
我孫子駅に進入するロクイチ様です。ハチマルの印象の強すぎる常磐線に直流機、それもロクイチ様が入線したのですから、それは驚きと共に違和感が強く感じました。 91,01,18 我孫子 9847レ
私にとって24年前の国鉄解体と言う歴史的暴挙には”苦労と屈辱”と言う言葉しか記憶にありませんが、それでもごく僅かに良い想い出もあります。そのひとつが会社分割が生んだ成田線の牽引機種変更でした。
国鉄時代、成田山新勝寺への団体初詣臨時列車は佐倉機関区のDD51又はDE10が牽引していました。成田線の我孫子口は電化区間ではありましたが、国鉄時代に千葉局管内での臨客はDL牽引と相場が決まっていたためでした。しかし、分割によりDLの配置区である佐倉機関区は貨物会社の所属となり旅客列車牽引は異常時以外は基本的に出来なくなってしまいました。それを見込んで宇都宮運転所所属のDD51を1両、佐倉機関区に常駐させる事になりましたが一日最大3往復の客車組成の臨時列車が入線する成田臨に対応する事は出来ません。さらに乗務員も成田機関区担当だったのが旅客会社の千葉運転区の担当となり、我孫子まで便乗で来て、担当する事になり千葉-我孫子間の便乗が必ず発生し非効率極まりない事になってしまいました。

ここではデーデーの成田臨を多数撮りましたが、まさかここでロクイチ様を撮ろうとは…しかし今思うと、パン間抜きは無理にしても前パン抜きしていないのが、何とも残念です。 91,01,09 小林 回9836レ
そこで田端運転所の乗務員に成田線我孫子-成田間の線路習熟をさせ、電気機関車で成田臨を運転しようと言う計画が持ち上がりました。当時、機関車配置区の統廃合でEF5889号機も田端運転所配置となっていたので、成田線のEL入線=EF58の入線可能性大と言うことになり、これは分割が生んだ珍事と運転開始を待ちわびた記憶があります。

↑↓この日は車ではなく上野から常磐線快速で小林に向かいましたが途中、我孫子駅での進入(一番上の写真)を撮ってから我孫子駅停車中に普電で木下駅まで先回りする事が出来ました。木下駅前では待合せておいた当時、ペンタックスにお勤めだったS氏の車に乗せてもらい小林-木下間で撮って、さらに小林駅での交換のための停車で更に追い抜き、上総松崎-成田間の成田ニュータウン付近でも撮影しました。1本の列車をただ撮るのではなく、それなりの撮影地で3箇所も撮影したと言うのはあまり記憶にありません。 ↑91,01,18 安食-小林 9847レ ↓上総松崎-成田

成田臨の電機牽引は国鉄解体後、初めての正月となる昭和63年からとなったと記憶しています。DLで運転されていた国鉄時代の成田臨の運転報では充当形式はDD51かDE10なので機関車運用はほとんど調べる事はなかったのですが(成田―我孫子間の列車はDE10が充当され、上野乗り入れ列車はDD51と住み分けが出来ていましたのであまり詳細に調べる必要はありませんでした。)、電機運転となってからはEF65(PF)限定運用なのかEF58との共通運用なのか、はたまたEF65(PF)とEF81の共通運用なのかと運転報が念入りに調べる必要があります。そして年末押し迫って発行される成田臨の運転報(初詣臨として成田・高尾・鎌倉臨合併の号外)を手にして、年末の年賀状を書かなくてはならない慌ただしい時期に、その内容をしらみつぶしに調べた事を思い出します。内容的は田端運転所担当する列車に以外に、国鉄時代には考えられない事ですが、遠く東海管内から武蔵野線を経由して直通でやってくる機関車運用もあり、機関車好きには運用表をみているだけでワクワクしてくるものでした。
客車組成の列車は早朝成田着の列車が多かったのが特徴で成田早朝着の列車を撮影するためには車と言う選択肢しかありませんでした。今なら東関道成田ICから簡単に撮影地に向かえますが当時は首都高湾岸線がまだ全線未開通で、常磐道の柏ICから撮影地に向かった記憶があります。まだ夜明前で薄暗い中、木下―小林間の撮影地には続々と鉄ちゃんの車がやって来て、知り合いな車を見つけては薄暗い中、新年のご挨拶をしたことをはっきり覚えています。 しかし東海管内からの列車や一部の上野発の列車は昼前に我孫子から成田に向かう列車もあり、この列車を撮影するためには早起きする必要がなく、さらには列車で渋滞知らずで撮影も出来、好ましい存在でした。
成田臨の電機牽引化当初はEF58の入線と言えば89号機ばかりでしたが、それでもデーデーにマンネリを感じていただけに、それなりに熱中したものでした。
我らがお慕いする尊い教祖様であるEF5861号機も田端運転所所属でしたが、旧東京機関区常駐でしたので成田臨に登板する事はありませんでした。
しかし交番検査あるいは台車検査時にEF5861号機は所属区の田端運転所に戻るので、その時期に成田臨の運用があれば充当は可能性がないわけではないので、密かに期待を持ってその夢の日を待ちました。
そして、その夢の日は今から20年前の91年にやってきました。90年末に検査のために田端運転所に回送されたEF5861号機は1月中は田端運転所に留まり、本所の成田臨運用に入る事になりました。
成田臨が運転開始になるとEF58が入れる運用には優先的にEF5861号機が充当され我々を狂喜乱舞させてくれましたが教祖様(EF5861号機)が登板になると沿線に信仰深い敬虔な信者(鉄ちゃん)が集まり過ぎて、あまりにも過熱し危険だと現場からクレームが出て、いつしか教祖様は成田臨には充当されなくなりました。

復路は夕方に成田を発車するために撮影地が限定されましたが、しかし西側が開けた場所で待っているとこんなエロエロ光線でひかり輝く麗しき教祖様を撮影する事が出来ました。ありがたいお姿に落涙の思いでした。横に居たS氏の写真はどこかの雑誌で大きく発表されたと記憶しています。 91,01,18 安食 9840レ
一時は撮影にかなり熱中した成田臨ですが、また、成田臨そのものが削減され、さらに残った列車も電車化されいつしか、私の被写体対象から外れてしまい、成田臨撮影そのものが過去帳入りしてしまいました。
【お断り】
品川530様より成田臨の電機牽引初運転は、1988(昭和63)年1月10日、教祖様により行なわれたとご指摘頂いておりますが文はそのままにしてあります。