おひるねウサギ~不登校かまへんかまへんマイペース♪

片付けられない母ダッチェ。小2で不登校のマシュは小5でフリースクール、中2地元中学高校→他府県専門学校→社会人独り暮し

不登校からの回復『親の意識編その②』

2019-07-20 12:53:45 | 不登校

 前回一番にあげたのが『再登校を目指さないこと』

 

1日も早く学校に戻って遅れた勉強を取り戻して・・・と思ってしまいがちだけれど

 

すぐに戻れるくらいなら、不登校にならない。ちょっとした疲れなら34日も休めば元気になる。

 

なので、目の前の子どもがエネルギーを完全に落としてしまっているなら、まず元気になることを1番に考えてほしい。

 

子どもをなんとかして、元の生活に戻るという意識を捨てる。その生活で『無理』になったのだから。

 

そして、もう1つこれができればもうそれで大丈夫なのだけれど

 

『子どもの人生は子どものもの』だと思うこと。

 

自分がそう育てられたから。自分が苦労したから。将来苦労しないために。子どものために『良かれ』と思ってやってきたことだったとは思うけど

それがその子には合っていなかったのかもしれない。

 

ここが難しいところなのだが、親は『お金を出している』ので、どうしても口を出してしまいがち。

 

でも、それでも子どもは親の所有物でも作品でもない。

 

『子どもが自分の人生を自分で選んで歩く』そして社会に出る。

 

そこに至るまでに何が必要か。次からは具体的に我が家で実践したことを書いていこうと思う

 

 

 

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不登校からの回復『親の意識編その①』

2019-07-16 12:39:33 | 不登校
ツイッターで「どのように回復されたのですか?」という質問をいただいた。
 
ブログを書いているので読んでみて下さいと返事しようかと思ったが、このどっちらかったブログを紹介する気になれなかった。
これまでにも「何をきっかけにまた学校に行けるようになったの?」と周りに不登校のお子さんをお持ちのママさんから聞かれることもあったり、でもまあ話せば長すぎなので、いつもうまく言えないでいた。
 
今ツイッターで不登校の時代の話を思い出すにつれ、不登校はそれぞれだとは思うけど、キーになったことや、考えかたの変化などとろこどろこにポイントがあった気がしてきていた。
なので、良い機会をいただいたと思いまとめてみようと思う。
前おきしておくが、あくまでもマシュの場合で、専門家からいただいたアドバイスには沿っていたが、1例であるということはご理解いただいた上で読んでほしい。
 
大きくわけると2つ『親の意識改革』『暮らしかたをかえる』
 
 
まず『親の意識改革』
 
1番大事なのは『親が再登校を目指さない』こと
 
ゴールは社会に出ること。道はいろいろあるということをまず親が知り、安心する。
 
社会で働き続けるためには何が必要かと考える
 
すると、課題がいろいろ見えてくる。
 
 
きょ、今日はここまで
・・・・思ったよりめっちゃエネルギーいる作業。まとめてからと思ったらきっと先延ばしクゼ発動して何か月もかかるので、書きながらまとめていくことにします(自分をわかっているでしょ)
 
 
 
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はじめましてのかたに。

2019-07-16 12:39:05 | はじめまして
縁あってお越し下さったみなさま、こんにちは。
小学2年生の終わりに突然不登校になっちゃった娘との日々や不登校になってからわかった軽度の発達障害、アスペルガー症候群、自閉症スペクトラムのことなどを綴っています。
 
「どうしたら、もとのように学校に行けるのか」から「何か困っていることがあるのではないだろうか」「本人に合っている場所があるのではないか」という思いへ。
 
放課後登校、保健室登校、支援級通級、そして在籍。小4~小6は文部省認可の私立のフリースクールと学校の両方に通いました。高校で園芸を学び、園芸療法を学びたいと、親元離れて他府県の専門学校に行き、今春卒業。
現在社会人1年生、東京で1人暮らしをしています。
 
中1は春から徒歩15分の公立中学校に通い、秋からフリースクールに。
中2、中3はずっと学校行き、部活も頑張ってました。
小学校の保健室から出れなかったり、人のたくさんいる講堂に1歩も入れなかった数年後に、大きなホールでマイクを持って発表していました。
 
