おひるねウサギ~不登校かまへんかまへんマイペース♪

ADHD母ダッチェ。小2で不登校のマシュは小5フリースクール、中2地元中学高校→他府県専門学校→社会人独り暮し3年目

落とす、失くす、お世話かけますADHD

2019-05-30 13:11:48 | 片付けられない女
昨日、マシュ、コンビニATMで引き出しした際、お金を取り忘れたことに数時間後に気づいたそうである。
 
ダメもとでコンビニに電話をしたら、なんと次の人が届けてくれていたそう。日本優しい・・・って連絡がきた。
 
なんて良い人なんだ
 
で、夕方、ゴリさんがコンビニでコピーしようとしたら、前の人の免許証が忘れてあったので店の人に渡してきたとのこと。
 
この確率でおこるってことは、きっと、毎日どこかで誰かがやらかして、誰かに感謝している。
 
ダッチェ自身も、昨秋、家の鍵を通勤途中に落として届けを出したところ、3日後警察から「届いてます」って連絡が来た。路上に落ちていたらしい。
 
わざわざ足を運んで交番に届けて下さったかたがいたということに本当に頭の下がる思いをした。
 
受け取る際に形状などを詳しく言わないといけなかったので、今は写真にとっている(落とす前提かよ)
 
この母にしてこの娘、
マシュに至っては、新幹線に財布を忘れ、飛行機に眼鏡を忘れ、高校生の時は定期を3回は落としている。
 
しかも、全部出てきている。
 
たくさんのかたの善意に本当に感謝します
 
お世話になっている分、ダッチェも、忘れものを届けたり、電車で向かいのお姉さんがハンドバッグを忘れて降りて行った時に走っておいかけていったり、道を聞かれた時は親切に対応したりするようにしているけど、たぶん追いついてないと思う・・・。
 
若い時に比べると、落し物はずいぶん減った(落としていることに気づいてないという説もある)
 
ものをなくすのは相変わらずだが、見つけ出すスキルはあがっている。
 
忘れ物はずいぶん減った・・・とは思う。(その場を離れる時に振り返るくせをつける。出かける際に持っている個数を指差し確認)
 
くま先生に「出かける時間を家族に30分早く言っておく」というアドバイスをもらったりして、自分でも時間の見積もりが甘いので出発時間を早めに設定することに。
 
朝に出かける時は夜のうちに、午後にでかける時は朝に荷物をいったん用意するようにしたことでだいぶ改善した。
 
だいたい、全部頭の中で、「あれとあれと・・・」って組み立てているものだから、いざ出かける段になって「あ、あれも」「あ、あれ入ってない」「あそこの窓しめたかな」と何度もくつを履いては脱ぎ、履いては脱ぎ・・。
 
今も全くないわけではないが、ワーキングメモリーが少なくてすぐに上書きされちゃうので、やることを少しでも減らすことで「しまった」を防ぐことができる。
 
ま、締め切りが目の前にないことを常に先延ばしにするので、「やらなきゃいけないけどやってないこと」が常にあることで、動作環境が悪くなっている状態には変わらないのだけど。
 
こどもの時、大好きだった本、「ポケットの中の赤ちゃん」
 
お母さんのエプロンの中で生まれた「ムーちゃん」は、紙くずやごちゃごちゃした中で生まれたから、「散らかっているほうが落ち着く」とはっきり言う。
 
そして、すごい力を持っていたり、なくしものは「取り込みや」っていう闇の世界の生き物が家の中の大事なものを持っていくといい、主人公の幼稚園の女の子のなくした大切なものを取り返しにいく。
 
繰り返し読んだな~。「散らかしや」の子どもだったダッチェは心強い味方を得たような気がしてた。
 
ダッチェのなくした婚約指輪も「取り込みや」が持って行ったのかもよ!とは、ゴリさんには言えないが、もしかしたら・・・
 
 
 
 現在、新刊は販売されていないようだった。家にはあるけど良い本なのにショック・・・。
図書館とかにあるのかな・・。

不登校で苦労したこと。

2019-05-27 15:31:58 | 不登校

「うちの子、小2~中1まで学校行ってなかったんで」って、何かの折りに話すと結構な確率で「えー大変だったんですね。そんなに苦労されてるように見えない」

と言われる。

 

確かに大変なことはある。

行かないことでの学校への連絡、平日外に出る時に自衛策としてマスクをする(勝手に風邪だと思ってくれる)

まわりから聞かれた時に相手が納得するようなうまい答えをいくつか用意しておくとか

学校ではどんどこ課題や行事があるので、それをどうするかとか、学年あがる度に先生にこれまでの経緯を説明して理解や配慮を求めるとか、時短登校する時には送り迎えしたり。

こどもが不登校なのに役員で親だけいったり

スクールカウンセラーさんとお話したり、講演会などに行ってみたり、本をいっぱい読んでみたり?

 

 たぶん、不登校を経験していない人の「大変」は、「自分の想像できないこと」だからであり、「苦労」は、「学校に行けなくなったことで悩みに悩んだ」ことによる苦労と思われてる感じを受ける。将来を案じて食事ものどを通らない日々を過ごしているイメージなんだろか。

 

いや、確かに最初は本当にまずびっくりしたし、エネルギー落ち切った子を目の前にして途方に暮れたし、悩みもしました。

 

でも、目の前じゃなく長い目で先が見えるようになってからは、そう大変でもなかった(マシュ本人はすごく頑張ってたから大変だったろうけど)

 

世間の皆様の思う大変と苦労とはずいぶんギャップがあるかも。

 

 

子どもが不登校になって、1番苦労したことは、ずばり「自分の価値観を変えること」

 

それまで当たり前だと思い込んでいた「学校は行かなきゃならないところ」「勉強したほうがいい」という、今もたぶん多くの人が思っていることを、ダッチェの親も思ってただろうし、そういう風に育てられて自分がいるのだから、同じようにしないといけないと思っていた。

 

それを「行かなくていい」といってしまうのは、自分の育てられ方を否定するような気がして、苦しかった。

 

『自分と子どもは違う人間であること』『その子にはその子にあった暮らしや学びかたがあること』

 

それを手に入れることができるまでが1番しんどかったように思う。

 

逆に言えば、それさえ手に入れてしまえば、親のほうはもう楽なのだ。

 

子どもをコントロールしようとして、思い通りにならなくて悩む親より、よっぽど穏やかに暮らせるのだ

 

 

と、言うことをツイッターでつぶやこうとしたのだが、140文字という制限があるため、何度書き直してもニュアンスが違う気がして、結局パソコンを引っ張り出して長々と書いてしまうのであった


母はADHD

2019-05-24 17:07:38 | 片付けられない女
ダッチェは46歳の時に自分がADHDであることを自覚した。
きっかけは、「へんちゃんのポジティブシンキング」という本に出会ったこと。
なんと、本を書いたへんちゃんこと、笹森理絵さんの主治医がくま先生だった。
 
くま先生は、関西ではわりと有名な先生で今は初診を取るのも難しいらしい。それほど多くの親子が先生を頼りにしている。
マシュは小学生の時に少し通っただけなのだが、とても大きな出会いとなった。
 
くま先生は小児科なので、自分のことを相談するなんて考えてなかったのだけど、へんちゃんの本のおかげで勇気を出した。
何かの検査をしたわけでもなく、何のテストを受けるわけでもなく、
子どもの時からの話をひととおりしただけで
「ADHDやな」って
え、そんか感じなんすか~~
ま、これが、わかる人が見ればわかるってやつなのか。
 
普通に学校行って、普通に受験して、普通に就職して、結婚して、子育てして、またパートに出て・・・。
わざと、普通って連呼してみた。大人になるまで誰からもそんなこと言われなかった。
 
 
でもね、なんとなく気づいてたのです。
 
他の人が普通にやれてることを、めっちゃ努力してやってたこと
他の人がうっかり!しちゃうことが人よりもすごい頻度でおこり続けてたこと。
どんなに失敗しても、忘れっぽいからすぐに前向きになれるんだけど、どこかで「ダメだな~」っていう思いが蓄積していたこと。
 
「見た感じと違うよね~」とか
「意外と天然だよね~」って新しい人間関係ができるたびに言われたりしてた。
 
なので、それが脳の癖のせいだってことがわかって、とてもすっきりした。
よう頑張ってここまで来たよ~って。
 
自分の得意、不得意を理解することで手を打つことができる。
 
ADHDの話はまた書きたいと思います
 
 
ところで、今月からツイッターを始めてみた。こちらのブログが以前連携していたこともあって、登録だけは8年も前にしていたのだけど、最近のテレビでも「ネットでは」という声が聞かれたり、娘たちの話にも出てきたりしているところに、プロフィールのところからツイッターに入れますよって連絡がきて、50代も半ばにしてつぶやいてみる。
まだ、システムそのものに慣れないこともあり、ぐるぐる回っている大繩に入りきれない感じだけど、いろいろな人の意見を聞くのは面白い。
 
