おひるねウサギ~不登校かまへんかまへんマイペース♪

ADHD母ダッチェ。小2で不登校のマシュは小5フリースクール、中2地元中学高校→他府県専門学校→社会人独り暮し3年目

不登校は親のせい?①

2009-10-31 12:08:59 | 不登校
マシュが学校に行けなくなった当初、いろいろな人にいろいろなことを言われた。

「ダッチェさん、優しいから・・私だったら、もっと厳しくやっちゃうわ~」

「ちっちゃい時から、仕事したりしてたからじゃないの?」

ある時は甘やかしすぎと言われ、ある時は「愛情不足」と言われ、フラフラになった。


だいたい、子どもが学校に行けなくなった時点で、自分を責めまくっちゃってるんだから・・。


明橋大二さんが「この子はこの子でいいんだわたしはわたしでいいんだ」の中で
 <本文より>『子どもに症状が出た時、母親のしつけがなってない、母親が甘やかしすぎている、と並んで、多いのが、「母親の愛情不足」という言葉です。』

『「これは、あなたの愛情不足だ」と言われて、「いや、私は十分に愛情をかけてきた」と自信を持って言える人は、どれだけ居るでしょうか。

「そういえば、あの時、あれをしてやらなかったから」「あの時、ちゃんとかまってやらなかったし」。思い当たることは山ほどあります。」 



と、いう話と、 

「母親が子どもの病気をつくっているんですよ」という言い方は二重の意味で間違っています。」 


の中の 2.「治療的に間違っている」の中で

『子どもがここまで育ってきた限りは、母親の関わりが全部間違っていたわけではありません。もしそうなら、とてもここまで育ってきてはいないはずです。むしろ、おおよそ間違っていなかったけれど、一部、気がついていない部分があった、ボタンの掛け違えがあった、ということがほとんどです。それは、母親の今までの関わりを全面否定することになり、母親に子どもの症状に向き合う意欲を失わせてしまいます。』 


と書かれている。


あー、あぶないとこだった。

この本を読まないと『全面否定』しちゃうところだったよ・・・・。

子どもに向き合ったり、寄り添ったりするには、親のほうの気持に余裕がないとキツい。
「不登校の子は親のため息ひとつにも責められているような気持になる」なーんて、聞かされた日にゃ、「顔で笑って心はぐちゃぐちゃ」な生活になる。
がまんしたあげくに、「それをいっちゃーおしまいよ」なセリフを吐いてしまったりする・・。



今「不登校は悪いことじゃない」という風潮が出てきているけれど、「困ったこと」という空気は流れているし、本人も学校も家族もそう感じてたりするかもしれない。

「親のせいです」「家庭の問題です」という専門家や教育関係者の声は、目にするとブルーになる。


実際「親のせいって聞くけど、どうなの?」と知人にダイレクトに聞かれたこともある。

よくよく聞いてみると、その人自身も子育てで行き詰まりを感じていて、「自分のやりかたはこれでいいのだろうか・・、うちの子も行かなくなっちゃうんじゃないか」という不安と闘っていたりもする。

と、いうことは「親のせい」という言葉は、不登校じゃない子の親までもが不安になるってことなんじゃないのか・・。それって、どうなのよ・・。

子どもの出した症状に気づいて、放っておいても、責めてます、自分のこと。そっから、どうしていくか、前に向く力をどうか奪わないでほしい。




明橋さんは上記の本の中の 「母親が病気をつくっているんですよ」の1.「事実として間違っている」 
 のところでこう記されている。

 <本文より>『もちろん、母親として子どもを育ててきた限りは、子どもの状態に全く何の影響もない、ということはないでしょう。しかしだからといって、母親だけが、すべての原因ではないはずです。母と子を取り巻く、家族、地域、学校、社会、時代もまた、それぞれさまざまな影響をあたえています。
 それを、こういう言い方をすると、母親の育て方だけが、諸悪の根源のような印象をあたえかねません。それは、明らかに事実と異なります。』 



上にあげた 2.「治療的に間違っている」

 
『ですから「母親が子どもの病気をつくった」という言い方は、決してしてはならないことだと思っています。』 



という言葉で〆られている。







学校に行けなくなって1か月目に相談センターで「お母さんのせいじゃありませんよ」と言われた時に泣いてしまったけれど、誰か、友達じゃない他人に、そう言われたかったのかもしれない。

