
今思えばずいぶん不吉なネーミングの列車です。雲が出るなんてもってのほかですが、素晴らしい朝の太陽を浴びて”出雲”が定時に横浜駅を発車しました。終着駅の東京まであと25分です。〝ゆうづる〝も〝出雲〝と同じですが赤いヘッドマークって独特の色気を感じませんか?現在ここは東側にマンションが建設されてこの位置だと影になります。 77,09,13 東神奈川 2002レ TRI-X スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED
60歳の定年退社が刻々と目の前に迫っていますが(延長して専任社員として継続して働くかは別として来年04月30日が定年退社となります)40年前の09月は3か月の研修を終え、新入職員として晴れて現場配属となり今と違って意気揚々と毎日を過ごしていた時期でした。
配属現場は品川駅に併設されていた東京第一運転所で昔の品川駅は東西に地下道で各ホームがつながれていて(現在もエキュートの物資搬入に使われているらしい話を聞いたことがあります)その港南口へ向かう途中に職員用の鉄の扉がありそこを上がると東京第一運転所でした。もともと高校時代も家から早めに駅に向かい、通学途中に撮影をしてから学校へ向かうのが日課でした。これは就職しても変わらず何にも撮影しないと7時頃には職場にいてアケ番の人に”早すぎ!”と笑われたものでした。ただ出勤途中に撮影をするとギリギリに出勤となることも何度かありました。まぁここまで書くとご察しされるでしょうが天気が良い日は小さなカメラバックを持って出勤していました。今で言う朝練体制を常に準備していたことになります。逆に言うとそれくらい周囲に撮影対処となる車両がいたことになります。それを思うとつくづく良い時代だったと思ってしまいます。

品川駅を07:25に発車する8345レは出勤前にちょうどお手頃の列車でした。創臨の回送によく使われたのでほぼ毎日運転と言う時期もあったくらいです。牽引機は東京機関区が所定でたまに米原機関区や宮原機関区が充当されることもありました。早めに出勤して品川駅で8345レに充当されている機関車を確認し61号機や124号機が充当されていると大井町や蒲田まで戻って撮影した事もあります。ここはかつての蒲田貨物ホーム跡でしたが柵等なく容易にご乱入が出来ました。 77,09,13 蒲田 8345レ スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED