おひるねウサギ~不登校かまへんかまへんマイペース♪

片付けられない母ダッチェ。小2で不登校の次女マシュは小5でフリースクール、中2年から地元中学、高校、親元離れて専門学校へ

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姉妹の話。

2018-03-19 18:07:02 | 家族

大変ごぶさたでした。どんだけ放置すんねん!ですよね…

 

春になり、ダッチェの周りでもどんどん進路決定の話が耳に入ってきます。

 

この季節になると、やはり思い出します。桜のつぼみが膨らんで、世の中が何かと新生活への期待と不安が入りまじりつつ、それでも期待のほうが高まっている感というか、だんだん日差しも柔らかく、暖かくなっていく春。

「さあ、動き出せ動き出せ~」みたいな

 

でも、動けない時は、春であろうが、夏であろうが動けないんですね。

そして、動ける時は、冬であろうが、大雪であろうが、「寒ぅ~」とか言いながら、学校に行った後、バイトにも行けちゃうんですね。

じゅうぶんエネルギーがたまってたら「きっかけ」にはなる季節ではあるとは思いますけど。

マシュも中1の春~中学行きだして秋にフリースクール戻り、

2の春からまた地元中学~卒業まで行きました。

でも、行けなくなった小学校3年の春はこの新しい季節が「ま、まぶしすぎるーーーっ

爽やかなすごしやすい気候の春も、日が経つにつれどんどん乗り遅れ感がつのる、つらい時期でしかなかったし

 

 

今のマシュを見ててそう思います。

マシュは今、実家を離れて姉カシュと暮らしつつ、専門学校行きながら、放課後、休日バイト。専門学校なので、なかなか授業もハードで、実習なんかは話聞いてるだけで「よう、こなしてるな~」って体力気力いりそうな感じ。それでも、お金を貯めて新幹線乗ってライブ見に行ったりしてます。さすが、何年もかけてエネルギー貯めただけあります

 

さて、マシュの話は前置きってことで、今回は、姉カシュの話をしようと思います

 

いざ、子どもが不登校になると、このブログでもあるあるネタとして書いたりしてましたが、その子が学校に行けないだけじゃなく、いろんなことに影響してきます。

 

親としては、自分もびっくりして混乱してたりするのに、まわりの子育て中の方々から「甘やかしすぎじゃないの?」とか「放ったらかしすぎやったんちゃうの?」などの良かれと思ったアドバイスによけい混乱したり、おじいちゃんおばあちゃんの心配につきあってよけい心配になったり、『休む時には必ず学校に連絡して下さい』という決まりに、毎日連絡することに心が疲弊して「すみませんけど、行くときに連絡することにさせていただけませんか?」とか、給食を止めるか、試験はどうするのか、行事はどうだ、提出物は?みたいな、学校に行ってたらなんでもなかったことへ雑多な作業とか、人に会うのが面倒くさくて遠くのスーパーに行ったりとか()何かと忙しくなります

 

それに巻き込まれるのが兄弟姉妹。

 

その苦労を書き出すとキリがないほど。

学校への連絡だったり、持ち帰るものだったり、不登校の子の担任や保護者から様子を聞かれたり、家ではダラダラ(しているように見える)兄弟姉妹を目にしながら自分は宿題や試験勉強をしたり・・理不尽な思いもたくさんしたと思います。

 

 

いつだったか、ここでも書いたかもしれないけど、不登校の講演会に行った時に講師のかたに質問したことがあります。

2歳違いの姉がいるのですが、妹が不登校で、その子には「今は、学校に行かなくてもいいよ」って言ってるのに、姉だけ頑張らせるのも矛盾してるようで、どのように声をかけたらよいか迷ってしまいます」って何年も前だけどこんなことを聞いたと思います。

そしたら

「お姉さんはお姉さんで「頑張っているね」って言ってあげたらよいですよ」って答えていただいたこと、すごく心に残りました。

 

そして、その講演会のあと、一人のお母さんに声をかけられました。

「うちも下の子が学校に行けなくなっていて、今度お正月に他府県の大学に行っている姉が帰って来るんですけど、帰って来てほしくないんです・・・楽しそうな姉を見るのがつらくて、妹がかわいそうで」

 

それを聞いた時、少し違和感を覚えました。

「あ、お姉ちゃん可哀想だな」って思っちゃいました。このお母さんは妹さんと同化しちゃってる感じだな。って。

 

そして、それからも、ずっと心がけていたつもりでした。

 

カシュはマシュより先に2年間大学生活を送っていました。小さな学生マンションで1人暮らししてました。いざ、マシュが同じ県に進路を決めようとした時に、カシュは最初、難色をしめし・・・。意外でした。仲良いと思ってたのに~~親としては2人で暮らしてくれたら安心だからって、思っていたけど・・・。

結局カシュからオッケーもらって、昨年の春から広めのところに移って2人で暮らし始めました。

 

そして、そこでダッチェは知ったのです。

カシュがどんなに頑張っていたかということを。

昨年の秋にカシュからsos連絡があり…きっかけは大学が忙しくなったことで、家事がうまく回らなくなってしまって、そうなると心もどんどんいっぱいいっぱいになってきていたようで。

 

仕事終わってから、新幹線で2人の住むマンションに行きました。

そこでカシュの思いを知りました。「大学、他府県で行かせてもらったから、4年間一人で絶対頑張る!」という固い決意を持っていたこと。なので、マシュが来るのは想定外だったので、とても戸惑ったこと。でも、マシュがいざ来るとなったら、楽しく過ごせたらいいなと、いろいろ心を配っていたこと。自分一人の時には、とっても節約してやっていたのに、2人になったらそうはいかなくなって、ストレスがどんどん溜まって来ていたこと。などなど。

