ゴルコサーティーワン!その激闘の記録!

この世界は・・・
”チキン”だけが”生き残る資格”
を持っている・・・

第12話 お上...

2005-10-10 18:44:19 | 第12話 お上...
あらすじ:

 西アフリカにはナイジェリアという人口が1億7000万人いる大国がある。アフリカ人の約1/6がナイジェリア人という高い比率である。

 また、この国はその犯罪の多さや凶悪さからいって「犯罪大国」として知られ、近隣諸国はもとよりアフリカ中にその悪名を轟かせている。こういったことから旅行者の多くはこの国を避けているが、この私、「デューク東城」チャドからベナンへ抜けるにはここを通過するより他の手段はなかった。

 しかし、ここはやはり「犯罪大国」ナイジェリアだった!


      果たして無事に通過をする事は出来るのか?

       どうする!ゴルコサーティーワン!!





第1章 入国

 2005年10月5日、チャドのンジャメナを出発し、カメルーンの北部の一部を通過してフォトコルというボーダーに到着する。

 ここに来る前にナイジェリアの悪評は色々と聞いていたしガイドブックに書かれた内容も酷い物だった。

 一例を挙げると「旅行人」という日本のガイドには「景気低迷による悪化に加えて民族対立が強い相互不信を生み、汚職や腐敗も酷く警官や役人の質も最悪、犯罪率も高く国際企業向けの犯罪まで最近は増えている」ということであり、また郵便局に関する記事では「郵便物が消える確率はその厚みに比例する」らしい。

 ロンリープラネットという海外のガイドにいたっては観光の見所の一つに「ラゴス(人口1200万人といわれる西アフリカ最大の都市)で生き残る事」と意味不明な記述まである。

 外務省の渡航情報も大同小異で「○月○日にラゴス中心地のどこそこで武装強盗があり、現地企業の外国人が殺害された」等というありがたくない記事がいっぱい載っている。

 私が出会ったナイジェリアを通過してきた旅行者は一様に「そんなに危険ではなかったですよ」といっていたが、私に出会った時点で彼らが無事なのは明白であり、あまり参考にはならない。

 そんな彼らも「ボーダーは嫌なところでしたよ。賄賂請求はしてくるし、1ヶ月ビザを持っているのに滞在日数は14日しかくれない(人により最短7日~最長21日だった)なんて結構酷いですよ」という意見は共通していた。治安はおいていても「官憲の腐敗」は中央アフリカ諸国と変わらずに酷いようだ。

 ちっぽけな橋を越え、ナイジェリア領内に入る。さっそく橋の出口の脇にちっちゃな小屋があり、私を見つけて呼び止める。

 私のパスポートを提出させ、台帳に記帳する。コイツの次の考えはもうお見通しだ。まあいい、取り敢えずは第1ゴングでも鳴らしてもらおうか...

 「(笑顔で)ウエルカーム!」

 「んっ?何だって??」

 「イミグレとカスタムはあっちだ、行って手続きしておいで...!それじゃあ良い旅を...!!」

 「へっ...??」

 何せ私はついこの間まで中央アフリカにいた男である。官憲などは腐っているのが常識で、ましてや「ウエルカム」なんて言葉は聞いたことがない、これはちょっとおかしすぎる...

 「はっは~ん!褒め殺しとはちょっと違うが“上げて上げてそして落とす”というテクニックだな」

 こう疑うのも無理からぬ事だろう。


 イミグレに歩いて行き、ちょっと広めのその建物の中に入る、手続きをする部屋に入ると5,6名いて私の方に一斉に注目する。毎度の事ながら官憲の注目を集める等ということは良くない傾向だ!

 私はビザのあるページを開いて渡す。彼らは私のパスポートを見てこう問いかける。

 「日本人か...」

 「そうだ...」

 これで彼等にとって私は金のなる木に見えたのに違いなかった...、さあいよいよここからが本当の第一ゴングだ!!