そして、そのセリフは嬉しかったけど、ちょっと虚しく響いた。

「私のせいじゃない・・って言ってもらっても、マシュが楽になるわけじゃないなぁ」

と。あの子のしんどさは何も変わってないじゃん・・って。

そうか、自分の気持ちにとらわれてるうちは、なかなか子どもに向き合う余裕ないんだな。

ということは、早めに「自分を責める」のはやめにしちゃおう~~っと。

てな感じで、だんだんと開き直ってきた。

そして、そのほうがマシュにとっても、よかったと感じる。




明橋さんの本にはずいぶん救われた。



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この子はこの子でいいんだ。私は私でいいんだ―これで、子どもの未来が輝く
明橋 大二
1万年堂出版

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生きる勉強

2009-10-29 09:17:31 | マイペース登校
お久で登校したマシュ。

・・・遠足でした。

他校との合同遠足だったので、落ちてる時ならとっても行けないんだろうけれど、それでも外での活動のほうがすごしやすいのかも。

帰ってきた時の顔が、ここ数カ月の下校の時には見たことないくらい、すっきりしていた。

「ああー、こういう表情久しぶりだなぁ・・」


今まで、ちょこちょこ学校行ってても迎えに行った時には、いっつもすごく疲れた顔してた。

「オラちゃんと行ってるもん」そう言ってたマシュ。

「うん、えらい。行ってる行ってる」まわりのおとなはそう言った。

でも、週に2.3日。1日に2.3時間行くのが精いっぱいだった。

その時には、毎回「使い切ってる」感じだった。


「オラのこと覚えてるかなぁ。誰?ってならないかなぁ」

さすがに20日では忘れないでしょ・・大丈夫だよ(笑)

ちょっと心配気味だったけど、歓迎してもらって、たくさん遊べて、とても楽しかったらしい。

いろいろ持って帰ってきた木の実やまつかさ、小枝に葉っぱ。帰るなり、紙粘土を買いに行き、絵具を溶いて、できました。

←『たんぽぽ』



やっぱ元気になったわ・・。

ここしばらくは、自分で目覚ましをセットして起きるようになってきていた。

これは、ものすごいことで、小学校に入学してからもずっと「自分でかけても全く聞こえないから」と、言い続けていた。


その後、また当然のように休んでいるが、ご機嫌である。

しかし、あまりに機嫌よくしていると、ついつい言ってしまうあのセリフ

「ねえねえ、お勉強はどうなってるのかな?」

夕食時、つい言っちゃった。

「オラは今、ハンバークを食べて『生きる』ということを勉強してんの」

「夜ねるまえは、本も読んでるし」

「あのね、一度にはできないの。まずは、朝おきることにする」


・・・はい。すみません。


最近、夜、早く寝ようとするダッチェの耳元で「やまんばのにしき」を読んでくれたりしてました。

まつたにみよこさんの「やまんばのにしき」はダッチェが昔から大好きな本で、保育士してた時に買ってずっと持っていたもの。

主人公のおばあさんの素朴な感じと、あの独特の言い回しが好きで好きで。

『そこで いろりの 火を どんどともやして でっかいなべに くまのすましじるこさえ、もちいれて はらいっぱいくった。

まず うまい しるだったと』

のところで

マシュ「どっちやねんっ」

・・・まず うまい しる・・・まずうまいしる?


いやいや、ここは前の雰囲気からいっても、めっちゃおいしそうな空気ただよってるやん・・・

確かに、クマのすまし汁は冷静に考えたら・・食べたくないかも(笑)



そんな感じで、ゆるゆる登校ゆるゆる暮らしは、まだまだ続くのであります。



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やまんばのにしき (むかしむかし絵本 2)
松谷 みよ子
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「西の魔女が死んだ」に影響を受けてみる

2009-10-28 09:12:56 | 不登校
よくよく見ているとわかる。
元気度。

今は、基本的には不登校当初のような「生きることに疲れた」ほどのエネルギーの落ち方をしないので、友達が家に来たり、ならいごとに行ったり、学校にあまり行かないことをのぞいては「落ち着いた暮らし」になっている。


マシュの場合は、疲れがひどくなると、とにかく寝る。(普段から人よりよく寝るけど)
外出や外食なんかもあまりしなくなる。
少し回復すると自発的な行動が出てくる。自分でこねた小麦粉粘土や、料理を作ったり、なにかしら工作をしたり。
もっと元気になってくると「川へ行こう」などと、外に出かけるようになる。


