おひるねウサギ~不登校かまへんかまへんマイペース♪

ADHD母ダッチェ。小2で不登校のマシュは小5フリースクール、中2地元中学高校→他府県専門学校→社会人独り暮し3年目

不登校からの回復『家庭で実践したこと編その①』

2021-04-27 13:36:23 | 不登校
実際に家庭でやったことの中で、今も続けていること

それは
『指示をしない』ことと『命令形で話さない』こと

これを始めたのがマシュが学校に行けなくなった頃からだから、マシュが小3でカシュが小5の時

『指示をしない』ことはカナー先生から
『命令形で話さない』ことはムナシ先生から

学校に行けなくなる前、マシュは不安が強くて緊張状態が続いていたのだと思う

学校で緊張して疲れて帰って来てダッチェに

「宿題しなさい」
「片付けなさい」
「用意しなさい」
と言われ
「はよ風呂入れ」
「もう寝ろ」
とゴリさんも割と普段から命令口調、多かった

言ってるほうは、さほど意識してなくて自分もそう言われて育ってたりするから
親ってそういう言いかたするもんだ、くらいに思ってた
で、お姑ポニョさんも一緒に暮らしてて
ちゃんと子育てしよう!という力が変に入ってどんどん言いかたキツくなってた・・と思う

今だから白状すると、ポニョさんは本当に優しい人だった
なのに、それを「甘やかしてる」なんて感じてたりもした
それは、きっと自分が厳しめに育てられたと感じていたからだと今はわかってる
愛のムチ的な。そこから抜け出すまでが、本当にしんどかったのだけれど


ムナシ先生から「学校は命令や禁止の言葉がたくさんあるところだから、家でそういう言いかたをやめてあげて」
と、そう、子どもの強―い味方である先生は、いの一番に親に変わることを求めてこられた

これも、今となっては、それまでの育てかたを否定されたわけではなく、親にも
「そのままで大丈夫、子どもを愛してることはわかってる。伝えかたを変えるだけで大丈夫だよ」
ってことだったんかもな・・なんて思う。


前にも
『家庭内命令形禁止っ?』で書いたが、いざ、命令口調をやめようとすると、それまでどんだけ命令口調で話していたのかってことに気づかされた


命令しないとやれないのは
命令されるまでやらなくていいというメッセージでもあるな

ということを身を持って実感した

命令されなくなったら、自分で考えるようになる

いや、そんなすぐにはなりまへんけど

次回の「指示をしない」と合わせて、自分で考える暮らしが定着するのには数年かかったような気もする

とにかく、早い時期からこれを始められたことは良かったと思ってる

男の人の命令口調って怖いもの・・・
ダッチェ自身もゴリさんの大きな声とか結婚当初怖くて、大きな声で子ども達を叱ったりされると自分が「ひーー」ってなってたから、命令口調を封じられるとこれが「怒鳴る」ってこともなくなるんよね

だから
怒鳴る人には「怒鳴らないで」というより、自分が怒鳴っちゃう人は「怒鳴らないようにしよう」と思うより
「命令口調を使わない」ミッションに挑戦していただけるといいのにな・・と思う

話がちょっとそれてしまった、これまでに出会った「怒鳴る」人達のことを思い出してしまい・・
本人が1番しんどいらしいんやけどね、脳は「人に言われた言葉と自分で放った言葉の区別がつかない」らしいから。
だからこそ伝えかたって大事だなって。


次回、『指示をしない』ことについて書きたいと思います。



近況報告2021春

2021-04-19 13:40:29 | 不登校
な、なんと前回から2年近くたってしまっておりました
 
前回、次からは具体的にやったことを書くなどと、ちょっとやそっとでは、まとまりきれないようなことを掲げてしまい案の定の先延ばしです。
 
とりあえず、今回はひっそりと近況報告などさせていただきます
 
 
マシュは社会人3年目の春です。関東の花屋さんで働いています
 
ダッチェは前回更新後2019年の秋から新しいパートに行きはじめています。
ホテルの朝食スタッフです
最初は覚えることがたくさんあって、キャパがそれだけでいっぱいの日々でしたが、1年半たって、やっとやっと慣れてきたところ。
 
