あらすじ:
ここに一枚の写真がある…
この国を知っているもの日本国内ではまずいない…僅かに東欧地域を周遊している旅行者のみが知っている国だ…
名前を沿ドニエストル共和国という。
何でもここは”自称・独立国”らしく、日本で発行している世界地図ではモルドバ国内となっており、当然国として認められておらず、その存在が通常知られることの無い国だ。(詳しくは非公認の国々の沿ドニエストル共和国を参照)
この国は別称「幻のソ連」が生き続けている国と言われており、また独自通貨を持つことからもこのプロフェッショナルにとっては避けられない国であり、この国に入ることがセカンドミッションのヨーロッパ地域での最大のハイライトといっても過言では無いだろう…
問題は「旅行者が入れば必ず揉め事になる」という悪名高き国であったことである。
この風評を聞き知っていた私はセカンドミッション開始時から”この国に入ることだけを常に考えながら”細心の注意を払って行動してきた。
セカンドミッション始めの、そして出来れば最後になって欲しいこの「激闘の記録」その詳細を今から包み隠さず伝えていこう…
第1章:出会い... (2006.10.10)
事の起こりは一人の男との出会いであった。リトアニアの首都ヴィリニスであったこの男は名前をモスプーチン(仮名、敬称略、怒らないで下さいね...日系0世の日本人)といい、この時、東欧地域をほとんどくまなく回りおえており、自分では「旧共産圏マニア」と説明していた。不思議なことにその親玉のロシアにはまだ行っていなかったがこれから私が周ろうとしている国々の情報を握っているようなそんな男であった。
私が「持ち前の貧乏性のために一度行った地域の国は可能な限り全て入る」とモスプーチンに伝えると、彼はこんなことを言って来た。
「じゃあ、沿ドニエストルにも行くんですね!」
「…」
「へっ???なんですかそんな国はあるんですか???」
どうやら彼によるとモルドバの国内に”自称独立国”を名乗る国があり、そこに自国通貨が流通しているらしい…、彼が言うには旅行者は入出国時に殆ど揉め事になるらしく、その為に彼は色々と調べて対策を練り全く揉めることなく入出国をすることが出来たらしい。その彼の取ったルートはモルドバの首都キシナウから沿ドニエストルの首都ティラスポールへ行って一泊し、またモルドバに戻ったらしい。片道の時間を尋ねると乗り継ぎも入れて大体2.5時間くらいらしく日帰りしても
十分見て周れるということだ…
「コイツは逃すわけにはいけない…」
日帰りでお手軽にいけて首都を見て帰ってこれる…
揉めないためのやり方を聞くとなんでも「5ドル」がキーワードらしく、彼が入国した際に同行した日本人がいたそうだがモスプーチンは笑顔で渡してなんら揉めなかったがその同行者は「賄賂かこれは!」と揉め、彼のほうは結局税関で15ドル、イミグレで15ドル払っての入国になってしまったらしいということだ。
それにただ5ドルを払うわけでなく、その領収証が貰えるらしくそれを出国時に返納するという手続きで揉めなかったと言うことだ…
考えても見て欲しい、自称独立国とはいいながらも世界中全ての国から認められていないために大使館は海外に置く事が出来ず、この国に入ろうとするにはこちらは始めからビザ無しで国境で何とかするというやり方しか残されていないのだ。5ドルなら単なる入場料と思えば何の問題もない。
私はそう思って、この「手軽に行ける自称独立国」への入国を決意した…
そして考えては見て欲しく無いのが「あらすじではさも全てしって最初からやり始めたことかのように書いているが実はここで始めて知って適当に決断している」という私のいい加減差についてである…
嘘をついておりました…ゴメンなさい...
第2章:キエフから...(2006.11.02)
リトアニア以降に数カ国を周ってから10月の31日にウクライナの首都キエフに到着。夜行をりようしたので着いたのは朝の0600時頃であった。
モスプーチンからキエフ駅内に安く泊まれるホテルがあると聞いていたので行ってみたら昼の1200時からしかチェックインできず予約も無理といわれたので荷物を駅に預けモルドバのビザの申請に行く、まずはモルドバに入国できる態勢にしなくては話にならない。大使館には0930時に着いたが受付は1000時からで結局待たされ、手続きが終わってようやく大使館を出れたのが1100時頃、少し観光しながら戻ったので駅に到着したのは1400時頃となった。夜行ではそんなに寝れなかったのでとにかく駅ホテルにチェックインして休もうとしたら「満室」と言われる...、朝の0600時には駅にいて、今もまだ1400時なのにツイてない...、幸い駅の2階にホテル紹介の旅行代理店があり駅のすぐ近くのアパートの民泊を斡旋していたので20㌦の出費でなんとか寝床を確保したが駅ホテルのドミなら10㌦しなかったので出費の面でも少し痛かった。
この後にモルドバの首都のキシナウまでの列車のチケットを取りに行ったが市内にある国際列車の発券所では聞く窓口聞く窓口でオンラインであるにもかかわらず毎回異なる事を言われるという不可解な出来事に遭遇し、盥回しにされながら3つ窓口をまわって何とかチケットを購入することが出来た。買ったチケットは11月2日の深夜の0347時発でその日の1940着と全く旨みの無いチケットであったが1日3便あるうちのそれしか空席がなかったので行けるだけでも満足しなければならないのだろう...、そして本当の勝負はキシナウについてから始まるのだから...
第3章:沿ドニエストルの影...
キエフを予定通りに出発、車内に入って時刻表を確認する。キリル語は全く読めないが取り敢えず数字といつ国境を越えるかぐらいは何とか分かる様になっていたので国境まではのんびり2度寝をすることにした、昼頃一度起きるともうボーダーをとっくに通過してもいい時間になっていた。私は少し訝しがりながら車両係(旧共産圏の寝台に乗るとその車両の係がいてその者が乗客の管理をしていることが殆どである)の女性に聞くとジャスチャーでなにやら私に「ここに貼ってある時刻表は今は全く違って役に立たなくなっている」と言うことらしい。時刻表といってもA4サイズの紙に何処に何時発着と簡単にプリントアウトされているものなのに差換えもしないとはいい加減だがしつこく聞いて実は到着は夜中の0000時頃だと何とか理解した。
それにしてもキエフでチケットを買った時はそんな話は聞かなかったし持っているチケットに書かれている時間にも変更された時刻は記載されていない。持っている地図と駅を照合しながらルートを割り出していくと壁に貼られている時刻表は「沿ドニエストル」国内を通過するルートになっており、今私が走っているルートはそれを大きく迂回する形になっていることが判明した。
「沿ドニエストルの存在...」
今まで話で聞いていたことが私の心の中に現実感を伴って現れてくる...
到着時間が深夜になるという嫌な状況も心理的に加算され、沿ドニエストルの影を大きく感じることとなっていた...
結局真夜中に到着、駅構内で野宿を決め込もうかどうか悩んだが新築されたキレイな駅の中には規模も小さいことがあってベンチなどもなく、悩んだ挙句に外に出てホテルを探し、何軒か周って結局自分に会う条件のホテルにチェックインしたのは0200時となってしまった。
寝台で移動していただけとは言え、新しい国に入国し、知らない場所で深夜にホテルを探していた疲労も伴ってチェックインして荷物を沿ドニエストル用に準備したてベッドに身を投げ出したら、そのまま落ちるように寝入ってしまった...
明日はいよいよ沿ドニエストルだ...
第4章:出撃!沿ドニエストルへ...
私は通常首都には必ず1泊して街を楽しむことにしていて、それをしなかった国はレソト(南アフリカ共和国の中にある国)に日帰りで行ったときだけだった。
「1泊するかそれとも日帰りで抜けるか?」
沿ドニエストルの首都ティラスポールは2,3時間で簡単に見ることは出来ると聞いていたので色々と悩んだが結局日帰りを選択することにした。
決め手は
「どうせモルドバに戻ってくるのでわざわざ荷物を持って行って1泊するのが面倒くさい」
というなんとも適当な理由であった。
それにやり方を聞いているとはいえ、「行ってトラブルになる国」に長時間滞在するほどの勇気などかけらほど持ち合わせていない。こちらは「チキン」を売り物にしているほどの「豪の臆病者」である。持ち前の貧乏性のせいで今ならちょっとお金を付け足せば新しい国が見れるしアクセスも簡単だから行かないのが勿体無いという理由だけで入国を決めているのでここは始めから”逃げ腰”に徹するのがこのプロフェッショナルとしては妥当なところであろう。
11月3日、昨日寝たのが遅かったので早く起きれず朝の1000時になってようやくホテルを出てキシナウのバス停に向かう、幸いティラスポール行のバスは簡単に見つかりチケットを購入したときにチケット売り場のおばさんがお釣の小銭を渡さなかったと言うことに後で気付くハプニングはあった物の自分の乗る車両を確保する。出発は1100時だった...