9月の宿泊授業以降、お疲れモードだったけれど、ここのところ目に見えて元気になってきているのがわかる。


きっと今までもあがったり、下がったりしながら、できることは増えて行っていたのだけれど、「登校時間」や「登校日数」でその成果を感じていたような気がする。

ここのところ時間割を見ることもやめてみて、「登校」へのこだわりをなくしたほうが、早く元気になる・・ということを目の当たりにした感じだ。



この「明日どうするか考えるのをやめる」という気持ちに至ったのは、実は最近になってやっと見ることができた「西の魔女が死んだ」を見たからでもある。


今までもあちこちで絶賛の声を聞いていたのだけれど、やっと見ることができきた。

といっても、マシュとカシュと3人で見ていたのだけれど、全編に流れるスローな感じが、マシュとダッチェには合わなくて、2人して最後まで見ることができなかったという・・

原作は前に読んでいたのだけれど、「最後どうなった?」とカシュに聞くありさまである・・。

こんなに絶賛されている映画に感動しないってどーよ・・。(後で原作を読みなおして、ひとりでほろっと泣く)

主人公の娘さんが不登校中の中学生の子ということで、その子がひと月ばかりをおばあちゃんちで過ごしたお話なんだけど、どうしても自分ちと比べてしまう。りょう扮するお母さんがあっさりと不登校を認めて「わーわー」ならない感じとか、(うちなんてこいのぼりさんまでやったのにさ・・)おばあちゃんがなーんでも手作りで完璧なまでに人間ができてる感じとか・・に結構凹んだり。

それでも、おばあちゃんが繰り返していう「自分で決める」ことの大切さや、何より主人公の女の子が『頭から追い出すことはできなくても、学校からすっぱりと離れた環境に身をおく」感じは、「いいなぁ・・」と思った。それは日を増すごとにそう思った。

最近は、

「自分で決めたらいいよ」ということで、登校を促してはいなかったけれど

マシュが毎日「明日はどうしようかな・・・」と考えることは、「ずっと学校のことを考えろ」って言ってるようなものだもの。


「しばらく休みます」宣言をして、登校はしないことにしていても、『情報』はやはり入ってくる。

先生に家に電話や、訪問をしないようにしてもらおうと思うと、こちらから出向くことも多くなり、ここんとこ母ひとりで学校に行くことも多かった。

先週末、放課後にお知らせの手紙をとりにいく際、マシュもついてきた。

といっても、玄関からは入らず、先生に外まで出てきてもらった。

先生もマシュの表情がとても良くなってきていることを喜んでくださっていた。顔を見れたことを喜んで下さったあと、ちゃーんと「無理しないでいいしね」ってつけ加えてくださった。




そして、マシュは昨日20日ぶりくらいに登校した。




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学校にいくことはあたりまえ?

2009-10-26 11:12:39 | 参考になった本
引き続き内田良子さんの「登園しぶり登校しぶり」を引用して。

 
<本文より>
「子どもが学校を休み、家で生活していると「好きなことをして怠けている」と大人は誤解します。しかし、親の協力が得られないと、子どもは家の中でも自由に動けないのです。
「無理して学校に行かなくてもいいよ」と親に言われても、最終的には「学校へ行くこと」が期待されている限り、家庭は子どもの居場所にはなりえないのです。
家庭が安住の地になってから、傷ついた子どもの心は初めて修復されていくのです。」
 



そうなのである。
「こりゃ、登校は無理だわ・・・」と思っても、「また行く」と心のどこかで思ってしまっているのだ。

これは、なかなかすっかりとは解消されそうにはない。

他の道のイメージがないのだ。

「学校に行くのがあたりまえ」と思う親のたとえとして内田さんは

 
<本文より>

「学齢期以降、朝八時前に家を出て、夕方まで帰ってこない生活があたりまえになっていて、子どもと家で一緒に暮らす生活がイメージできなくなっているのです。深海に暮らす魚が、いつのまにか目やいろいろな器官が退化してゆき、太陽が射す海を泳ぎまわっているときには必要だった器官が、機能しなくなっているのに似ています」 



小学生で2万人以上、中学生で3万人以上の不登校の子がいるといっても、「行かない暮らし」はなかなか目にすることもない。

実際その立場になると、カナー先生のような専門家がおられたり、本も増えたし、ネットでいろいろな人の体験談にもふれることができる。
それは、少しして落ち着いてからの話だ。

