梅雨から梅雨明けの季節、皆様お元気でしょうか
毎年、軽度の熱中症になるダッチェは水分とらなきゃ水分とらなきゃでバテバテモード
で、お腹タポタポなって、食欲落ちて、汗いっぱいかいて、うっかり水分不足になるという何年このカラダやってますねん状態、毎度な夏です
そして、ずっと読んで下さってるかたはご存じADHDダッチェの天敵地獄の決算会計業務の季節
というわけで、間あいてしまいました
アドラーの続き。
ここからがかなり影響受けて、そしてある程度身についてからの人間関係が楽になった
『自己決定性』と『目的論』
これがまたなかなかまとまらなくて、ぜひ詳しくは本や漫画などがたくさんあるので読んでみられたら良いと思うんだけど
もう思いつくままに書いちゃいます
『自己決定性』はつまり『人間は、自分の行動を自分で決められる』という理論
それって当たり前やんとも思った。何時に起きてとか、どこに出かけて何を食べてとかね
いわゆる衣食住の話かと思いきやそうじゃなくって
例えば「心が折れた」ってよく言ったり聞いたりするでしょ
それも
『心が折れた状態を自分で選んでいる』ってことなんだって
心が折れている時は、それを自分で選択して決定しているってこと
環境や、過去の出来事は関係なく。
ダッチェはマシュの不登校をきっかけに、今まで自分が『こうだ』って思ってたことが、そうじゃなかったことに気づいて以来
本を読んだり、人から聞いたりして気になったことは試してみようと思ってて
でも、これを最初読んだ時は
「逃げ場のないこと言わはりますやん、アドラーはん」
って気持ちだった
ちょうど心折れてた時だし。
つーか、あきらかに『折られた』と思ってた時だったし。
でも
自己決定性についてのアドラーの言葉
『人間は、環境や過去の出来事の犠牲者ではなく、自ら運命を想像する力がある』
過去にあった出来事は変えられないし、環境もまた然り
けれど、それをどう解釈し、どういった行動を選ぶかは自分が決めている
で、なるほどと思った
かといって、常に冷静に生きていけてるかっていうとそんなことは全然なくて
人間関係の中で、自分の感情がとても揺れることは多々ある
でも、そういう時も『あ、私はなんでこんなに悲しい気持ちでいっぱいになっているのだろう』と早い段階で振り返ることができたり
心が弱った時も『無理をしないための自己防衛なのかな』と受け入れることにしたり・・・つまりなんかちょっと変わった感がある
特に職場なんかでは
アドラーのいう自己決定の判断基準
建設的か、非建設的かを軸に考えるようにしてる
確かに好き、嫌い、良い、悪い は個人の主観で、感情を主軸に置くと本人も周りも
振り回されるし(超世の中あるあるだと思うけど)
なんか、こうやって書いてると自分を抑えてる感がいなめないけど、
自分も他者が気持ちよく過ごすことって人数が増えれば増えるほど難しかったりするし、
結局はこういう風に考えることで、自分も相手も大事にできる気がする
ああ
なーんかやっぱり堅っ苦しい文章になっちゃうな
なので最近読み返した「育てたようにこは育つ」から詩を紹介
肥料
あのときの
あの苦しみも
あのときの
あの悲しみも
みんな肥料に
なったんだなあ
じぶんが自分に
なるための
ご存じみつをさん
この本は佐々木正美さんが文章を添えていて
この詩にはこんなことが書いてあった
『存在する意味や価値のない人間はひとりもいない。ということは、誰にとっても意味のない時間はないということである。
あらゆる時間のあらゆる営みに意味があり、それぞれの人間の歴史を刻んでいく。
怠けているように見える時間は、大抵は心のエネルギーの充足のために必要な休息の時間なのだ。
休息のあとに続く活動や思索のために必要な、本当に必要な休息の時間なのだ。
どんなに長く続く休息に見えたって、本当に必要な時間なのだ。
そのことは、本当に十分の休息を与えたあとになってみるとよく分かる。
分からないのは、不十分なうちにせきたてて次の活動に追い込むからである。』
これ、今になって読み返してつくづくそう思う
子育ては
悲しみや苦しみを乗り越えて生き抜く力をこどもに与えること
そのためには自分の価値が大きいものであることを常日頃から教えておくこと
自分の価値を信じる力。深い静かな自信。
巣立ったこども達にはそれがあるかな。
あるといいな。
と思いながら遠くから見守る
- 決めつけ
- 誇張
- 過度の一般化
- 単純化
- 見落とし
- 誤った価値観