バスは大型でティラスポールへ直通だ。ぼろいバスではあったが順調に飛ばしボーダーには1230頃に到着。
いよいよ”沿ドニエストル戦線”の本番開始となった...
第5章 潜入!沿ドニエストル
バスがボーダーで停止し、軍服をきた沿ドニエストル兵が中に入ってくる。東洋系の顔立ちをした乗客は私しかいない。当然の如く私は彼について来るように促され、ボーダーを通過してすぐ横にある小屋に入ることになる。アフリカ等で何回も経験したことだがこれは軍警察に違いないだろう。担当は恐らく税関関係では...
中には二人の兵士がいて、入国目的を問われ、私はロシア語の会話集からメモ帳に写していた「観光」と「日帰り」の文字をみせる。目的地は「ティラスポリ」。残念ながらこれ以上の言葉は持ち合わせていない。後の武器は「スマイル」だけである...。モスプーチンの「揉めたら高く払わされる」の一言が私の頭の上に重く圧し掛かっていた...
兵士達は取り敢えず私の内容を理解したらしく、質問を切り替えてしてきた。今度は簡単だ...
「ユーロ?ダラー??」
モスプーチンの行っていた「5ドル」と言うのはこのことに違いない!
私は
「ダラー」
と答えおもむろに財布から笑顔で5ドル取り出す。
そうすると兵士達は笑顔で首を振り今度は私の財布を指差しながらたどたどしい英語で
「ユーロ?ダラー??ハウマッチ??」
と聞いてきた。これなら私も納得がいく。単なる所持金の額を確認したいだけである。私は腰巻方の財布にカードや現金を入れているが、今回は日帰りでやっつけ仕事のつもりできているのでその金額を言ってしまうと多すぎるので、胸ポケットの小銭入れにドニエストルで両替するために分けて入れていた分の金額を財布を見せながら彼らに答える。
「45ドル、ノーユーロ」
彼らはそれを書類に記載するわけでもなく笑顔で行っていいよと示してくれた。第一関門は無事クリアーだ。
小屋の外に出てバスに戻ろうとすると別の兵士が私にもう一つの小屋に行くように指示を出す。
今度は見た目からして簡単だ。イミグレである。
4つカウンターがあり、そのうちの3つが開いている。私がそのうちの一つに行くとロシア語しか通じないと聞いていたのに係のものは英語で私に問いかけてきてビックリさせられる。
しかし英語なら状況は大分楽だ。私は税関のときと同様に入国目的と日帰りする意志を告げると、日帰りの半券の料金を私に告げる。約75円...
パスポートに入国スタンプが押されることもなく、その半券を貰ってそれで手続きが終わる。
あっけなかったが取り敢えずは入国完了だった...
しかし、「家に帰るまでが遠足」だ。
出足が好調なのは良いことだが油断はしてはならないだろう...
第6章 熱い歓迎!首都ティラスポリ!!
ティラスポリには1300時に到着、銀行で両替し、早速外に出たら紙切れと好評の独自通貨「ドニエストルルーブル」を手にし街歩きを始める。首都とは言え総人口は65万人程度の国の首都で20万人を割る規模の都市なのでその中心はコンパクトである。まともに歩いても2時間もあれば見所は終わりだ。博物館は驚くほどしょぼい代わりに驚く程安く、写真撮影料を入れても30円ぐらいだったので2軒入って時間を潰す。博物館内のパンフレットも下は15円から上と言っても100円しないという激安振りだ!本屋に入って地図も購入できる。航空写真入りが裏面に入ったものだったので300円したがそれほど高くは無い金額だ。そんなことをしながら街を歩いていると驚くべき光景に出会うことになる!
なんと大量の兵士達が大通りで隊列をくみ私を歓迎するためだけにパレードを開始したのである...
ボーダーでトラブル無しに入国できた理由がこれで説明が行く、私は東洋からきた”客人”であったのだ...
私の目の前を兵士が通り敬礼する。
決して私は軍事パレードの予行演習をただ見学しているわけではなく、彼らは私に敬意を表してパレードを行なっているのだ!!
兵士達だけではなく、車両に乗った指揮官クラスの軍人まで私に敬礼して歓迎する...