ただ、ブログを書く時には何度も読み返したりするのだけれど、ツイッターは文字数も限られていて、そしてつぶやきだしたら止まらなくなりそうな感じが、衝動性のあるタイプには向いてないかもなってちょっと思う
 
 

レフティ親子

2019-05-23 10:35:38 | マイノリティ

以前、触れたと思うが、マシュもダッチェもレフティ(左きき)である。

 

ダッチェは昭和生まれで、その頃あるあるだったお箸とえんぴつだけ直された矯正組でもある。

 

矯正されてないものは、全部左になってしまうので笑

 

はさみも、包丁も、球技全般左でしかやれない。

 

特に長年続けている卓球は、レフティで得をすることのほうが多い(回転が反対になったり、多くの人が右ききなので、攻撃も防御もしやすい)

 

なので、改札で定期をかざすときに毎回変身ポーズになることや、そそぎ口のついた鍋を反対に傾けないといけないことや、右利き用のハサミや包丁で切ることなど、うまく切れてないかもしれないが、特に気にならない。ずっとそうやってきたから。

 

この春からマシュは花屋さんで働いている。花屋さんで働くことを目標にした時から、マシュはバイトで貯めたお金でアレンジメントを習いに行っていた。

 

その頃からの悩みだったそうなのであるが、アレンジに使うフラワーペーパーがカッターでうまく切れないのが悩みだったらしい。

ダッチェが引っ越しでマシュのところに行った時に「お店でうまく切れない」と、アマゾンでロールで買って練習しているマシュを見て、ハタと気づいた。「もしかして、右利き用だからじゃないの

 

左利き用のハサミがあるんだから、カッターもあるのではと。

 

調べてみたら、結構いろいろあった。

 

いざ、使ってみると「わぁ~~」っていうほどうまく切れた。自分の不器用さを嘆いていたマシュだが、結局そういうことだったのだ

 

2種類購入したのだが、マシュが気に入って使っているのは『無印良品』の両手きき用のもの。刃を入れ替えられる。

そういう配慮をしてくれることにちょっと感動した。

 

10人に1人と言われるレフティで、道具もいろいろ出てはいるが、例えば職場などでは共用で使うものも多く、使いづらいなって思いながら、合わせることも多い。

例えばマウスなんかは、ダッチェは左手で使うがいちいち左用に設定しなおすのも面倒なので右仕様のまま左手で使うということに慣れてしまった笑

中指でダブルクリック・・。そうやってレフティは器用になっていくのだ。本人も意識してないほどの努力を重ねて


 

ダッチェ運転をやめる

2019-05-18 14:05:07 | Weblog
不登校のブログを書いていて、常に思うのは「生きていてこそ」の話で、悩めることもまた幸せなのだということ。
幼い子どもの命が奪われたニュースを目にすると、胸が潰される思いである。
特に最近たて続けに起こっている死傷事故は防げた事故だったんじゃないかという思いが強い。
今年の3月まで、ダッチェは週に1~2度運転していた。免許を取って30年、若い時に横断歩道を歩行中にバイクに轢かれたことはあるが、自分は事故をおこすことなく過ごせていた。
3月マシュとカシュの引っ越しで、マシュは引っ越し屋さんに頼んだのだが、カシュは実家に戻って来るので車で荷物を運ぼうと、ゴリさんと2人で4時間半の道のりを往復した。
1度では運びきれず、日をおいてもう1度向かったのだが、その途中で車が故障して修理に100万かかると言われ、想い出深い車だったが廃車にした。次月に車検を控えていた。
ゴリさんとカシュは仕事があるので新幹線で帰ってしまい、その後の1人での片づけ撤収作業は自分でも「よくやった!」と思う・・・。
と、話がそれたが
子どもが小さい時から、車にはよく乗っていて、家族旅行、義母の病院の送り迎え、買い物、、子どもの急病、雨の日は商売の商品を運ぶのに重宝した。
何かというと、すぐに車を出していた。当たり前のように車があった。
でも、気づけばゴリさんは60代。ダッチェも50代半ばである。
乗っていた車が不具合を起こした時は走行中で、車を端に寄せてJAFのお世話になった。
そのタイミングで車が止まってくれたおかげで、他人を巻き込む事故にならずにすんだと思った。長距離を走るため、事前にガソリンスタンドでタイヤの空気圧なども見てもらっていたのだが、まさかの事態にしばらくは何度も思い返してその幸運に感謝した。

