おひるねウサギ~不登校かまへんかまへんマイペース♪

ADHD母ダッチェ。小2で不登校のマシュは小5フリースクール、中2地元中学高校→他府県専門学校→社会人独り暮し3年目

アドラー認知のメガネ

2021-06-25 14:31:15 | 支えてくれた人・本
アドラー心理学にはいくつかの象徴的な考え方がある
 
認知論・自己決定性・目的論・全体論・対人関係論・共同体感覚・勇気づけ
 
全部解説する力は、もちろんないけれどこの考え方が身に付くと問題がおこった時に解決に向けての道筋が見えたり
 
まわりに影響されやすいタイプの人は生きやすくなると思う。
 
 
さてさてアドラーとの出会いをめでたく果たしたダッチェがまず食いついたのは
 
『認知論』
 
すべての人は事実を自分だけの主観を通して認識している
 
それぞれが自分の『認知のメガネ』を通して物事を見て解釈している
 
 
確かに確かに。
 
不登校状態の子がいる我が家を見て
 
「大変そう」って思う人がいたり「学校行けなくて可哀想」や「甘やかしてるのね」と思う人もいる
それはその人のかけてる認知のメガネがそういうことなだけで
 
そこにあるのは
「不登校」という状態だけなのだ
 
上司や家族が不機嫌そうにしているだけで
 
単に寝不足なだけなのに「自分のせいかも」と思ってしまうとかね
 
 
こういう認知のメガネの歪みを
『ベイシックミステイクス』という
 
  • 決めつけ
 
事実ではなく可能性でしかないのにレッテルを貼ってしまう
 
  • 誇張
 
ほんの1回、もしくは数回のレアケースを何倍にも増幅して認識してしまう
 
  • 過度の一般化
 
ある一部分の問題であるのに、全体の問題だと思い込む
 
  • 単純化
 
完璧もしくは満点でなければ、まったく意味や価値がないと切り捨てる
 
  • 見落とし
 
物事の一側面だけを見て、ほかの面にきづかない
 
  • 誤った価値観
 
非建設的な価値観で物事を捉える
 
 
いやいや、あてはまるっしょ
 
誰でもこうでしょ
 
って感じではあるけれど
 
 
確かに特に職場などでは問題がおこった時に
 
これを基盤に持ってるのと持ってないのとでは大きく違うし
 
人間関係のもめごとはだいたいが認知の歪みによっておこってるんだな・・・とあらためて感じる
 
時には自分もその波に飲み込まれそうになったり、実際どうしても好きになれない上司などにはダッチェ自身もサングラスかけて見てるとこあるかもって思う
 
なので、できるだけ話をする時は『建設的に建設的に』と呪文のように言い聞かせているのだけど、横からいきなり土台に亀裂を入れられたりすると気力奪われて
 
まだまだ未熟だなぁ・・・って
 
そうそう身につかないものだ
 
こうやって書いてるのも「おすすめよーアドラー」って感じじゃなくて
 
どっちかというと
 
「アドラーの考えは本当にすごいし素晴らしいんだな
 
アドラーになれない わたし」
 
とみつをさん的な感覚(あまりに下手すぎてたぶん一部の人にしか伝わらないかと
 
そんなこんなで
 
認知のメガネを知ってからは1つの事実に対してもいろんな捉え方をする人がいて、この人はどんな認知のメガネをかけてるのかなって思うようになった
 
人生は「そ、そんなつもりじゃなかった」の連続であったりもするから
 
伝えたいことが伝わるように
自分の目に見えてる景色が
相手も同じように見ているとは限らない
片づけ苦手で忘れっぽいけど、このことは常に頭の片隅にセットしておきたい
 
 
 
