マシュが学校に行けなくなった当初、いろいろな人にいろいろなことを言われた。
「ダッチェさん、優しいから・・私だったら、もっと厳しくやっちゃうわ~」
「ちっちゃい時から、仕事したりしてたからじゃないの?」
ある時は甘やかしすぎと言われ、ある時は「愛情不足」と言われ、フラフラになった。
だいたい、子どもが学校に行けなくなった時点で、自分を責めまくっちゃってるんだから・・。
明橋大二さんが「この子はこの子でいいんだわたしはわたしでいいんだ」の中で
<本文より>『子どもに症状が出た時、母親のしつけがなってない、母親が甘やかしすぎている、と並んで、多いのが、「母親の愛情不足」という言葉です。』
『「これは、あなたの愛情不足だ」と言われて、「いや、私は十分に愛情をかけてきた」と自信を持って言える人は、どれだけ居るでしょうか。
「そういえば、あの時、あれをしてやらなかったから」「あの時、ちゃんとかまってやらなかったし」。思い当たることは山ほどあります。」
と、いう話と、
「母親が子どもの病気をつくっているんですよ」という言い方は二重の意味で間違っています。」
の中の 2.「治療的に間違っている」の中で
『子どもがここまで育ってきた限りは、母親の関わりが全部間違っていたわけではありません。もしそうなら、とてもここまで育ってきてはいないはずです。むしろ、おおよそ間違っていなかったけれど、一部、気がついていない部分があった、ボタンの掛け違えがあった、ということがほとんどです。それは、母親の今までの関わりを全面否定することになり、母親に子どもの症状に向き合う意欲を失わせてしまいます。』
と書かれている。
あー、あぶないとこだった。
この本を読まないと『全面否定』しちゃうところだったよ・・・・。
子どもに向き合ったり、寄り添ったりするには、親のほうの気持に余裕がないとキツい。
「不登校の子は親のため息ひとつにも責められているような気持になる」なーんて、聞かされた日にゃ、「顔で笑って心はぐちゃぐちゃ」な生活になる。
がまんしたあげくに、「それをいっちゃーおしまいよ」なセリフを吐いてしまったりする・・。
今「不登校は悪いことじゃない」という風潮が出てきているけれど、「困ったこと」という空気は流れているし、本人も学校も家族もそう感じてたりするかもしれない。
「親のせいです」「家庭の問題です」という専門家や教育関係者の声は、目にするとブルーになる。
実際「親のせいって聞くけど、どうなの?」と知人にダイレクトに聞かれたこともある。
よくよく聞いてみると、その人自身も子育てで行き詰まりを感じていて、「自分のやりかたはこれでいいのだろうか・・、うちの子も行かなくなっちゃうんじゃないか」という不安と闘っていたりもする。
と、いうことは「親のせい」という言葉は、不登校じゃない子の親までもが不安になるってことなんじゃないのか・・。それって、どうなのよ・・。
子どもの出した症状に気づいて、放っておいても、責めてます、自分のこと。そっから、どうしていくか、前に向く力をどうか奪わないでほしい。
明橋さんは上記の本の中の 「母親が病気をつくっているんですよ」の1.「事実として間違っている」
のところでこう記されている。
<本文より>『もちろん、母親として子どもを育ててきた限りは、子どもの状態に全く何の影響もない、ということはないでしょう。しかしだからといって、母親だけが、すべての原因ではないはずです。母と子を取り巻く、家族、地域、学校、社会、時代もまた、それぞれさまざまな影響をあたえています。
それを、こういう言い方をすると、母親の育て方だけが、諸悪の根源のような印象をあたえかねません。それは、明らかに事実と異なります。』
上にあげた 2.「治療的に間違っている」を
『ですから「母親が子どもの病気をつくった」という言い方は、決してしてはならないことだと思っています。』
という言葉で〆られている。
学校に行けなくなって1か月目に相談センターで「お母さんのせいじゃありませんよ」と言われた時に泣いてしまったけれど、誰か、友達じゃない他人に、そう言われたかったのかもしれない。
そして、そのセリフは嬉しかったけど、ちょっと虚しく響いた。
「私のせいじゃない・・って言ってもらっても、マシュが楽になるわけじゃないなぁ」
と。あの子のしんどさは何も変わってないじゃん・・って。
そうか、自分の気持ちにとらわれてるうちは、なかなか子どもに向き合う余裕ないんだな。
ということは、早めに「自分を責める」のはやめにしちゃおう~~っと。
てな感じで、だんだんと開き直ってきた。
そして、そのほうがマシュにとっても、よかったと感じる。
明橋さんの本にはずいぶん救われた。
