いや~、きっとこんなこと書いたら・・・
「職場でやっていけなくなるかも!」
ってゆーか、荘之助がどこの誰だかこれを読んでいる人にはわからないわけだからよしとしますか。
みなさん病院選び、医者選びって何を基準にしていますか?
はっきり言って、こればっかりは「運」としか言いようがないでしょう。
かなり調べ上げて「名医」のもとを訪れるという方ならともかく、みなさんそんなに考えてはいないのではないでしょうか?
それに「かしこい医者の選び方」なんてタイトルをつけておきながら、ぼくも「こうすればいいよ!」という答えは導きだせません。
ボクの親類で、人間ドックに行ったついでに「胃が痛い」と言ったら胃薬を処方されて帰ってきた人がいる。
それで、その薬を飲んで様子をみていた。
その数週間後、ドックの結果を聞きにその病院を訪れたときも症状が良くなっていなかったので再度「胃が痛い」と医者に話した。
そしたら、その医者、「胃カメラの結果は異常がないんですよ」と言っておきながら、また別の胃薬を出した。
その話を聞いて『そんな医者の言うことを聞いて様子を見ていちゃだめだよ!』と、翌日別の病院に行くようにアドバイスをした。
その人は、翌日別の病院に足を運んだ。
そしたら!ラッキー?なことにその病院のロビーでいつもよりも強い症状が出現したのである!!
あまりにも辛いので、近くの看護師に症状を訴えたら、すぐに診察をしてくれた。
そして、ついた診断名は『心筋梗塞』
症状の出現が病院のロビーでなかったら、命を落としていた病気である。
いや、病院のロビーであっても『対応が遅かったら』命を落とすこともある。
心筋梗塞の前駆症状である狭心症は、症状が出ているときでなければ『心電図』に異常所見は認めないから、一概に最初の病院の医者を責めるというのはちょっと無理があるのだけれど・・・
でも・・・
薬を飲んでも症状が変わらない。
胃カメラでも異常はナシ。
でも、また胃薬ですまそうとする。
その患者の症状や年齢や性別や血液データを総合して考えたら『また胃薬を出してすます』というような対応は不思議でならない。
そんな医者には当たりたくないものである。
でもでも・・・
この場合患者の症状の訴え方にも非がある。
『胃がいたい』といわれると、思い込みで『胃』を想像してしまったであろう医師の気持ちもわからないではない。(でもプロなんだから、そんな言葉に惑わされないのが普通だけど・・・)
『このあたりが痛いんです』と言って指を指す。 どんなふうに痛いのかを述べるというような『努力』も患者には必要なのである。
自分の体のことなのだから、長々話をすることに気が引けても、じっくり話をすることが大切である。
とまぁ、世の中そういう医者がかなりいるので、よほど狙いを定めて病院に行かない限りは、いい医者を選ぶというのは不可能に近い。
そこでこうして医者を選んだらよいのではという提案だが・・・。
1、ほんとにキレる医者かどうかの見分けは難しいから、『この先生なら信頼できる』という医者を見つけるのもいいことだ。
言い方をかえれば『信じるものは救われる』とでもいうべきか!?
日本人の場合、無宗教、もしくは葬式仏教の人がほとんどだ。
そんな国民性だから、病気のときに心のよりどころになるのは医者になるわけである。
このことは、よく患者が口にする『先生にお任せします』という言葉からも明らかだと思う。
医者に任せることで心の安寧を図っているわけだ。(余談だが、だから日本人は病気は自分で治すものという考え方が薄いような気がする)
病は気からともいうので『信頼できる医者に診てもらった』という満足感は、治癒への大きな力になるのではないかと思う。
2『病気のことをわかりやすく説明してくれる』医者は、キレる医者が多い。
ダメな医者ほど専門用語を使って、患者が理解しがたい説明をする。
説明が上手というのは、その病気や体の仕組みに関して熟知しているからできることなのだ。
また、ただでさえ難しい身体や病気の話をわかりやすく伝える能力があるというのは頭の回転がいい証拠でもある。
3評判はアテにならない!
1にも書いたように、日本人は無宗教なので医者を教祖様のように思っている人が結構いる。
特に外来の通院が長い、病院慣れした人ほどその傾向が強い。
医者としての『ウデ』の評判がいいのか?
それとも『教祖様』としての評判がいいのか?
