「わが美しき故郷よ」
昨年、たまたま陸前高田で醤油屋を営んでいる
八木澤商店の会長さんのお話を聞く機会があった。
震災当日、本人は東京にいたのだが、
帰るまで4日かかり、自分の店の看板が10キロも先でみつかったことなど、
何でもかんでも店を再建する理由にしながら頑張っている震災後のくらしを語ってくれた。
その中で特に印象的だったのが
その時4年生だったお孫さんの話。
(幸いここの家族の方は全員無事だったとのことだが。)
震災から1年半たったとき、この孫が
「本当は、僕が一番危なかったんだよ。」と話し出したそうだ。
学校の校庭から、子供たちを山に逃がそうとしたとき、
津波がまだ来てなかったので、学校のトイレが使えた。
孫は山でトイレに行きたくなったら大変だから
先生に黙ってトイレに行った。
で、出てきたら、みんな山に登っていた。
お年寄りがまだ残っていて
「なんだ、八木澤の孫、まだこんなとこにいたのか。登れ登れ。」
と、お尻を押してくれた。
その途中で、お尻を押してくれていたおばあちゃんの力がなくなって
あれ、と後ろを振り返ったら
おばあちゃんが、あおむけになって
流されていった・・・。」
怖くてずっと言えなかったらしい。
「この頃そのおばあちゃんが夢に出てくる。」
「そうか、じゃ、これからそのおばあちゃんのことを毎日拝め。
おばあちゃんの分まで生きます、って拝め。」
何と恐ろしくて、
悲しい話だろう。
ほんのタッチの差での生死の別れ。
自分の中で消化して、話すことができるまで、そのくらいの時間が必要だったんだなあ・・・。
きっと語られない思いを胸に
たくさんの人ががんばっておられる。
けっして忘れない。
合掌。