学校行ってない子が家でゲームばかりしていて
 
「ゲームばっかりして嫌なことから逃げてる」
と感じる人もいれば
 
「ああゲームできるくらい元気になったな」
と感じてる人もいる
 
不登校時代にアドラー知ってたら、人のアドバイスにいちいち振り回されなくてすんだかもなー
 
「あ、あなたのメガネにはそういう風にうつってますのね、わざわざ教えて下さってありがとう」と大きな心で感謝も伝えられたかもしれないのに
 
ほんと、マジで「学校行ったほうがいいよ」っていうアドバイスだけはいらないんで
どうしても言いたかったら「行ったほうがいいと自分は思う」と一人称でお願いします
ありがたく頂戴して家に持ち込まないように致します
 
 
と、最後にちょっこし毒吐きダッチェでまた今度
 
 

アドラーとの出会い

2021-06-23 13:59:13 | 支えてくれた人・本
前からアドラー心理学について書きたいと思っているのだけど
 
内容が盛りだくさんすぎて全然まとまらないでいる
 
こういう時は書き始めてしまうのが良い
 
でないと基本ダッチェのカラダには、先延ばしグセというものが、もはや癖などという次元を越えて24時間標準装備された状態になっているので
 
とにかく書いてみる
 
まずはアドラーとの出会い(と彼氏っぽく語ってみる)
 
今から10年ほど前に仕事のことで悩んでた時に、たまたま書店コーナーにあった『2時間で折れない心を手に入れるアドラー心理学』
 
なんでも信じやすいダッチェはこういう文言にとても弱く、その時ちょうど心が折れた状態だったから「おお。これは出会いだ」と素直に買って帰った
 
相田みつをさんの『しあわせは 自分のこころが決める』をこっそり座右の銘にしていたダッチェとしては(あまりに有名で、そしてわかりやすすぎるし、人に言うにはリスクもある気もする)
 
それまで『心の持ちよう』でいろんなことを乗り越えようとしてきて、それではごまかし効かなくなってきたというか、なんだかわからないけどキャパいっぱいになってる時期だった
 
マシュが学校行くようになってから、仕事行きだして、付き添いクラゲしてた時に気配消してたことを思うと、仕事できることがもうめちゃくちゃ幸せに感じて
 
新しい仕事覚えるのも楽しかったし、できることが増えて、昇給試験受けて、最初週4日3時間契約ではじめたパートが数年後には週5の実働7時間になってた
 
責任も仕事量も労働時間もどんどん増えた時に、どこかの店でパワハラで異動になった上司がやってきて、今まで経験したことのないような今から思えばモラハラというやつを毎日受けて
 
それは自分だけじゃなく、同僚にもそうだったから、守らなきゃって思い、なんとかしようと動いては返り討ちにあってどんどん弱ってった
 
 
娘たちには「そんな泣いてばっかりの職場やめたらいいのに。もっと他に仕事あるって」と言われてたりした
 
そんな時に出会った本
 
さすがに2時間で・・・はないでしょ
 
と思ってたけど
 
2時間後
 
「あれ、これいけるかも」という気分になってた
 
そこから何冊も何冊もアドラーの本を読んで、ノートに書いて勉強した
 
これから少しずつ書いてみようと思う
 
さわりだけ言うと例えばアドラーは『頭と心は一緒』という考えかた。
 
「頭ではわかってるんだけど」はナシなんです
つまり
「わかっちゃいるけどやめられない」
 
は自分でやめないって決めてるんだって。
 
 
あと不登校(やっと出てきた)も
『学校に行きたくない』が先にあって、そのために『不安』や『症状』を作り出しているとも
 
これは最初
 
「ちがーーーう!」って思ったダッチェであります
 
でも、解説やその考えかたをよくよく知ると
 
そう考えるほうが解決への道すじが見えるのだ
 
ということがよくわかった
 
と今回はここまでにします
 
近いうちに続きをお約束して
 
 
 
 
 