 

ちょうど、そんな時に大学の課題の絵の題材にお父さんの子どもの時のアルバムを送ってもらって、自分が生まれる2カ月前に亡くなったおじいちゃんの写真を見たら、とっても優しそうで「会いたかったな~」と思ったら涙が止まらなくなってしまったこと。

 

そして「友達の中には学費を自分で払ってる子もいるのに、うちは出してもらってるし、助けてもらわないで、2人でちゃんと暮らしたかったのに」ってめっちゃ泣いて

 

どんだけ頑張らせてしまってたのかっ

 

ってびっくり・・ものすごく反省・・・。

 

嫁に行くまで実家暮らしやったダッチェは、そんなことを思ったこともなかった

 

「家族によって考えたかや決め事はちがうし、うちの家族は学費出すって思ってたよ。お父さんもお母さんも親に出してもらったし、カシュは自分の子にそうしてあげたらいいんよ。まだ学生なんやから、もっと甘えてくれたらええんよ」って。

 

そういえば、カシュがこんなに泣いたのなんて、小学校以来じゃなかろうか・・・

 

よかった~よくぞ出してくれたよ・・

 

不登校と関係ある話なのかどうかは、わからないけど、姉妹兄弟のケア、してるつもりでも、本人も気づいてなかったりするのかもやけど、知らない間に頑張りすぎになっちゃったんかな・・って。

 

ちょっと心がざわつく春、どうしても書いておきたくて、久々に登場いたしました


ちなみに、美術学部に通うカシュが描いた絵、ゴリさんのお父さんのアルバムから70枚くらいの写真を半年くらいかけて、一枚の油絵にしたものでした。ゴリさんにとっては、亡くなった両親の若い頃から、自分の小さい時の想い出がつまった絵。はい、もちろんボロ泣きでした

 

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マシュ巣立つ

2017-05-18 10:34:09 | Weblog

大変ごぶさたでした

 

マシュのその後をご報告させていただきますね~。

 

マシュ、この春他府県の学校に進学いたしました。

園芸療法士の勉強をしています。

 

 

入試の願書を見せてもらいました。

 

そこには

小学校、中学校の時にスクールカウンセラーの先生にお世話になったこと、自分も悩んでいるこども達の力になりたいと思っていることなどが書かれていました。

 

 

日本ではあまりまだ知られていない「園芸療法士」という仕事ですが、海外では専門職のかたがおられるようです。高校で、専門的に園芸を学び、花や芝に詳しくなり、その中で人を癒す力を実感し、この仕事を知ったようです。

 

 

高校に進学した時は、それだけでとても嬉しかったのを思い出します

 

そして、高校生活で良き仲間と出会い、大勢の人の前で話したり、何度も東北に行ったり、バイトしたり、どんどんたくましくなり、もう親の出る幕はほとんどなくなり、(1時期調子悪くなった時、マシュに内緒で1回だけ先生に会いに行きましたけど)時々相談されたり、頼み事されたりくらいで・・・。

 

 

あんなにベッタリ離れることもできなかった時期を過ごしたのが懐かしいほどに

 

自分で自分の道を決め、巣立っていきました。


3月は引っ越しで行ったり来たりバタバタ。たまたま同じ都市に先に進学していた姉カシュと暮らし、自炊頑張っています。

新幹線がもっと安かったら、離れてる家族はもっともっと頻繁に会えるのにな~と思いつつ。



振り返ってみて

道はいくつでもあるし、道は切り開けていくってことを小、中学校の時代に実体験で学べたことはきっと大きな強みになるんじゃないかな、と思います。

 

そして親の私は、不登校になったことがなくて、いろんな選択肢があるってことを知らなかったし、何より今は「こども達が元気でいてくれたら、その他のことは何にも大したことじゃない」って

思えるようになってることに感謝です

ゴリさんと結婚以来初めての2人暮らし~こんな日が来るなんて、数年前には想像もしてなかったし(笑)

 

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不安でいっぱいの子ども&心配でたまらない親

2016-06-29 10:53:24 | 不登校
数か月前から、ブログに書いてみたいことがありました。
でも、なかなか向き合えず・・相当エネルギーいることでした


最近「以前に不安神経症になったことがある」というかたと知り合いました。
現在は神経症といういいかたはしないそうで、「パニック障害」「不安障害」などと言われているようです。

その後たまたま、ブックオフで「不安神経症」という本に出会い、読んでみました。

そうしたら、そこに書かれていた症状が、マシュが学校に行けなくなった当初に出していたいろいろな症状そのもので、9年も経ってから「そうだったのか~~!!」
ってあらためて衝撃を受けました。

マシュの不登校は突然の「心配」から始まりました。
「今日学校で、こんなことがあったけど大丈夫かな(涙)」

その時は、その問題だけを解決すればよい・・そんな風に思っていました。
でも、それは日を追うごとにどんどんどんどん増えていって、「こんな風に思っちゃうけど大丈夫かな」「幼稚園の時にこんなことしてしまった」
学校を休むことにしてからは、寝てるか、心配してるか・・みたいな感じで。

いったい、何が起こったのかわからなくて、何かのトラウマなんだろうか、とか、怖い夢みたのかな・・くらいしか思いつかなくて、その頃は「原因を探して取り除くこと」ばかり考えていました。
もちろん、保健の先生、担任の先生などにも症状はお伝えしていたのですが、「不安」という言葉は記憶にありません。
唯一覚えているのはカナー先生が「大丈夫ですよ。私の患者さんにも「空気が汚れてる!」って息をするのも大変なかたがおられましたが、今は普通に学校行って元気に暮らしておられます」とおっしゃっていたこと。
それは今から思えば「不安障害」の症状の一つでした。

