「日本ロック映像全集vol.2」です。
まずは「イエロー」の「国旗はためく下に」です。
75年「空飛ぶカーニバル」(福島県郡山)でのライブ。
イエローは名前だけは知っているが、という存在です。
この歌は泉谷しげるも歌ってますが、泉谷の歌の方が「疾走感」があって好きです。
たぶんイエローって泉谷しげるのバックバンド、やっていたのかな。
ちょっと詳しい事はわかりません。
76年か77年頃の泉谷しげるは「ROCK」していた頃で「チャー」も飛び入り参加したライブもありました(多分)。
ライブで暴れ回ってギターコードが首に巻き付き窒息しそうになった、というライブ伝説のある人ですから。
イエローではなく泉谷しげるの話になってしまいました。
2番目は「四人囃子」の「おまつり」。
73年の日比谷公会堂でのライブ。
フィルムが完全に残っていた訳ではなく、最初の方は写真で繋いでいます。
ま、それでも歌う森園勝敏はいますからね。
デビューして間もない頃、NHKのテレビで見ています。
スタジオライブで「一触即発」を演奏していました。
その頃はもうイエス辺りは聞いていましたが、日本にもこんなプログレバンドが出て来たな、なんて思っていました。
しっかりとこういう文化をNHKが保管していれば「四人囃子」の貴重な映像はあるはずです。
3番目は「岡林信康withはっぴいえんど」で「私たちの望むものは」です。
70年第2回全日本フォークジャンボリーでのライブ。
岡林信康あたりになるとさすがに私より5~10歳上の世代です。
年代的には古いですが、こういうウッドストック的な大会ですから、全てではないにしろ結構映像は残っていそうですね。
(多分「中津川フォークジャンボリー」とか「春一番コンサート」のビデオがあったはず)
一応バックははっぴいえんどですが、ほとんで岡林のアップでバックは最後の方に少し映るぐらいです。細野さんは分かりやすいです。
4番目は「めんたんぴん」の「コンサートツアー」です。
76年の第3回夕焼け祭りでのライブ。
レコード、一枚も持っていません。
当時名前はかなり聞いていたんですけど、一度ぐらいライブ見たのかな、記憶がないです。
もし見たとすれば八王子サマーランドの裏手でやったコンサード。
う~ん、やはり記憶にない。
映像見ると結構かっこいいです。
5番目は「ゴダイゴ」の「モンキーマジック」。
80年の中国、天津市でのライブ。
当然ヒット曲多数持つバンドですが、ヒット曲以外は知らない、という存在でしょうか。
なんか当時の日本のロックの中で位置がどうも「GS全盛時のブルーコメッツの位置」というか。
ヒット曲「ビューティフルネーム」は国際児童年のテーマソングだったりして、どうも「優等生ロックバンド」のイメージが先攻してまともにアルバムとか聞いていないバンドです。
家にCDはあるんですけどね。
今と違ってロックバンドがテレビに出るなんていう事はめったになかった70年代ですが、だからこそ、逆にそういう番組はチェックしていました。
同年代で「矢沢永吉ファン」と話した事があるのですが、「キャロル」登場の「リブヤング」を知らなかったものなぁ。
さすがに大橋巨泉、星加ルミ子の「ビートポップス」は記憶の彼方ですが、愛川欽也、今野雄二のリブヤングはまだ記憶に多少は残っています。
話が横道にそれました。
なんの番組だかは覚えていませんが、デビュー前のゴダイゴをテレビで見てます。
まだゴダイゴという名前がなく「武川行秀とミッキー吉野グループ」として登場しています。
歌った曲名はわかりませんが、英語の歌で作詞は奈良橋陽子でしたね。
6番目は「シーナ&ロケット」の「ユー・メイ・ドリーム」。
80年、フジテレビ「夜のヒットスタジオ」より。
まだ「夜のヒットスタジオ」ってやっていたんですね。
司会者は誰だろう。
当時シーナ&ロケットはかっこよかったですね。
「真空パック」は買いました。
サンハウスまでは遡って聞いたりはしてませんが「レモンティー」は知っています。
長くなりそうですが、後2つです。
7番目は「憂歌団」の「嫌んなった」。
76年フジテレビ「ニュー・ミュージック・スペシャル」のライブ。
木村のボーカルは凄いよね。
一度聞いたら忘れられない個性的な声と歌。
最初に聞いたのが後に放送禁止になってしまった「おそうじオバちゃん」。
強烈でした。
76年の夏の野外フェスティバル。
おおとりが「ウエスト・ロード・ブルース・バンド」でその前のステージが憂歌団。
渋滞だかなんだかで予定の時間になっても到着しない「ウエスト・ロード・ブルース・バンド」。
本来なら自分たちのステージ、終わっているのにずっと演奏してくれた憂歌団はいいバンドです。
おかげで「パチンコ~らんらんブルース」を2回も聴く事ができました。
最後8番目は「ジョニー、ルイス&チャー」で「スモーキー」です。
80年の日比谷野音でのライブ。
今見てもチャーはかっこいいですね。
76年のデビュー当時、あんなにカッコイイ日本のROCKはなかったです。
まだまだ関西ブルースパワー全盛の頃で、先に書いたウエスト・ロード・ブルース・バンドに上田正樹とサウストゥサウス、北京一とソーバッドレビュー、さらに大上留利子のスターキング・デリシャスと凄かったですからね。
「EAST WEST」がこの年からでしたが「8・8ロックデイ」は前からありましたから。
ジョニー、ルイス&チャーの話です。
この「ジョニー」というのは1番目に登場した「イエロー」でドラムを叩いていたジョニー吉長です。イエロー解散後にバックスバニーでドラムを叩いていました。
この頃ですかね、金子マリと結婚したのは。
で金子マリはチャーが最初に結成したロックバンド「スモーキー・メディスン」で一緒にやっていたボーカリストですね。
このステージでもたぶんバックボーカルで参加しています。
画面にちらっと映りますがはっきりは確認できません。
でも「声」でわかります。
それは一番多くのライブを見たのが金子マリですから。
一般的にチャーのヒット曲と言えば「気絶するほど悩ましい」「逆光線」「闘牛士」あたりでしょうか。「スモーキー」じゃないよね。
でも「スモーキー」はTOTO風になろうが、原曲がカッコイイROCKだから崩れない。
歌謡曲ではないもの。
そういえばチャーは生で一度も見た事なかったなぁ。
まずは「イエロー」の「国旗はためく下に」です。
75年「空飛ぶカーニバル」(福島県郡山)でのライブ。
イエローは名前だけは知っているが、という存在です。
この歌は泉谷しげるも歌ってますが、泉谷の歌の方が「疾走感」があって好きです。
たぶんイエローって泉谷しげるのバックバンド、やっていたのかな。
ちょっと詳しい事はわかりません。
76年か77年頃の泉谷しげるは「ROCK」していた頃で「チャー」も飛び入り参加したライブもありました(多分)。
ライブで暴れ回ってギターコードが首に巻き付き窒息しそうになった、というライブ伝説のある人ですから。
イエローではなく泉谷しげるの話になってしまいました。
2番目は「四人囃子」の「おまつり」。
73年の日比谷公会堂でのライブ。
フィルムが完全に残っていた訳ではなく、最初の方は写真で繋いでいます。
ま、それでも歌う森園勝敏はいますからね。
デビューして間もない頃、NHKのテレビで見ています。
スタジオライブで「一触即発」を演奏していました。
その頃はもうイエス辺りは聞いていましたが、日本にもこんなプログレバンドが出て来たな、なんて思っていました。
しっかりとこういう文化をNHKが保管していれば「四人囃子」の貴重な映像はあるはずです。
3番目は「岡林信康withはっぴいえんど」で「私たちの望むものは」です。
70年第2回全日本フォークジャンボリーでのライブ。
岡林信康あたりになるとさすがに私より5~10歳上の世代です。
年代的には古いですが、こういうウッドストック的な大会ですから、全てではないにしろ結構映像は残っていそうですね。
(多分「中津川フォークジャンボリー」とか「春一番コンサート」のビデオがあったはず)
一応バックははっぴいえんどですが、ほとんで岡林のアップでバックは最後の方に少し映るぐらいです。細野さんは分かりやすいです。
4番目は「めんたんぴん」の「コンサートツアー」です。
76年の第3回夕焼け祭りでのライブ。
レコード、一枚も持っていません。
当時名前はかなり聞いていたんですけど、一度ぐらいライブ見たのかな、記憶がないです。
もし見たとすれば八王子サマーランドの裏手でやったコンサード。
う~ん、やはり記憶にない。
映像見ると結構かっこいいです。
5番目は「ゴダイゴ」の「モンキーマジック」。
80年の中国、天津市でのライブ。
当然ヒット曲多数持つバンドですが、ヒット曲以外は知らない、という存在でしょうか。
なんか当時の日本のロックの中で位置がどうも「GS全盛時のブルーコメッツの位置」というか。
ヒット曲「ビューティフルネーム」は国際児童年のテーマソングだったりして、どうも「優等生ロックバンド」のイメージが先攻してまともにアルバムとか聞いていないバンドです。
家にCDはあるんですけどね。
今と違ってロックバンドがテレビに出るなんていう事はめったになかった70年代ですが、だからこそ、逆にそういう番組はチェックしていました。
同年代で「矢沢永吉ファン」と話した事があるのですが、「キャロル」登場の「リブヤング」を知らなかったものなぁ。
さすがに大橋巨泉、星加ルミ子の「ビートポップス」は記憶の彼方ですが、愛川欽也、今野雄二のリブヤングはまだ記憶に多少は残っています。
話が横道にそれました。
なんの番組だかは覚えていませんが、デビュー前のゴダイゴをテレビで見てます。
まだゴダイゴという名前がなく「武川行秀とミッキー吉野グループ」として登場しています。
歌った曲名はわかりませんが、英語の歌で作詞は奈良橋陽子でしたね。
6番目は「シーナ&ロケット」の「ユー・メイ・ドリーム」。
80年、フジテレビ「夜のヒットスタジオ」より。
まだ「夜のヒットスタジオ」ってやっていたんですね。
司会者は誰だろう。
当時シーナ&ロケットはかっこよかったですね。
「真空パック」は買いました。
サンハウスまでは遡って聞いたりはしてませんが「レモンティー」は知っています。
長くなりそうですが、後2つです。
7番目は「憂歌団」の「嫌んなった」。
76年フジテレビ「ニュー・ミュージック・スペシャル」のライブ。
木村のボーカルは凄いよね。
一度聞いたら忘れられない個性的な声と歌。
最初に聞いたのが後に放送禁止になってしまった「おそうじオバちゃん」。
強烈でした。
76年の夏の野外フェスティバル。
おおとりが「ウエスト・ロード・ブルース・バンド」でその前のステージが憂歌団。
渋滞だかなんだかで予定の時間になっても到着しない「ウエスト・ロード・ブルース・バンド」。
本来なら自分たちのステージ、終わっているのにずっと演奏してくれた憂歌団はいいバンドです。
おかげで「パチンコ~らんらんブルース」を2回も聴く事ができました。
最後8番目は「ジョニー、ルイス&チャー」で「スモーキー」です。
80年の日比谷野音でのライブ。
今見てもチャーはかっこいいですね。
76年のデビュー当時、あんなにカッコイイ日本のROCKはなかったです。
まだまだ関西ブルースパワー全盛の頃で、先に書いたウエスト・ロード・ブルース・バンドに上田正樹とサウストゥサウス、北京一とソーバッドレビュー、さらに大上留利子のスターキング・デリシャスと凄かったですからね。
「EAST WEST」がこの年からでしたが「8・8ロックデイ」は前からありましたから。
ジョニー、ルイス&チャーの話です。
この「ジョニー」というのは1番目に登場した「イエロー」でドラムを叩いていたジョニー吉長です。イエロー解散後にバックスバニーでドラムを叩いていました。
この頃ですかね、金子マリと結婚したのは。
で金子マリはチャーが最初に結成したロックバンド「スモーキー・メディスン」で一緒にやっていたボーカリストですね。
このステージでもたぶんバックボーカルで参加しています。
画面にちらっと映りますがはっきりは確認できません。
でも「声」でわかります。
それは一番多くのライブを見たのが金子マリですから。
一般的にチャーのヒット曲と言えば「気絶するほど悩ましい」「逆光線」「闘牛士」あたりでしょうか。「スモーキー」じゃないよね。
でも「スモーキー」はTOTO風になろうが、原曲がカッコイイROCKだから崩れない。
歌謡曲ではないもの。
そういえばチャーは生で一度も見た事なかったなぁ。
ゴダイゴはミッキー吉野とタケカワユキヒデの体型が当時と入れ替わってしまい、びっくりですよね!
>ミッキー吉野とタケカワユキヒデの体型が当時と入れ替わってしまい
って本当ですか。
知らなかったなぁ。
再結成したらボーカルがミッキーでタケちゃんは後ろで隠れるようにキーボードですかね
「武川行秀とミッキー吉野グループ」のTV映像が存在してたんですね!驚きです。
よろしければ、その映像について詳しいことを教えていただけませんか~?
