
この場所は今も何とか撮影が出来るはずです。初夏みたいな暑さの中、まさにエロエロ光線でやって来るゴナナはまさに千両役者の名に恥ずかしくない存在でした。このカットと同じリバーサル写真がレールマガジンに掲載され私のゴナナの代表作品となりました。 88,05,08 東武日光線静和―藤岡 2096レ OLYMPUS OM1 TMY スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED
私の写真がレールマガジンNo56号(88-8)に掲載されて以降、東武のゴナナ(57型=5700系)が鉄ちゃんに認知されたと言って過言ではないと思います。もともとこの東武のゴナナの存在は都庁の大先生にご教授いただき現地にご案内いただいて私が開眼したと言う経緯があります。今思えばまだ東北道も浦和からまた首都高も上野まてしかな状況で良くもまぁ通ったのだと自分でも呆れ返ります。それだけ若く、情熱を注げたのもまた若かったからでしょうか?

上の写真の列車の送り込み回送です。板荷の築堤は30年前と変わらないように見えますが高圧鉄塔が張り巡らされ撮影にはかなり制約を受けます。私鉄の築堤は綺麗に刈られて撮影には大変好都合でした。 88,05,08 東武日光線板荷―下小代 3043レ OLYMPAS OM1 TRI-X スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED画像 TMY スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED
還暦を迎えて振り返ると私にとって30歳まではゴハチを追い掛け、いよいよゴハチも団臨やイベントしか動かなくなった時代に東武のゴナナとDD51に被写体としての魅了を感じたのはとてもラッキーだったと思います。今はDD51は日本の鉄道車両のなかでも人気はトップクラスであり追い掛ける鉄ちゃんも多いですが30年前はDD51を追い掛ける鉄ちゃんはごくわずかで八高線金子駅の桜満開の時でさえ5264レ(午後の定期重連)の時に集まった鉄ちゃんは3人でそれも身内と言える気心の知れた鉄ちゃんばかりでした。当時の東武ゴナナも同じで駅で時刻を聞くと〝あんなボロ電車の何処が良いのぉ!好きだなぁ!〝と冷やかされたものでした。しかしDD51のDML61Z系エンジンの音、強いて言うならスーパーチャージャー(スーパーチャージャーとターボとは構造が異なります)の過給羽回転音がたましませんでした。東武ゴナナも吊り掛け駆動ながらも優等列車と同等の走りを確保するために高速運転を迫られその結果、吊り掛け駆動車特有の大歯車の掠れた回転音がたまらなくこの2形式に魅了を感じ取り憑かれたように40歳代半ばまで追いかけられたのは本当に幸せでした。
やはり魅了ある車両は自分から見出さないとダメだと思います。今頃小田急のLSEを追い掛けても遅すぎます。つい先日まで2編成稼動し運用も小田急のネット予約サイトでわかったのですからもっと早くから撮らなければ・・・今、平日でも秦野の築堤には鉄ちゃんが現れます。あの撮影地は微妙な立ち位置があり、他の鉄ちゃんがアングルに入ってきてしまう事も多々あります。昔はこんな事が無かったと思い、既にLSEは私の被写体対処からは消えつつあるなと感じる昨今です。それだけにあの頃、東武の人に変人扱いされながらもゴナナを沿線で独占して撮影してこれた頃を懐かしく思い出します。

当時はど田舎だった新古河ー柳生ー藤岡あたりも今は宅地化され一変されてビックリしてしまいます。この頃、コンビニは藤岡の先に1件あるだけで朝に昼食分を買い込まないと食い外れした事が何度もありました。 88,05,17 東武藤岡―柳生 3054レ OLYMPAS OM1 TMY スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED