「もったいない」のカテゴリーに入れてみた。
もったいないの精神は江戸時代に遡るとよく言われる。循環型社会の究極という見方もある。その例として、晴れ着が汚れて晴れ着でなくなると、普段着として着る。普段着としても着れなくなると、寝巻きにする。寝巻きでも、破れたりして着れなくなると赤ん坊のおしめにする。さらにぼろぼろになると雑巾に・・・・。雑巾としても使用不可になってはじめて捨てる・・・・・と言う具合である。
江戸時代の循環型社会は、資源欠乏の社会における選択の余地の無い状況で生み出されたものと考えているが、考え方は洗練されているように思う。上記の例は、典型的なカスケード利用である。
晴れ着をあくまでも晴れ着として、お金をつぎ込んでも維持するという考え方ではなく、価値のあるものから順次価値の無いものへ使用方法を変えて、とことん使い込む。その過程で無駄なお金などをかけないという考え方である。
現代の持続的社会でもカスケード型がよいと考えられている。リサイクルのように、バージンの原料にまで、エネルギーと資源を投入している例がある。それよりもモノは使っていけば、劣化もする、不純物も混入する、・・・・これらをそのありのままにその価値に従った利用を考える。そうすれば、無駄なエネルギーも資源も使わずに済む。
ところで、バイオマスについてもカスケード利用という考え方がある。5Fと言っているらしい。
価値の高いものからの順である。
食料 Food
繊維 Fiber
飼料 Feed
肥料 Fertilizer
燃料 Fuel
燃料が最も価値が低い。そのはずである。燃料として使ってしまえば、もはやバイオマスではなくなってしまう。
ところが、現在進められている穀物からのバイオエタノール生産は、いきなり価値の低い燃料を作り出そうとしている。カスケードを無視したやり方ではないか。その分、太陽エネルギーと土地のミネラル分としての肥料成分が無駄遣いしていることにはならないか。
とことん、食料、繊維、飼料、肥料として使ったあとのバイオマスのみを燃料とすることとしたいものだ。
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もったいないの精神は江戸時代に遡るとよく言われる。循環型社会の究極という見方もある。その例として、晴れ着が汚れて晴れ着でなくなると、普段着として着る。普段着としても着れなくなると、寝巻きにする。寝巻きでも、破れたりして着れなくなると赤ん坊のおしめにする。さらにぼろぼろになると雑巾に・・・・。雑巾としても使用不可になってはじめて捨てる・・・・・と言う具合である。
江戸時代の循環型社会は、資源欠乏の社会における選択の余地の無い状況で生み出されたものと考えているが、考え方は洗練されているように思う。上記の例は、典型的なカスケード利用である。
晴れ着をあくまでも晴れ着として、お金をつぎ込んでも維持するという考え方ではなく、価値のあるものから順次価値の無いものへ使用方法を変えて、とことん使い込む。その過程で無駄なお金などをかけないという考え方である。
現代の持続的社会でもカスケード型がよいと考えられている。リサイクルのように、バージンの原料にまで、エネルギーと資源を投入している例がある。それよりもモノは使っていけば、劣化もする、不純物も混入する、・・・・これらをそのありのままにその価値に従った利用を考える。そうすれば、無駄なエネルギーも資源も使わずに済む。
ところで、バイオマスについてもカスケード利用という考え方がある。5Fと言っているらしい。
価値の高いものからの順である。
食料 Food
繊維 Fiber
飼料 Feed
肥料 Fertilizer
燃料 Fuel
燃料が最も価値が低い。そのはずである。燃料として使ってしまえば、もはやバイオマスではなくなってしまう。
ところが、現在進められている穀物からのバイオエタノール生産は、いきなり価値の低い燃料を作り出そうとしている。カスケードを無視したやり方ではないか。その分、太陽エネルギーと土地のミネラル分としての肥料成分が無駄遣いしていることにはならないか。
とことん、食料、繊維、飼料、肥料として使ったあとのバイオマスのみを燃料とすることとしたいものだ。
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