たいていの人は「深海魚」で、そうなっちゃうまで、その生活は想像できないし、当初は「なんとかしなければ」という思いに走ってしまうのだろう・・・。

そして、イメージがないからこそ「家で学校のように暮らす」ことを最初は要求してしまうのかもしれない。


 
<本文より>

「親は百歩譲って学校に行かないことを容認しても、家を学校の教室のように勉強してほしいと望みます。目の前で毎日のようにゲームやテレビ漬けの生活をしているのをみると、黙ってはいられなくなるのです。そこで干渉がはじまります。「学校へ行かなくてもいいから、せめてなにかしたら?」とと親は自分が安心する条件をつけ始めます。」 




ハイ・・・。やりました。やりました。

子どもより、自分が不安になっちゃってたってことなんだよね・・。


 
<本文より>

「家にいる子どもは学校で深く傷ついていることが多いので、心の傷にふれる、学校に関するものなど、みたくもないし思い出したくもないのです。ゲームやテレビに意識を集中させ、自分の中にある学校で経験したいやな思い出や、群雲のようにわき起こってくる将来への不安を封じ込めようとしているのです。言ってみれば、ゲームやテレビは「不安の海」におぼれて沈んでしまわないための浮輪、ビート版のようなものなのです。」 




親は、自分が安心するために「条件づけ」をしようとしてしまうんだな・・・。
ってことが、あらためてわかった気がした。「休んでていいから、とりあえず、勉強だけはやって。」とか言っちゃってたなぁ・・。


そして、こどもは「条件なし」で家を居場所にできてこそ力をためることができるんだ。



と、つくづくこの2年を振り返って思うのでありました。


「学校に行けなくなっちゃったこどもをなんとかしよう」
とお医者様に走って行っちゃったりするけれど、
「なんとかしなきゃ」ならないのは「学校にいくのはあたりまえ」って思いこんじゃってる親のほうで、それが「なんとかなったら」
子どもは元気になるんじゃないかしらん・・・。 



反省材料がいっぱいのこの本だけど、よくぞ出会えた・・とも思う本です。



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学校行ってても行ってなくても友達

2009-10-24 21:51:40 | 不登校
先日、小学校で高学年の先生と話す機会があった。

もうひとり、他の保護者も一緒に。

そこで、話が「不登校」の話になって・・・。


その先生の受け持ちのクラスで以前「不登校」になった子がいた。


もうひとりの保護者のかたは「不登校」のことがよくわからないので、友達はどうするべきなのか・・みたいなことを話されていた。

「誘っていいのか、行けないのか、手紙を書いていいのか、いけないのか」

「なんとかしてあげたい。って思うけれど、どうしたらいいのかわからない」

「このままでは勉強が遅れてしまうんじゃないか」


・・・・うーむ。ものすごく納得な、そしてまっとうな気持だ・・。


それに対しての先生のお話はとても、簡潔でわかりやすかった。

先生「実は、教師のできることって、本当にあまりないんです・・・充電・・という言葉がふさわしいのかどうかはわかりませんが、本人のエネルギーが落ちている時には・・」


そうおっしゃる先生、マシュも認めるとてもいい先生である。親御さんとも連絡をとり、何度も足も運んでいらしたのも知っている。


マシュが行けなくなったのは、まだ2年生だったから、3年になってから放課後に当時の担任の先生と遊んでもらったりして、徐々に仲良くなっていった。

高学年以上ならそうもいかないだろう。


「じゃ、ほっておくというか、そっとしておいたほうがいいんでしょうか。」

「あんまり、誘ったりしないほうがいいのでしょうか」


何もしないでいることに落ち着かない感じの友ママさん。わかる。それもわかる。


先生「子どもさんが「手紙を書きたい」とかいう気持を止めることはしなくていいと思います。友達を思いやる心からの行動なのですから」



ダッチェ「エネルギーの落ちてる時は、どんなに誘ってもらっても、動けなかったりするとは思うので・・。「おいでー」もいいけど、「こんなのがあるよー」みたいに情報を並べる感じでいいかなぁ・・って思うのです。」「良かったら」的な感じでしょうか・・。」

「その時に「ふっと行ってみようかな」って気持になるかもしれないし、今回はパスって感じかもしれないし、そのあたりは親が思うより、意外と友達同士のほうがわかってたりする気がします。」


「休んでる側から言わせてもらえれば、『学校行ってても行ってなくても友達だよー』ってスタンスが一番嬉しくて、次に行こうと思う時に「いつ来ても居場所あるよー」みたいな感じでいてもらえると、とってもありがたいかなぁ・・・と思います」

