弁慶岬灯台( ~788キロ)
R229脇に弁慶の銅像が建っていて、小休止できる駐車場、遊歩道が完備
されている。この岬はその昔自殺の名所であったらしい。旅立つ人も明
媚な地を選ぶのか?人騒がせな話。
午後3時島牧村 宮内温泉着
連日の運転、灯台への登坂、暑さとの戦い、それらを洗い流すため投宿する。当温泉は遥か江戸時代(安政年間)の発見・開湯で、正真正銘の正しい温泉だ。
自噴するナトリウム・炭酸水素塩・硫酸塩泉は毎分3,000リットル、湯温48.8℃
30数年前、東京上野動物園の象の花子がくる病を治療のため湯治にやってきた
ことでも有名。
象にも効能があるなら自分にも・・・特にやけどには効能大と評判だ。
灯台巡りの話をすると、おかみさんが山本竜也著「寿都五十話」を貸してくれ
た。
弁慶岬の灯台についてもお話を伺った。
子供の頃の遠足は、決まって弁慶岬まで歩いたとのこと。
おかみさんから見せていただいた・・・
山本竜也著 「寿都五十話」のなかから
山本竜也氏 大阪府出身 北大卒 函館地方気象台職員
第42話「弁慶岬に建つ灯台」に概略、次のようなことが記されている。
(抜粋)
政泊出身 久蔵栄さんに灯台の思い出として問答の一部。
*灯台の正職員の数は?
→ 一人だよ。
*正職員ではない久蔵さんの主な仕事の内容は?
→ 仕事の手伝いが主たる仕事。納入の手伝いや発電機の点検など。
*発電機の点検とは?
→ 灯台の灯りは消せない。停電したらすぐ自家発電に切り換えるんだ。
発電機の点検が日課。
*職員さんは、休みはとれたの?
→ 毎日仂き、休みなどなかった。
*灯台といえば「喜びも悲しみも幾年月」を想像するが?
→ いや、弁慶岬は茂津多岬よりずっとよかったと思う。あっちは職員2人だけど山の中。弁慶は周りに人が住んでおり、寿都の町にも近い。当時の台長 高木さんの苦労話といえば、自殺者がよく来るのでいつも見廻っていた。
灯台職員の奥さんもレンズ磨きをすることがあったよ。
最後の台長 高木さんが留萌航路標識事務所長に移る1963年(昭和38年)と同時に弁慶岬灯台は無人化され、1952年(昭和27年)4月15日木造からコンクリートに、1971年(昭和52年)11月1日、今までの四角形の真っ白の灯台が円形になり、真ん中に赤線、1999年(平成11年)ハロゲン電球に、現在の弁慶岬灯台は18万カンデラ、16.5海里(約30.6キロ)の範囲に光をとどけている。
1977年(昭和52年)建設された建物は3代目の建物だ。
以後省略
(文中の内容についても省略多)
氏のこの分厚い冊子を読めば、寿都のことは明確に分かる。
自費出版だというが、すばらしい内容だ。
灯台名 | 14.弁慶岬灯台 | 所在地 | 寿都郡寿都町政泊町弁慶37 | ||
航路標識番号 | 0600(M7012) | メモ | |||
位置 | 北緯42度49分05秒・東経140度49分04秒 | 義経伝説にまつわる岬らしく、 | |||
塗色構造 | 白色に赤横帯1本塔形RC | 武蔵坊弁慶の銅像が立っている。 | |||
レンズ/灯器 | 国道沿にあってすぐ見つかる。 | ||||
灯質 | 単閃白光毎8秒に1閃光 | ||||
実行光度 | 250,000cd | ||||
光達距離 | 16.0海里(約30Km) | ||||
明弧 | 57度から308度まで | ||||
塔高 | 13.0m(地上・塔頂) | ||||
灯火標高 | 33.0m(平均海面・灯火) | ||||
初点灯 | 1890年(明治23年)12月1日 | ||||
アクセス | R229沿に無料駐車場あり、徒歩 | ||||
すぐ。 | |||||
撮影日/PC | 14.09.03/'14.09.05 | ||||
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