭に染み付いているからだ。




*雑誌「ミュージカル9月号」インタビューより


 購入したら、日本語訳が付いてきました。

どうして?!!!!!

2010-06-30 22:13:56 | Weblog
お昼のニュースでみてビックリしました。

似た名前の別の人かと思いました・・・。


でも、サンヒョクを演じてくれたあなただったのですね・・・。



確か今、日本に来てコンサートをやっている最中でしたよね??


どうして、

どうして、

どうして!!







ソンウさんの追悼コメントの一部から・・・


「歌手兼俳優のシンソンウは、
長文の文章で
空に向かったパクヨンハの冥福を祈った。
彼は、

"陽だまりの日差しの中で飼いならされた者は、
日陰の暗さと寂しさを知らない。
額面と背面が異なっているように、
このすべてのことを一度に耐えなければならないのが、
俳優として、有名人としての人生である"とし、
"孤独の川を前に渡った
これらの電話番号を消去することができないまま残っていた。
これで、あなた方の番号を移して置かなければならない心の意識のような祈りをする!


ヨンハヤ!十穏やか必要になる!
そしてヘンボクヘヤドェ! (幸せに)"と
最後の挨拶を伝えた。


(翻訳機君使用のため、あやふやなところがあります。)


元記事




こんなに張り切って活動してらしたのに・・・。


アルクのインタヴューから






ALL for Seth!

2009-05-22 17:35:17 | Weblog
「一人は皆の為に、皆は一人の為に」un pour tous, tous pour un.

この言葉の出所が、「三銃士」からだったとは・・・。


そういえば、中学か高校の時、黒板の上に張っていたな。

(「自分は自分のために」と非協力的な生徒ではあった・・・。)


思いがけないところで、懐かしい文にあったよ・・・。








こちらにサジン



こっちにも!!



サジンと動画

デジブック