決して私は軍事パレードの予行演習をただ見学しているわけではなく、指揮官すらも”私に敬意を表して”パレードを行なっているのだ!!
私の目から涙が零れ落ちる...、私がパスポートを所持する日本国は当然のことながら「沿ドニエストル」の存在を認めていない...
それなのに”彼らは私を東洋から来た客人”として最大限の敬意を表してきているのだった...
「ティラスポリに来て良かった...」
私はこころからそう思い始めていた...
あれだけ歓迎されたはずなのに不思議とパーティー等には呼ばれなかったがまあこれは私が日帰りとボーダーで申告していたので気を使ったのだろう。予定通りモルドバに帰ることにする。
バスのチケットを買い、1700時に出発、ボーダーには1730時ごろ、日は落ちて辺りを暗闇が包み始めていた...
第7章 出国、そして...
ボーダーでは予想通り私だけが下ろされまずはイミグレに、半券を渡すと向こうも笑顔で受け取る。そして税関へ、入国時の係の軍人がまだ交代しておらず、笑顔で私を迎え入れる。
私も笑顔で答え、彼らに博物館で買ったパンフを見せていかにもティラスポリは良かったよということをジェスチャーで伝える。まあ友好的という意味では完璧だろう。
彼らも「そうかそいつは良かったね」という表情だ。ここをでればドニエストルは終了である。
そして別れ際、彼らはこう切り出してきた...
「5ドル...」
「...」
「てっきり忘れていると思ったけどやっぱり払わせるのね(涙)...」
まあでもこれはモスプーチンから聞いていた話と大差は無い、国交の無い国に入国しているのだから5ドルは”入場料”だ!それに熱い歓迎も受けている。
ちょっと逡巡したが一応モルドバのお金では?と聞くと8ドル分ぐらいになってしまうので5ドルを渡す。領収証がなかったのはいかにもインチキ臭いがこれくらいは良いだろう。
バスに戻ってモルドバの首都キシナウへ向かう。
「沿ドニエストル戦」
はとにもかくにもこれで終わったのである...
そして今回わざわざ「激闘の記録」として記載したこの「ドニエストル川沿いの戦い」についてふと振り返る...
「一度も戦ってねぇ...」
と...
ここに一枚の写真がある…
この国を知っているもの日本国内ではまずいない…僅かに東欧地域を周遊している旅行者のみが知っている国だ…
名前を沿ドニエストル共和国という。
何でもここは”自称・独立国”らしく、日本で発行している世界地図ではモルドバ国内となっており、当然国として認められておらず、その存在が通常知られることの無い国だ。(詳しくは非公認の国々の沿ドニエストル共和国を参照)
この国は別称「幻のソ連」が生き続けている国と言われており、また独自通貨を持つことからもこのプロフェッショナルにとっては避けられない国であり、この国に入ることがセカンドミッションのヨーロッパ地域での最大のハイライトといっても過言では無いだろう…
問題は「旅行者が入れば必ず揉め事になる」という悪名高き国であったことである。
この風評を聞き知っていた私はセカンドミッション開始時から”この国に入ることだけを常に考えながら”細心の注意を払って行動してきた。
セカンドミッション始めの、そして出来れば最後になって欲しいこの「激闘の記録」その詳細を今から包み隠さず伝えていこう…
第1章:出会い... (2006.10.10)
事の起こりは一人の男との出会いであった。リトアニアの首都ヴィリニスであったこの男は名前をモスプーチン(仮名、敬称略、怒らないで下さいね...日系0世の日本人)といい、この時、東欧地域をほとんどくまなく回りおえており、自分では「旧共産圏マニア」と説明していた。不思議なことにその親玉のロシアにはまだ行っていなかったがこれから私が周ろうとしている国々の情報を握っているようなそんな男であった。
私が「持ち前の貧乏性のために一度行った地域の国は可能な限り全て入る」とモスプーチンに伝えると、彼はこんなことを言って来た。
「じゃあ、沿ドニエストルにも行くんですね!」
「…」
「へっ???なんですかそんな国はあるんですか???」
どうやら彼によるとモルドバの国内に”自称独立国”を名乗る国があり、そこに自国通貨が流通しているらしい…、彼が言うには旅行者は入出国時に殆ど揉め事になるらしく、その為に彼は色々と調べて対策を練り全く揉めることなく入出国をすることが出来たらしい。その彼の取ったルートはモルドバの首都キシナウから沿ドニエストルの首都ティラスポールへ行って一泊し、またモルドバに戻ったらしい。片道の時間を尋ねると乗り継ぎも入れて大体2.5時間くらいらしく日帰りしても