一時期、「これ、毒入ってないかな」とか「プールが怖い」とか、マシュが言い続けてた時がありました。
それでもその頃、世の中で起こっていたニュースが原因なのかな・・って思ったり。

確かに、その頃のマシュはニュースや悲しい事故の映像とか全然見れなかったです。

その後も、カナー先生のおっしゃるように「マシュちゃんが心配に思うことは大丈夫って根気よく答えてあげてください」「症状が出た時は、頑張りすぎの合図なので、1歩でも2歩でも下がって無理をしないように」と、心配を取り除きつつ、すっかり自信を失っていたマシュが笑顔になれるよう、安心できる環境で、エネルギーがためていけるよう、試行錯誤を重ねながら一緒に成長してきました。


でも、ずっとずっと、忘れかかりながらも「あれはいったいなんだったんだろう・・」と思っていて。


それが一気に思い起こされました。

エレベーターに乗れなかったのも、歯医者さんが怖かったのも、除菌アルコールをいつも傍においていたのも。そして、もちろん、学校に入れなかったのも。
まさしく不安のオンパレードでした。

今は、エレベーターにも乗れるし・・・どころか、ひとりで海外行ってきましたから。

マシュが今、毎日学校に通い、精神的には親からも自立をしているのを感じ、自分の人生を歩んでいる今、このことを書くことに、とってもエネルギーがいりました。

マシュはこのブログを読んでいるし、最近は、ご相談のコメントいただいたかたにお返事するにあたって、こういう風にお返事しようと思ってるんだけどって、マシュの意見も聞いたりしています。

本を読んでしばらくは、私自身がその頃のことを思い出して、しんどくなったり、懺悔の気持ちでいっぱいになってしまって、もう一度本を読み返すこともつらいほどでした。

なので、今マシュがこの記事を読んで、思い出してつらくなっちゃったりしないかな・・と。


マシュの数々の症状の正体が不安だったと知って、はじめに書いた方の体験談をあらためて聞かせていただきました。

働き盛りといわれる年代のその方は、多忙な職場でストレスや予期不安で眠れなくなっていき、ある日突然職場で頭が真っ白になってしまったそうです。
その時の本社のサポートが的確だったおかげで、ほんの少し休んだだけでその後は元気に働けているとおっしゃっていました。
「大人でも周りのサポートがないとなかなか立ち直れないので、子供の場合は上手く主張できない分辛かったんじゃないかなと思います。なかなかその時にまわりの人間が分かってあげられるかというと、専門の知識がないと難しいと思いますけれど」当時のマシュの話を聞いてそうおっしゃっていました。

その後も何冊か不安障害の本を読んで、自分の最初の対応が本当にひどかったなってあらためて思いました。

本の中にこんな記述がありました。
「心配」は行動によって解決できるもの。「不安」は自然とおこってくるもの。
「不安」を解決可能な「心配」に変えていきましょう。

マシュがいろいろなことを「心配」していた時、まさに「不安」真っただ中の頃、解決することばかり考えていて、マシュの「不安」に気づけませんでした。


不安でいっぱいいっぱいになっている子に「学校に行け」って言い続けてました。甘えてるって思ってました。

先が見えなくて真っ暗な中、平均台の上をおそるおそる歩いているところを後ろから押されたようなもんだったんじゃないかって思いました



そのことを、今不安でいっぱいの子を持つ、ご自身も不安でいっぱいであろう親御さんにどうしてもお伝えしたいと思いました。

もし、今、学校に行けなかったり、行き渋っていたりしているお子さんが不安からくる症状を出しておられるなら、どうか少し休ませてあげてください。


ご飯を食べたり、眠ったりのあたりまえの生活ができて、そして、安心できる環境の中で、症状が治まってきて、エネルギーがたまったら、そこから得意なこと、苦手なこと、好きなこと・・一緒に探していけばいいと思います。
学校に行ってなくても、経験できること、学べることはたくさんあると思います。もちろん、人と違う道を歩むことで、いろいろ厳しいことを言われたり、噂されたりすることもあるかもしれないけれど、実際過ごしてみると、人からどう思われるか気にならなくなるというちょこっと強いハートや、貴重な経験をさせてもらえたし、それがゆえの数々の尊敬できるかたとの出会いもありました。

学校で学べることや学校で経験させてもらえることは、本当にたくさんあるし、学校でしか得られないできない体験もたくさんあると思います。

私も「行かなくてもいい」って思っていたけど「元気で行ってくれる日が来るといいな」とは思っていました。
「でも、今行けないんだからしかたないやん」そんな感じでした。

ほとんどの親御さんは「甘やかし」たり「面倒くさがったり」して行かせてないのではないと思います。
子どもの状態を見て、今は無理させないほうがいいって思って、子ども自身の葛藤につきあいながら、なんとか自分が担任の年に解決できないかという担任の先生に「悪いな~」って思いつつクラスメートにも学校にも申し訳ないなって思いつつ、いづれ社会に出ることを目標にして過ごしていた6年間だったと思います。

今、高3のマシュ、進路がそろそろ決まりそうです。姉カシュに続いて巣立ちそうな気配・・

前出の方にも「今こうして、ダッチェさんが、娘さんのこと分かってあげられてるのであれば、心配ないと思いますよ。逆にあまり過保護にならずに、自立できるのであれば、自由にさせてあげて、失敗しても全然いくらでも新しい道があるよってアドバイスしてあげるだけで、気持ちが軽くなって、前に進めると思います。」と言っていただき、あらためて、あーこれでいいんだなって思えているところです