雨の日には雨の中を 風の日には風の中を

2021-06-18 13:26:23 | 相田みつを
今ダッチェはわりと穏やかに毎日を過ごしている
 
といっても日々、職場でちいさな問題がおこることもあるし、仕事にいきたくないなーとは思わないけど休みだと嬉しい
相変わらず毎日何かしらやらかしてる。
 
今日も出かけようとしたら玄関にいつもの靴なくて、職場で履いてる靴があったり、バス乗って買い物行って1つ前のバス停で降りてしまってたくさん歩いたり。
 
こういうのは、もう自分の中では想定内なので、1つ前で降りたら昔短い間バイトしていた大学病院があって、懐かしいなーお、ここでよく一緒にバイトした人とランチしたな
と失敗も逆に楽しく過ごすことさえできるようになってきてるかも。
 
 
このブログでも何度も紹介している
 
相田みつをさんの詩
 
久々に紹介します
 
 
雨の日には雨の中を
 
風の日には風の中を
 
 
紹介している本により多少ニュアンス違ってたりするのだけれど
解説として
 
雨の日を、天気のいい日と比べて、「悪い日」だと思う、人間(自分)中心の考え方をやめること
 
雨が降ったら傘をさせばいい
 
雨が降っても植物は育つよ
 
風が吹いたら新しい種を運んでくれるよ
 
そして、雨や風は次から次へとおきてくる人間の悩みや迷いのこと
 
とも
 
 
最近、この言葉を教えてくれた人がいて
マシュが学校行ってなかった頃に買ってた本を開いてみると、この詩のってました
 
ダッチェは保育士をしていた時期があり、梅雨の季節には雨が降ると「カタツムリさんが喜んでるね」とか「かえるのうた」なんかを歌ったりして「雨もお米や植物が育つのに必要なんだよー」みたいな感じでやってたから、雨降りを悪いっていうイメージはあまり若い時からなかったのだけれど
 
それもやっぱり、雨=負じゃないっていうメッセージの、わざわざ感よ・・だったりするのかも・・深いなやっぱり、みつをさん
 
 
雨の日には 雨をそのまま全面的に受け入れて
 
雨の中を 雨と共に生きる
 
風の日には 風の中を
 
風といっしょに 生きていく
 
 
子どもさんが学校に行けなくなってまだ気持ちも落ち着かない親御さんに大丈夫を届けたくても
 
自分が心から大丈夫って思えるまでに結構時間かかったし、あの日々のことをどう表現すればよいのだろうと漠然と思い続けていたところに出会ったこの言葉
 
悩まないでおこうと思っても、将来のことを思うとこれでいいのかと不安になったり
 
元気になってきたらなってきたで、何も言わなくていいのか、どう伝えればよいのかいつ伝えるのか、言わないほうがいいのか、迷うことばかり
 
ああ、そうだったな
 
ほんと、こんな感じだったんだよ
 
 
雨の日は雨の中を
 
風の日には風の中を
 
 
特別なことではない、ごく当たり前の生き方のこと
 
あたりまえだけど、常に前向きで積極的に生きるということ
 
 
学校の軸をはずして、子どもと一緒に日々を生きてく暮らしを続けるうちに、子ども自身に軸ができ、親にも軸ができとても生きやすくなったな

だから本当に今は迷いや不安の中にあるかもしれないけれど、それも抱えて日々を過ごすうち、道はできていくし、見える景色も変わってくよ
そんな思いを伝えたくて今日のこの言葉を贈ります。
 
そして、最後にこの本からマシュのメモが出てきて(たぶんダッチェがこれは残しておこうと、はさんだのだと思う)
 
その中に『好きな言葉「逆風は振り返れば追い風になる」』
 
さすがマシュって今さらながら思った
 
そして、次の日の早朝通勤時に前から風吹いてて、おって思って思わず後ろ向いて「おおー」ってなった
 
いや、そういう意味じゃないってマシュに突っ込まれそうなので、このへんで。整体行ってココロとカラダ整えてきます

12年目に。はじめましてのかたに②

2021-06-14 12:40:46 | はじめまして
2021年このblogを初めてから早12年です
マシュは社会人3年目です
 
家庭で実践したこと、その②を書く前に少し吐き出しをします
 
なんか、振り返って落ち着いている今、耳障りのいいことばかり書いてると、『そんな風に簡単にできることじゃないよ』って、内なる過去の自分の声が聞こえて葛藤しちゃうのかな
 