先生はその話のひとつひとつに深くうなづいてくださった。




卒業まで顔を見せなかったことで「僕も力足りなかったと思っています」そうおっしゃる先生に、

その先生のおっしゃっていた子が中学の入学式に「きゃ~おはよー」って元同級生に歓迎されているのを目の当たりにしたダッチェはその姿を見たことを報告。

「先生だったから、ゆっくり休めたのだと思います。休ませてくれない先生・・いますもの」とまで言ってしまった。

「きっと、先生のクラスの雰囲気が良かったから、ああやって歓迎されてたんだと思います」って。
話しながら、ちょっとウルウルしてしまった。



友ママさんは「早く学校に行けるといい」って思ってたけど、

休むことも必要があってのことなんだ・・って少しわかってくれたようだった。





エネルギーが回復してきた時に、一緒に歩いてくれる友達の力は大きい。

それまで「行ってても行ってなくても友達」そう思い続けてくれる友達の存在は本当に大きい。



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本心は行動にあらわれる?

2009-10-21 10:01:09 | 不登校
マシュは学校に行けなくなった当初、「行きたいのに行けない」と言っていた。


「明日は行こう」と思ってランドセルに用意しても、朝になったら「起きれなかったり」した。

その言葉をそのまま聞いて、「どうしたら、行けるようになるんだろう」といろいろと手をつくした。


  「登園しぶり登校しぶり」より

「小学生になると子どもたちの中には辛くても、「学校へ行きたくない」とは言えなくなる子がいます。小学校は義務教育で休まず通うところだと、いつのまにか刷り込まれているのです。具合が悪くても「学校はどうするの?」と聞かれれば、健気に「行きたい」と答えます。「行きたくない」と泣き叫ぶ幼稚園や保育園などの幼児期とはちがうところです。」

「行かねばならないところだから、行きたいけれど、行かれない」
という心の内部に生じた葛藤を行動で表現している


という子どもたち。

  
「布団から起き上がれない」「からだに力が入らない」「洋服を着替えない」 
などなど・・身体は痛ましいほど雄弁に語っているのに、

  母親には「学校へ行きたい」という言葉しか届いていない。  


これもまた痛い話だった。


2学期はじまって1日も登校していないマシュ。

登校を促されることのない日々で、穏やかに過ごしている


1学期の間のマシュの「明日どうしよっかなぁー」というセリフも、言わせてたんだろうなぁ・・などと思う。

「行ってない」って言われないために、週2.3時間顔を出していた・・のかも。


「行きたくなーい~」が本心だったって、やっと気づいた気がしている。



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お疲れ週末

2009-10-18 22:58:04 | 弱音
土曜日、どう考えても体調良くなかったのに、ストレス解消したくて、頭空っぽにしたくて、卓球しに行って、気持ちはスッキリだったのですが~~

風邪ひいちゃいました。咳が止まんない…


やっぱりカラダの声は聞かないとダメですね(笑)


『風邪の効用』の野口先生によると、カラダにとっては、風邪ひくことも整体らしいから、悪いことじゃないらしいですけどね…寝てられるんならね…


コメントにお返事できてなくて、すみませんm(__)m


マシュは、今日お昼近くまで寝ていたのに、楽しみにしていた、BSドラマ『イサン』のドラマの途中から寝ちゃいました…8時間くらいしか起きてないし。まだまだお疲れのようです。もちろん時間割も見ずに寝ました♪


という感じで、
はじめて、携帯から投稿してみましたが…上手く行くかしらん


心身一如

2009-10-17 19:31:23 | 不登校
4か月ぶりのカナー先生。

まずは宿泊授業(その1.その2.その3)に行った話。

それを聞いてカナー先生

 
「屋外での活動というのは、数時間しただけでも、とても疲れるものです。
それをそれだけ長時間できたのは、事前の準備がしっかりできていたということですね。

マシュちゃんが、不安を言葉にして話して、書いて、それをお母さんが先生に伝えられて、先生がちゃんとそれに答えてくださる形で、詳しいしおりを作って下さったり、準備をされた・・ということがわかります。

そして、一度帰ってから、また行くというのは大変なことです。エネルギーを短時間で回復させて、もう一度行くという、マシュちゃんの中にすごい力があることもわかりました。

先生との関係がとてもうまく行っているのですね。」 



と、言っていただきました。

個人懇談のお話も、
 

「先生が行事でマシュちゃんのそんな姿を見て、『活動できたことを機に』と思われるのは当然のことです。親御さんも、そう思われるかたが多いのですよ。でも、マシュちゃんのお母さんはとってもマシュちゃんのことをわかっていらっしゃるので、お母さんの感じられたことを先生にお話しするので大丈夫ですよ。」 