思えば、小学校で学校に行けなくなった時に、中学は通わなくても卒業できるから、高校を見据えて暮らそうって思い、
 
その思いも、また途中で変わり、いろんな生きかたがあるし、道はたくさんあるって思えるようになりました。
 
小学校3年から5年の授業ってものをほとんど受けてませんが、なんとかなるもんです。
「勉強しなさい」っていっさい言わなくなって6年後。中2あたりから家でも結構な時間やるようになりました。「そんなに勉強して大丈夫?」って、普通の受験生の親なら言わないセリフをつい口にしちゃったり。
遊ぶことも、勉強のことも、寝る時間も自分できめてるマシュ。
世間一般とは違う歩みをして、一番育ったのは自律心かなと感じます。
自分を律する心。ダッチェより遥かにあるもの。
 
今、振り返って、「不登校には意味がある」つくづく思います。
一度立ち止まって、暮らしかたや考え方、一緒に模索するよいチャンスだったなって思います。
その時はつらいって思ってたこともあるけど、その末に得た考えや生き方は、のちの人生に生かされます。
 
忘れっぽい性格の母が、不登校時代のことを忘れてしまわないようにと始めたブログですが、最近は大人になったマシュに、あの頃の気持ちを聞いたり、思い出となりつつある体験のことを振り返ったり、時がたってあらためて伝えたい思いなどが時折むくむくとわきあがってきたことなど書かせていただこうと思います。
 
 
 
 
☆自閉症スペクトラム『選択』
 
☆支えられた本
 
☆ぼちぼちマイペースにやってます。
 
 
☆失敗、勘違い、いろいろあるけど
 
☆片付けられない母のつぶやき
 
☆発達障害
 
☆マシュ本人より
 
 
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足あと帳

2019-07-16 12:38:45 | はじめまして

こんにちは。
いつも、来ていただいてるみなさまありがとうございます。
そしてはじめましてのかたもご訪問いただき、ありがとうございます。


毎日とってもたくさんの方が(特に携帯から)「アスペルガー」や「不登校」で検索をかけて、おいで下さっているようです。
ヒットしたココは、期待されたようなブログではなかったかもしれませんが、それだけたくさんのかたが何らかの気持ちで検索されたのだなぁ・・ということが力になり、励みにもなり、また、「もし、今、さなかにあるかたなら、そのかたに良い出会いがありますように・・」と願います。
よろしければ、ブックマークもご覧になってみて下さいね。


2009/6月に決算期で休んだ時期にコメントくださった方、文章を少し変えてしまってごめんなさい。その節は応援ありがとうございました。

2010年2月「不登校からのあゆみ�」をupしました。

以前のブログを読み返しては「くー、まだまだっ」と「行ける」ことがいいことだと思っていた頃のを読むたび恥ずかしく、マシュのその時々の反応が今から思えば「そりゃそうだ」と思えて、また数日読む気力がなくなったり・・←自分の書いたもので凹む(笑)

キリがない感じだったので、とにかく書いちゃえっ・・的な感じでうまくまとまってなくてすみません。余裕ができたら(今までの人生に余裕があった時期があったのか)修正していきたいと思っています。

とりあえず『人生に無駄なことは何もない』と自分で自分を励ましつつ、笑い飛ばしながらやっていけますように。

最近は、更新も年に数回というサボリっぷりですが、春休み明けに、閲覧してきださるかたがぐぐっと増えることに気づかされます。今元気に毎日を過ごして、学校に通う毎日だけど6年前の今頃は、初夏の眩しさがつらくて、ランドセルを背負った子ども達を見かけると涙ぐんでしまったりしてたな...って。なので、本当に恥ずかしいアカン対応もどうぞ「それはアカンやろ」と、つっこみながら反面教師的に読んでいただけたら幸いです。
それから、コメントいただいたら、ちゃんと携帯にお知らせ来ます。全力パート
中なので、お返事遅くなりがちですが、よかったらコメってってくださいませ。