 
 
 
子どもが不登校になって、それまで自分が人からどう思われるかを気にしながら生きてきていたことをまざまざと思い知らされた
 
学力が遅れる不安だとか、学校には行かないといけないという思い込みだとか、当時は不安が先にたってたけど
 
子どもが学校に行ってない状態
 
が、ヤバい、どうしよう、どう思われるんだろうって
 
自分の世間体のためにとりあえず、子どもを学校に戻すことを1番に考えてた
 
はい、もう、この時点で完全にマシュの心は置き去りです
 
なので、本を読み漁ったのも、ネットで他の不登校を持つ子の親御さんのブログを探したのも、いろんな先生のお話を聞こうと動いたのも、最初は『早く学校に戻したい一心』からだった
 
そのためには、なんだってやってみる
 
そんな感じだった
 
子どもの心に寄り添っている専門家のかたがたの著書やお話
 
それは、自分自身が歩んできた道とは全く違うと感じる価値観で
 
そして、その壁がまあ分厚いこと
 
自分もこういう風に育てられたかった
というジェラシーのようなものとも戦わなきゃならないし
 
でも…
 
それが身についたら
 
子どもはもちろん、自分もすごく楽になった
 
自分の歩んできた道を否定するんじゃなく、脇に置いて
 
子育てをしながら、親の自分も、もう1回育てなおす感覚だった
 
実際やってみたら、生活は、1回くちゃくちゃになるかもしれないけど
 
その頃にはもう元気でご飯食べれたらいいか
 
と、他人からどう思われるか気にしまくっていた頃より、はるかに肩の力の抜けた暮らしになってた
 
そういう環境に身を置いて初めてマシュは安心して自律へのあゆみを始めることができたのかなと思う
 
子どもが自分の足で、自分の道を歩き、自分で自分の心を守る
好きなことを探したり、向いてることを見つけたり
社会に出るのに必要なことって、学力だけじゃない
 
それまで、親の期待に答え、言うとおりに生きてきて、頑張りすぎて爆発しちゃったタイプの子にとっての学校には行ってないけど、とてもとても大事だった数年間の過ごしかたをまとめ始めているところです
 
私自身たくさんのかたに支えられてここまで来ました
 
そして、最近出会ったかたに刺激を受け、力をもらい、blog再開しました
縁って不思議でありがたい
 
ぼちぼちですが続けていけたらと思います
 

気胸のこと

2021-06-11 10:44:10 | 高校生活

マシュは高校3年生の時に1度入院している

 

2016年10月、なんの予兆もなく高校に登校。

 

学校で肩が痛いな・・と思い、保健室に行って湿布を貼ってもらい学校終わってからアルバイトの面接に行き、次の週明けから来てくださいって言われたと帰ってきた。

 

家に帰って来てから「なんか肩と胸のへんが痛いねん」と言いつつもラーメン食べたいと

マシュの好きな近くのラーメン屋さんから持ち帰りのセットを買ってきて、出来上がった時にはもう座ってても痛いって言い出して。

思い当たることはないらしく、運動もしてないし

最初はてっきり、くしゃみした時とかになる肋骨の剥離骨折だと思ってた、あれってなった時は寝がえり打てないくらい痛いから。

でも、なんかだいぶ痛がってるし、前にドラマで見た病気がよぎったのもあり、大したことなかったらすみませんって思いながら救急病院に連れて行った

 

結果は気胸。肺から空気が漏れて胸腔に溜まっててそのせいで肺が3分の1らいになってます。とのこと

すぐに入院になります。

 