そして担任の先生が
「こういうことに素人ですから」とおっしゃったことにも、

 

「先生は教育のプロですけれど、子どもの状態を一番わかっているのは、そばにいるお母さんです。先生の中には「いや、わかってます。」おっしゃるかたもいらっしゃいます。
なので、その担任の先生は素晴らしいです。」
と。 



そして・・・。

実は、今担任の先生はとても迷っておられて、いろいろな提案や、予定の知らせ方や、「よく来たね」という「言葉がけ」ひとつも、プレッシャーになるんではないだろうか・・。

と、とてもありがたい壁にぶつかってくださっておられる。


そんな話をしてみると

「よく来たね」と一緒に「でも無理しないでね」という言葉をつけ加えてあげるといいと。

ポイントは「安心を伝える」ことだそうです。

「行ってもOK」「行かなくてもOK」

 
お母さんが「行かなくていい」と言っても、マシュちゃんは自分が行きたかったら行きます。



にっこり笑っておっしゃいました。



そして、最後にマシュの今の昼夜逆転っぷりや、睡眠時間がとっても長いこと・・なんかの話をした。

ダッチェ「宿泊を機会に早寝早起きになれれば・・」って担任の先生にも言われたんですけれど、とんでも無理な感じなんです。

カナー先生  
「宿泊では、ずっと気が張り詰めていて、それはそれは疲れたと思います。おまけに、委員会の発表まで。」


『心身一如』

「しんしんいちにょ」という言葉があります。

こどもは特に心と体が一緒です。

体の声を聞くことは、とても大切なことですよ。 




ダッチェ「今は朝も起こしてなくて、しばらく休んだほうがいいかな・・と思いながらも、自分で時間割を見て「頭がモヤモヤする~」とか言うので、「自分で決めたらいいよ」と言うと、「じゃ休む」って感じです。


カナー先生 
「時間割を見て「頭がモヤモヤする」んだったら、時間割も見ないほうがいいでしょう。」 



ダッチェ「やっぱりそうですかぁ~」
    「担任の先生にもお伝えして、もう少しゆっくりします」って伝えます。



今回、はじめて「お母さん、それでいいです」って言ってもらった気がした。

今まで「朝起こそう」としては 
「起こしてって言われたら起こすように」



勉強させようとしては「 机の勉強はいつでも、できます


毎回、超超やさしい言いまわしで 
「それは今やらなくて大丈夫」

とダメ出しくらっていた(笑)


「学校自体がストレスなんじゃないか」と言うことと、「登校することが「いいこと」じゃない」という視点に立つと、マシュのこともよく見えるし、自分も楽になる・・そんな気がした。


カナー先生の帰り、
「マシュ・・カナー先生がいてくれて良かったね~」というと

「<あそこ>やったら大変やったなぁ、・・・怠けてるとかさ」

「<あそこ>」とは・・そう、「怠け心が出てるんじゃないですか?」とか症状出してる時に「押し時ですよ」とおっしゃった「こども相談センター」の相談員さん。

マシュも覚えてましたかぁ~。

その相談員さんが勉強不足なのか、あそこは目的が「再登校」だからそうなるのかなぁ・・。

言われたことに、いちいち振り回されるから、マシュにとっちゃ迷惑な話だったよね。

まだまだ浸透しているとは言えない「不登校」の子の状態。一番近くで、子どもの状態を見ていても、自信なんてさらさらない。


「司令塔」となる人の存在の大きさをあらためて感じた。

そして、カナー先生から「安心」をもらったマシュは

ぐぐっと元気になる。



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「学校」自体がストレス・・・?

