
今は首都圏城南地区のベットタウン化されてしまった沿線ですがこの頃は田んぼが広がり、ポールも木柱が多く今よりは格段にロケーションは恵まれていました。ちょうどこの頃、ひだ号君は生後1ヶ月くらいですが、いかに自宅近くとは言えさすがに当時のことは記憶にない(あるわけない)と思います。 83,08,13 伊豆箱根鉄道大雄山線飯田岡 TRI-X スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED
釣り掛け駆動の旧型電車と言えば生家の眼の前を走っていた東急池上線の印象があまりにも強い私ですが、そのせいでしょうか?釣り掛けの力行音を聞くと幼少期の事が脳裏をよぎります。だからと言って釣り掛け音に執着心があるかと言えば、そうでもないようで一番身近だった平行カルダンの音のほうが聞きなれた感があります。最近では185系が高速で通過する音に妙にそそられてしまうのは変な心の病気になってしまったのではないかと、不安を感じる今日この頃です。
さて30年前の8月は伊豆箱根鉄道大雄山線に複数回撮影に出撃しています。旧型電車の牙城だった東急池上線も7200系が入線して3450型に混じって運用を開始した姿に時代の変化を感じたものでした。その一方で大雄山線はこの時点では全車両旧型電車で、乗り換え等で小田原のホームに立っているだけで1両、1両が力行音はもとより惰行音も違うのがわかるほどでした。しかし被写体としてはほとんどの車両が正面窓がHゴム化されていて魅力に欠けていたのも現実でした。その中でモハ154を先頭とした編成はモハ154と反対側のクハ183共に原型窓で大雄山線唯一の存在でこの車両目当てに撮影に出掛けたものでした。
手元の資料によるとこの編成は小田原側からモハ154+モハ155+クハ183で国鉄形式はクハ16561+クハ65126+クハニ19005との事です。お気づきとは思いますが国鉄から大雄山線に入線する際に2両は電装化されています。大雄山線の車両は国鉄からクハを購入し大場工場で電装改造された車両が多いのが特徴でした。本当か嘘かは定かではありませんが国鉄から安価なクハを購入して自社工場で電装化するのが伊豆箱根鉄道のやり方とある私鉄に精通した方からうかがった事がありました。また、大雄山線は国鉄形式以外に西武鉄道からのやって来た車両もいて興味は尽きませんでしたが、そうは思ってもゴハチを追い掛ける毎日が続き、じっくり車両を観察する事は逸してしまいました。
ところでこの編成は運転士にとって特徴(クセ)のある編成だったらしく小田原の大雄山線のホームに入ってエンド交換中の運転士に”154の編成は今日、動いていますか?”と聞くとほとんどの運転士が゛この2本後に走っているヨ!゛とか゛この前を走っている!゛とか即答出来るのには驚いた記憶があります。残念ながら”なぜ、すぐわかるのか?どんな特徴(クセ)があるのか?”は聞かず仕舞だった(聞く機会を逸した)のが、今となっては心残りです。
この時点では大雄山線は全車旧型電車運転でしたが、その翌年には駿豆線の新型電車の17メートル版の電車が大雄山に搬入され、この154型編成が第一陣の代替として堕ちたと記憶しています。
事業用車両とは言え鉄道省時代の電車(コデ165型)が唯一走る大雄山線ですが30年前には旧型電車の楽園だったことをお伝え出来ればとご紹介いたしました。

現在は臨時列車を仕立てて甲種回送で輸送している大雄山線車両の大場工場入出場ですが59年2月改正まではローカル貨物の最後部に連結して輸送(ヨ増)で輸送されていました。小田原駅の入換も定期貨物列車の時変で対応していたと記憶しています(ひょっとしたに相模貨物駅―小田原間は臨時列車だったかもしれません)。この日の回送は何故か、2両??? 80,08,12 早川