なんか、書き出したら集大成みたいになっちゃいました
また思い出した頃に更新しますので、思い出した頃に覗きに来ていただければ幸いです

あと、コメントのお返事はホントにホントに放置になってしまって申し訳ないのですが、通勤の自転車で考えたりしながら、でも、日々の仕事でフラッフラになっちゃうので、お返事しなくちゃ~って気になりながら、いったん忘れてしまったりして・・前回の3か月はさすがに最長記録でしたコメントいただくのは本当に嬉しいので・・気長にお待ちいただけるようでしたら是非

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はじめましてのかたに。

2016-05-01 00:00:00 | はじめまして
縁あってお越し下さったみなさま、こんにちは。
小学2年生の終わりに突然不登校になっちゃった娘との日々や不登校になってからわかった軽度の発達障害、アスペルガー症候群、自閉症スペクトラムのことなどを綴っています。

「どうしたら、もとのように学校に行けるのか」から「何か困っていることがあるのではないだろうか」「本人に合っている場所があるのではないか」という思いへ。

放課後登校、保健室登校、支援級通級、そして在籍。小4~小6は文部省認可の私立のフリースクールと学校の両方に通いました。現在高3電車に乗って片道30分の公立高校の専門科に通っています。次の進路は親元を離れることになりそうです。

中1は春から徒歩15分の公立中学校に通い、秋からフリースクールに。
中2、中3はずっと学校行き、部活も頑張ってました。

思えば、小学校で学校に行けなくなった時に、中学は通わなくても卒業できるから、高校を見据えて暮らそうって思い、

その思いも、また途中で変わり、いろんな生きかたがあるし、道はたくさんあるって思えるようになりました。

小学校3年から5年の授業ってものをほとんど受けてませんが、なんとかなるもんです。
「勉強しなさい」っていっさい言わなくなって、早6年。中2あたりから家でも結構な時間やってます。「そんなに勉強して大丈夫?」って、普通の受験生の親なら言わないセリフをつい口にしちゃったり。
遊ぶことも、勉強のことも、寝る時間も自分できめてるマシュ。
世間一般とは違う歩みをして、一番育ったのは自律心かなと感じます。
自分を律する心。ダッチェより遥かにあるもの。

今、振り返って、「不登校には意味がある」つくづく思います。
一度立ち止まって、暮らしかたや考え方、一緒に模索するよいチャンスだったなって思います。
その時はつらいって思ってたこともあるけど、その末に得た考えや生き方は、のちの人生に生かされます。

今は、年に数回の更新ですが、すっかりおとなに近づいているマシュに、あの頃の気持ちを聞いたり、思い出となりつつある体験のことを振り返ったり、時がたってあらためて伝えたい思いなどが時折むくむくとわきあがってきたら書かせていただいています。

以下、携帯には『カテゴリ』がないことに気づきまして、はじめてご訪問くださった方むけにリンクを貼っておきます。下線のついている興味のある言葉をクリックしてみてください。

☆ブログ紹介『不登校からの歩み』(小3~小4) 『不登校からのあゆみ�』(小5春~秋) 『アタシんちの不登校キーワード集』

☆アスペルガー症候群『診断』 『ホヤホヤ初心者マーク』 『100人~200人にひとり』 『日々是発見』 『本人に告る』 『変更は苦手だっつーの』 『感覚過敏~イヤーマフ』

☆自閉症スペクトラム『選択』

☆支えられた本
『不登校編』  『発達障害編』  『こころ編』

☆ぼちぼちマイペースにやってます。
カテゴリ『マイペース登校』


☆失敗、勘違い、いろいろあるけど
カテゴリ『笑って暮らそう』

☆片付けられない母のつぶやき
カテゴリ『片付けられない女』  『支えられた本(大人の発達障害編)』

片づけられない女話は2009.10より別ブログ「ちっちゃいことは気にしない~片づけられない女のドタバタドンマイ生活」で綴っています。

☆発達障害
『覚えてられない忘れられない』

☆マシュ本人より
『マシュでーす』 『マシュの春夏秋冬コメント・・夏』 『マシュの春夏秋冬コメント・・秋』




携帯からおこしくださってる皆様へ<2009.7>


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あれから9年。高2冬

2016-02-23 17:52:17 | 高校生活
ごぶさたです

あれよあれよという間にもう2月も終わり。

暖かい日が続いたり、また寒くなったり。

思えば、あの突然学校行けなくなった時からちょうど9年

あの頃、よくお世話になった掲示板『ぱれっと』でよく目にした「三寒四温」という言葉。

この季節になると、肌でそのことを感じながら、「よくなったり、悪くなったりしながら、だんだんとよい方向に向かっていく感じ」を思い出します




高2も終わりに近づいたマシュ。

公立高校の専門学科に通っています。

研究活動のさかんなところで、先日は200人余の前で研究発表。

学校行事にはこれまで何ひとつ参加してこなかったダッチェでありますが、マシュの晴れ舞台みたさにシフトを変えてもらって参加。

原稿も見ずに、立派に話す姿に親バカと言われようとめっちゃウルウルしてしまいました

小学校の時には、講堂の中に入ることもできない時もあったのに・・なんてことも思い出したりしながら、マイクの前で顔をあげ、壇上でひとり話す姿に想像以上の成長を感じました。


生来の頑張り屋ゆえに、とってもしんどそうにしてる時もあり、「休んだら?」ってまた言わなくてもいいセリフを言ったりして、「休みたくない」って言い返されたり、母のほうは成長してないなーと思う日々。


高校に入ってからも仲間に恵まれ、力もらっているようです


母ダッチェもパート生活も早4年、早朝7時半~夕方までの忙しい職場ですが、本音で語れる良い仲間に恵まれ、泣いたり笑ったりしながらドタバタした生活を送っています。
姉カシュも県外の大学で、これまた良い仲間に出会えているようです。
ゴリさんも仕事忙しい中、すでに家事のキャパ越えてるダッチェに変わり、家のことも母以上にやってくれています。


そんなゴリさんとダッチェは、秋に結婚20周年を迎え、わりと何気なく通り越してしまっていたのですが、マシュとお正月に帰省したカシュからのプレゼントは・・・20周年記念アルバム

今はやりのネット注文して本にする・・とかじゃなく、2人で夜なべして赤ちゃんの時からの写真を切って貼って完全手作り。

カシュが大学にもどるため、送っていった駅でサプライズで渡され・・もー涙で見れないって

マシュ春から高3。進路はまだはっきり決まってないけれど、将来のことはなんとなくイメージ持っているみたいです。



明橋さんの本にいろいろな道を通って「最後は感謝がくる」って書いてあったこと、つくづく本当だなって思います。
ひとりではどうしようもない気持ちの中、どれだけたくさんの人に支えていただいたか、そして、それはマシュの不登校の頃の話だけでなく、それからのダッチェの人生にも大きく影響を与えていただきました。

「ないもの」をみるより、「あるもの」を感じる。すると、「ありがたいなー」って思える。
そう思いながら暮らすと「あるもの」にどんどん気づく。
そしたら、「幸せだなー」って思える。


最近、「久々更新しよー!」って思うと、最後はいつもウルウルしちゃいます。更年期かしらん


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ばいばいランドセル

2015-06-23 14:45:45 | Weblog
またまたご無沙汰しております

高2になったマシュは部活と研究活動で、毎日帰宅が8時30分くらい。
週末もたまーにしか休みがなく、ゆっくり話す時間というか、顔を合わす時間もほんと少なくなってきちゃいました


先日、職場の人の小学校高学年の娘さんのランドセルが壊れてしまったとのことで、誰か持ってないかしらとのこと。

家に帰って見てみたら、ありました。
カシュのは6年間使い倒しただけあって、擦り傷汚れもたくさん。とても人にあげられる感じじゃなくて。
マシュのは・・・ほとんど新品同様(笑)

いや、そりゃ扱いも雑にしない1~2年生に持ってただけだし・・、高学年で小学校行ってた時も、毎日ってわけでもなかったし、学校終わったら直帰だったし。

といっても、それなりに想い出はあり、ポニョさんが買ってくれたものだし、確かどこかに書いたと思うけど、入学の時にピカピカのランドセル背負った時より、しばらく休んで、再び登校しはじめた時の姿とかはっきり覚えてるし・・・ま、それも今から思えばそのまま学校に戻ったわけじゃなく、そこからまたいろーーんなことがあったから、ダッチェの自己満足的な感動シーンだったわけだけど。

とりあえず、ダッチェの思い出はおいといて、マシュが決めることだと思ったので、事情を話して「どう?」って聞いてみた。


マシュは最初
「えーーー、思い出あるしなーー」って言ったので

やっぱり?じゃやめとく?って思ったと思ったらすぐに

「うーん、やっぱりいいわ、あげるわ」

ってほぼ即決で


なんか、潔さが見えてカッコよくみえたし。


でも、何年かぶりに目にしたランドセルの中を見てカチャって留め具をはめながら、

「あー嫌やなーって思いながら、毎日開け閉めしてたなー」

ってポツリと言った。

なんか、それ聞いた瞬間、胸が少し痛んで、今は私の背も追い越してしまった高校生のマシュに、小さかったあの頃のマシュがダブって見えた
ゴリさんにその話をしたら「可哀想やったな、そんなこと思いながら頑張ってたんやな」って、ちょっと夫婦でウルってなったり。


「『いきたくなーい』って念が入ってるかもよ(笑)」と笑いにできるマシュ。
「ホンマ、背負った瞬間にどんよりならはったらどうしよー」「このランドセルもまた役にたって良かったね」
なーんて、話しながら、なんだか、いい形で手放せたことで、ひとつ卒業できたような気分にもなり。

渡すために、拭いてたら、粘土とかついてて、「さすが低学年」とか思った


余談だけど、マシュのランドセルは、袋に入れて、天袋にしまってた。
カシュのは・・今は他府県に住むカシュの部屋の勉強机の横にかけてあった。

ずっとかいっ!大学生やで。ってちょっとウケました。
え、もちろんダッチェは自分の行動範囲さえも片付けられない女なので、子ども部屋の掃除は本人まかせですゆえ。
カシュにはバツチリ遺伝して・・ゴメン

マシュのは赤だけど、カシュのはブルーで。
まだ、今のようにいろんな色を選ぶ時代の本当の初代くらいで。
予約注文したデパートから「女の子さんで本当にブルーで良いんですか?」と、今では考えられないような確認の電話があったり、珍しい色だったから、毎日のように「カシュちゃんに会ったよー」って、登下校の目撃談をいろんな人からいただいたり。

小学校に入りたての頃、集団登校のないうちの地域では、一人で登校するので、心配で、少し後ろから気づかれないように幼稚園児だったマシュと途中まで離れたところからついて行ったりしてて。

「あっカシュが転んでる!」って、慌ててマシュを引っ張って走って行ったら、道端に出してあった水色のゴミ袋で。

「お母さんがゴミ袋とカシュを間違えた」と今でも語り草になってます


こうやって、子どもたちの小さかった頃の話を書いてるとなんだか涙もろくなってしまうくらい、今ではそれぞれの道を歩きはじめてるなーってつくづく感じる。

マシュはこの夏、2週間だけど、語学留学に行きます。学校からいくばくかの補助が出るという話を聞いて、どうしても行きたいと思ったとのこと。

そして、自分でちゃっちゃと英会話学校も見つけて、申し込んで、社会人ばかりのクラスで頑張ってるみたいです。
行動力がありすぎて、応援したい気持ちと心配とで私は仕事と趣味でわざと毎日忙しくしてるかも。

昔、カナー先生が「心配しなくても、止めても学校に行く時期が来ますよ」
っておっしゃってたことは、ずっとずっと心に残ってたけれど、きっと、本来持ってるエネルギーなんだろなって思う。

不登校時代に、いろんなかたのお話を聞いて、子どもの人生は子どものものだって、結構早い時期に踏ん切りついたから、
マシュは、小学校の低学年から「行く」「行かない」「寝る」「寝ない」「食べる」「食べない」って基本的なことから、「勉強する」「しない」「遊びに行く」「行かない」その後も本当にいろんなことを全部自分で決めてきたし、それって、思春期以降必要と言われる、内発的なモチベーションで動くことに繋がっていったんだろうなって思う。


向き合う、向き合う、って言うけれど、少し大きくなったら、親は一生懸命働いたり、力を抜いたり、正直な背中を見せて、子どもが「お母さん」って呼んだ時、「お父さん」って相談した時、いつでも振り向いて話を聞いてあげられる位置にいたらいいんじゃないかな。
って思います。そこに行きつくまでに、散々バトりましたけど(笑)

久々に書き出したら、止まらくなっちゃいました。
ではまた





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感謝!100万アクセス

2015-02-16 18:56:36 | 不登校
みなさま、寒い日々、いかがお過ごしでしょうか


実は、うちの職場に「おひるねウサギ」を読んでくれている同僚がおりまして。

「昨日はこの記事読みましたよー」なんて言ってくれます


今、高校1年も終わりに近づき、これからの目標や、将来の職業についても口にすることが出てきたマシュ。私以上にしっかりものです。


うっかりすると、あんなに長いこと学校行ってなかったなんてこと、忘れてしまいそうです。


いや、忘れっぽい自覚がめっちゃあるからこそ、このブログを始めたんだけど


そして同僚としゃべって、その記事の話が出たりすると、学校行く、行かないで一喜一憂してた頃のこととか、自分がいっぱいいっぱいになって、家出しかけたこととか、近所のスーパーにも行けなかったこと、また、そんな中で、学校行ってなくても変わらず友達でいてくれたマシュの幼馴染、私のママ友達のこと、どんどん思い出されます。

行けなくなったのが、小2の終わりで、「行っても行かなくてももう大丈夫」って思えだしたのが、中1になる頃。そして、中2からマシュはずっと学校に行くわけだけど、その期間、おおよそ5年。


「今から学校行けなくなりますけど、5年後には行けますのでご心配なく」

ってもしわかってたとしても・・・

長いよねー5年


わかってなくて良かったかな。
親子でいろいろ試して、泣いて、いっぱいいっぱいになって、そして、ちょっとしたことでも笑えたり、幸せを感じれるようになったし。そして、実はそれって、その後の人生にもめちゃめちゃプラスになってる


・・・・なんで、また、こんな急につらつら思い出してみたりしたかって言うと・・


なんと、いつの間にか100万アクセス超えてました

よく「祝 100万アクセス」なんて見かけるけど。

いやいや「祝」ではないやろう。


悩んで悩んで

ここのブログにたまたま、たどり着いてくださったかたも多いだろうし。

「不登校」で検索して、ヒットしたんだろうし。

こんなに見ていただくってことは、それだけ小学生の不登校が増えてるってこのなんじゃないのかな

でも、このブログを続けてこれたことで、まわりを見渡しても、小学生の不登校なんて、そうそう何人もいなくてつらかった時に、もう大きくなったお子さんの不登校だった頃のお話や、またご本人のコメントいただけたりして、本当に支えていただいたと思います。

なので

「感謝! 100万アクセス」です。

100万記念に、

最近読み返して、あの頃の自分に捧げたい  相田みつをさんの詩を


待つ


待ってもむだなことがある

待ってもだめなこともある

待ってむなしきことばかり

 
それでもわたしはじっと待つ




佐々木正美さんの解説
「子どもに限らず 草花でも農作物でも、何でも育てることが上手な人は、待つことが上手な人だと思う。
待っていることに喜びや悲しみを感じていられる人である。
しかし、待つことの喜びは、日常の努力と相関する。
最善を尽くしているという実感があれば、待つことの楽しみは最大になるであろう。

そして、結果を問わない気持ちができていれば、待つことは安らぎである」




今、しんどくても、この最後の一文に辿りつける日が数年後に来るよ









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不登校って。&高1マシュ

2014-09-18 09:25:44 | 高校生活
久々更新します。
なんでも、何か月か放置してると、広告がどーんと出ちゃうみたいですね。
記事を投稿すると消えるそうで。
なので、時々は書きたいです。

マシュ、現在高1。
元気に通っています

学びたい学科に行き、部活も頑張っているので、張り切っているようでもあり、やること多すぎ&体力的にもキツそうだなーって見受けられる感もあり、とにかく、入学してから1日も休まず行ってます。
夏休みもお盆以外はしょっちゅう行ってたような。