 「(笑顔で)ウエルカーム!!」

 「んんっ??」

 「(やっぱり笑顔で)ウエルカム・ナイジェリア!!」

 今度は一人ではなく皆で私に代わる代わるに言ってくる。

 「どっ、どういうつもりだ...(呆然)」

 彼等皆は一様に楽しそうだ。東洋からの珍しいゲストを歓待しているといった雰囲気を上手く出している。しかし、これだけではまだ油断できない、パスポートは預けっぱなしだ。

 不意に呼ばれる。私のパスポートには入国スタンプが押されている。彼は私に良く見せながら何とこう言って来た!!

 「君のビザは3ヶ月(ナイジェリアビザの取得は発給できる国が決まっていて、隣国のカメルーンでは取得できないと噂されていたので、予め有効期間が長い物をと思い3ヶ月ビザをガボンで取得していた。実際は1ヶ月ビザでも3ヶ月間有効だったからちょと無駄な出費であったが)だが、ここは国境で通過する旅人には法律上30日までしか与える事が出来ないんだ。これについては申し訳ない。ナイジェリアの主要の都市で君の権利として残る滞在日数分も延長する事が出来るからそれで対処してくれ...」

 さらにこう付け加える。

 「(勿論笑顔で)エンジョイ・ナイジェリア...!」

 「ふむうぅ!どうやら本当に善人ぞろいらしい...」

 そう思ってカスタムに向かおうとすると小さな部屋の中にいた男に呼び止められる。医官と私に自己紹介したその男はイエローカードの提示を求めてきた。

 私がイエローカードを渡すと怪訝そうな顔をしてこう問いかけてきた。

 「君のカードは黄熱病だけだけど、この国に入るにはあと3種類の注射が必要だ。その書類を見せてくれ!」

 ちっ...、イミグレでは本当にウエルカムだけだと思っていたけどこんな手段で人を陥らせてくるのか...

 それでも無い物は仕方ない、しらばっくれてこう答える。

 「おいっ、注射に関しては全部打ってるけど書類で必要なのはイエローカードだけだろう...、何で他の注射の証明まで見せなければいけないんだ...」

 彼は近くにあったキレイに印刷されたカラーのポスターを指差してこう言って来た!

 「あれを見てくれ、ナイジェリアへ入国する者は黄熱病以外にあそこに示されている注射を受ける事を義務付けられているんだ。君が知ろうと知るまいと規則で定められている。」

 お説はご尤もだ、しかし私にどうすればいいんだ、法律上の正当性をこちらに示した今、私の入国は彼の掌の中に握られている...

 「君は正規の書類を持っていなくて入国しようとしている。これは我国にとっては問題だ...」

 彼は死刑宣告分を読み上げるかのように、淡々と、そして冷静に事実を告げてくる。ワイロ請求の舞台はこれで整った。あとは“幾ら”払う事になるかだけが焦点だ。こちらは最初から“負け”である...

 「だが、僕はこんな書類上のことで君の入国を止めたりなんかはしない!!(満面の笑みで)ウエルカムナイジェリア!そしてエンジョイナイジェリア..!!」


 「へっ...(愕然)!」

 彼は丁寧にも病院でこれらの注射を受けて置くようにとアドバイスをしてそしてそこから立ち去る私に手を振った!!


 「なっ、なんていいところだ...(嬉)」

 ここまで扱いがいいと感激せざるを得ない。バイクタクシーを捉まえてそこから立ち去ろうとすると後ろから厳しい口調で呼び止められる。

 「おいっ、カスタムがまだだろう...」

 そいつは忘れていた。私はカスタムに行き、手続きをする。荷物を開けようとすると、「それには及ばない」と制される。もう何も無いと思って油断し始めると、急に所持金を聞かれて書類に記入を求められる。

 相手の表情は真剣だ!

 「ちっ!これがこいつらの手だったのか...」

 今までは気づかなかったが“ワイロ回収係”はカスタムだったのだ!荷物検査等という手間隙を省き、書類に外貨を申告させてその額により彼等の“請求額”がきまるシステムだったのだ...!

 虚偽の申告をしても念入りにチェックされるのは上手くない。簡単に取り出せてなおかつ相手が「こちらがキチンと旅行できます」と納得させるだけの金額はいつでも準備している。

 金額を記入して彼らに渡すと彼等は新しい用紙を持ってきて何やら移している。どうやら同じ書類が2部必要らしかったがカーボン紙も無いので手書きでやっているらしい。

 そして、彼等の一人が私にこう宣告する...、いよいよワイロのお出ましだ...!!