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「ダッチェさん、優しいから・・私だったら、もっと厳しくやっちゃうわ~」
「ちっちゃい時から、仕事したりしてたからじゃないの?」
ある時は甘やかしすぎと言われ、ある時は「愛情不足」と言われ、フラフラになった。
だいたい、子どもが学校に行けなくなった時点で、自分を責めまくっちゃってるんだから・・。
明橋大二さんが「この子はこの子でいいんだわたしはわたしでいいんだ」の中で
<本文より>『子どもに症状が出た時、母親のしつけがなってない、母親が甘やかしすぎている、と並んで、多いのが、「母親の愛情不足」という言葉です。』
『「これは、あなたの愛情不足だ」と言われて、「いや、私は十分に愛情をかけてきた」と自信を持って言える人は、どれだけ居るでしょうか。
「そういえば、あの時、あれをしてやらなかったから」「あの時、ちゃんとかまってやらなかったし」。思い当たることは山ほどあります。」
と、いう話と、
「母親が子どもの病気をつくっているんですよ」という言い方は二重の意味で間違っています。」
の中の 2.「治療的に間違っている」の中で
『子どもがここまで育ってきた限りは、母親の関わりが全部間違っていたわけではありません。もしそうなら、とてもここまで育ってきてはいないはずです。むしろ、おおよそ間違っていなかったけれど、一部、気がついていない部分があった、ボタンの掛け違えがあった、ということがほとんどです。それは、母親の今までの関わりを全面否定することになり、母親に子どもの症状に向き合う意欲を失わせてしまいます。』
と書かれている。
あー、あぶないとこだった。
この本を読まないと『全面否定』しちゃうところだったよ・・・・。
子どもに向き合ったり、寄り添ったりするには、親のほうの気持に余裕がないとキツい。
「不登校の子は親のため息ひとつにも責められているような気持になる」なーんて、聞かされた日にゃ、「顔で笑って心はぐちゃぐちゃ」な生活になる。
がまんしたあげくに、「それをいっちゃーおしまいよ」なセリフを吐いてしまったりする・・。
今「不登校は悪いことじゃない」という風潮が出てきているけれど、「困ったこと」という空気は流れているし、本人も学校も家族もそう感じてたりするかもしれない。
「親のせいです」「家庭の問題です」という専門家や教育関係者の声は、目にするとブルーになる。
実際「親のせいって聞くけど、どうなの?」と知人にダイレクトに聞かれたこともある。
よくよく聞いてみると、その人自身も子育てで行き詰まりを感じていて、「自分のやりかたはこれでいいのだろうか・・、うちの子も行かなくなっちゃうんじゃないか」という不安と闘っていたりもする。
と、いうことは「親のせい」という言葉は、不登校じゃない子の親までもが不安になるってことなんじゃないのか・・。それって、どうなのよ・・。
子どもの出した症状に気づいて、放っておいても、責めてます、自分のこと。そっから、どうしていくか、前に向く力をどうか奪わないでほしい。
明橋さんは上記の本の中の 「母親が病気をつくっているんですよ」の1.「事実として間違っている」
のところでこう記されている。
<本文より>『もちろん、母親として子どもを育ててきた限りは、子どもの状態に全く何の影響もない、ということはないでしょう。しかしだからといって、母親だけが、すべての原因ではないはずです。母と子を取り巻く、家族、地域、学校、社会、時代もまた、それぞれさまざまな影響をあたえています。
それを、こういう言い方をすると、母親の育て方だけが、諸悪の根源のような印象をあたえかねません。それは、明らかに事実と異なります。』
上にあげた 2.「治療的に間違っている」を
『ですから「母親が子どもの病気をつくった」という言い方は、決してしてはならないことだと思っています。』
という言葉で〆られている。
学校に行けなくなって1か月目に相談センターで「お母さんのせいじゃありませんよ」と言われた時に泣いてしまったけれど、誰か、友達じゃない他人に、そう言われたかったのかもしれない。
そして、そのセリフは嬉しかったけど、ちょっと虚しく響いた。
「私のせいじゃない・・って言ってもらっても、マシュが楽になるわけじゃないなぁ」
と。あの子のしんどさは何も変わってないじゃん・・って。
そうか、自分の気持ちにとらわれてるうちは、なかなか子どもに向き合う余裕ないんだな。
ということは、早めに「自分を責める」のはやめにしちゃおう~~っと。
てな感じで、だんだんと開き直ってきた。
そして、そのほうがマシュにとっても、よかったと感じる。
明橋さんの本にはずいぶん救われた。
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