
本名の苗字から”ひだ号”と名乗っている彼ですが、そのひだ号君が生まれた30年前の高山線の光景です。国鉄時代、高山線は電化が計画されたと言う話も今は忘れ去られようとしています。 83,06,11 渚-久々野 1042D オリンパスOM1 TRI-X スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED
会社の後輩(で他労組の・・・これは余計かな?)にあたるひだ号君は今年6月に、更にいつもチャーターなどでお世話になっているぴー助君も8月に共に三十路になる(なった)そうです。
ひだ号君とは会社の鉄ちゃんから゛凄力的に撮影に出掛けている若い社員がいるので、一緒に鉄ちゃんに連れていってくれ!゛と言われたのをきっかけに一緒に撮影に行く様になりましたが、やはりおなじ会社で、さらに仕事中も顔を会わすことがある環境にあってかいつしか私の鉄ちゃん仲間とも頻繁にメールのやりとりもしている様です。
一方、ぴー助君とはこれがまた本人同士も気がつかないところでの妙な因縁がありまして・・・実は弊ブログを始めた05年末頃、私は今と違い営業の部署に配属されていました。今は(暑っくるしい)制服ですが、その頃はスーツで外回りの仕事をする環境でした。その当時、ぴー助君は私が勤めていたオフィスの目の前にある大きなビルの中で偶然にも私とほとんど同じ仕事をしていたそうです(ライバル会社とか同業他社と言うやつです)。ちなみに私がご紹介させていただいて結ばれた夜間軌行様の奥様のテルミちゃんも近くで同業のカウンターで働いていたので当時は知る由もなかったのですが向こう三軒お知り合いだった事になります(私と彼女は当時から面識があったので、仕事が終わってから誘い合わせて立呑屋で軽く乾杯をやって帰る事を頻繁にやってました)。
その後、ぴー助君は9.11アメリカ同時多発テロ事件を機に世の中の情勢に左右されない職種を求めて今の会社に社会人採用で転職しました。そして私も会社の経営方針の転換で働いていた部署が廃止となり異動となりましたが、ここでまたぴー助君とは同業他社の関係になったと言う事になります。もっとも彼と面識をもったのは数年前にマチさんの紹介で津軽鉄道・弘南鉄道のラッセルチャーターに参加させてもらってからの付き合いですので、知らないで至近距離で働いていた期間の方がながかったのかもしれません。
結果的には二人とも20年から30年の付き合いが多い鉄ちゃんの付き合いから言えばまだまた知り合ったばかりと言えると思いますが、私とって(鉄ちゃんとしては)数少ない若い知り合いですので私が歳をとって足腰が弱くなって車を運転出来なくなったら彼らに手を引いて連れていってもらい、撮影地では三脚をたてもらいカメラをセットしてもらうつもりで、大切に付き合っていきたいと思っています。
さて、二人は私と25歳も違うので、当然ながらその歳の差を感じる場面も多々ありますが、逆に歳の割りに昔の事に詳しく”あなたはいくつ?”と驚く場面も一度や、二度ではありませんでした。それだけ良く勉強しているのでは(もっと違う、仕事に役に立つ勉強もあるだろうに・・・)ないでしょうか?特にひだ号君はタブレットなどの非自動閉塞について、ぴー助君は地方私鉄の既に廃車になった車両に造詣は深く、もし彼らが私と同世代だったら全国にまだ沢山の非自動閉塞区間が多数あり、まだまだ地方に目立たぬ私鉄も沢山残っていたのでは彼らにとってどんなに幸せだった事か?逆に言えば私はあまりにも当たり前の光景だっただけにタブレットの操作方法や気にもしなかった地方私鉄等、もっと真剣に観察し訪れていれば?と反省する事もしばしばです。特に併合閉塞は各地ローカル線で夜間に施行されていたのにほとんど記憶になく残念でなりません。それでもひだ号君にタブレット(ここで言うタブレットは輪っかのタブレットではなくリンゴマークのタブレットです)端末で古い写真を好きなだけ見せていると、彼の眼がどんどん輝いていくのが手に取る様にわかります。そして私への質問の嵐になっていきます。私の何でもない写真が、彼にとっては記録の宝庫に見えるのだと思います。

サロンエクスプレス東京が運用開始され2運用目で東京駅に戻って来た時の光景です。これだけ激パの中で撮影したのは初めてでしたので圧倒されてしまいました。予想した位置よりだいぶ手前に停車してしまいましたが、あまりの激パで移動出来ず鉄ちゃんを入れて撮影しました。 83,08,24 東京 9024レ TRI-X スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED
鉄ちゃんの仲間内ではまだまだ若い世代に該当する彼らですが、世間で言えば中堅に入ろうとしています。もう会社では平成生まれの小僧が”わが社の将来のあるべき姿は・・・”等と公の場でほざいていますので、三十路を迎えた彼らははっきり言ってオヤジの部類に入ろうとしています。
自分もあと10年は生きるだろうけど、20年、30年生きることはないと思います。国内の現役蒸機最盛期は見れなかったけど、最後の現役蒸機と時間を共にし旧型電機がまだまだ健在で鉄道が輸送の大黒柱で夏や冬の上野駅の喧騒や、品川駅特発の東北線夜行列車の光景、東海道線ブルトレ最盛期などあの当時は当たり前の様に見届けた光景を、雰囲気を彼らに少しでも伝えて国鉄最後を見届けた語部になろうかと考えています。

今年3月にはぴー助君のご尽力で引退が決まっていたしなの鉄道169系の6連チャーター列車を運転され、懐かしさに浸る事が出来ましたが30年前はこうやって急行型電車(それも白熱灯ヘッドマーク付)の6連快速が運転されていました。 83,08,06 土樽 9733M