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明日は上野・東京ライン開業


 ”はやぶさ”や”富士”等の20系置き換え用で日光線鶴田にあった富士重工で製造された24系25型を私が東京機関区で一番カッコいいと思っていた124号機が牽引して品川へ回送される姿です。オリジナルの可動型スノープローを装着していたのは88号機とこの124号機だけでした。   76,09,25   御徒町 回1941レ

 明日03月14日は全国ダイヤ改正を迎えます。マスコミは”トワイライトエクスプレス”の引退や”北斗星”の定期列車としての最終列車の光景が報道されていますが私にとって身近な(生活を一変させるの)ダイヤ改正としては再開される東京―上野の連絡線(今回、この線を上野・東京ラインと愛称名として様です)です。
 この線は東北・上越新幹線東京乗り入れのための土地を捻出するため廃止となった線です。これが30年の時を経て復活する事になるのは感慨深いとともに、なんであの時代に新幹線のためにと廃止してしまったのか?と言う疑問が残ります。ただ当時の連絡線と今回の上野・東京ラインと大きく異なるのは30年前の連絡線を走るのは主に団体臨時列車や繁忙期に運転されていた東海道線ー東北線への直通列車、あるいは品川―尾久間の回送列車でした。これに対して今回の上野・東京ラインでは東海道線から早朝と終列車を除いて原則、東北線・高崎線と直通運転される事です(常磐線は品川まで乗り入れ)。言い方を変えると私が物心ついた頃から東海道線は東京発。東北・高崎線の始発駅は上野と言う概念を覆すダイヤ改正なのです。私としてはラッシュ時でも東京駅へ出向いて少し待てば必ず座れると言う図式が崩れる訳で困ってしまいます。まぁ~私が頼んだ訳でもないので正直ありがた迷惑な話であります。だいたい湘南・新宿ラインが設定され際のインパクトがあまりにも強く”何をいまさら?”と言うイメージを払拭は出来ません。また、湘南・新宿ラインは遠回りな横須賀線の線路を走り、また山ノ手貨物線をも遠回りになるので上野・東京ラインの列車と所要時間も停車駅も異なる事になります。経由が2系統になるのでよほど慣れた人でない限り迷うのは必至で誤乗によるトラブルが心配です。ただダイヤ構成を工夫して山ノ手貨物線を走っている間に後続列車が上野・東京ラインを経由して結果的に追い抜いて先行列車になってしまう事は避けているようです。
 話を別の方向から見ると旅客規則上も横須賀線(東海道線別線=武蔵小杉経由)及び山ノ手貨物線と上野・新宿ラインと選択乗車が認められるようになりました(山ノ手線内はもともと規則70条で経路選択が自由に認められ乗車が出来る様にはなってますが?)。これは乗車券だけでなくグリーン券も同様の扱いになります。余談ながら国鉄時代は横須賀線が走行する東海道線別線=武蔵小杉経由と東海道線=川崎経由との取扱いが曖昧で東海道線の定期券を所持した旅客が横須賀線に乗車すると別線乗車したと判断し品川ー鶴見間の乗車券を車補で切っている車掌がいましたが、この扱いは正当ではありますが東海道線不通の際には東海道線別線=武蔵小杉経由で迂回運転がなされる実体を鑑みやり過ぎと思った事を思い出します。


 連絡線ではお召列車も運転されました。このお召列車は東京から土浦まで運転されました。原宿の宮廷ホームが頻繁に使われた時代に常磐線への運転は経路が複雑になり(原宿から北上した場合は田端(操)の外れ(京浜東北線の上中里駅近く)で折り返すか、いったん南下して品川・東京経由で運転するしかなく)常磐線へのお召列車は東京駅を発駅とするのが常でした。なお、このお召列車の上りは水戸発だったので水戸線ー(小山短絡線)-赤羽―(赤羽線)-原宿の経路で運転されています。ちなみにこの写真を撮影した際は現地に到着した時点では曇空だったのにいつの間にか太陽が出てきてしまった記憶があります。  76,05,22 御徒町 お召

 なお連絡線時代に定期旅客列車が無かったかと言えばそうでもなく晩年は廃止となりましたが高崎(ひょっとしたら新前橋かも?)―熱海間と宇都宮ー熱海間に115系8両の列車が1往復だけ運転され113系オンリーの東海道線で異色な存在でした。たしか私が小学生時代には存在しましたがその後気がついたら廃止されていましたと記憶しています。また、臨時ながら優等列車も連絡線を経由して乗り入れていました。中でも異色だったのが平―伊豆急下田間で運転されていた”湘南ときわ常磐伊豆”(福臨鉄様より指摘があり訂正)で長大編成の455系が大船の大カーブを走っていく姿は今も脳裏に残っています。


  高校時代、連絡線を14時過ぎに通過する荷2935レは絶好の被写体でした。この列車は隅田川発品川行で品川駅では汐留発の荷35レの大阪よりに連結されて堂々14両編成の荷物列車となりEF58重連に牽引されて西に向かいました。連絡線廃止後はEF58牽引なり山ノ手貨物線経由で運転されていました。なおこの荷2935レはEF53からEF10牽引になり、晩年はEF15が牽引していましたが廃止までデッキ付電機だけが牽引したという極めてレアな列車です。 76,02,11 神田 荷2935

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コメント一覧(10/1 コメント投稿終了予定)

DT200A@CF-Y8
福臨鉄様
 いろいろ忙しい様に見せて実は暇を持て余してのご投稿、誠に感謝いたします。

 ご指摘の部分は訂正させていただきました。ありがとうこざいます。
福臨鉄
現代から一気に過去へ さすがベテランのなせる技です ^.^

平から伊豆へ行く、、、「常磐伊豆」といいいました。
↑↑ 15の牽く荷物列車、東スポの新聞配置のバイトを
始める前によく秋葉原駅で見ましたが、14時過ぎだった
のですね。当時は「ヘラヘラ」するのに一生懸命で鉄など
忘れていたのが今にしてみれば残念、一度も撮影してません。

最寄駅には「ひたちに乗って東京駅に行こう」の横断幕、
腕木信号機が滅ぶのに合わせ一気に認知症が進んだ老親も
国鉄本社への出張は東京駅行きの特急で行ったことは
覚えていました。ダイヤ改正に合わせ明日退院させます。
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