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30年前の10月 No2 EF65P型からEF65PF型への激動の世代交代


 EF65P型からバトンを受けてEF65PF型牽引となったブルトレですが、本当に初めの数運用はEF65PF型もスノーブローが取り付けられた姿で牽引していたと記憶しています。しかしながら長距離運用が故に制輪子の取替頻度が高く、P型と異なりPF型は制輪子交換時に支障すると言う事ですぐスノープローは撤去されてしまいました。砂撒管ヒーター撤去等は新製時は装着して落成し。公式試運転ではそのままで運転されていますが、国鉄へ引き渡し後に撤去され運用開始したと記憶しています。当時、鉄ちゃん仲間でよく話題になったのが、もし東京機関区に1両でもEF65PF型が配置されていればEF65PF型1100番台が投入される計画された時点で制輪子取換に支障するからとスノープロの形状変更または支障箇所の欠取りを現場から南局を経由し国鉄本社に上申したでしょうが、EF65PF型の配置経験がなかった故に現車が到着して初めて制輪子を取換るまでスノープローが制輪子取換に支障する事に気づかなかったのではないか?と言う事でした。その結果、安易にスノープローが撤去されATS車上子保護カバーが丸見えの不細工で情けない姿になってしまいました。その後、名目だけとは言え何度かの配置換えと国鉄解体と言う激動の時代を経てブルトレ牽引運用が消滅した現在でもスノープローがない姿で今に至っているカマがいるのはご存知の通りです。なお当時、取り外されたスノープローは東京機関区で保管されていたものの東京機関区が無配置区となり名目上、新鶴見機関区になった際に配置区へ機関車の備品として送られるはずのスノープローが東京機関区にそのまま保管され、何時しか行方不明になったためだと言う噂もありましたがその噂話自体が事実であったのかは定かではありません。  83,10,29 湯河原 10レ

 7883年夏に東京発着のブルトレ牽引がEF65P型からEF65PF型にバトンが渡されました。この当時は品川が勤務地でしたので、毎日の様にブルトレを眺められる環境にありましたが、7月の下旬から日々PF型の牽引列車が多くなり、東京機関区の片隅にブルトレ牽引から離脱したP型が何両も連結されている光景を見て時代の変わり目を見ている気になりました。EF65P型置換用に製造されたEF65PF型は正式には7次車と呼ばれていたように記憶していますが鉄ちゃん仲間ではそれ以前のEF65PF型と区別するために1100番台と呼ばれていました。
 20系に象徴されるブルトレの牽引に一番似合うのはC62だと信じて止まない私ですが、電機牽引ではEF58が一番似合うと今でも思っています。しかしその姿を慣れ親しんだEF65P型も似合うと思っています。子供の頃に線路際で見た東海道線のブルトレは全てEF65P型でしたし、カメラを手にして撮影を開始しだしてからも東海道線のブルトレは全てEF65P型でした。
 しかしブルトレ牽引の宿命である長距離運用が故にブルトレ牽引末期のEF65P型は誰の眼にも老朽化は顕著てした。ブルトレが単発で遅れているとそれはほぼ間違いなく機関車であるEF65P型の故障でした。それだけにEF65P型からPF型1100番台への置換えは感情的な思いもないとは別に致し方なしと言うのが私だけではなく当時の当時の鉄ちゃんのほとんどの思いであったと思います。


 PF型にブルトレ牽引を譲ったP型は一部、東京機関区に残留してEF15が淘汰され廃車となりました。由緒ある東京機関区にP型が残留したのは嬉しいのですが、EF15が牽引していた運用に充当された姿に哀れを感じた事をはっきり憶えています。写真は後に真鶴工臨として有名にかる砕石臨。   83,10,29 真鶴 工1791

 ただ、P型も栄光のブルトレ牽引から離脱すると次の役目が待っていました。そのひとつが東京機関区に配置されていた旧型電気機関車のEF15の置換えと言う役目です。そしてもうひとつ紀勢線電化に伴い所要機関車を捻出するための転属でした。実際には東京機関区と下関運転所のEF65P型が沼津機関区へ転属になり、従来配置されていたEF60を紀勢線電化用に竜華機関区へ転出させる事でした。この当時の沼津機関区の電機の運用は東海道線首都圏口と静岡地区のローカル貨物牽引が主な運用でした。末期のEF60一次型は多くが白熱灯のヘッドライトがシールドビーム2灯(プタ鼻)化されていて被写体としてはとてもみれる状態ではなかったのでEF65Pの転属はブルトレ牽引からの離脱と言う寂しさ半分、沼津機関区でまた撮れると言う嬉しさ半分だったと記憶しています。
 以前もーたーまん様と話していて”EF65PFはゴハチを追いやった機関車だかに、本音から言えばどうしても好きになれない!”と言う言葉を伺ったことがあります。私もそのご意見に強く同意しましたが、私的に言えばゴハチ淘汰と言う思いもさることながら、EF65PF型1100番代の出現そのものがP型をブルトレ牽引座を退く事になったのですから未だにそれがトラウマになって好きになれないのかもしれません。


 沼津機関区へ転属したP型もありました。従来EF60の運用をそのまま継承し充当されていました。これはこれでかっこ良いのですが、栄光の時代を知るものにとって哀れさを感じるのも事実でした。写真はブルトレタイムに運転されていた解結貨物で編成のバラエティーさで有名でした。なお、P型の転入で捻出された沼津機関区のEF60は紀勢線電化用に竜華機関区へ転出したと記憶しています。     83,10,29 真鶴 TRI-X スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED

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コメント一覧

DT200A@CF-F9
EF58特急色様
ご指摘ありがとうございます。早速、訂正しました。誤字、脱字以外に誤った記事と多く失礼いたします。
EF58特急色
EF65PからEF65PFへの変更時期等を調べていてこちらに辿り着きました。
1983年夏からPFによるブルトレ牽引が始まったと書かれていますが、1978年の間違いではないですか?
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