今、こうして高校生活をしているマシュを見ながら、小学校の頃のこともよく思い出します。


学校に行けたら嬉しくて、行けなかったら落ち込んで・・・

そんな日々を長く過ごすうちに、いろいろなことに気づかされて。

不登校はつらい。

親にとって、何がつらいんだろう。

・他の子が行ってるのに自分の子は行けない。

・休んでいるうちに勉強がどんどん遅れるんじゃないか。

・外に出たらよその親に会うのもおっくう、自分の親に説明するエネルギーもない。

・学校に休み連絡を入れるのがつらい。

あげればどんどん、普通に学校に行かないことで、日常が日常的にすまなくなっていき、エネルギーを奪われれて行く。

なのに

「本人が一番つらいんですよ」とか言われる。


だから、家の中でも溜息もつかないように明るく振舞ってみたり、頑張ってる兄弟姉妹のためにもよりいっそう懐深いおかあさん的な感じを出してみる。


とかなんとか、いろいろ葛藤してるうちは、やっぱりどこかで

「早く学校行けるようになってくれないかなー」

なんて、思っちゃってたな。

と、何年もたってから思います。


不登校の本当につらいことは、

「子どもが意欲をなくしちゃってる姿を見てること。」

私の場合は、それに気づいた時からすごく楽になるというか、方向性が見えた気がしました。
それは、たぶん自分の生きかたにもあてはまることで、その考えが柱になると、

たとえば、学校に行ってなくても、将来に希望を持って、意欲をもって生きている状態だったら、なんの心配もいらないと思えて。

実際、マシュがフリースクールに行ったり、学校にちょこっと行ったりしてた時、
はた目には「あそこの家大変ねー」的な感じに見えたかもしれないけど、
わが家では幸せに暮らしてたなと思う。

具体的に「将来○○になりたいです」ってことじゃなくて、

自信をすっかりなくしちゃって、何もやる気がなくて・・
学校には行かなくちゃいけないって思いながらもエネルギーなくて。

そんな時、好きなこと、興味のあること、を探すことのほうが、遠回りのようだけど、確実に意欲につながると感じた。

意欲が出て、目標ができたら、おのずと勉強し始めるし、それが学べる学校にも行きたくなるかもしれない。

実際、今のマシュはとても勉強しているし、趣味に費やす時間もあるし、ダッチェよりよっぽど自己管理のできる子になってる。
本人いわく「やっぱりやってない時期があるからしんどいよー。もうちょっとやっとけばよかった」なんて言うので、そろそろ親目線から本人談として、ブログも交代してくれないかしらん・・と思ったり。

最近ちょこちょこ「あの時はこう思ってた」みたいに不登校当初のことを話してくれたりするので、また紹介できたらなと思いつつ、

いつもは下書きしてからのUPなのに、突然思い立ってつらつら書いてみました








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姉妹&マシュからの手紙

2014-03-18 11:09:15 | 中学生活
2学年違いのカシュとマシュは、とても仲がよい

特に、ダッチェのパートがフルタイムになって朝、子ども達が起きる前に家を出て、土日も仕事になっちゃってからは、晩御飯のあとくらいしか家族と話せる時間がなくなって、ほぼ連絡事項のみーなんてことも増えて。

んで、やっぱり年代的なズレもあり、マシュは「この服どう思う?」なんてことは必ずカシュの意見を聞いてる。
あと、学校の話や趣味の話なんかも「オカンはちょっと違う。ズレてる。そういう話と違う」と、あたりまえなんだろうけど、話によろうとしてもわからない用語とかあったり

この1年、受験生だったマシュ。2年前、カシュの受験の時、担任の先生が春に家庭訪問に来られ、その時の成績より高い学校の話が出て、「いやいやーそんなの無理です」って返事したら、

「目標は高く持たないと。」と、体育会系の女の先生。いや、それって無理って言うてはりますやん・・と思いつつ、ちょっと目からウロコ。

いわゆる、過程が大切ってことか・・。目標に向かって、努力すること自体がすごく意味のあることなんだな、って理解した。

ほどなくして、カシュは、その学校を志望校に決め、ものすごく頑張って、1年後、その高校に入学。

その姿を間近で見て、

やる気スイッチって、こういうものか・・・って思った。

勉強したい気持ちは、目標や、やりたいことのあとに来る。

そして、そこからマシュの好きなもの探しをなんとなーくリサーチ。

見つからなかったら、今じゃなくても良かったし、今後も変わるかもしれない。

そんな感じだったけど、結局、中3の春に方向性決めて、夏には志望校決めた。



今は本当に仲の良いカシュとマシュだけど、小学生の時はすごーくよくケンカもしてたし、特に、マシュが学校行ってなかった時期は、カシュはいろんな人からマシュの様子を聞かれたりして、すごくストレスだったろうと思う。
家でも、ダラダラしてる(ようにみえる)妹の姿とそれに何も言わなかったり、時々キレたりする親の姿にもイライラしてたこともあっただろうし。

不登校の講演会の質問タイムに手をあげて

「妹のことを認めれば認めるほど、姉がたとえばテストで良い点とっても誉められなくなって、誉めたら、妹の状態を否定することになるような気がして」と質問したことがあった。

その時は
「お姉ちゃんはお姉ちゃんで頑張ってるんだから、誉めてあげてください。」

って言ってくださった。

講演会が終わってから、声をかけてくださった保護者のかたが

「うちは、妹が不登校で。家を出た大学生の姉がまとまった休みに元気に帰ってくるのが本当にストレスなんです。」
という話。

それを聞いたら「いやいやお姉ちゃん可哀想ですやん」と思ってしまった。



どんな状態にあれ、どっちも認めること、その時から心がけるようにした。


ブログを書いてて、友達やまわりの人に支えてもらって、とよく出てくるけど、人生の少し前をゆく姉カシュの存在は本当に大きいものがあるなってあらためて思う。

マシュに「カシュの存在大きかったよねー」って言ったら「そりゃ大きいよー!」って言ってた。

ま、タイプ的にはダッチェとカシュはケ・セラセラタイプなので、すでにマシュが一番しっかりしているかもしれないけど。


ところで、マシュに「中学卒業にあたってのコメントか何かお願いー」って言ったら、

これなら載せていいよ。って。

卒業式の時にくれた手紙です。



話が和になってますがツッコんどいてとのことで

ダッチェは朝早く出ちゃうので、ゴリさんが朝、子ども達を起こして、送り出してくれてる。
ゴミとかも出して、ちゃーんと片付けて、それから自分が出勤するという、子ども達がいうには「オカン力(りょく)の高いオトン。お弁当も冷凍食品とか使わなくて、完全手作り。

「オカンには靴下くらいしか思い浮かばんかった」って、たたみきれてない洗濯物の山から、かろうじて次の日に履いていくニーハイソックスを探し出していたというダッチェに与えられた唯一の役割(笑)



昨日、小3からお世話になった塾のお別れ会に行ってきたマシュ。
先生泣いてくださったと。先生にとっても思い出深い生徒のひとりだったようです。
本当に行けなかった時や、頑張ってる時、フリースクール行ってた時、ずっとずっと温かく見守ってくださった、かけがえのない存在でした。
きっとこれからもいろいろなお子さんを指導されていかれることと思います。

学校に行ってなくても、ならいごとには行けてたり、そこには学校に行っている子達も来てて、なんとなく学校の雰囲気もまとってたりする。

なので、本当にダメなときは、習い事にもいけないし、長くお世話になった塾も、最初は奥の部屋で先生とお菓子食べて帰って来るとこからだった。

そういうしんどさをわかってくださること、そして不安な親とともに歩んでくださったことに本当に感謝です。

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中学卒業

2014-03-14 18:04:56 | 中学生活
大変大変ごぶさたしておりました

マシュ本日、中学を無事卒業いたしました


冬に一度更新しようと思って、書いたものを読み返しながら、つけたして書きますね。


2013年冬。

思えば、小5の時、まだこれからどうなるかわからなくて、目の前をみるより、先をみようと。
先って、いったいいつだろう、中学校?高校?社会?


そうだな、やっぱり社会かな。


その時は、とにかく長い目で見る訓練というか、学校にいかなきゃ、いかせなきゃという思い込み、みたいなものを自分の中で、いったんなくしたくて、そんな風に考えたのかもしれない。


で、中学までは休んでても卒業できることとか、高校はそうはいかないこととか、でも、単位制や通信制や夜間、学ぼうと思えば、いつからでも学べることとか、いろいろと情報を集めて、まず自分が「焦ることない」って、安心して、同級生が学校ライフを着々とこなす中、マシュの不安が少しでもなくなるといいなって思いで過ごしてた。


その時点から、勉強は2の次、3の次になって、親のほうから「勉強したら」ってことは一切言わなくなってた。



さて、中1の後半休んで、中2から地元の公立中学に行き始めたマシュは、部活の仲間と過ごす時間が増え、中3で部長になった時には「大丈夫かな」と思ってたけど、先日、無事引退。


中1の時に、一気にエネルギーダウンした学校祭の頃には、まさかの「学校楽しい!」発言。



今はやりたいことが見つかり、希望する高校への受験に向けて、毎日毎日勉学に励んでおります、マシュ的には、「やってもやってもおいつかない」らしいですけど、じゅーぶん毎日頑張ってます。


どういう結果になるかは、わからないけれど、今、本当に頑張ってることが、本当に数年前には思い描けなかった姿であるとともに、マシュは自分で決めて自分ですすめているなぁと、つくづく思います。







ここまで書いてシメの言葉を書こうと思いつつ、UPしないまま止まってました




2014年春

中3の春に自分の学びたい学校に出会い、1年間オープンスクールや説明会に参加。受験。某公立高校の専門科に合格しました。

ダッチェはマシュに言われて2度その高校に行きましたが、あとは友人についてきてもらって体験学習など一緒に行ってました。
いざ、受験すると決めたら、習ってないところが多すぎて、やはりとっても苦労したみたいです。

この1年、とくにこの数か月は夕飯の時にちょっと顔を見せる以外は、ずっと勉強してて、「大丈夫かぁ」と心配してしまうほどで。
小3からお世話になった塾の先生のところで、わかるまで教えてもらったり、励ましてもらったり、本当に助けていただきました。
友達の支えも大きかったと思います。

合格発表は友達と見に行き、パート先でマシュからのメール見た時は同僚の前で思わず泣いちゃいました。


受験終えたマシュに「友達は親に支えてもらって、感謝、とか言ってたけど、私は特に支えてもらった覚えもないなー、自分が頑張った」
と言われた時にゃーコケそうになったけど

「いやいや、プレッシャーかけないように、普通に暮らしてたのよー

と、言いつつ、これが目指してた姿なのかも、ほんと頼もしくなったなーーってなんか嬉しかった






思い返してみると、立ち止まった時期があったからこその、今、があるとつくづく思います。

マシュ自身、小さい時期にレールから外れたからこそ見えたもの、出会った人、場所、これからの人生にきっと糧になると思います。



立ち止まっている時、まわりの人たちが、すごい速さで進んで見えて、とても焦った気持ちになりました。

一緒に進んでいかない分、遅れる遅れるって思ったり。

でも、そういうこと、気にしなくなって、毎日、眠れますように、ごはんおいしく食べれますように。楽しいことがあってふっと笑顔が見れることが嬉しいなって心から思えるようになった頃から、エネルギーたまりはじめたなって。



あと数年したら巣立ってしまうであろう娘たちを想像すると、悩んだり、ケンカしたり、心配したり、そんなことができるのも幸せなんだろうなって、思いつつ、最近は週5フルタイムのパートになり、久々余裕のある休みでパソコンに向かい、感傷にどっぷり、夕食のしたくをそろそろしないといけないな、面倒くさいなーと思う、ダッチェでありました。

書き出すと、キリがないのでこのへんでーーー




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