そして車に関しては、修理費にそれだけかけるなら、買いかえるか、カーシェアリングでもいいねと、ゴリさんと話していた。
けれど、その思いは変わることとなった。

ちょうどダッチェは2月~4月カシュ&マシュの引っ越しで行ったり来たり延べ2カ月ほど家を離れて生活した。
その間に「車のない生活」を経験した。
そして「なくても暮らせるやん」って実感した。
「車があったらな~」って思う場面は何度かあった。重い荷物や、公共交通機関でえらく遠回りになる時とか。
でも、それよりも「どうしても車で」ってことってそんなにない。っていうことに気づかされた。時には不慣れな場所で道に迷ったり、歩くことが格段に増えた日々だったが、普通に暮らせた。
そんな時に、池袋や大津で幼い命が奪われる事故が続いて報じられた。
数年前、ダッチェの父が80歳になる直前、お願いして運転をやめてもらった。父は遠出はしないものの、気のいい性格のため近場で人を送ってあげたりしていた。
その頃、高齢者の運転をやめさせるのは家族の義務だと思っていたので、かなり強めに言ったと思う。
「その歳になってから小さい子を轢いたらどうするの、どうやって一生償うの、お父さんがいなくなった後も、残された家族が背負うんよ」とか、家族が被害者になったらどう思うか、とか自分でもキツイなって思ったけど、認知機能が落ちてきていると感じていたので、どうしてもやめてもらいたかった。
今から思えば、もっと早くにそうすれば良かったと思っている。
車がないと生活できないという地域のかたの話ではなく。
長年乗っている人ほど、日常になっているであろう、その運転は、その車は本当に必要なのか?って思ってみれないかなって思う。
池袋のような交通網の発達したところで、果たしてどうしても乗る必要があったのか。
ここ最近で1番つらく、防げた事故だと思えてならない。
いつのまにか生活形態が変わっているのに、そのまま乗り続けてしまう。
認知機能は緩やかに落ちていく。50~60代自覚はあるはずだ。それがいつの間にかわからなくなるのか、
高齢になればなるほど「運転に自信がある」そうである。
つい数か月前まであたりまえのように車でならいごとに行っていた。
車がないと行けないと思ってた。車で20分かかるし。
でも、なくても行ける。自転車で35分で行けるし、体力的にしんどくなったら1時間見ておけば電車やバスでも行ける。
余裕を持った時間配分は年齢が行くほど可能になりやすいだろう。
高齢者の免許返納が話題になっているが、
高齢になって、子どもたちに心配や迷惑をかける前に、ある程度の年齢で運転をやめ、早い目から車のない生活のスキルを学ぶという選択も悪くないと思う

行かない選択②

2019-05-16 18:54:39 | 不登校
行かない選択をした時期は2度あった。
 
1度目は小5、フリースクールに行くようになった頃。実はその前に「もう学校に行くことを望むことをやめたら楽になるかな」と考えたりして、家庭学習の資料を取り寄せたりしていた。この先、ずっと家でとなるとそれはそれで大変かな・・と思ったりしながら。
その資料集めの中にフリースクールもあったのだが、少しエネルギーのたまってきたマシュの思いは「フリースクール見に行ってみたい」というものだった。
 
それでも、小学校に全く行かなくなったわけではなく、行事や宿泊学習などにも参加させてもらったし、校長先生や担任の先生とも連絡を取らせていただいていた。
 
2度目は中1の秋。地元の中学に入学したものの、夏頃から症状を出しまくっていてキツそうだな~って思っていたからマシュが「無理やわ」って言った時、すぐに受け入れてフリースクールに戻った。
そしてそこから半年間でマシュはペースをつかんだのか、中2からはずっと登校した。
 