2009-10-15 10:57:46 | 不登校
マシュにとって「学校」自体がストレスになっている・・とはっきり感じたのは実は最近かもしれない。


学校に行けなくなって、すぐの春休み。

マシュは姉と2人で初めて2人だけで新幹線に乗って、いとこの家に3泊で遊びに行った。

マシュが「どうしても行きたい」と言い出したことだ。

行く直前まで「やっぱりやめようかな・・」と言ったりもしていたけれど、楽しい思い出とともに帰ってきた。

当時の校長先生は「そんな遠いところに行けるのになぁ・・」と首をかしげられた。

そして、放課後登校、保健室登校、マイペース登校・・の間も、ピアノの発表会に出たり、和太鼓の演奏で舞台に立ったりした。

学校は行けるけど、ひとりでピアノの舞台に立てない子のほうがたくさんいるんじゃないのか(ダッチェも)・・なんて思ったりした。

友達の家に行ったり、来てもらったり、近所の公園でクラスの子と遊んだりもした。


確かに最初のころは、外に出れないし、やりたいこともない、食欲も落ちたし、ならいごともしばらく休んだ。

そんなこんなは、この2年ですっかり落ち着いて、家ではとっても元気になった。

今はひとりで自転車でどこにだって出かける。塾にも(迷子にならずに)ひとりで行き帰りできるようになった。


それでも、「今日は登校しよう」と、学校の前まで来ると、いまだにふっと表情が硬くなり、外で過ごしたり、迷ったあげく帰ったりする日もある。



先生に先日「毎日1時間だけとか、決まった時間だけ登校してるみというのはどうでしょう」という提案をもらった時に、思わず、「小さい子に、はみがきの習慣をつけるんじゃないんだから・・・」と思ってしまった。

一度も学校に通ったことのない子じゃないんですよ、保育園の慣らし保育じゃないんですから・・って



前にご紹介した本、『不登校選んだわけじゃないんだぜ』をもう一度借りて読んでみた。

小学校1年生の2学期から学校に行けなくなった著者の貴戸理恵さん(中学から大学院まで通う)の書かれていた文章を思い出したから。

ここの章「意味不明、大人のアホさ」はすごく痛く泣ける話を面白く書いておられるので是非全文読んでほしいのだが、一部抜粋してみる。

80年代の不登校は世間や国の理解がほとんどと言っていいほどなく、子どもたちはありとあらゆる方法で学校に「連行」されたらしい。


  
<本文より>
「系統的脱感作法」はそんな行動療法のひとつだ
今日はランドセルをしょってみるだけ。明日は玄関まで。不安にならずに行けたかな?
よしよし、じゃあ次の日は、玄関から三歩外に出て、すぐ家に入る。大丈夫?
では次は、あの角の電柱のところまで。そうやってだんだんと恐怖をならし、「学校に近づいても安心だ」と「学習」させてゆく。

この方法は八〇年代にしきりととられ、わたしも小学校一年のときに担任の先生に勧められた。
「そうやって、毎日ちょっとずつやっていったら、いつか学校まで来られるかもしれないわよ」

三十過ぎの柔和な女性の担任がニッコリして言ったときの、当時七歳のわたしの感想は、
「あちゃー」だった。

「今日は玄関まで、とか、今日は公園のところまで来られました、とか学校に連絡を下さい。そうしたら、その日は出席にします。」

いやーそういう問題じゃないでしょ。わたしは別に理由もなく不安や恐れを感じてるわけじゃない。犬ぎらいの人が犬に触りたくないのとはワケが違うのだ。
学校に行かないのは、学校にいるのがイヤだからだよ。あたりまえじゃん。だから学校の近くの公園には行けても、学校には行きたくない。そんなこと、普通に考えてわからないのか? <本文ここまで>




20年後の今、風当たりは当時ほどはないとはいえ、「レールからはずれる」ことはそんな経験のない自分には、「想定外」だった。

マシュが下駄箱で固まってから、休んでいる間も、目標は「再登校」だった。

外に出れるようになった頃から、放課後先生に会いに行く・・ということを始めた。

学校の前でドンジャンケンとかして遊んだこともあった。

放課後登校は、途中から「出席」扱いになった。

付き添いで保健室に行けるようになった。

ひとりで教室に入れるようになった。

ひとりで登校する日もある。

時間はかかっているけれど、ある意味順調にここまで来た感じがする。



でも・・・。

マシュにこの本で読んだ話をしてみた。

「そうそう。オラはどこだって行けるし、学校の前だって通れるよ。中にいるのがイヤ」

・・・・・やっぱりそうか。


元気になって、家では意欲的にさえなり、やっとそのことに気づいた感じだ。

思っていたよりも相当根深いんだ・・・。

やはり、登校自体に目を向けるより、マシュ自身がいろいろ経験したり、長所を伸ばしたりすることを軸に考えたほうがいいのだろう・・。


担任の先生とはあれからもう一度話して「マシュちゃんにとっていい方向になるようにしたいので、お休みの日に電話をするしないも含め、声のかけかたなどもカナー先生のお話などを参考にさせていただいたり、お母さんに様子をお聞きしながら考えていきたい」とおっしゃって下さった。

「私は素人ですから(不登校のことに関して)」とおっしゃった時には、「ああ、まだまだ現場の先生方には浸透していないんだなぁ・・」と思いながらも、「不登校をなくす」ことを先に考えることなく、マシュのことを思ってくださることに涙が出るほど嬉しかった。そういう学校の姿勢も嬉しかった。



この間マシュが言った。

「ねえねえ、お母さん、お母さんのブログのページを開いた時に「行きたくなぁ~い~~」って声が出るようにしてくれない?