十分見て周れるということだ…
「コイツは逃すわけにはいけない…」
日帰りでお手軽にいけて首都を見て帰ってこれる…
揉めないためのやり方を聞くとなんでも「5ドル」がキーワードらしく、彼が入国した際に同行した日本人がいたそうだがモスプーチンは笑顔で渡してなんら揉めなかったがその同行者は「賄賂かこれは!」と揉め、彼のほうは結局税関で15ドル、イミグレで15ドル払っての入国になってしまったらしいということだ。
それにただ5ドルを払うわけでなく、その領収証が貰えるらしくそれを出国時に返納するという手続きで揉めなかったと言うことだ…
考えても見て欲しい、自称独立国とはいいながらも世界中全ての国から認められていないために大使館は海外に置く事が出来ず、この国に入ろうとするにはこちらは始めからビザ無しで国境で何とかするというやり方しか残されていないのだ。5ドルなら単なる入場料と思えば何の問題もない。
私はそう思って、この「手軽に行ける自称独立国」への入国を決意した…
そして考えては見て欲しく無いのが「あらすじではさも全てしって最初からやり始めたことかのように書いているが実はここで始めて知って適当に決断している」という私のいい加減差についてである…
嘘をついておりました…ゴメンなさい...
第2章:キエフから...(2006.11.02)
リトアニア以降に数カ国を周ってから10月の31日にウクライナの首都キエフに到着。夜行をりようしたので着いたのは朝の0600時頃であった。
モスプーチンからキエフ駅内に安く泊まれるホテルがあると聞いていたので行ってみたら昼の1200時からしかチェックインできず予約も無理といわれたので荷物を駅に預けモルドバのビザの申請に行く、まずはモルドバに入国できる態勢にしなくては話にならない。大使館には0930時に着いたが受付は1000時からで結局待たされ、手続きが終わってようやく大使館を出れたのが1100時頃、少し観光しながら戻ったので駅に到着したのは1400時頃となった。夜行ではそんなに寝れなかったのでとにかく駅ホテルにチェックインして休もうとしたら「満室」と言われる...、朝の0600時には駅にいて、今もまだ1400時なのにツイてない...、幸い駅の2階にホテル紹介の旅行代理店があり駅のすぐ近くのアパートの民泊を斡旋していたので20㌦の出費でなんとか寝床を確保したが駅ホテルのドミなら10㌦しなかったので出費の面でも少し痛かった。
この後にモルドバの首都のキシナウまでの列車のチケットを取りに行ったが市内にある国際列車の発券所では聞く窓口聞く窓口でオンラインであるにもかかわらず毎回異なる事を言われるという不可解な出来事に遭遇し、盥回しにされながら3つ窓口をまわって何とかチケットを購入することが出来た。買ったチケットは11月2日の深夜の0347時発でその日の1940着と全く旨みの無いチケットであったが1日3便あるうちのそれしか空席がなかったので行けるだけでも満足しなければならないのだろう...、そして本当の勝負はキシナウについてから始まるのだから...
第3章:沿ドニエストルの影...
キエフを予定通りに出発、車内に入って時刻表を確認する。キリル語は全く読めないが取り敢えず数字といつ国境を越えるかぐらいは何とか分かる様になっていたので国境まではのんびり2度寝をすることにした、昼頃一度起きるともうボーダーをとっくに通過してもいい時間になっていた。私は少し訝しがりながら車両係(旧共産圏の寝台に乗るとその車両の係がいてその者が乗客の管理をしていることが殆どである)の女性に聞くとジャスチャーでなにやら私に「ここに貼ってある時刻表は今は全く違って役に立たなくなっている」と言うことらしい。時刻表といってもA4サイズの紙に何処に何時発着と簡単にプリントアウトされているものなのに差換えもしないとはいい加減だがしつこく聞いて実は到着は夜中の0000時頃だと何とか理解した。
それにしてもキエフでチケットを買った時はそんな話は聞かなかったし持っているチケットに書かれている時間にも変更された時刻は記載されていない。持っている地図と駅を照合しながらルートを割り出していくと壁に貼られている時刻表は「沿ドニエストル」国内を通過するルートになっており、今私が走っているルートはそれを大きく迂回する形になっていることが判明した。
「沿ドニエストルの存在...」
今まで話で聞いていたことが私の心の中に現実感を伴って現れてくる...