チャーのCDは「Thrill」しか持ってませんが(ゴダイゴ絡みなので)、
「Wondering Again」は名曲だと思います!
「武川行秀とミッキー吉野グループ」に関してはブログに書いた記憶だけ、なんです。
曲目も覚えていないし、メンバーもすでに「ゴダイゴ」のメンバーだったかどうかも、わかりません。
テレビを見た時点で知っていたのは、ミッキー吉野だけで(ゴールデン・カップス解散後バークレー音楽院に留学した)という情報が頭の片隅にあり「ああ、帰って来たんだな」という認識で見ていました。
なのでその時点で「武川行秀って誰?」でしたもの。
ただ野外のライブでした。
スタジオではありません。
なので何組ものアーティストが参加する野外フェスティバルの模様を放送したものと思われます。
せっかくお越しいただいのに、お役に立てずにすみません。
チャーは戦略的にアイドルをしていた時期、ライブ会場が女の子ばかりになってしまい、「男性限定ライブ」などをしていたように思います。たぶんその頃ゴダイゴと一緒にライブやっていましたよね。
今はもうどっかいってしまいましたが、当時FM 東京でオンエアしたライブをエアチェックした覚えがあります。
野外フェスティバルですか。すると1974年の「郡山ワン・ステップ・ロックフェスティバル」かな?
以前NHKで放送されたらしいのですが、私は一度も見たことがないのです。
その貴重な映像を見られたのですね!羨ましいです。
「男性限定ライブ」の話は聞いたことがあります。こっそり男装した女性もいたとか何とか・・・。
ゴダイゴも昔は男性ファンばかりだったらしいのですが、ガンダーラがヒットした途端、女性ファンばかりになったと、
ミッキー吉野氏が雑誌でコメントしてました(笑)
FM東京のライブというと・・・これかな。
http://www4.plala.or.jp/yscompany/g/walkoff/03monkey_ln.htm
友人達が書いた、ゴダイゴファン側から見たレポートですけど。宜しければ思い出のよすがにでも読んでみてください。
どうもありがとうございました!
色々ネットで調べてみたのですが、「ミッキー吉野の公式サイト」にある「history」の「1974年~1985年」の中で「郡山ワン・ステップ・フェスティバル」の写真が一枚あります。
ステージを見るとどうも夜のステージのようです。
私が見たライブは昼間でした。
それとこの時点では「タケカワユキヒデ」の名前はないようです。
「74年ワン・ステップ・フェスティヴァル」
http://www.sound.jp/studio-g/godiego/history/740808OneStep.htm
このアドレスのサイトなんですが、ミッキー吉野グループ(第二次)をクリックすると、当時のメンバーが掲載されていますが「タケカワユキヒデ」はいません。もう少し詳しく見て行くと第四次のメンバーの時にタケカワユキヒデのバックを担当した、との記述が出てきます。
1975年4月以降のようです。
(その2へ続く)
1976年4月に日比谷野外音楽堂で「RockユNrollユ76」というロック・コンサートが行われているようです。
http://www.uchidayuya.com/biography/3.html
(上のアドレス「内田裕也の軌跡その3」に掲載)
出演者の中に「タケカワ・ユキヒデ+ミッキー吉野グループ」の名前があります。76年4月といえば「ゴダイゴ」名義でのデビュー・シングル「僕のサラダガール」が出た時ですよね。
ただ「僕のサラダガール」のCMで画面のクレジットは「タケカワユキヒデ」だったような記憶があるんですけど。
まあ30年前の話なんで記憶違いかもしれません。
なので私の見たライブは75年4月から76年4月の間のライブでしょう。
ちなみにこのサイトの下の方に「チャー」の項目があります。
その中で「チャーwithゴダイゴ」の項目があるのですが、結構面白いです。
もしご存じでしたら、すっ飛ばしてください。
で、ここに「HISTORYチャーとゴダイゴ」の項目がありまして、ここに私の聴いたラジオ番組が掲載されていました。
1978年9月17日(日曜日)「DENONライブコンサート」でした。
>ちなみにこのサイトの下の方に「チャー」の項目があります。
上記の「このサイト」とは
「74年ワン・ステップ・フェスティヴァル」
の事です。
ありがとうございます。
じっくり読んでみますね!
つくづく、ネットってすごいですね~。
こちらも色々調べて勉強になった事もたくさんあります。
またいつでも遊びに来て下さいね。