その見極めをしないといけない!
教祖様になる人が必ずしも名医とは限らない・・・。
「職場でやっていけなくなるかも!」
ってゆーか、荘之助がどこの誰だかこれを読んでいる人にはわからないわけだからよしとしますか。
みなさん病院選び、医者選びって何を基準にしていますか?
はっきり言って、こればっかりは「運」としか言いようがないでしょう。
かなり調べ上げて「名医」のもとを訪れるという方ならともかく、みなさんそんなに考えてはいないのではないでしょうか?
それに「かしこい医者の選び方」なんてタイトルをつけておきながら、ぼくも「こうすればいいよ!」という答えは導きだせません。
ボクの親類で、人間ドックに行ったついでに「胃が痛い」と言ったら胃薬を処方されて帰ってきた人がいる。
それで、その薬を飲んで様子をみていた。
その数週間後、ドックの結果を聞きにその病院を訪れたときも症状が良くなっていなかったので再度「胃が痛い」と医者に話した。
そしたら、その医者、「胃カメラの結果は異常がないんですよ」と言っておきながら、また別の胃薬を出した。
その話を聞いて『そんな医者の言うことを聞いて様子を見ていちゃだめだよ!』と、翌日別の病院に行くようにアドバイスをした。
その人は、翌日別の病院に足を運んだ。
そしたら!ラッキー?なことにその病院のロビーでいつもよりも強い症状が出現したのである!!
あまりにも辛いので、近くの看護師に症状を訴えたら、すぐに診察をしてくれた。
そして、ついた診断名は『心筋梗塞』
症状の出現が病院のロビーでなかったら、命を落としていた病気である。
いや、病院のロビーであっても『対応が遅かったら』命を落とすこともある。
心筋梗塞の前駆症状である狭心症は、症状が出ているときでなければ『心電図』に異常所見は認めないから、一概に最初の病院の医者を責めるというのはちょっと無理があるのだけれど・・・
でも・・・
薬を飲んでも症状が変わらない。
胃カメラでも異常はナシ。
でも、また胃薬ですまそうとする。
その患者の症状や年齢や性別や血液データを総合して考えたら『また胃薬を出してすます』というような対応は不思議でならない。
そんな医者には当たりたくないものである。
でもでも・・・
この場合患者の症状の訴え方にも非がある。
『胃がいたい』といわれると、思い込みで『胃』を想像してしまったであろう医師の気持ちもわからないではない。(でもプロなんだから、そんな言葉に惑わされないのが普通だけど・・・)
『このあたりが痛いんです』と言って指を指す。 どんなふうに痛いのかを述べるというような『努力』も患者には必要なのである。
自分の体のことなのだから、長々話をすることに気が引けても、じっくり話をすることが大切である。
とまぁ、世の中そういう医者がかなりいるので、よほど狙いを定めて病院に行かない限りは、いい医者を選ぶというのは不可能に近い。
そこでこうして医者を選んだらよいのではという提案だが・・・。
1、ほんとにキレる医者かどうかの見分けは難しいから、『この先生なら信頼できる』という医者を見つけるのもいいことだ。
言い方をかえれば『信じるものは救われる』とでもいうべきか!?
日本人の場合、無宗教、もしくは葬式仏教の人がほとんどだ。
そんな国民性だから、病気のときに心のよりどころになるのは医者になるわけである。
このことは、よく患者が口にする『先生にお任せします』という言葉からも明らかだと思う。
医者に任せることで心の安寧を図っているわけだ。(余談だが、だから日本人は病気は自分で治すものという考え方が薄いような気がする)
病は気からともいうので『信頼できる医者に診てもらった』という満足感は、治癒への大きな力になるのではないかと思う。
2『病気のことをわかりやすく説明してくれる』医者は、キレる医者が多い。
ダメな医者ほど専門用語を使って、患者が理解しがたい説明をする。
説明が上手というのは、その病気や体の仕組みに関して熟知しているからできることなのだ。
また、ただでさえ難しい身体や病気の話をわかりやすく伝える能力があるというのは頭の回転がいい証拠でもある。
3評判はアテにならない!
1にも書いたように、日本人は無宗教なので医者を教祖様のように思っている人が結構いる。
特に外来の通院が長い、病院慣れした人ほどその傾向が強い。
医者としての『ウデ』の評判がいいのか?