 
行かない選択をすることは自由だとは思う。
 
ただ、行かない選択①で書いたひっかかることがいくつかある。
 
今ゆたぼんさんは、行きたいときに行っているそうで「図工や給食や遠足」と言っていた。
同級生から「自由でいいな~」と言われるそうである。
 
これって・・・カナー先生から聞いたことなので、結構しっかり心に残ってるんだけど、学校行けなくなって、日常生活もままならなくなっていた子がエネルギーたまってきて学校に戻ろうとする時、「楽しいことからできるようになるんですよ」ということ。
 
毎日行っている子達からしたら、授業に出なくて、遠足だけ来るとか「ずっる~い」というのが普通の感覚だろう。
 
でも、そこに行くにもすごく勇気が必要で、友達や先生に誘ってもらって温かく迎えてもらって、といういくつかの経験の積み重ねってすごくありがたく、学校から離れてしまった子にとっては、貴重なことだと思う。
 
こちらとしては、集団生活の場で短い時間で帰ったり、途中から登校したり・・・。何かしらの配慮や面倒をかけていることはあると思っていたので、不登校する側なりの『わきまえ』って必要だろうって思ってた。
 
やむにやまれずそういう選択をしている子たちがいる一方で
 
「行きたいときだけ行きます」は、どうなんだろう。
 
そしてお母さんがおっしゃっていた「元気で笑顔でいてくれたらそれでいい」という言葉も、本当にその通りなのである。
 
『食事ものどを通らず、夜も眠れず、笑顔が消えて普通の暮らしもできなくなってしまった』頃、確かに思った。学校どころじゃないって。元気で笑顔でいてくれるのが1番だって。
 
あと「勉強は机で(学校でだったかな)やることだけが勉強じゃない」はいっ。それは本当にそのとおりです。私もそう思います。実際に小学校の大半行ってなかったマシュを見ててそう思います。ただ、マシュは自分でそのセリフを今まで言ったことはないけれど。小3で言えちゃうのね・・。
 
行かない選択も、行きたい時に行くのも自由だろう。扶養している親が認めてるなら。彼の人生なのだから。
小学校と中学校は出席しなくても卒業できちゃうし。高校から行くのもまた自由。
 
ただ、自分が行かないだけなら、わがままとも取られる行動に「不登校の子を救いたい」となんかメッセージ性のある感じでの発信の仕方は正直勘弁して・・・って感じです。
 
あまり、人の主張や考えには反発したりせず、「そういう考えもあるよね~」ってタイプなのだけど、
 
今回、彼の行動や言ってることが結構自分のやってきたことや、思いとかぶってて、だいぶ心を乱された。ダッチェが何年もかかって気づいたことを10歳の子に言われたからかもだけど。ご両親がすぐに気づいて行動されたから、あんなに短期間で元気な感じなのかもしれないけど。そう思ったらありなのかな・・・。
 
と、やっぱりちょっとまとまらまいまま最後にフォローしてみる
 
 

行かない選択①

2019-05-15 16:28:13 | 不登校

今朝の情報番組で不登校YouTuberゆたぼんさんが取り上げられていた。

 

コメンテーターのみなさんがおっしゃっていたことが全部その通りだと思ったので少し安心した。

「ネットで配信しているものを他のメディアで取り上げるのはどうか。」

「彼が好きなことをしていられるのは、他のみんながちゃんと行っているから」

「今でないと経験できないことがあるということも知ってほしい」というようなことをそれぞれおっしゃっていた。

 

そして、先日びっくりしながら違和感を感じていたことがだんだん具体的になってきた。

 『不登校は不幸じゃない』

これが違和感1位かな・・・。

全く行けてなかった時も不幸って思ったことは1度もなかったし、他人から見たらそう見えるってことなのかな・・。

それはさすがにどうでもいいことというか、ん?という的外れな感じしかしない

 

そして、このインパクトのある言葉を1番前に出してくる新聞や、テレビなどにすごく嫌な感じを受けた。

 

 

不登校時代、とにかく情報収集をして、レールから外れたって生きかたはたくさんあるって思った。

 

そして、何よりマシュの人生なのだからマシュが社会に出ることを先に見据えてきた。

 

ダッチェは独身時代、保育士をしていたが高校の時にそれを決めて資格のとれる短大にすすんだ。後から取れる資格もあるし、いくつからでも勉強できる。ただ、勉強に専念できる学生時代に資格をとるほうが遥かに楽だろうし、年齢制限のあるものもある。

