ご無沙汰してます。
『博士漂流時代―余った博士はどうなるか?』,榎木英介/著, ディスカヴァー・トゥエンティワン, を
著者の榎木英介氏からご恵贈いただきました。感謝致します。
この時期、世の中を読み解くキーワードの一つには「就活」が必ずあがってくる。一一月一六日付の時事通信によれば、来春卒業予定の大学生の就職内定率は、先月十月一日の時点で約五八%だそうだ。これは調査開始以来最低で、就職氷河期と呼ばれた二〇〇三年すら下回るという。
若者が仕事につけない国の未来は、普通に考えれば決して明るくないだろう。だが、こんな衝撃的なニュースを耳にしても、恐らく全く動じないと思われる人たちがいる。それは、日本の博士たちだ。
別に、「常人を凌ぐ胆力があるから」とか「一喜一憂しない冷静さがある」とかではない。
数値そのものが、彼らにとって見慣れたものになっているからだ。我が国における「博士」の就職率は、概ね六〇%近くでずっと推移しているのである。大卒者と違い、こちらはあまり大きく報道されることはないが・・。
博士は「専門職」だからそもそも大学生と比較するのはどうか?、と見る向きもあるかもしれない。
しかし、もし仕事に就けない「博士」が社会に大量にあぶれている国があり、みなさんが市民であるとしたら、未来に明るい展望を見いだすことができるだろうか。
『博士漂流時代』とつけられたタイトルの本書は、ここを掘り下げようとしている。著者はのっけから警告を発する。
博士の就職率は、「学校基本調査」等できちんと数値が示されているのだが、公表値を「鵜呑みにすることは避けたほうが無難だ」。
もし「非正規雇用者」などもそこに含まれていたとしたら、どうします?、などと。
読者は『え?』となるかもしれない。
数字を「読む」という作業は、『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』(光文社新書)の山田真哉氏がいつも教えてくれるように、実は思った以上に難しい。
そのことを熟知する著者は「分野にもよるが・・」と前置きしたうえで、読み手にさまざまな角度から「驚き」を与える情報と数字を仕掛け的に並べる。
東大の地球惑星科学専攻に至っては八割以上が・・・などと。
このあたり、バリバリの理系である著者の真骨頂たるところだ。
表にでてきている数字だけを見て物事を判断することは、「本質を見る目を曇らせる・・かもよ」と、たんたんと教えてくれるのだ。
そう、本書はかなり恐ろしいのである。その一方、とても綺麗であるとも付け加えておきたい。
なぜなら、ここには醜悪な人間模様などは一切でてこない。アカデミアの、常識―非常識や文化、社会の現実、人々の関わりの複雑な綾などを丁寧に切り離し、著者は、あくまでも抑制のきいた文章と数値でこの国の若手博士をめぐる現状を表すことに腐心している。
博士の雇用問題が放置され、きちんとした支援策がないばかりに、優秀な若者は博士ではなく医師を目指すようになっていますが、なにか?
科学・技術を大事にすべきだとよく聞きますが、進路選択としての「博士」はもう見限られていますけど、なにか?
対象を突き放しつつ、同時に読者を惹きつける。
その潔さは、ある意味完璧に美しい。が、中盤から終盤にかけて、それまで慎重に理性の綿に包みこんでいた「本音―熱き魂」を、ついに隠し通しきれなくなる。つまり、本書が最も読者に訴えかけたいところはココだ。
「・・親の援助も期待できない人たち、貧しくて大学に行くどころではない人たち、虐待に苦しむ子。病気に苦しむ人・・・・そんな人たちを差し置いて、博士の就職のための対策をしろというのか。
(税金による博士の救済を唱えることで、世間からはこんなお叱りを受けるかもしれない、と筆者は苦悩しながら、自問自答する。その答えが次の一文である)
私(榎木)はそれでも、博士をなんとかしないといけないと思う。」
魂の叫びが、震える著者の声が、確かに聞こえてくるようだ。医師として(著者の榎木氏の本業は医師である)、おそらくは口にしたくなかったであろう文言が飛び出すことで、本書のもう一つの顔が―暖かい朱をおびて―浮かんでくる。
「博士を腐らせず活かす道筋を、政府は何にも増して急いで頂けないでしょうか。そうでなければ、この国の人たちは共倒れになるかもしれないのです。本書のデータを、どうぞよく見てください。そして、博士をどうか社会のために使い倒してやってください」
日本の未来を真剣に憂う優しき医師が、社会を元気にするため、秘薬をまぶした処方箋を出してくれた。
先生はこうも続ける。「飲むかどうかは、みなさん次第」。
この国の閉塞感を吹き飛ばすために、今、何が必要なのか。
先生は、「博士力」に希望を見いだそうとしている。
博士漂流時代 「余った博士」はどうなるか? | |