そして、コロナ禍でマシュとは1年以上あっていません・・・。
 
マシュの性格として「もし自分が無症状感染していて、家族や祖父母にうつしたらと思うと帰れない」というのは、わかりすぎるほどわかる
でも、まさかこんなにも会えない日が来るなんて思いもしてなかったよ
 
 
昨年マシュは引っ越しをしたんだけど
 
ダッチェも休みを取っていて手伝いに行くことになっていたのだが、緊急事態宣言がでてしまった
マシュの強い反対もあり、泣く泣く断念したのだが
 
引っ越し費用は自分で貯めていて、引越しやさんの手配も1人でやり、当日引っ越しの車を止める許可を大家さんにもらいに行ったり、1人暮らしを始める時にはダッチェがいろいろと電気水道などなどたくさん手伝ったのに、全部全部ひとりでやりきった
 
どんだけどんだけしっかりしちゃったんだ・・・
 
 
ところで
 
今回なぜにまた急に更新したかというと、
ダッチェの働くホテルの前の道は小学生の通学路になっていて、春になって黄色いカバーをかけたランドセルの子達が登校していくのが窓越しに見えるの
 
これがもう眩しくて眩しくて
可愛いな・・と今は素直に思える
 
でも、マシュが行けなくなったのも春で、あの頃はランドセルを背負った小学生を見ると涙こぼれそうだった
 
今もそんな思いをしている親御さんがいらっしゃるかもなと、この季節になると思う
 
大丈夫って言葉は時に他人事っぽくて無責任に聞こえるかもしれないけれど
 
マシュあんまりランドセル使わなかったけど、本当に大丈夫だったから
 
家で過ごしたたくさんの時間、学校じゃない場所で経験したこと、どれも無駄じゃなかったと思ってる
 
 
 
今でもまだ眩しい。ランドセル姿の小学生
 
 

足あと帳

2021-04-01 12:38:45 | はじめまして

こんにちは。
いつも、来ていただいてるみなさまありがとうございます。
そしてはじめましてのかたもご訪問いただき、ありがとうございます。


毎日とってもたくさんの方が(特に携帯から)「アスペルガー」や「不登校」で検索をかけて、おいで下さっているようです。
ヒットしたココは、期待されたようなブログではなかったかもしれませんが、それだけたくさんのかたが何らかの気持ちで検索されたのだなぁ・・ということが力になり、励みにもなり、また、「もし、今、さなかにあるかたなら、そのかたに良い出会いがありますように・・」と願います。
よろしければ、ブックマークもご覧になってみて下さいね。


2009/6月に決算期で休んだ時期にコメントくださった方、文章を少し変えてしまってごめんなさい。その節は応援ありがとうございました。

2010年2月「不登校からのあゆみ�」をupしました。

以前のブログを読み返しては「くー、まだまだっ」と「行ける」ことがいいことだと思っていた頃のを読むたび恥ずかしく、マシュのその時々の反応が今から思えば「そりゃそうだ」と思えて、また数日読む気力がなくなったり・・←自分の書いたもので凹む(笑)

キリがない感じだったので、とにかく書いちゃえっ・・的な感じでうまくまとまってなくてすみません。余裕ができたら(今までの人生に余裕があった時期があったのか)修正していきたいと思っています。

とりあえず『人生に無駄なことは何もない』と自分で自分を励ましつつ、笑い飛ばしながらやっていけますように。

最近は、更新も年に数回というサボリっぷりですが、春休み明けに、閲覧してきださるかたがぐぐっと増えることに気づかされます。今元気に毎日を過ごして、学校に通う毎日だけど6年前の今頃は、初夏の眩しさがつらくて、ランドセルを背負った子ども達を見かけると涙ぐんでしまったりしてたな...って。なので、本当に恥ずかしいアカン対応もどうぞ「それはアカンやろ」と、つっこみながら反面教師的に読んでいただけたら幸いです。
それから、コメントいただいたら、ちゃんと携帯にお知らせ来ます。全力パート
中なので、お返事遅くなりがちですが、よかったらコメってってくださいませ。


埋もれていた足あと帳にコメいただいたのが嬉しくて、上げてきちゃいました。