 学校生活の中で他人を見て、己を知ったり、集団での活動から得られる経験値もたくさんある。

 なので、やはりどこかで学校に通えるなら通えるほうがよいと思っていたのは確かだ。『学校は行くものだ』って思いこんでいた頃とは、ずいぶんと考えかたも変わったけれど、学校を否定する気持ちにはならなかった。

 

何が好きで、何が得意で、どういうことに興味を持っているか。

 

そのことを探すことをメインに不登校時代を過ごした。

 

その頃にはダッチェは「通信高校もあるし」ってずいぶんのんきになってしまっていた気もするが、実際マシュは市立高校の受験を決めてから、なかなか苦労した。

なぜなら、中1はあまり授業にもついていけず、秋からフリースクールに通っていたので、テストを受けられていなかった為、内申書の点数が良くない。

出席日数はフリースクールとの連携でフリースクールに行ったら出席。なので数字だけ見ると、学校行ってるけどテスト受けてない~みたいになる。

 その時はどうでもいいわ~なんて思ってたけど、実際目標を決めてから、後半にめっちゃ勉強しなきゃならなくて後からマシュは「学校は行けるなら行っといたほうがいい」と言ってたな

 

学校に行くことがあたりまえではないと思い知り、

行かない選択を一時期していた身としては、学校には「すみません~」て感じだったし、行っている子のことは、すごいって思ってた。

こんなに堂々と元気に不登校を公表されることにとてもとまどってしまったのかも。


 まだまだひっかかってることはあるのだけれど・・・。

それはまたにします

 


不登校もいろいろなのね・・・。

2019-05-13 18:17:27 | 不登校

思い出したようにブログ書いて、古い情報を更新してそれから今の不登校ってどんな感じで発信されているのだろう・・・。ってネットを少し見て回ってみた。マシュの頃はまわりに小学生で不登校の子は、ほとんどいなくて、他のかたのブログを見てとても助けられたな

 

そしたら10歳の不登校のYouTuberさんの記事に出会った。新聞にも大きく取り上げられていて。

動画も見てみました。

 

感想はただただびっくり・・・。

 

ちょっとまとまりませぬ

 

ただ、このブログのタイトル「不登校かまへんかまへんマイペース」は、そーいう意味じゃない

 

あの頃は『学校復帰』が不登校問題の中でも、ゴールとして望まれていたように感じていたし、(実際、ダッチェも最初はそれを強く望んでいた)

 

その中で、あ、違うなって、そういうことじゃないなってだんだん気づいて、

 

どんな社会人になるか、どんな大人になるか、その過程で何を学び、どんなことを経験するのかを思った時、学校に戻りさえすればよいという考えかたは違うなって。

 

そのことを一番言いたくて、このタイトルにしたのだと思う。

 

まとまらないままですが・・ちょっとまだ混乱中

 

なんか、時代の流れってすごいのですね・・・

 


まぶしい季節・・・。

2019-05-11 11:38:37 | 不登校
マシュが学校に行けなくなっちゃった頃、いろいろな本を読み漁ったりする中で今も印象に残っている言葉がある。
 
それは「不登校になったら、回復にそれまでにかかった時間がかかる」というようなことだった。
 
確か、行けなくなった当初「お腹に戻したつもりで10ヵ月間は何も言わずに見守ろう」な~んて、ちょっとは受け入れたつもりでいたダッチェだったが、そんな甘い考えじゃ解決しないのだった・・・
 
後に出会った児童相談所の心療内科の先生から「小学生は比較的、元気になるまでの時間が短い」というようなことをおっしゃっていた。
 
もっと言えば「小学生(たぶん低学年)は寝れるようになって、元気になれば大丈夫」みたいなニュアンスに聞こえた。
 
その頃のマシュは行ったり行かなかったり、まだまだ日常生活においても不安がいっぱいで、疲れやすい日々で。
 
後から思えば、見守りますと言いながらもあせっていた時期、あちこちの人や先生から折りに触れて「長い目でみたら絶対大丈夫。」というようなことをいろいろな言いかたで伝えてもらっていたのだなって思う
 
学校に行けなくなる要因はいろいろあるとは思う。マシュはきっかけはあったものの、結局はそれまでに家や外で受けたストレス(良いことも悪いことも)がいっぱいいっぱいになっていて、エネルギーをためるのが追い付かなくなってきていて、ついにエンストおこしてしまったタイプ。
 