到着時間が深夜になるという嫌な状況も心理的に加算され、沿ドニエストルの影を大きく感じることとなっていた...
結局真夜中に到着、駅構内で野宿を決め込もうかどうか悩んだが新築されたキレイな駅の中には規模も小さいことがあってベンチなどもなく、悩んだ挙句に外に出てホテルを探し、何軒か周って結局自分に会う条件のホテルにチェックインしたのは0200時となってしまった。
寝台で移動していただけとは言え、新しい国に入国し、知らない場所で深夜にホテルを探していた疲労も伴ってチェックインして荷物を沿ドニエストル用に準備したてベッドに身を投げ出したら、そのまま落ちるように寝入ってしまった...
明日はいよいよ沿ドニエストルだ...
第4章:出撃!沿ドニエストルへ...
私は通常首都には必ず1泊して街を楽しむことにしていて、それをしなかった国はレソト(南アフリカ共和国の中にある国)に日帰りで行ったときだけだった。
「1泊するかそれとも日帰りで抜けるか?」
沿ドニエストルの首都ティラスポールは2,3時間で簡単に見ることは出来ると聞いていたので色々と悩んだが結局日帰りを選択することにした。
決め手は
「どうせモルドバに戻ってくるのでわざわざ荷物を持って行って1泊するのが面倒くさい」
というなんとも適当な理由であった。
それにやり方を聞いているとはいえ、「行ってトラブルになる国」に長時間滞在するほどの勇気などかけらほど持ち合わせていない。こちらは「チキン」を売り物にしているほどの「豪の臆病者」である。持ち前の貧乏性のせいで今ならちょっとお金を付け足せば新しい国が見れるしアクセスも簡単だから行かないのが勿体無いという理由だけで入国を決めているのでここは始めから”逃げ腰”に徹するのがこのプロフェッショナルとしては妥当なところであろう。
11月3日、昨日寝たのが遅かったので早く起きれず朝の1000時になってようやくホテルを出てキシナウのバス停に向かう、幸いティラスポール行のバスは簡単に見つかりチケットを購入したときにチケット売り場のおばさんがお釣の小銭を渡さなかったと言うことに後で気付くハプニングはあった物の自分の乗る車両を確保する。出発は1100時だった...
バスは大型でティラスポールへ直通だ。ぼろいバスではあったが順調に飛ばしボーダーには1230頃に到着。
いよいよ”沿ドニエストル戦線”の本番開始となった...
第5章 潜入!沿ドニエストル
バスがボーダーで停止し、軍服をきた沿ドニエストル兵が中に入ってくる。東洋系の顔立ちをした乗客は私しかいない。当然の如く私は彼について来るように促され、ボーダーを通過してすぐ横にある小屋に入ることになる。アフリカ等で何回も経験したことだがこれは軍警察に違いないだろう。担当は恐らく税関関係では...
中には二人の兵士がいて、入国目的を問われ、私はロシア語の会話集からメモ帳に写していた「観光」と「日帰り」の文字をみせる。目的地は「ティラスポリ」。残念ながらこれ以上の言葉は持ち合わせていない。後の武器は「スマイル」だけである...。モスプーチンの「揉めたら高く払わされる」の一言が私の頭の上に重く圧し掛かっていた...
兵士達は取り敢えず私の内容を理解したらしく、質問を切り替えてしてきた。今度は簡単だ...
「ユーロ?ダラー??」
モスプーチンの行っていた「5ドル」と言うのはこのことに違いない!
私は
「ダラー」
と答えおもむろに財布から笑顔で5ドル取り出す。
そうすると兵士達は笑顔で首を振り今度は私の財布を指差しながらたどたどしい英語で
「ユーロ?ダラー??ハウマッチ??」
と聞いてきた。これなら私も納得がいく。単なる所持金の額を確認したいだけである。私は腰巻方の財布にカードや現金を入れているが、今回は日帰りでやっつけ仕事のつもりできているのでその金額を言ってしまうと多すぎるので、胸ポケットの小銭入れにドニエストルで両替するために分けて入れていた分の金額を財布を見せながら彼らに答える。
「45ドル、ノーユーロ」
彼らはそれを書類に記載するわけでもなく笑顔で行っていいよと示してくれた。第一関門は無事クリアーだ。
小屋の外に出てバスに戻ろうとすると別の兵士が私にもう一つの小屋に行くように指示を出す。
今度は見た目からして簡単だ。イミグレである。
4つカウンターがあり、そのうちの3つが開いている。私がそのうちの一つに行くとロシア語しか通じないと聞いていたのに係のものは英語で私に問いかけてきてビックリさせられる。
しかし英語なら状況は大分楽だ。私は税関のときと同様に入国目的と日帰りする意志を告げると、日帰りの半券の料金を私に告げる。約75円...
