川の流れのように。

私は昭和25年団塊の世代の一年遅れの世代です、毎朝高知の鏡川べりを
散歩しています、

平成29年7月9日(日)AM10:30~ 入交好保先生 墓参

2017-07-10 17:20:40 | 日記
いりまじり よしやす
(1903~1996)社会運動家、事業家、地方自治功労者
明治36年8月25日、好徳、勢の長男として、香美郡田村(南国市)に生まれた。
父は県立高知第一女学校の教諭。
好保は早稲田大学法学部2年生の夏休みに、当時京都大学生、土居清美、信清浩男、朝田盛と発起して県下の青年に呼びかけ、坂本龍馬の銅像を作ろうと決意。昭和3(1928)年5月に桂浜岩頭に像の建立をなしとげた。
その後すぐ家運が零落し、家屋敷も跡がなくなった。その年安芸盛の日本労農党に入党。12月に土佐電気鉄道㈱のストライキを安芸盛のもとで実行。同年最後の日に争議は解決した。公平に見て労働者側の勝ちであり、これを見て県下の労働者が立ち上がる契機となった。
11年、中国北部へ渡り、12年12月大陸で華北交通の自動車修理業務を始める。しかし20年8月の終戦を迎え、翌21年5月内地へ引き揚げる。
日章村長になったが、在職2ヶ月で公職追放となる。26年追放解除。
追放中の24年の春、高知明治糖業㈱を設立し社長となる。同社の工場を香美郡の岸本に作っていたが、1年もしないうちに砂糖の価格統制の解除のため破産。これと並行して物部川永瀬ダムを大栃に作るために取り組み、大臣や代議士をフルに使って目的を達成した。25年11月、起工式には発破のボタンを押す。
31年10月から38年3月まで溝渕増巳知事の県政顧問となる。県政発展のための諸事業を発案、実行されたが、中でも分収造林特別措置法を制定し、これを全国に展開させた。33年4月高知県だけに県単位の連合会が制定され、生産森林組合が60余りもできた。

38年㈱園芸資材センターを設立。園芸作物用のダンボール箱製作工場である。
49年6月、高知空港の第1期拡張の公聴会に公述人として参加、地元有力者として力を発揮し、数年後の第2期拡張にも尽力した。
香美郡夜須町手結山に手結山開発観光㈱を設立して、ゴルフ場を41年に造り始め、同年夏起工式、その後完成させた。
当時のゴルフ場は、県内では正連寺だけであった。43年香美郡夜須町手結山に手結山観光ホテルを開設した。
49年4月からこのゴルフ場の北裏、安芸郡芸西村
にある山上に(社)考える村を作り始め、55年11月、中央施設である考堂が完成。
その他、県内に優秀な活動をした若者のために龍馬賞を制定。この基金の1000万円の半額は好保の負担。賞金は利息や寄付金によって毎年捻出されている。
平成元(1989)年6月、考える村の山上伝い南方1キロメートルにある石鎚神社本殿の改築を自費で行うなど幾多の神社仏閣の修復、改築、新築をした。
平成8年8月27日、心臓病のため没。93歳。墓は南国市田村。
著書は「高知県社会運動史」「銅像物語」「嗚呼、安芸盛」「龍馬読本」「ふるさと昭和の証言」「反骨の風土記」。
(高知新聞社 高知県人名事典より引用)

郷土偉人顕彰の会 岡崎洋一郎 会長 挨拶。佐竹敏彦 会員の祝詞,奉上。





考える村 北村幸次郎 前理事長,山本長水 理事、龍馬賞基金 幹部,事務局、入交先生と生前親しかった方々等14名が参拝後、近くの農家レストランで直会しました。





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