それとも『教祖様』としての評判がいいのか?
その見極めをしないといけない!
教祖様になる人が必ずしも名医とは限らない・・・。
私も、まず「近くであること」を最優先で選んでしまいます(笑)
でも、行ってみて「アレッ?」と思うことも・・・
荘さまも書いてらっしゃいますが、こちらが質問しているのにちゃんと答えてくれなかったり。
原因不明のかゆみで1人目のお医者さんの薬を飲んでも治らなかったとき、別のお医者さんで「必ず治りますよ」と言われて本当に治ったときには涙が出そうになりました。
首筋のリンパ線に大きなぐりぐりができて、それがすごい激痛が走るようになって、大きな病院で診てもらった時、医者に「で、君はどうしてほしいの?」って言われました。
痛いから来たんだろう~~~~
って言い返したかったけど、結局こんなヤツにもらう薬なんているかって思い、2度とその病院には行きませんでした。
ほんと、今ならもっと言い返せますけど、まだ若かったので・・・
最後に病院に行ったのはいつだったのか記憶がないなぁ。
今では元気にテニアンに戻られています。余談ですがその人はテニアンの歴史の本の著者です。(フレミングでもテニアンガイドブックとして売られています。)
ただし、ドクターショッピングは同じ検査を繰り返し受けることになるので、セカンドオピニオンをするといいでしょう!
これて、大事です!
michiさまのお知り合いのように『命がけ』のときはなおさらです!
michiさまのおっしゃっているガイドブック持っていますよ~!
テニ・マジさま
「まだ、若かった・・・」って・・・。
っていうか、それはさておき・・・
言い方にもよるとは思うのですが、いい意味でとらえるならその先生の言った。
「どうしてほしいのか?」
というのは、現在ではとても大切なことなんです。
たとえば、痛いから・・・
「痛み止めをしてほしい」
「さすって欲しい」
「冷やしてほしい」
といろいろ患者の要望があるはずなんです。
それを確認しておかないと、何を言われるかわからない世の中になってきているんです。
一昔前なら
医者「痛み止めの薬をしておきました!」
患者「ありがとうございます」
で済んだのですが・・・
現在は・・・
その対処をどうしたいかは、患者の要望を確認して行なう時代になってきているんです。
病気の状態に対して最善の医療を提供するのが医者の務めというのは一昔前の話で、医学的に最善というよりも、患者の希望に最適の医療を提供する時代になってきているような気がします。
ですから、ある意味ちづさまがおっしゃっている「医者には話しにくいので、看護婦に話をする」っていうのは、よろしくないことなんです。
自分の要望する医療を受けようと思ったら。言うべきことは言うべき人にハッキリ言うというようにしてかなければなりません。そしてもちろん医師もそういう雰囲気作りを心がけるべきなんです。
もちろんちづさまが看護師を頼りにしてくださるお気持ちはうれしく思っています。
看護師の教育の中でも「患者と医師の橋渡し役」になるようにというものがあるのですが・・・
そろそろ患者も看護師も医師もそれ以外の職種もお互いが対等の立場で気兼ねすることなく話ができるようになれば、「橋渡し役」というような余計な仕事もなくなると思っているんです。早くそういう時代が到来してもらいたいものです。
それも、これも医療者の思い上がりや多忙さが原因にあるんだと思うのですが・・・。
間違いなく、ゆとりのある医療を受けようと思ったら、「お金」と「時間」がかかるものになってしまうかもしれません。
イギリスだったか、フランスだったか忘れてしまいましたが・・・
公的保険を利用して虫歯治療をしようと歯医者に行ったら「予約がいっぱいなので半年後にきてください」と言われた、というような世の中になっていくのかも・・・。
日本の平均寿命が長いのは、誰でもいつでもお安く、つまりコンビニ感覚で医療が受けられるからなのかもしれませんね。
医者にお任せだった時代から患者中心の医療になっていくと、確実に不便さも感じるようになっていくのかも・・・。
そうなんですよ~。
最近では、医療事故や訴訟の対策として「自分の業務範囲」以外のことはやらないというような風潮になってくると思うんです。
受付の人がいろいろと答えてくれるというような「アットホーム」さは今後少なくなってくると思います。
そういうのもなんだかさみしい気もしますが、患者の望む医療を提供しようと思ったら、そういう面は今後削られていくでしょうね。