ダッチェ「ええーっ。お母さん、そんな技術持ってないよ・・・。それにさぁ、夜中とかに、このページを読もうとした人がびっくりするやん」

マシュ「でも、やってほしいなぁ~~」


心の叫びを知ってほしいのか、同じ思いをしてる子が他にもいることを知って、エールを送りたいのかなぁ

・・・・一番、このページを開く「マシュのおかあさん」に一番聞いてもらいたいのかな(笑)



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不登校、選んだわけじゃないんだぜ! (よりみちパン!セ)
貴戸 理恵,常野 雄次郎
理論社

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もう一度不登校

2009-10-14 09:14:43 | 不登校
昨日の記事は自分でも消化しきれてない内容だっただけに、かなり何度も書き直したり、読んだ人が過剰に不安になったりしないかなぁ・・と、めずらしくUPするまでに葛藤した。

でも、やっぱり書いてよかったかな・・と思う。
同じような思いをしたかたから、コメントをいただいたこともあったし、やはり書くと前にすすめる。


実は、この話は、すんだ話ではなく、今の交流学級がそんな感じに見受けられる。

マシュが行けなくなった時の先生は、未熟さゆえ・・な感じがしたけれど、こちらはベテランさんだけに、手ごわい。手ごわすぎる。

指導に熱心で、ハイレベル~な感じ。イケている。

元気な子なら大丈夫なのかもしれない。


でも毎年、数人の保護者が「厳しすぎる指導」に訴え出ているのも知っている。

今年もすでに行った人がいると聞いた。



昨年冬、児童相談所で、「自閉症スペクトラム」の診断をもらった時

マシュの特徴のひとつに

「他者との境界が弱い」ということをあげられた。

低学年のころは確かにそうだった。


今のマシュは他の子が怒られていても自分まで怒られているような気にはならない。

ようになってきたらしい。

でも、調子が悪くなるといろいろ症状が出る。


今は、昼間は元気にいろいろなことをしている。

でも、夜になると「頭がモヤモヤする・・」となってくる。

「学校」のことを考えると、落ち着かない感じになる。

少し、ゆっくり休んだほうがいいんじゃないだろうか。

「給食だけでも食べに来たらいいよ」

担任の先生は言ってくださるけれど、

今のマシュは

「行きたいけど行けない」感じじゃなくて

「行きたくない」気持が強いように見える。

たぶん、「ちょっとだけでも行っておいで」と少し無理したら行ける。

っていうか、1学期の後半宿泊から帰ってきてからは、そんな調子で行っていた。

でも、今はそうしないほうがいいような気がする。

mentaiko2006さんが以前ブログで紹介されていた 中垣 寿彦 氏の
『エネルギーを落としている段階と回復の段階について』
とても腑に落ちる話だった。


自分で、担任の先生に「学校に行く」ことがいいことじゃないと思っている。

と、言い切ってしまってから、見る目が変わったというか、うまく言えないけれど、

今まで「寄り添っている」と言いながら様子を見ながら「前からひっぱったり」「後ろから押してみたり」していたのが、本当に「横に座ってみたくなった」感じかな・・。

「少しでもたくさん登校できるように」と支援学級を希望したのに、学校自体に入ることを「義務」っぽく思っている様子に、ここまで来てから「やっぱり無理に行かなくていいんじゃないのか・・」と思ったりしてしまっている。


家での生活は「意欲的」な感じで、自分で粘土を作ったり、ピグをしたり、料理もしたり、昨日作った三角おにぎりなんて、すっごく綺麗な三角で、「こんなのお母さん大人になるまで作れなかったよー」くらいだった。

今まで、全くやりたがらなかった勉強も、少しずつだけど「やりたい」と取り組んでいる。
本も2年前は「読めない」だったのが、ひとりで単行本を一冊読めるようになっている。

でも、時間割を見るとサーっと顔色がよくなくなって「どうしよう・・」となる。

「じぶんで決めたらいいよ」

と言うと「じゃ、休む」の最近。


今週は4カ月ぶりに、カナー先生のところに行くことになっているので、そのあたりのことも相談してみたいと思う。



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