おひるねウサギ~不登校かまへんかまへんマイペース♪

ADHD母ダッチェ。小2で不登校のマシュは小5フリースクール、中2地元中学高校→他府県専門学校→社会人独り暮し3年目

フリースクール その後

2010-01-26 10:59:30 | フリースクール
マシュは今年からフリースクールを週に4日に増やした。

少人数でアットホームな感じで過ごしやすいものの、まだまだ自分をさらけ出すにはいたらない感じだけれど、そんな状態もよくわかってくれるクラスの雰囲気だ。

今まで、学校に送って行って、電話があったら迎えに行って・・の生活は帰ってきたらドドーっと疲れていることが多かったが、朝10時台にひとりで自転車で行き、3時台にひとりで帰ってくる・・今の生活のほうが余力がある感じがする

『週に2度休みがある』って決まっているところもまた気分的にも楽な様子。

授業は、ゆるめで、個人での課題をこなしたり、みんなで創作活動をしたり。

毎週末に次週の時間割をもらってくる小学校と違って、一週間の時間割が数カ月は変わらず繰り返されるのもまたマシュには落ち着くみたい。


見学の親子が時々来られるのにちょっと緊張しているみたいだけれど。


全国展開の単位制高校もやっているところなので、なんならそのまま中学時代をそこで過ごし、高校に行くこともできる。

かといって、それをすすめられるわけでもなく、元の学校に復学する子あり、他校に受験する子あり・・である。

「いろいろな道がある」と言いながらも、「このままじゃどっこも高校行けないよ」とあちこちで言われてきたマシュにとっては、具体的に「行けるとこあるじゃん」ということを知ったのは安心が大きいかも。



朝のバトルから無縁の生活になってから乱れがちだった睡眠。声をかけるだけで、自分から起きてくる日が続いてるし・・。
『遠くから来る子も多いので、ラッシュをはずした時間割』だそうで遅めのスタートが、ものすごくありがたい。


そして最近、次の日の時間割や、たまに出される宿題や、はみがきやお風呂なんかの生活習慣を自分からやりだすようになった。
なんだか、いよいよしっかりしてきたなぁ・・。でも、家の中でも暗いところには「ついてきて」なんだけど


小学校の先生も時々家に来て下さって「よかったら給食だけでも食べに来てね~」って。(フリースクールはお弁当)

先週「行こうかなぁ」なんて言ってましたが、行きませんでした(笑)

でもきっと先生は「『行こうかなぁ』って言ってました」って報告したら喜んでくださると思う。理解のある小学校。



というわけで、たまに休んだり、遅刻したりしながらだけど、フリースクール、続いています。


ダッチェのほうは、今までのポニョさんの病院の送り迎えにマシュの学校の送り迎えが一気になくなって「ハラホレヒレ~」とちょっと放心・・たくさん時間ができたハズなのに相変わらずテンパった毎日を送っております。

昨日、コートを着たおじさんに呼び止められた・・と思ったら、かつて交番に招き入れてくれたお巡りさんだった(仕事帰りで私服)。

「最近、見ないし、転校でもしたのかと思ってたよ~」って。

そりゃそうだよね、週に10回くらい会ってたのにね(交番があるのがポニョさんのかかりつけのお医者さんの前で、マシュの通学路)。

「元気にしてるんなら良かった」って。

ここにも気にかけてくれていた人がいた


「あるものを喜ぶ」ということ

2010-01-19 12:01:26 | 不登校
先日の栗原先生の講演会で聞いたお話。


こどもとの関係に悩んでいるお母さんが実際に「ないものをみない」「あるものを喜ぶ」ことを体験されたこと。


高校生の娘さんがちっとも家に帰って来なくなった。

化粧も服装もとてもすごくなっていた。

1か月に1度フラっと帰ってくるか来ないかだった。


娘さんが帰ってくるたびに化粧に顔をしかめたり、服装や生活態度の文句を言っていたお母さんは文句を言うのをやめて、帰ってくると連絡のあった日に、
こどもの時に好きだったごはんを作っておいた。

きれいに食べてあった。

嬉しくなったお母さんは、また次の時も食事を作っておいた。

またきれいに食べてあった。

その次にはちょっとした「置手紙」を添えておいた。


そんなことを繰り返すうち、1カ月に1度の帰宅が2度になり、3度になり、そのうちに毎日家で過ごすようになり、そのうち化粧もしなくなり、学校にも行くようになったそうだ。


話を聞いているだけで、気の遠くなるような長い期間がかかっているのが感じられた。


でも、とってもわかる気がした。


自分にとって、どん底な状態だと思っていた時でも、見方を変えればじゅうぶん幸せだと思えたりする瞬間も「ちょっと」はあったりする。

その「ちょっと」と「ちょっと」を紡いでいるうちに、気づけば幸せ感のほうが大きくなってたりする。

いきなりの幸福感を感じようとしても、なかなか難しくてマシュが何かに挑戦した時「それが出来ても学校行ってないんじゃねー」と、やってた・・と思う

それは・・ひどいよねぇ。好転するわけがないよ・・

ダッチェだって「今日の試合で勝ったわ!」って意気揚々と帰って「それくらい家事も頑張ればいいのに」なーんて言われたら、さっさと荷物をまとめてしまいますわ(さっさとまとめるのが一番苦手なくせに)