埋もれていた足あと帳にコメいただいたのが嬉しくて、上げてきちゃいました。

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不登校は失敗じゃない

2019-07-12 16:11:33 | 不登校

ブログを書き始めたのが2009年なので、もう10年になる。

 

途中、年に数回の更新だったりな上、整理もできてないので『前に書いたかな』と思うようなこともまた書いてしまうかも。

たぶん、何回も書くことは、それだけ大事だったりキーワードになってたり、大きな気づきだったりすることだと思うのでお許しくだされ

 

 

前に、『今でしょ』の林修さんがテレビで言っておられたのだが

 

『失敗』の原因は大きく3

 

    思い込み

    情報不足

    慢心

 

だそうである。

 

これには非常に納得した。

 

その頃、パートに出ていたダッチェだが、職場でおこる大抵のミスはそのどれか、もしくは全部が複合しておこる。

職場で何かトラブルが起こる度に、『ホンマや』と思っていた。

 

ところで、不登校になった子の親に対して『子育てに失敗した』などという教師がいることに驚く。

まあ、そんなことを言うのはごくごく一部のかただと思いたい。

 

不登校は決して失敗ではない。むしろ『このままでは自分が壊れる』という自己防衛本能がちゃんと機能して、家に帰って来てくれた状態だと思う。

 

ダッチェの失敗はそれをすぐに理解できず行かせようとしたこと。

 

    学校には行かなくちゃいけないという思い込み

小学校に入ったら、しっかりしたという思い込み

低学年の先生が脅すようなことを言うわけがないという思い込み

 

    保健所の検診にひっかからない軽度の発達障害があるということを知らない情報不足

学校に行く以外の選択肢もあるということを知らない情報不足

 

    保育士をしていたから子どものことはよくわかっているはずという慢心

 

 

失敗に気づいて、リカバリーして、次に失敗しないためにどうしたらいいかを考えて手を打つ

仕事上ではそうだが、

人生においての失敗は、そんな簡単にリカバリーできるわけでも、やれるわけでもない

 

ただ、それでも気づけた時に振り返って、どうしてそうしてしまったのかを考えたりしながら、何歳になっても学んでいこうと思う

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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短期留学~たった2週間されど2週間

2019-07-04 17:23:15 | 高校生活
マシュに今でも「あれだけはないわ」
 
と言われることがある・・・
 
 
 
マシュは高校2年の時、アメリカに2週間の短期留学に行った。公的な補助金が出るらしい。
とはいえ、実質の負担はウン十万。
 
普段は、どんな相談も母にするマシュ。この時だけ先に父にするというチャッカリ娘であった。
なぜなら、父ゴリさんは大学生の時に1年間留学経験があるから。
 
高校卒業後は就職すると言っていたので、今のうちに経験も良いかと、学資保険の費用をあてることにした。
 
ホームステイタイプではなく、大学の寮に入るとのこと。
 
友達と一緒にとかでもなく、全くの1人。添乗員さんもおらず、現地まで1人で行かなければならない。
 
そして、マシュは英語は小1の時に近所のお母さんがやっている英語教室にちょこっと行っただけで、あとは学校で習っているだけ。
 
そんな感じなのに、マシュは当日を迎えるまで、わくわくしかなく、全く不安がることもなかった。
 
空港でも夫婦で見送りに行った私たちの心配をよそに、にっこり手を振って旅立った。
 
あまりに心配なので、国際線に乗り換えるのを失敗しないかと、東京に住んでいる従兄に見てもらえるよう頼んだくらいだ。
 
 
と、ここまでの長い前フリでなんとなく察しておられるかもしれないが・・・。
 
2日目の夜中、号泣するマシュから電話かかってきた。
 
「帰りたい」「もう無理」「何言ってるか全然わからへん」
 
そらそうやーーーーーん
 
時差があるので、向こうは夕方、こっちは深夜みたいな感じ。
 
聞けば、2人部屋らしいのだが、最初はアジア系の優しい子と一緒で大丈夫と思ったらしいのだが、その子は次の日で帰国してしまい、次に来たのがヨーロッパ系の子で部屋で音楽ならすわ、香水がきついわ、何言ってるか全然わかないわで一気にストレスMax。昼間の授業ももちろん緊張100%なためあっという間にキャパ越えたらしい。
 