それに親も気づかず、いやむしろなんとなく気づいていたからより厳しく・・という今のダッチェなら「反対っ反対っ」って自分にツッコむような対応をしてどんどんエネルギーなくすパターン。
 
どちらかというと、人の気持ちとか周りを優先してしまって我慢しちゃうタイプ。反面こだわりもあって、時々空気を読めない行動もしたり、あまりルールのたくさんある集団行動に向いていないんだろうなって思う。
ダッチェ自身もちょっと変わった子だったけれど、昭和の時代はもう少し緩かったしね・・。
実際付き添い登校してた時、「わー今の小学校の感じやったらしんどいわ・・」って思った。
 
 マシュが通っていたのは統合された新しいところだったので、すごく人数も多くて、壁のない教室、開かれたエントランス、ホールの中央にある区切りのない図書室スペース。
 
実はダッチェは実家から少し離れたところに嫁に行ったので、統合されてダッチェの通っていたところにマシュの通う大きな統合校が建った。
すんごく綺麗になったけど、今もはっきり覚えてる少し暗くて静かな図書館のほうが好きだったな・・・。
 
話がそれたが、最初に触れた話に戻すと、のちにダッチェはその言葉を「症状を出すまでにかかっただけの時間は回復にかかると覚悟しておいたほうが良い」と理解した。
 
いろいろなことを経験する中で、そういうことを意識することがなくなってしまっていたけれど
 マシュの場合、生まれた時からとして、はじめてはっきりと症状を出したのが7歳11か月。中2から中学校行きだし、高校はもう完全に自分のペースでほとんどのことを自分で決めて歩んでいた。確かにざっくり同じだけの時間をかけて生きかたを見つけていったな・・・
 
 
そんなことを思うと、はじめの頃に「学校に戻りさえすればよい」と思っていたのはやっぱり違ったなって思う。学校に戻って良くなるのは世間体だなって。
 
でも、行かなければそれでよいって話でもない。行けなくなった当初は本人も家族も本当にしんどい。そしてそこからが結構長い・・。
 
GW10連休。きっと、あの小3の春だったら「わーこんな時に休みだったら、また行かなくなっちゃう~」だっただろな。
 
数年後には「よかった~ゆっくりできるね」になってたけど。
 
今もまだ元気な小学生の登校する姿を見てまぶしく見えてしまう。それと同時にこの季節、行けなくなっちゃった子もいるんじゃないかなって毎年思っちゃいます
 

マシュ20歳社会人1年生

2019-05-08 18:19:22 | Weblog

すっかり季節が流れてしまいました

長かったGW終わりましたね。

ご報告遅くなりましたが、マシュ、カシュともこのGWはお仕事でした。今春より2人揃って社会人1年生、それぞれカレンダー通りではない、むしろ人が休んでいる時に忙しい職業についちゃいました。

この3月まで親元離れて学生2人で暮らしていた姉妹ですが、カシュは実家に戻り地元で就職。

そして・・マシュは関東に行ってしまいました。毎日ギューギューの通勤電車に乗ってお仕事に通っています。

でも、なりたかった職業で、やりたかった仕事、昨秋には自分からそこで実習させてもらうためにマンスリーマンション借りて1人で暮らし、内定もらったとこなので、こりゃ本気だなって覚悟してました

今ひとりで頑張っているマシュを見ていると、学校に行ってなかったことも忘れてしまいそう。いや、行ってなかったからこんなにたくましくなったのか、もともと頑張り屋だから行けなくなったのか・・・。

本当のところは当人でないとわからないのだろうけれど、学生の間にいろいろな経験をしたことで、いろいろな道があることを知ったり、社会の中での相手の立場のようなものを人より見る力が備わっているようにマシュを見ていて感じる。

ダッチェはというと、学費のためにパートに行きだし、どんどん一生懸命になり、心身ともに疲れ果て8年頑張りましたが、昨秋退職。

長らくお休みしていたこのブログですが、今も見に来て下さるかたがいらっしゃって感謝です。

2人の引っ越しを終え、少し落ち着いたので、また時々思うことを綴ってみようと思います。

ベッタリ一緒にいたころが懐かしぃ・・・望んでいた以上の自立っぷりで、嬉しいのは嬉しいのだけれど、心配と寂しさは続くのであります