と、思うと『そういうことを言わないゴリさん&娘たちよ、ありがとう~~』と感謝の気持ちも産まれますのよ。


これって不登校の話だけじゃなく、家族や人生レベルの話だなぁ・・。

前に紹介させていただいた宝彩有菜さんの「○○+よかった」の魔法のジャンプの話とか。

の浅見帆帆子さんの本「あなたは絶対!運がいい」「大丈夫!うまくいくから」なんかもプラス思考の威力のすごさを感じるし。



ただ待っているだけでいいのか。

待つって、どうやって待ってたらいいのか

途方に暮れたままだと、口に出さずとも目線や態度でマイナス発信を送り続けたりしてしまいそう。

我慢したあげくにとどめをさしちゃったりねぇ



確かに『今の状態でじゅうぶん幸せ』と思うことが続くようになってきた頃から、マシュも大きく調子をくずさないようになってきたように感じる。




「小さな変化を見逃さないこと」先生はおっしゃった。

「嬉しいことや良いことがあった」時に「それはなぜか」を考える。

そして、それを「増やしていく。」「その延長線上に再登校もあるのですよ」と。




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不登校の見守りかた

2010-01-08 11:35:03 | 不登校
先日、中学の時に1年間不登校を経験し、今は単位制高校に通う子の話を聞く機会があった。

原因、きっかけは特に「そりゃ不登校になるわ・・」と思うようなことではなく、休むうちに「学校に行く意味があるのか」と思ってしまったとのこと。本当に「誰にでもおこりうる」ことなんだなぁ・・とあらためて感じた。


家にいながら「このままではだめだ」という気持は常に持っていて、バイトをして社会経験を積むうちに人間関係などで学ぶことも多く、今は単位制の高校に行きつつ、バイトもして大学受験をするらしい。
といっても、がむしゃらに勉強や登校している感じでもなく、あくまでマイペースな感じを受けた。

やはり、体験者の実声は重みがあった。


その生徒さんが話した中でやはり気になったのは親のかかわりかたである。

「母親はまわりに同じような子を持つ親と知り合いだったので、何も言わないでくれた」
「父親は、『ゆっくり考えたらいい』と他の兄弟からかばってくれた。」

「両親が理解をしてくれたおかげで、ゆっくり考えることができたと思う」


そのご両親はすごいなぁ・・なんて聞きながら思ってた。

その生徒さんは家にいる間、部屋にこもって主にゲームをしていたそうだ。

それをだまって見守るのって相当忍耐いっただろうなぁ・・。

なんて思いながら聞いていた。



「待つ」といっても「待ちかた」がわからない。

勝手に「ま、これくらい休んだらいいだろう」なーんて勘違いしてしまったり。


そこで前回書きかけだった講演会での見守りかたの話。

いくつかの大事な『見守りかた』のポイントを聞いた。
  
★「今」行かないことには意味がある。と思うこと。

★内面を理解する
(ゲームや突飛な服装をすることがあるが、どうしていいかわからないから
「不安」でいろいろなことをする。試行錯誤を認める)

★自尊感情を育てる
  
 苦手なことは、ずっと苦手。ないものを求めない。できないことを数えない。
 「あるものを喜ぶ」その延長線上に再登校もある。
 
 親が心配から軌道修正しようと、幅をせばめようとすればするほど、それていく。
 極端にいうと「生きていればいい」と思うくらい幅を広げると子は真ん中をいく。

★親自身が不登校に左右されない

 今、一時的にそうなっているだけ。だから大丈夫だよと信じる。

 すこしは心配するけど、すごーく心配するということは「あなたを信頼していない」「ダメな子」というメッセージになる。





どれもこれも聞きながら「思い当たるなぁ」と思った。

「せめて生活習慣をちゃんとしよう」と思うと昼夜逆転になったような・・・。

こっちが「それもありだよね・・・」という感覚でいろいろなことを認めだすと意外と自分で考えて行動したり。


あるものを喜ぶことは、なかなか「やろう」と思ってできることでもなく。

「これができても、あれができないじゃない・・」となってしまう。

でも、ふと自分を振り返って、『できないこといっぱいあるけど、責められずに暮らしているなぁ・・。』

と、気づいたら他の家族も同じだなって思った。

できないことや人と比べて足りないことを指摘されると誰でも凹むもんねぇ。


不登校当初は「寝れない寝れない」で食欲もなかったのが、今よく寝てよく食べる。

それだけでも、嬉しいことだなぁ・・。と、落ち込むたびに思い返したりしていた。

まだ登校に一喜一憂していた頃に「生きてるだけでありがとう」ですよ。って学校の先生に言われた時には「人の苦労も知らないで・・」って悲しくなったけど、根本にあるのはやっぱりそれなのだろうな・・。


ちょっとしたことを認め、喜んでいるうちに確かに意欲的になっていったように思う。

「学校に行っていない」状態を自分で「ダメだなぁ・・本当は行かなくちゃいけないのに」と一番思っているのは本人だ。

不安からいろいろな行動をしたりする。親のほうが今まで経験したことないようなことが次々起こる。
それを

「学校行ってなくても、こんなに能力がある」って言い続けるのは、かなりの力量がいる

もしかして、そんな立場に置かれる親のほうにこそ、実は眠っている力を発揮する時が来たの時期なのかもしれない


『人には、その人か越えられるだけの苦労しか来ない』らしいもの


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