ダッチェの感覚としては、せっかく行ったんだから、1週間目にディズニーランドがあったし、それ行ってから帰ってきたら?
って感じだったんだけど
向こうの担当職員さんもなんだかでっかいおじさんで怖くて無理みたいな感じで。
 
とりあえず、2日目またまた号泣電話、もう本当にダメそうだったのでサポートしてくれる旅行会社に出向いて、本当に無理なら迎えに行く勢いも持ちながら、不登校でつちかった交渉術を駆使し、部屋替えを希望して、結果なんとか1人部屋にしてもらうことができたのだけど。
 
時差があるから、そう簡単にすすまず、タイムラグが生まれる。
 
そして、後にも先にも1回だけマシュはダッチェの職場に電話をしてきた。アメリカから。
それがまた、ダッチェはタイマーをかけて揚げ物をしている最中で、しかも店がオープンするという一番ピークに忙しい時間にかけてきたものだから
 
「お昼に、答をもらえることになってるから。今手離せないし、あとで連絡する」と切ってしまった。
 
その時、マシュのところはもう夕方で、もうその夜を越すことは無理な気持ちだったらしい。
 
「あの時ほど絶望したことはなかった」そうです。
 
こっちにしてみたら、打てる手は全部打ってるからどうしようもないやんっていう気持ちが先に立ってしまったんだけど
 
母のダメなとこ、こういうとこなんだよ。仕事に過剰適応しちゃって、プライベートで仕事の手を止めることができない。
 
もうちょっとちゃんときいてあげれば良かった。
 
結局マシュは自分で現地のサポートセンターのようなところに電話して、話を聞いてもらったらしい。
 
次の日、無事に部屋を変えてもらい、1人部屋のため、現地で仲良くなった子達が毎日部屋に遊びに来て、
 
そこから先はもう楽しくなって、
 
戻ってきた時には「もっといたかった~帰りたくなかった」と言ってた。
 
何かの折にその話になると、ごめんよ・・・と、何回でもあやまるけど、責任感の強いマシュだから、働いてみたらその感じもちょっとはわかってくれるかな。
 
この1件で「遠くの家族より、近くの他人」を頼りにすることを学んだと思う・・
 
それと「日本語が通じるっていうだけで幸せ」「あの時に比べたらなんであんなことで悩んでたんだろうって思う」と、たった2週間だったが、死ぬほどの心細さから、自分なりに乗り越えて自信にはなったと思う。
 
そして、一番びっくりしたのは
 
初めての海外でカルチャーショック受けて、視野が広がって「やっぱり進学する!」と言ったことだった
 
 
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親が変わる?学校を変える?

2019-06-25 17:47:06 | 不登校

気になることがあり、過去記事をたどった。

 

『振り回される』ということ。こちらを先に読んでいただきたい。

 

マシュが不登校だった10年前はまだ、『学校復帰』が不登校のゴールってのが主流だったと思う。

なので、講演会などもそういう風な感じだったのだとあらためて思わされる。

 

上記の記事の②のお母さん。

 

今読み返すとすごく当たり前の行動にも思える。

 

『学校と戦うことは、相手を変えることで自分が変わろうとしていない。』と断罪してしまうのは良くないな。と思った。

 

入り口はそうかもしれない。でも、子どものために何ができるかを考えた時に学校にも理解してもらって、もちろん自分もできることはやりたいと思う人のほうが多いんじゃないかな。

 

今から思えば

『学校を責めたところで学校は変わらないから、そのエネルギーを違うところに使おう』

 

のほうが正解なんじゃないかなと思う。

 

「不登校の子に聞いたら②のお母さん嫌だ~」って全員が言う。

 

と言ってたけど

 

『先生は忙しいから、原因を学校に求めないで』ていうことだったんじゃないの?

