みわよしこさんが、文系女性研究者の自死と社会保障制度を絡めた論考をなされている。みわさんは、いつも真摯な記事づくりをしていて尊敬申し上げているが、今回は少しばかり論点がずれているかもしれない。
というのも、現在の若手・中堅研究者をめぐる困窮は、貧困だけがその中心にあるのではないからだ。いや、正確には、貧困が彼ら彼女らを追い詰めているものの中心なのではない。
そうではなく、自分のすべてをかけて働いている現場において、ただその立場が正規雇用されたものでないということだけで、一切の誇りが瞬時に消し飛ぶような事態に直面し続ける環境こそが問題なのだ。
もとより、研究者になるような人種は、生活などは最低限が確保されていれば別に不満などない。つまり、食べること以外の時間の過ごし方がどれだけ充実しているかということのほうを問題としがちである。それは、研究であり教育である。そこでそれなりの成果を挙げているにもかかわらず、数年経てば任期切れや、場合によっては突如雇い止めといった事態に直面してしまう。その度に、誇りはズタズタになる。
公募にしても、いまや五十や百の落選は当たり前になっている。大学ごとに毎度書式は異なり、しかし盛り込むべき内容は同じという、いわば二度手間三度手間を要求されながら書類を仕上げても、まずお祈りメールの憂き目にあうばかり。それでも三十代まではまだ耐えられる。だが、四十代に入ると、いつ先が見えるのかという不安のほうが圧倒的に膨らんでいく。このあたりがひとつのデッドラインとなってくる。
この世界は、正規雇用されたことがない研究者に対しては救済システムが働かない。どこかで一度でも専任教職員として雇われていれば、「次の移り先」の斡旋にあずかることなどもあるのだが、そういうものと縁が一切ないのが彼ら若手・中堅の任期付研究者の置かれた実態である。いわば、究極の都合の良い使い捨て人材と位置付けられがちだ。だから、知らないあいだに心が疲弊していく。この心の穴を埋めるものは、誇りの回復しかないのだが、それが敵わない環境に置かれ続けることでついには折れてしまう。
このような苛烈な世界での生き残りをかけ、当事者はお互いをライバル視しがちだが、本当は連帯すべき仲間とみなした方が可能性が広がることだろう。当事者以外にとっては、まさに人ごと。そしてかつての非正規であっても、ひとたび正規に成り上がってしまえば、これまた人ごとに映りだすのか、自分はあなたたちとは違うとばかりに冷たくあたられだすことだって珍しくないわけで。当事者同士がもし支えあえないとすれば、この地獄を脱することなどほとんど不可能になってしまうだろう。いまのところ、有効な解決策が見当たらない中、これ以上の悲劇が起こらないことを願うばかりだ。相談できる場所などがあれば、とも思う。そういう場を一緒に作れれば、とも。
というのも、現在の若手・中堅研究者をめぐる困窮は、貧困だけがその中心にあるのではないからだ。いや、正確には、貧困が彼ら彼女らを追い詰めているものの中心なのではない。
そうではなく、自分のすべてをかけて働いている現場において、ただその立場が正規雇用されたものでないということだけで、一切の誇りが瞬時に消し飛ぶような事態に直面し続ける環境こそが問題なのだ。
もとより、研究者になるような人種は、生活などは最低限が確保されていれば別に不満などない。つまり、食べること以外の時間の過ごし方がどれだけ充実しているかということのほうを問題としがちである。それは、研究であり教育である。そこでそれなりの成果を挙げているにもかかわらず、数年経てば任期切れや、場合によっては突如雇い止めといった事態に直面してしまう。その度に、誇りはズタズタになる。
公募にしても、いまや五十や百の落選は当たり前になっている。大学ごとに毎度書式は異なり、しかし盛り込むべき内容は同じという、いわば二度手間三度手間を要求されながら書類を仕上げても、まずお祈りメールの憂き目にあうばかり。それでも三十代まではまだ耐えられる。だが、四十代に入ると、いつ先が見えるのかという不安のほうが圧倒的に膨らんでいく。このあたりがひとつのデッドラインとなってくる。
この世界は、正規雇用されたことがない研究者に対しては救済システムが働かない。どこかで一度でも専任教職員として雇われていれば、「次の移り先」の斡旋にあずかることなどもあるのだが、そういうものと縁が一切ないのが彼ら若手・中堅の任期付研究者の置かれた実態である。いわば、究極の都合の良い使い捨て人材と位置付けられがちだ。だから、知らないあいだに心が疲弊していく。この心の穴を埋めるものは、誇りの回復しかないのだが、それが敵わない環境に置かれ続けることでついには折れてしまう。
このような苛烈な世界での生き残りをかけ、当事者はお互いをライバル視しがちだが、本当は連帯すべき仲間とみなした方が可能性が広がることだろう。当事者以外にとっては、まさに人ごと。そしてかつての非正規であっても、ひとたび正規に成り上がってしまえば、これまた人ごとに映りだすのか、自分はあなたたちとは違うとばかりに冷たくあたられだすことだって珍しくないわけで。当事者同士がもし支えあえないとすれば、この地獄を脱することなどほとんど不可能になってしまうだろう。いまのところ、有効な解決策が見当たらない中、これ以上の悲劇が起こらないことを願うばかりだ。相談できる場所などがあれば、とも思う。そういう場を一緒に作れれば、とも。