DT200Aの庫 (goo-blg)

海水浴臨”らんしま”号の思い出


 復活C623号機撮影でも良く通った金五郎山ですが、このアングルから狙う人は少なかった様です。  93,08,08 蘭島-塩谷 9233レ TMX スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED

 まだ、地方の道路整備が整ってあなかった頃、夏になるといろいれな海水浴臨が各地で運転されました。その最たる例が首都圏から海水浴客が押し寄せるために伊豆や房総で運転された海水浴臨で、最繁忙期には優等車両を使い果たし、苦肉の策として一般車の予備編成を使い優等列車の補完輸送として臨時快速が数多く運転されました。今や伝説となろうとしている内房・外房線をサロを組み込んだ新製間もない113系11連で走った゛青い海゛・゛白い砂゛や昼間は庫で寝てるんだからと朝の通勤輸送を終えて入区してきたスカ線用の付属編成をふた編成連結して伊東→品川間を急行並みの所要時間で突っ走って夕方には大船区に戻って所定運用に戻ると言う神業の様な運用をこなす113系もありました。しかし総じて比較的地味な海水浴臨のなかで臨時快速列車はさらに印象に残る列車の数少ない存在でした。
 例えばゴハチに牽かれた14系の臨時゛踊り子51゛号は伊豆方面への下りのトップ列車だった事もあり、いつも満席でした。金曜や土曜日には自由席には立客があるほどでした。それに対して155系や167系の臨時快速列車は優等列車の合間に設定されてしまうために、あまり満員と言うのを見ることもありませんでした。あくまでも補完列車で地味な列車が多かったのが現実です。
 もともと海水浴臨の多くが運転日が限定されているために時刻表本文に掲載がされず、巻頭のピンクのページや黄色のページに掲載されて軽い存在でおのずと営業的にも地味な扱いになっていたのが伺いしれます。時刻表上では軽く扱われても海岸線の道路の渋滞を嫌ってた利用客に支持されて海水浴臨は好評ではあったものの道路環境が飛躍的によくなってくると、その運転本数も少なくなっていきました。そのなかでひときは地味だったけど趣味的には眼が離せない存在だったのが函館本線(山線)で運転された蘭島への海水浴客輸送に運転された快速゛らんしま゛号です。


 やはり8両牽引はなかなかの迫力があります。蒸機時代だったら入駅下り勾配なので絶対に撮らない場所です。  93,08,07 塩谷-小樽 9232レ TMX スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED

 昭和の時代は札幌から手頃な銭函や張碓、あるいは蘭島などの函館本線沿線の海水浴場が賑わっていました。まだ5号線しかなく、また道路状況もままならない時代でしたので列車で海水浴に行く人がほとんどでした。特に遠浅の蘭島海水浴場は北海道屈指の海水浴場として有名で相当に賑わった様です。小樽市のホームページによれば蘭島海岸をこう紹介しています。

 大正から昭和初期にかけて、蘭島海水浴場はその全盛期を迎えました。毎年夏には臨時列車が増発され、蘭島駅前は海水浴客で大にぎわいでした。また、別荘地の分譲も盛んで、高岡北大総長、マッキンノン小樽商大教授、河原小樽市長など、各界の名士が競って蘭島に別荘を建てたのです。
 蘭島はまた、子どもたちに水泳を教える「水泳講習会」の会場としても使われてきました。講習会は明治28年に信香町で始められ、昭和34年からは蘭島で開催されるようになりました。50代半ばまでの皆さんには、蘭島での水泳講習会は懐かしい思い出となっていることでしょう。
 蘭島海岸にある「北海道海水浴場開設発祥之地」の碑からは、蘭島に住む皆さんの海水浴場への思い入れが強く伝わってきます。


 また、ウィキペディアよれば昭和末期の海水浴時期には海水浴客で蘭島駅の改札口から浜まで約800メートルもきっぷを買う人の列が途切れなく続いたと書かれています。さらに、海水浴客によってセブン-イレブン蘭島店は数年間日本一の売り上げを記録し続けたこともあった。とも記されているほどです。その海水浴客を輸送するために海水浴シーズンきなると゛らんしま゛号と名付けられた列車が札幌から余市方面へと運転されていました(小樽―余市間運転の臨時列車もあったと記憶しています)。
 この゛らんしま゛号にはヘッドマークを取り付け、雑客(旧客)時代はオハ43系急行用客車できれいに組成された列車が運転された様でした。またヒルネしている(動いていない)車両を動員したために夜行寝台急行の編成が駆り出された年もあった様です。晩年は朝夕しか使用しない50系客車を使っての運転が定着していました。また本数も2往復体制、さらには3往復体制になった年もあった様ですが末期は1往復体制に縮小されていました。また客車組成ばかりでなく気動車が充当されている写真もみた事があります。充当される客車もそうですが、牽引する機関車も結構バラエティに富んでいました。かつてはD51等の蒸機が牽引した様ですが(余市に転車台がないので余市発はバック運転?)、私がこの列車に注目した時代にはすでに無煙化され牽引はDD51やDE10(15)になっていました。この゛らんしま゛号が臨時列車としては比較的編成が長く、現車8両程度でDE10(15)等は重連になった年もあった様です。
 この様に毎年運転形態を少しづつ変えるために毎年、秋に発売される鉄道雑誌で゛らんしま゛号がどの様に運転されたか掲載されのを注目したのも良い思い出です。


 この場所はC623号機の運転日には争奪戦になる撮影地ですが、さすがにC623号機が運転されていない日ならば余裕で場所を確保出来るとおもいきや、なんと゛らんしま゛号撮影目当てのお仲間が多数いらして、゛この間で撮らしてもらって良いですかぁ?゛状態でした・・・(笑)   93,08,07 蘭島-塩谷 9233レ TMX スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED

 毎年、秋になると来夏は是非とも゛らんしま゛号撮影を成し遂げようと意気込んでみたものの、わざわざこの列車撮影のために出撃するわけにもいかず、その機会を逸して数年が経とうしているとある転機がやって来ました。それは復活C623号機の山線復活運転でした。夏の蒸機撮影は二の足を踏むのが通例ですが、涼しい北海道である事と゛らんしま゛号も撮影出来ると言う事で渡道を決断しました。C623号機運転の前日に現地に入ってゆっくり゛らんしま゛号を撮影しようと思ったのが甘かった様で、山線沿線には゛らんしま゛号撮影目的の鉄ちゃんの姿があちらこちらにあり、いささかビックりした記憶があります。
 この快速゛らんしま゛も札樽道全通と50系客車淘汰を期に運転されなくなってしまいました。


 上り゛らんしま゛まではかなり時間があったものの、何か虫の知らせと言うのでしょうか?カメラをセッティングして、暑い中待っていると、遠くからジョイント音が聞こえ、工臨がやって来ました。  93,08,06 塩谷-小樽 下工臨レ DE151511号機 TMX スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED

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コメント一覧

DT200A@P905i
残席3様
ご投稿、ありがとうございますm(__)m

 やはり北斗星色のDD51じぁなく原色DD51やDE10(15)が撮りたかったなぁ!
残席3
93年にはDDのらんしま号は2往復ありましたが、94年にはDEの臨時のみとなり、10月には赤い51系そのものが全廃されてしまいましたね。青いHMもいかしていました。
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