 

なーーんて気持ちにもなってくる

 

当時、まだまだ行けなかった時の担任への思い引きずってたから「学校責める親はダメなんだ]

こういう思いを持っている自分への戒めとも取れてた。

 

10年たって 思う。


子どもが元気になって、自分の道を歩むのに親は何ができるか。

子どもの今の状態をまず認めること。

これからのことを思うこと。

めざすのは学校復帰じゃなくて社会に出ること。

 

そのために、自分の今までの考えかたを改めることも必要になるかもしれないし、

学校にも変わってもらわないといけない部分もあるかもしれない。

大事なのは、『子どもの心に寄り添う』ということだ。

 

不登校という形で意思を表し、自分を守った子どもに。

家に帰って来てくれた子に

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お父さんに理解してもらうということ

2019-06-20 13:32:15 | 不登校

マシュが小学校に行ってなかったのは10年前。その頃は周りに小学校低学年の不登校の子はいないし、ネットの掲示板や他のかたのブログで同じような思いを抱えるお母さんを見つけて、共感したりしてもらったりして支えられた。

 

当時もやはり「父親が理解してくれない」「おばあちゃんに言われる」などの声が聞かれた。

子どもが不登校になって大変なのに、家族の理解が得られないことは本当に苦しい

 

ゴリさんも習い事とかは無理してやらせなくていいって感じの人だったけど、学校はやっぱり行けって感じだったし、「もう私の言うこと聞かないから」ってゴリさんと2人して学校に車で連れて行って、校長先生に「少し休ませてあげたら」って2人して言われたのをきっかけに、先に理解したのはゴリさんだった。

 

うちは、たまたまそうやって自分で連れて行こうとして校長先生に直で言われたこともあり(ゴリさんは先生と名のつく人をとても尊敬している)納得してくれた。

いや、今から思えばそれはたまたまではなく、ダッチェは無理だな・・・って思い始めていたけど、ゴリさんはその頃まだ「行かせろ」派だったので、「自分でやってみて」って思ってたのもあるかも。

 

マシュほんまごめん。ゴリさんも今も「あの時にめちゃくちゃ怒ってしもた」って今も後悔してる

 

「頑張っている人」ほど「頑張ってきた」人ほど許せないのだと思う。

もしかしたら、学校の先生の中にもそう思っている人いるかもしれないな。

 

明橋大二さんのシリーズはほとんど持っているけれど、この1冊は「読みたい」と言ってくれたパパ友に貸したりすすめたりしている。

『忙しいパパのための子育てハッピーアドバイス』

↑ 太田知子さんはイラスト。明橋大二さん著。

ざっくり言うと「パパはママをねぎらおう」「お父さんから認められると子どもは社会に出ていく自信を持つ」など、家庭での父親の役割の大切さが書かれている。

この中で、「不登校になった子を理解しない父親」について触れておられる。

 

 『お父さんの中には、理解を求めようとすると、それを拒んだりして、あくまでも考えを変えようとしないお父さんもおられます。そういうお父さんの気持ちはだいたいこうです。

「自分だって、苦しい中がんばって仕事に行ってるんだ!」

「子供の仕事は学校へ行くことだろ!」

「仕事を一生懸命しているおれをそっちのけにして学校へ行かない子どもにかかりっきりになるなんてどういうことだ!」

 はっきり言って、少々、やきもちも入っているのですが、その気持ちはわからないでもありません。

とにかく、お父さんも、毎日、気力を振り絞って、仕事に行っている、それをわかってほしいのです。』


 で、どうしたらいいかということなんだけど、

『そういうお父さんには、まず、しっかり苦労をねぎらってあげることが大切です。』

 

こっからが、

まあ、修行ですよね~誰のって母の

 

子どもは生活もくちゃくちゃなって心配だし不安だしイライラするし、その上無理解の旦那をねぎらえと!?

母はそんなマリア様のようになれと!?