榎木 英介 | |
ディスカヴァー・トゥエンティワン |
『博士漂流時代―余った博士はどうなるか?』,榎木英介/著, ディスカヴァー・トゥエンティワン, を
著者の榎木英介氏からご恵贈いただきました。感謝致します。
この時期、世の中を読み解くキーワードの一つには「就活」が必ずあがってくる。一一月一六日付の時事通信によれば、来春卒業予定の大学生の就職内定率は、先月十月一日の時点で約五八%だそうだ。これは調査開始以来最低で、就職氷河期と呼ばれた二〇〇三年すら下回るという。
若者が仕事につけない国の未来は、普通に考えれば決して明るくないだろう。だが、こんな衝撃的なニュースを耳にしても、恐らく全く動じないと思われる人たちがいる。それは、日本の博士たちだ。
別に、「常人を凌ぐ胆力があるから」とか「一喜一憂しない冷静さがある」とかではない。
数値そのものが、彼らにとって見慣れたものになっているからだ。我が国における「博士」の就職率は、概ね六〇%近くでずっと推移しているのである。大卒者と違い、こちらはあまり大きく報道されることはないが・・。
博士は「専門職」だからそもそも大学生と比較するのはどうか?、と見る向きもあるかもしれない。
しかし、もし仕事に就けない「博士」が社会に大量にあぶれている国があり、みなさんが市民であるとしたら、未来に明るい展望を見いだすことができるだろうか。
『博士漂流時代』とつけられたタイトルの本書は、ここを掘り下げようとしている。著者はのっけから警告を発する。
博士の就職率は、「学校基本調査」等できちんと数値が示されているのだが、公表値を「鵜呑みにすることは避けたほうが無難だ」。
もし「非正規雇用者」などもそこに含まれていたとしたら、どうします?、などと。
読者は『え?』となるかもしれない。
数字を「読む」という作業は、『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』(光文社新書)の山田真哉氏がいつも教えてくれるように、実は思った以上に難しい。
そのことを熟知する著者は「分野にもよるが・・」と前置きしたうえで、読み手にさまざまな角度から「驚き」を与える情報と数字を仕掛け的に並べる。
東大の地球惑星科学専攻に至っては八割以上が・・・などと。
このあたり、バリバリの理系である著者の真骨頂たるところだ。
表にでてきている数字だけを見て物事を判断することは、「本質を見る目を曇らせる・・かもよ」と、たんたんと教えてくれるのだ。
そう、本書はかなり恐ろしいのである。その一方、とても綺麗であるとも付け加えておきたい。
なぜなら、ここには醜悪な人間模様などは一切でてこない。アカデミアの、常識―非常識や文化、社会の現実、人々の関わりの複雑な綾などを丁寧に切り離し、著者は、あくまでも抑制のきいた文章と数値でこの国の若手博士をめぐる現状を表すことに腐心している。
博士の雇用問題が放置され、きちんとした支援策がないばかりに、優秀な若者は博士ではなく医師を目指すようになっていますが、なにか?
科学・技術を大事にすべきだとよく聞きますが、進路選択としての「博士」はもう見限られていますけど、なにか?
対象を突き放しつつ、同時に読者を惹きつける。
その潔さは、ある意味完璧に美しい。が、中盤から終盤にかけて、それまで慎重に理性の綿に包みこんでいた「本音―熱き魂」を、ついに隠し通しきれなくなる。つまり、本書が最も読者に訴えかけたいところはココだ。
「・・親の援助も期待できない人たち、貧しくて大学に行くどころではない人たち、虐待に苦しむ子。病気に苦しむ人・・・・そんな人たちを差し置いて、博士の就職のための対策をしろというのか。
(税金による博士の救済を唱えることで、世間からはこんなお叱りを受けるかもしれない、と筆者は苦悩しながら、自問自答する。その答えが次の一文である)
私(榎木)はそれでも、博士をなんとかしないといけないと思う。」
魂の叫びが、震える著者の声が、確かに聞こえてくるようだ。医師として(著者の榎木氏の本業は医師である)、おそらくは口にしたくなかったであろう文言が飛び出すことで、本書のもう一つの顔が―暖かい朱をおびて―浮かんでくる。
「博士を腐らせず活かす道筋を、政府は何にも増して急いで頂けないでしょうか。そうでなければ、この国の人たちは共倒れになるかもしれないのです。本書のデータを、どうぞよく見てください。そして、博士をどうか社会のために使い倒してやってください」
日本の未来を真剣に憂う優しき医師が、社会を元気にするため、秘薬をまぶした処方箋を出してくれた。
先生はこうも続ける。「飲むかどうかは、みなさん次第」。
この国の閉塞感を吹き飛ばすために、今、何が必要なのか。
先生は、「博士力」に希望を見いだそうとしている。