パスポートに入国スタンプが押されることもなく、その半券を貰ってそれで手続きが終わる。
あっけなかったが取り敢えずは入国完了だった...
しかし、「家に帰るまでが遠足」だ。
出足が好調なのは良いことだが油断はしてはならないだろう...
第6章 熱い歓迎!首都ティラスポリ!!
ティラスポリには1300時に到着、銀行で両替し、早速外に出たら紙切れと好評の独自通貨「ドニエストルルーブル」を手にし街歩きを始める。首都とは言え総人口は65万人程度の国の首都で20万人を割る規模の都市なのでその中心はコンパクトである。まともに歩いても2時間もあれば見所は終わりだ。博物館は驚くほどしょぼい代わりに驚く程安く、写真撮影料を入れても30円ぐらいだったので2軒入って時間を潰す。博物館内のパンフレットも下は15円から上と言っても100円しないという激安振りだ!本屋に入って地図も購入できる。航空写真入りが裏面に入ったものだったので300円したがそれほど高くは無い金額だ。そんなことをしながら街を歩いていると驚くべき光景に出会うことになる!
なんと大量の兵士達が大通りで隊列をくみ私を歓迎するためだけにパレードを開始したのである...
ボーダーでトラブル無しに入国できた理由がこれで説明が行く、私は東洋からきた”客人”であったのだ...
私の目の前を兵士が通り敬礼する。
決して私は軍事パレードの予行演習をただ見学しているわけではなく、彼らは私に敬意を表してパレードを行なっているのだ!!
兵士達だけではなく、車両に乗った指揮官クラスの軍人まで私に敬礼して歓迎する...
決して私は軍事パレードの予行演習をただ見学しているわけではなく、指揮官すらも”私に敬意を表して”パレードを行なっているのだ!!
私の目から涙が零れ落ちる...、私がパスポートを所持する日本国は当然のことながら「沿ドニエストル」の存在を認めていない...
それなのに”彼らは私を東洋から来た客人”として最大限の敬意を表してきているのだった...
「ティラスポリに来て良かった...」
私はこころからそう思い始めていた...
あれだけ歓迎されたはずなのに不思議とパーティー等には呼ばれなかったがまあこれは私が日帰りとボーダーで申告していたので気を使ったのだろう。予定通りモルドバに帰ることにする。
バスのチケットを買い、1700時に出発、ボーダーには1730時ごろ、日は落ちて辺りを暗闇が包み始めていた...
第7章 出国、そして...
ボーダーでは予想通り私だけが下ろされまずはイミグレに、半券を渡すと向こうも笑顔で受け取る。そして税関へ、入国時の係の軍人がまだ交代しておらず、笑顔で私を迎え入れる。
私も笑顔で答え、彼らに博物館で買ったパンフを見せていかにもティラスポリは良かったよということをジェスチャーで伝える。まあ友好的という意味では完璧だろう。
彼らも「そうかそいつは良かったね」という表情だ。ここをでればドニエストルは終了である。
そして別れ際、彼らはこう切り出してきた...
「5ドル...」
「...」
「てっきり忘れていると思ったけどやっぱり払わせるのね(涙)...」
まあでもこれはモスプーチンから聞いていた話と大差は無い、国交の無い国に入国しているのだから5ドルは”入場料”だ!それに熱い歓迎も受けている。
ちょっと逡巡したが一応モルドバのお金では?と聞くと8ドル分ぐらいになってしまうので5ドルを渡す。領収証がなかったのはいかにもインチキ臭いがこれくらいは良いだろう。
バスに戻ってモルドバの首都キシナウへ向かう。
「沿ドニエストル戦」
はとにもかくにもこれで終わったのである...
そして今回わざわざ「激闘の記録」として記載したこの「ドニエストル川沿いの戦い」についてふと振り返る...
「一度も戦ってねぇ...」
と...