 

そして家の中が険悪ムードの中、いきなり「お仕事大変ね」とか言ったりするのは逆に嫌味にとられかねなかったり。

こっちがねぎらってほしいよ

 

ただ、この本に書かれていることはカナー先生に言われたことと同じだった。

その時には「学校に行かせること」をあきらめてくれていたゴリさんには素直に感謝した。

 

かといって、そうそうねぎらったりできないので、前にもどこかで書いたが「ありがとうフェア」を開催することにした。

醤油をとってくれたら「ありがとう」うしろを通る時にちょっとよけてくれたら「ありがとう」

『言わなくても大丈夫なシーンで1日に3回は言う』これなら相手に作戦だとバレずにいい気分になってもらえる

 

とりあえず、月末1週間とか。あくまでもフェアなので、期間限定タイムセール気分で。

そしたら、不思議なことにしばらくしたら向こうから「ありがとう」が出てきた

 

最初のフェア開催から早10年。今ではダッチェが夕飯の洗い物をするだけで毎日「ありがとう」と言う旦那様に成長されました

 

『ありがとうフェア』は周りに結構推奨しているので、職場などでも「ちょっと最近余裕なくなってきたし『フェア』やりますわ」と宣言してやる人がいたり、心の余裕のなさそうな上司に部下が『フェア』を開催して仕事がやりやすくなる・・という成果もあったり。

 


例によって、話がそれていったけど、お父さんの話に戻すと最近は「不登校の子を持つお父さん」の発信があることを嬉しく思う。

 

このブログで最近リンクを貼らせていただいた

あけらんこさんのブログ「我が家の不登校のカタチ」もお父さん目線で語っておられてとても参考になると思う。なんてったって気持ち優先!で感情的な表現の多い母親と違い、さすがお父さんだなと思える表現などを目にして感心させられっぱなしである。

 

 

不登校を経験していない親、そして先生も、

自分の育ってきた生きてきた道と違うことを認める怖さ、不安もあると思う。

 

でも、大丈夫。目の前のこどもを認め、一緒に道を探していくうちにどんどん大丈夫はきっと増えていくし、道が見えてくる

 

 

 ↑太田知子さんはイラスト。明橋大二さん著
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学校行かせる?休ませる?

2019-06-17 16:02:54 | 不登校
ツイッターでつぶやき始めて約1か月。まだまだ使いこなせてない初心者の身で
 
週末につぶやいた言葉が1日で300人以上に「いいね」(共感だと思う)され、驚く。
それまであまり気にせず、言いたいことを言ってたけど、どんどん広まりだすと途中から不安になった。
自分の中で、言いたいことは明確なのだけど、短い文章なので、どこかで違う価値観の人の目に止まって、想定外の反論あるんじゃないかとか
 
先にその文章紹介します。
 
『娘の不登校当初、ママ友に言われた。
 
 「甘やかしたらだめよ」
 
その頃は、すっかり親としての自信もなくしてたし、自分のふがいなさを責めたりした。
 
でも、今ならはっきり言える
 
学校は『親が行かせるもの』ではないって。』
 
 
書きかたもあり、それぞれに受け止め方もあるから、返事をくれた人の中には
「それはママ友じゃなくママ知」(上手い・・・)
「甘やかしてもいいじゃない」
というものもあった。
 
不登校は「甘やかしてるようにみえてもそうじゃない」し、また、それは必要な甘えであったりもする。
「親が子どもの心に寄り添わず学校に通わせよう」としたり、また学校が「とりあえず登校させてください」と言うこともあるらしい今、
これだけのかたが反応してくださるということは、まだまだ学校は「親が行かせる」ものということが世間にはあるのかなと、あらためて感じた。
実際行きづらい中、親に「休んだらダメ」と言われている子もいるんじゃないかな・・とも感じる。
 
 
行き渋っていたマシュを学校に送っていった時、
 
友人は「甘やかしたらダメ。私やったらそんなん許さへんわ」っていう今思えば、自分の価値観を言っただけのことなんだけど、確かにその時はドーーーンと泣きっ面にハチ状態になった
 