自然気胸は、運動している時に起こるわけではなく、明らかな理由もなく発生するらしいです。一時的に空気が漏れますが、多くはすぐに閉じてしまい漏れた空気は血液に溶け込んで次第に消滅するとのこと

その穴がふさがらず空気が漏れ続けてしまうのが今回のマシュのような症状で放っておくと命の危険もあると

 

言われてもう、泣きそうなった

 

もっとひどくなってたら、手術になるけれどマシュさんは胸腔にたまった空気を抜けば大丈夫だと思われるので1週間くらいの入院でと。

 

ああ、連れてきて良かったよ・・

 

そして竹下景子さんありがとう。マシュが1歳の頃にやっていたドラマ「太陽は沈まない」母親が亡くなったのは医療ミスではないかというタッキー主演のドラマで、亡くなったお母さんは気胸をおこしていたということが明らかになって竹下景子さんのお母さん役が大好きだったから、すごく心に残ってて。

 

もしかしたら・・という思いがあったから病院連れてけました

 

 

 

でもやっぱり我慢強い子はどこまでもやっぱり我慢しちゃうのだともあらためて思った。

 

そうそう、せっかく決まったバイトだけどお断りしなきゃと電話より直接謝ってきましょうと

お昼間準備中の居酒屋さんに出向いたところ

 

「あ、そうですか、はいはい。大丈夫ですよ。慣れてますから。」

 

って、仕込み中のスキンヘッドで強面の店主さん、昨日面接した子がその夜に入院したって話を最初全然信じてくれなくて

 

え、アルバイトに反対の親登場ですか的な受け答え

 

「え、ホンマに入院したんですーー」って説明して、当時ダッチェも人手の足りないスーパーで働いてたから、そう思われる気持ちもわかりますって話したりして、そのうちに店主さんもアルバイトの子が続かない話なんかして「ほんとなんですね、すみませんお大事にしてください、待ってますね」って。

なので、元気になってお医者さまのOKでたらまたお願いしますって頭を下げて帰ったのだけど

 

退院後のマシュ、数回で音をあげちゃいました

 

その頃はもう予後が心配だったし、再発もあるっていうから(1年間飛行機のっちゃダメとかも言われた)やっぱり今はやめておいてくれって思ったり

 

とにかく、親元離れた今となっては、ああ近くにいる時で良かった・・ってこと。

これから先、胸痛かったらすぐ病院行くんだよって知らなかったら我慢しちゃってただろうし。

 

その後学生時代に姉妹で親元離れ暮らしてた時も、学校で熱中症なってるのに家に帰ってきて、カシュに夜に救急連れてってもらったことも

 

自分のココロの限界は来ないように無理しないようにできるようになったと感じてるけど、カラダの面はやっぱりずっと心配だ

 

 

 

居酒屋は無理だったと思ったマシュ。

その後選んだバイトがスーパーの試食販売

「いかがですか~?」って声出してて

 

こんなにしっかりしたんだ、マシュ

って柱の陰からウルウル見ちゃったよ

 