 「こちらの手続きがこんなにかかってしまって申し訳ない。君の出発が少し遅れてしまうが手続き上やむをえないのでここは待っていてくれ...」

 「い~!!(唖然)」

 しかし...、なんでドイツもコイツもここまで親切で丁寧なんだ...

 彼らは手続きを終えると私に時間がかかったことをさらに詫び、バイクタクシーに乗った私に大きく手を振ってこうエールを送ってくれた!

「(いまさらながら勿論笑顔です)ウエルカム・ナイジェリア!そして...エンジョイ・ナイジェリア...気をつけて良い旅を~!!」


 それにしてもこんなボーダーは今迄お目にかかったことが無い、ここまでの歓待をしてくれるとは(感激)...!

 そしてこれからもこんな「ウエルカム責め」は他のアフリカ諸国のボーダーでは味わう事が出来なかった。

 このボーダーは間違いなくアフリカナンバーワンの「ウエルカム・ボーダー」であった...


第2章:ナイジェリア、各都市転戦!

 何事も第一印象は大事だ。最初に国境であれだけの歓待振りを示されてしまったので、聞いていた悪評もどこへやら吹っ飛んでいってしまい、好感度ナンバーワンであった。英語が公用語なのも有難い。フランス語圏と違って意思の疎通も容易である。

 そしてマイドゥグリ、カノ、ジョスと北部の3都市を訪れて中部にある首都のアブジャへ到着。ナイジェリアは物価も安く、各都市を結ぶプジョー(シェアタクシー)は今迄の他の国と違って一人一座席と快適で、また街には必ずバイクタクシーがあるのでシェアタクやミニバスでギュウギュウ詰めで移動する事も無く安価に市内を回れるので楽チンであった。都市の規模も人口大国だけあって大きくて見ごたえが有り、散策していても中々に楽しめる。

 私はこのナイジェリアという国が徐々にではあったが好きになり始めていた...

 しかし、良い事ばかりは続かなかった...、私がいたのは「犯罪王国」のナイジェリアだ!

 この首都のアブジャで「お上」意識丸出しの官憲との対決が待っていようとは、この時にはまだ夢想だにしていなかった...




第3章:アブジャ:政府役人との戦い第一部!!

 首都のアブジャには10月11日にジョスから到着、未だ昼前の事だった。アブジャはホテルの値段が高かったが、それでもシェラトンホテルのすぐ脇の広い公園内に、ハット型の宿泊施設を持つお洒落なレストランがありそこに1500円くらいで宿泊する事が出来た。

 午後になり、私は用事を済ませるために外出する。このあとベナン、トーゴ等に向かう私にはここでビザを取得する必要があり、またこの先周る国にあれば便利という「5カ国ビザ(ベナン・トーゴ・コートジボアール・ブルキナファソ・ニジェールの各国に1回づつ入国できる2ヶ月有効のビザで料金も五〇㌦と安い)」を取得できる可能性を調べなければいけなかった。

 今日はもう午後なので日本大使館を探してここで各国の大使館の位置を教えてもらったり、ナイジェリアやこの次の渡航先の治安情報等も集めることにした。

 ここで若干補足するとアフリカ各国の日本人旅行者にとって、日本大使館はある種、オアシスのような存在であった。ごく一部の旅行者や企業等が多くて忙しい地域をのぞけば、大使館の職員も旅行者が珍しいらしく、大抵の場所でいい印象であり、そして何よりも久しぶりに日本語を使って話せる相手に出会うと言うのはアフリカ旅行者の救済となっていた。アフリカ旅行者にとって1,2週間日本語を話せない事はザラで、酷い時は一月以上は日本語を喋れない事を覚悟しなければいけないからだ!

 日本大使館の位置を探し当てて到着、立派な建物に“日の丸”の旗がたなびいている。愛国心等は特に持ち合わせているわけだは無いが海外に一人でいる時に“日の丸”を見上げられるのはちょっとした気分になれる...