でも、その「甘やかしたらダメ」は、まさに自分が最初思ってたことだったんだよね・・・。
さんざん引っ張ってってたし。だからこそ痛かった。

「ああ、ちがうわ、そういうことじゃないわ」ってそこでやっと「休ませなきゃ」って気づいた。
 
でも、まだそれも間違ってたんだ。だって、休んで元気になったら「行かせよう」って思ってたもの。
 
 
学校って、親が「休ませる」とか「行かせる」とこじゃないんだ。本当にそれは最近、やっと言葉になった感じだった。
 
感覚としては途中で気づいてたから、実際マシュは自分でどう登校するか決めていたし、それは高校、専門学校にすすんでからも同じで『頑張りすぎないように』休むこともあった。
 
勉強も親が「させる」ものじゃなくて、子どもが「する」ものだし。
 
まかせっきりってことじゃなく、環境を整えてみたり、情報を提供してみたり、一緒にどこかに行ったり、子どもゆえの経験の少なさで世界がまだそんなに広くない年齢の子には親が一緒に「こんな方法もあるよ」とやってみたり、自分の経験談を話したり、というサポートはあったほうがいいと思うし「お母さんは(お父さんは)こう思うけどな」って話をするのも全然いいと思う。
 
要はこどもが自分で人生を選択できてればそれでいいと思う。
 
こどもって親に気を使ってるから真面目な子ほど「こう答えてほしいのかな」って思ったりするし。
 
だから、学校行けなくなっちゃってる子に「行きなさい」と言ったり、悩んでるお母さんにお父さんが「行かせろ」と言ったりするのは間違ってます。
 
不登校&お父さんのことを書こうと思って、前フリのつもりで書いてたんだけど長くなっちゃったので、またにしますね。
 
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不登校、親にできること

2019-06-14 14:50:30 | 不登校

よく「不登校になってよかった」と聞くし、私も言ってるけどじゃあ具体的に何が良かったかっていうと。

もちろん自分のそれまでの価値観や、親自身の育ってきた道を振り返り、自分の子どもは自分と同じではないということに気づいた。ということは大きいのだけれど、

それ以外にどこの家でも実践できる劇的に家が居心地よくなる方法を得たことだと最近つくづく思う。

それは・・・

家の中から命令形と禁止形をなくす』ということ。

くま先生に

「学校は命令形と禁止形がいっぱいだから、家でそういう言葉を極力使わないようにして心を休ませてあげ」というようなことを言われたと思う。

お医者様の言うことは素直に聞くダッチェ家笑。何より、その頃はすっかりエネルギーの落ちたマシュのためになるならなんでもしたかったし。

早速、次の日からやろうとしたが、まあびっくりするくらい使い倒していたことに気づく。ダッチェは主に命令形「早くしなさい」「もう寝なさい」「お風呂入りなさい」

ゴリさんはどちらかというと否定口調「やめとけ」「ちらかすな」とか・・。

誤解のないように言うが、禁止しない、命令しないでなんでも言うことを聞くというのとは違う。あくまでも「口調を変える」ということ。

いざやろうとすると「英語しか話したらダメですゲーーム」くらい無口になったりして

まあ、実際子どもにとってはそれでもええんやけど、親としては何かしら言っちゃうわけで

なので「~したほうがええんちゃう」とか逆に出かける時とか「早くしなさい」回避のために早めに「何分に出発するしね~」とか声かけたり。

慣れてくると「早く寝ないと明日起きれないよ」っていう否定の言いかたじゃなく、「早めに寝たほうがたくさん寝れて起きやすいよ」みたいな言いかたになったり。

それが身についた頃、夫婦の関係もよくなってきていることに気づく。

男の人のきつい言いかたが苦手だったダッチェ自身も、女の人のヒステリックな命令調に気分を害していたゴリさんも、お互いに優しく話すくせがついてから

楽になった。何より、自分も楽になった

だって、キツい言いかたとか自分が発しても脳は自分が言われたと勘違いしてストレス受けるって何かの本で読んだことあるし。

不登校で得たものの中でもなかなかの大きいことだと思う。意識して口調を変えるなんて、それまで考えたことなかったし。

そして、それは、その後子どもたちが巣立って夫婦2人になった時、すごくすごく助かったのである。ありがとう、くま先生。ありがとうマシュ


※前の記事を読み返してみたら否定形ではなく、禁止形でした。

ニュアンスは同じかもだけど、訂正しました(6月24日)

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