ば~ば~ば~ ば~ば~こずえの
しんしんしん しんや えいぎょう
たぶん、大瀧詠一の歌を初めて知ったの
はTBSラジオの深夜放送「馬場こずえ
の深夜営業」のテーマ曲での事。
「土曜の夜の恋人に」
土曜の深夜というか、日曜日の早朝と
いうか、そんな時間のラジオ番組。
軽快な音楽。
はっぴいえんどの頃はまだ子供。
リアルタイムでは知らない。
細野晴臣、鈴木茂はユーミンを通し
て知った。
松本隆は作詞家として。
大瀧詠一は名前は知っているけど、
曲は馬場こずえのテーマ曲ぐらい
だった。
後にサイダーのCMソングもそう
だったと知ることになるが。
このブログで何回か書いているけ
ど、1970年代ってフォークソ
ングは売れたけど、ポップス系の
歌は売れなかった。
唯一例外は荒井由実だけ。
山下達郎、大貫妙子がいたシュ
ガー・ベイブ。
80年代にブレイクしたけど、
70年代は売れなかった。
細野晴臣にしても、YMOの
ブームが来るのは80年代だ。
大瀧詠一も70年代は売れな
かった。
そして突如として表舞台に出
てきたのがCBSソニーから
発売された一枚のアルバムの
大ヒットによって。
「A LONG VACATION」
1981年3月に発売された
このアルバムの大ヒットによ
って世間的にも大瀧詠一の名
前が知られるようになり、松
田聖子や小林旭などにも楽曲
を提供するようになる。
夏。
1980年は山下達郎だった
が、翌年以降の夏の音楽はど
こに行っても大瀧詠一の「ロ
ング・バケイション」が流れ
ていた。
2013年12月31日。
買い物から帰宅し、テレビを
つける。
NHKのニュース。
飛び込んできたのは
「大瀧詠一氏、死去」
のニュース。
まだ、65歳。
ご冥福をお祈り致します。
Yahooニュース大滝詠一さん自宅で急死 リンゴを食べている時に…死因は…スポニチアネックス
しんしんしん しんや えいぎょう
たぶん、大瀧詠一の歌を初めて知ったの
はTBSラジオの深夜放送「馬場こずえ
の深夜営業」のテーマ曲での事。
「土曜の夜の恋人に」
土曜の深夜というか、日曜日の早朝と
いうか、そんな時間のラジオ番組。
軽快な音楽。
はっぴいえんどの頃はまだ子供。
リアルタイムでは知らない。
細野晴臣、鈴木茂はユーミンを通し
て知った。
松本隆は作詞家として。
大瀧詠一は名前は知っているけど、
曲は馬場こずえのテーマ曲ぐらい
だった。
後にサイダーのCMソングもそう
だったと知ることになるが。
このブログで何回か書いているけ
ど、1970年代ってフォークソ
ングは売れたけど、ポップス系の
歌は売れなかった。
唯一例外は荒井由実だけ。
山下達郎、大貫妙子がいたシュ
ガー・ベイブ。
80年代にブレイクしたけど、
70年代は売れなかった。
細野晴臣にしても、YMOの
ブームが来るのは80年代だ。
大瀧詠一も70年代は売れな
かった。
そして突如として表舞台に出
てきたのがCBSソニーから
発売された一枚のアルバムの
大ヒットによって。
「A LONG VACATION」
1981年3月に発売された
このアルバムの大ヒットによ
って世間的にも大瀧詠一の名
前が知られるようになり、松
田聖子や小林旭などにも楽曲
を提供するようになる。
夏。
1980年は山下達郎だった
が、翌年以降の夏の音楽はど
こに行っても大瀧詠一の「ロ
ング・バケイション」が流れ
ていた。
2013年12月31日。
買い物から帰宅し、テレビを
つける。
NHKのニュース。
飛び込んできたのは
「大瀧詠一氏、死去」
のニュース。
まだ、65歳。
ご冥福をお祈り致します。
Yahooニュース大滝詠一さん自宅で急死 リンゴを食べている時に…死因は…スポニチアネックス