 パスポートを見せ、守衛の現地人ガードマンに用件を告げて担当者に会えるかどうかを確認する。ガードマンは電話をしそして何やら言いずらそうな顔をして私にこう告げてくる。

 「担当官は忙しくて会えないと言っている。帰ってくれ...」

 「はぁ??」

 会えないのは仕方が無い。こちらも毎回アポ無しで突撃しているだけだ。それに帰るのもいいが、こちらの用件すら聞こうとしないのはちょっと理解に苦しむ。外務省は確かに旅行者等の為の期間では無いが「旅行者の為に必要最小限の便宜を図る」のは彼らの任務の一つだ。私が例えば「パスポートを失くして」いたらどうするのだ、聞こうとせずに追い返したら何一つ確認しなかった事にもなる。そして私は「正規の日本国籍のパスポート」を所持する物である。

 私はガードマンに食い下がってみる。もう一度用件を告げて、今日帰るにしても何時来れば私の必要な情報が手にはいるのか?それぐらいは確認しておかなければならない。

 彼はまた電話をし、そして何やら少し言い合ってから、私に「それなら領事部の部屋へ行くように」と告げてきた。

 なんとなくは腑に落ちないがどうやら「担当者」とは面会出来そうだ...


 部屋に通され、そこで少し待つ。10分ぐらいして担当が現れてくる。私は

 「お忙しい所申し訳ありません、東城と申す者で旅行者です」

 と軽く挨拶をする。彼は年は40歳前後、身長は175cm前後で細身の体をしている。そしていかにも面倒そうな態度でこう答えてきた!

 「それで何の用でこんなとこに来たんですか...?」

 「へっ...??」

 こちらはキチンと名乗っているのに彼は名乗ろうとすらしていなかった。迷惑がっている態度があからさまだ。

 こちらもこの対応の悪さに多少面は食らったものの、落ち着いてこう問い合わせる。

 「ナイジェリアの治安を確認しに来ました。日本大使館で何か最新の情報を持っていたら教えていただきたいのですが...」

 担当官(以下Xエックスと省略)はこう答える

 「ここは危険な国ですよ、そんな事も知らないで来たんですか!!」

 こんなのは回答では無い。こちらもそんな事は知っている。だからこそ具体的に危ない地区を確認して行動の安全化を図る必要があるものだろうに...

 また

 「この次に日本大使館(ラゴスには領事館があるが同じナイジェリア国内)が有るのはガーナになるので予めじょうほうが欲しいのでがトーゴ、ベナン、ガーナの外務省の出す海外渡航情報のプリントアウト、もしくはコピーでもあればいただきたいのですが」

 とお願いすると

 「えっ?何ですか、それは...!!」

 おいおいっ!これはあんたらの所で作った物だろうが...それに他の大使館でコピーを渡さなかった事など無かったぞ!私が詳しく説明すると、これは何とか了解した。

 さらにもう一つ、

 「私は今後、トーゴ、ベナンを通過してガーナ方向に向かいます。アブジャにある各国の大使館の正確な位置が分かるようでしたら教えていただきたいのですが...」

 Xはビックリしたことにこう答えてきた。

 「あなたは旅行者ですよね、それくらい自分でやって当然なんじゃないんですか...!!」

 なっ、なんだコイツは...、出来る出来ないでいったらそれは可能だ、だが今迄アフリカ諸国の大使館がいつの間にか所在を移してしまい、それを探すために労力を費やす事がしばしあったから、確実な日本大使館に先ずは聞いてみただけなのに...

 こちらも売り言葉に買い言葉だ。

 「この日本大使館で近隣諸国の大使館の所在をさっぱりつかめていないなら仕方がありません、私が独力で探します!」

 Xもこの言い方には少し参ったのだろう。渋々ながら私に教えると告げ、先程の危険情報に併せて持ってくるといって席を外していった。

 それから1時間近く待たされて何とか希望の物を入手する。それに加えて先程失念していた一つの質問を問いかける。

 「ナイジェリアに観光案内所、もしくは政府観光局というものはあるのでしょうか?分かればこれも所在を教えていただきたいのですが...」

 Xの答えは想像を絶していた。

 「そんなものは聞いたことがありません、それにナイジェリアは“観光する国”ではありません!」

 おっ、おい...!それは単なるお前の意見だろう!!