想い出話が止まらなくなりそうなのでこの辺で


信じて待つ。再び

2021-06-02 15:26:13 | 家族
あまり書いてこなかったけど、姉カシュの話
 
カシュは小さい時から絵を描くのが好きで、高校は公立の結構倍率の高い芸術高校、大学も他府県の公立の芸術学部に進んだ
 
好きなことはめっちゃ頑張るし、周囲の期待に応えようとするタイプ
 
ダッチェ親子に共通あるあるなのが
 
しっかりして見えるので、実力以上の期待をされてしまうこと
 
これは、信頼を得やすいという反面
本人は結構大変で、その期待に応えるため、陰でめっちゃ努力をし続けなければいけなかったりする
 
 
受験もバイトも1度も落ちたことないカシュは、就職もあっさり地元で決めて
 
そして、そこで壁にぶつかった
 
結局1年2カ月で退職することとなり、そこから9ヶ月家にいた
 
で、今は親元離れて再就職をした。
 
こうやって書くと、よくある話っぽいけれど
 
 
最初の会社に就職してすぐからのカシュの様子や、
 
カシュが「辞めたい…」と言った時。
 
いざ、辞めるにあたって先に辞めようとした先輩達が、上司の恫喝的な説得により、すぐに辞めさせてもらえないという話。
 
辞めてからの過ごしかた。
 
 
これはもう全部全部、マシュの時にいっぱーーーーい、良くない対応をやらかしてしまったことや
 
校長先生はじめ、学校関係の方々と何度も話し合いや交渉を重ねた経験が生きていたと思う
 
 
カシュは再びの巣立ちを決めた時
 
「仕事辞めた時は、もう2度と仕事したくない就職したくないって思ってたけど、今は早く働きたくて仕方がない」
 
って、言った。
 
前にも書いた
 
『信じて待つ』
 
って、あの頃は
 
とてもとても難しいことのように思ったけど
 
今回はすごく当たり前のことのように、わざわざ『信じてまっせ待ちまっせ』なんて思わなくても
そのうち元気になって、また動くでしょ
今の間に娘との暮らし、味わっておこーぐらいに思ってた
 
そして、辞めた時には疲れきって動けなくなってたカシュに
 
「カシュは学校ずーっと行ってたんやから、そこからの疲れも相当溜まってるでしょ」
 
なーんて言ったりしてた
 
そして思ったより早いスピードで回復して
家探しや、再就職のためのハローワークの学校通ったり前向きに動きだした
あらーーもうエネルギーたまっちゃったのって感じだった
 
でも、ホンマこれ、やっぱりマシュのおかげで、
もし、マシュのことがなかったらもっともっと焦ったり、よけいな叱咤激励したと思う
カシュが仕事つらそうで、話をよく聞いてた時も、たぶん違う対応してたに違いない
 
就職までに面接が週1で4.5回あって新幹線代10万以上かけて受かったとこなのにぃ
 
とかね
 
エネルギーたまるどころか、カシュの回復はどんどん遅れてったことでしょう。
 
 
 
なんせ、マシュが学校行けなくなるまで
 
「やりはじめたことを最後までやりとげる」
ことはとっても大事
 
と思ってた
 
でも、実は
 
合わない環境から、自分の身を守るために撤退する
 
ってことも大事
 
 
自分で変えられるのは自分と未來だけだしね
 
過去と他人は変えられない
 
過去の認識は変えられるけどね
 
 
カシュは、今回は自分に合った環境や、やってみたい仕事内容をしっかり持ってから就職活動した
今は得意なことも活かしつつ新しいことにも挑戦させてもらえる職場に恵まれた
 
そういうアドバイスは、ハローワークとはまた違う、自治体のやってる無料の就職支援のカウンセリングでいただいたりしてた
 
これ、名前はそれぞれ違うけど全国にあるらしい
ダッチェも8年続けたパート辞めた時、1年間通ったけど、とても助かった
愚痴も聞いてくれて、最初は疲れきってた状態から1年後には履歴書添削してくれたりとめっちゃサポートしてもらった
しかし、住んでるところで話すとほとんどの若い人は、その存在を知らなかったりする
公的なサポートほど自分から取りにいかないとなかなか目に入らない
 
情報を集めることの大切さも、マシュの時に学んだこと
将来に役立つ情報の他にも、あの頃は焦る気持ちをなんとかしたくていろんなことを試した
 
煮詰まった時にはどんどんどんどん視点をひいて、とりあえず地球の外くらいまで離れて、そこにいるちびっこい自分や子どもたちを想像してみたり
 
どうしようもない八方塞がりに見える状態でも、視点を変えさせてくれる何かに出会えたあの頃のすべての経験が、慌てず騒がずの今に繋がってる気がする