 これ以上こんな腐ったヤツの相手をしていられなかった。必要な物も一応は入手したので退散する事にする。

 それにしても...“お粗末”の一言に尽きる対応だった。



第4章:アブジャ:政府役人との戦い第二部!!

 翌12日、念願だった「五カ国ビザ」はここのベナン大使館が発給してくれて目的の一つを難なくクリアーできる。自力で政府観光局の位置を突き止めると親切な所で少し古かったが色々なパンフレットを私に配ってくれた。

 「しかし、昨日日本大使館に聞いたら政府観光局は無い」

 と言っていたのにいい加減な物だ。

 それともう一つ、昨日気が付いたのは貰った外務省の渡航情報に通常あるべき地図がついておらず、これでは危険な地名がわかっても、それが実際どのあたりに位置するのか?見当もつかない事だった。

 想像以上にやるべきことが早く終わったので時間が余ってしまい。もう一度日本大使館を訪ねる事にする。

 今日は面会拒否は無く、早速にXと会うことが出来る。私は地図が無かった事を説明し、出来れば地図だけ追加でいただけるかどうかを問い合わせると、Xの答えはこれもまた酷い物だった。

 「そんなものはネットでやって自分で印刷すればいいじゃないですか...」

 幾らなんでもこの言い草はないだろう。それに言い方というものもある。

 「すみません、アブジャではどうかは知りませんが私が今迄訪ねてきた他の日本大使館でいただけなかった事は無いものです。それともここだけは例外なのですか?」

 語気も若干荒くなる、Xはそれならと明らかに嫌々な態度は見せたものの地図を打ち出して私に渡す。それにしても気分が悪い。

 Xはそのままそそくさと立ち去ろうとした。

 「ちょっと待っていただけますか?」

 私はこのまま黙って帰るつもりが無くなっていた。

 「昨日、観光局は無いといってましたが、非常に分かりやすい場所にありましたよ!なんでここはナイジェリアの日本大使館なのにナイジェリアの政府関係の存在の有無も分かっていなかったんですか??」

 「そんなものが有ったんですか...」

 いい加減な答えだ、それにそれはお前の言うべき台詞じゃないだろう。

 さらに私はこう文句を告げる。

 「そもそも日本人旅行者が、自らの安全を確保するために大使館に伺って情報を集めるという行為は間違った事なのですか?私が安全の確認を怠った事によりトラブルに巻き込まれてしまう方が大使館の任務のかえって妨げになる事なのでは無いですか?」

 と...

 Xは何を思ったか?こう返してきた。

 「大使館はそういったサービスをする所ではありません...!!」

 はぁ???何なんだこの大馬鹿者は...

 とてもパブリックサーバント(公僕)の意味を理解した者のいう台詞ではない。私の要求した事が過分な事であればともかく、私は極く当り前の事を要求しただけだった筈だ。

 「あなたがそういうなら分かりました、あわせてここが出鱈目な応対をしていることも良ーくっね、私はこれ以上は呆れてしまったので何も言いませんが、この先私の知っている限りでも数名はナイジェリアに旅行者は来ますよ。今みたいな応対を続けていてそれでいいのか。後は勝手に考えて下さい...」

 私はそういって席を立つ、もう相手等していられない。胸糞が悪くなっていくだけだった...

 しかし、好きになりかけていたナイジェリア、まさか日本大使館で同じ同胞たる日本人からこんな不快感を味合わされるとは...情けなさすぎて涙すら出てきやしない...

※今回の戦いの舞台、人工的なアブジャの街並




第5章:その後のナイジェリア
 
 アブジャからラゴスに移動、ここには日本領事館があったのでどういう対応をするのかと寄ってみたら、ここは他の日本大使館と同じように親切であった。やはりアブジャのソレは特異であった。

 出国時に簡単なワイロ請求をようやくしてくれたが、これもあっけ無く断れる。


 しかし、「犯罪王国」のナイジェリア...

 私を最も痛めつけたのは「アブジャの日本大使館の応対」であったとは...

 名前なんぞは知らないがあの「面倒くさそうな顔」や「誠意一つ無い応対」、そしていかにも「お上根性丸出し」のあの態度、思い出すだけで腹の立つ物であり、私にこう確信させるに十分であった。

 「最悪の日本大使館だった...」

 と...